栄光の十一月七日橋 ~義勇婦人部隊の防空戦記~

相沢 竜一

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序章

喜びと後悔

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 戦闘が始まって三〇秒くらいしか経過していないのだが、もう、結末を迎えようとしている。
 マリヤの持つ倍率の低い双眼鏡ですら、敵機の姿がはっきりとわかるようになったのだ。
 相手は毎秒一〇〇メートルに若干届かない程度の速度で向かってきている。砲の有効射程の関係から、高度三〇〇〇メートルの相手に対しては、四キロないし五キロ程度離れた位置からしか射撃できない。
 すなわち、相手が橋の直上に到達するまで、たった四〇秒か、五〇秒しかない。ということになる。一分に満たないのだ。
 それにしても、不格好な爆撃機だ。
 両翼にそれぞれ一発のエンジンが付いているのは理解できる。だが、それに追加して、機首にまでエンジンが付いているのだ。いわゆる三発機というもので、労農赤軍の航空部隊ではほとんど見かけない形だ。
 胴体は流れるような流線型とはかけ離れた、八角柱と八角錐とでもいうべきものだった。機首から翼の直後あたりまでが八角柱。そこから尾翼にかけてが八角錐だ。もっとも、八角錐の先端はぶつりと切断されていて、透明なドームでふたをしてある。その透明なドームから突き出ているものは、おそらく防御用の機銃なのだろう。
 翼も角ばった形状をしており、曲線を多用する労農赤軍の航空機とは似ても似つかない姿だった。
 全部で二〇を超えるその爆撃機の周囲に、小さな黒い雲がぱっと生み出されていく。
 高射砲弾が炸裂した黒煙だ。
 中隊が砲撃した数よりもはるかに多い黒煙が生まれているのは、中隊以外にも高射砲を扱う部隊がいて、同じように対空戦闘を行っているからだ。
 だが、残念なことに、あまり効果は発揮できていない。
 それも仕方がない。何しろ、第四三七独立防空中隊以外は、プリレチェンスキー市内にある工場の工員たちが、労農党の指導の下に編成した自衛組織に過ぎないからだ。当然、その砲撃の正確さは、中隊のそれに比べるとはるかに劣る。ないよりまし。というレベルのものだ。
 マリヤは、先頭を飛ぶ敵機が何かを落としたのを見逃さなかった。
「敵機、爆弾投下!」
 マリヤの叫びに合わせるかのように、後続する爆撃機も直ちに投弾する。編隊を組んだ爆撃機の戦術では、先導機が爆弾を投下すれば、僚機も投下するのが基本だからだ。
 マリヤは悔しさで唇を噛み切りそうになっていた。
 爆弾を投下する前に、敵機が侵入をあきらめるような痛撃を与えられなかったからだ。
 しかし、これで終わりではない。
 投弾を終え、退避行動を取る爆撃機に対し、あくまでも攻撃を継続しなければならない。"栄光の十一月七日橋"への攻撃はリスクが高すぎて割に合わないと思わせるには、敵機に対して多大なる損害を与えねばならないのだ。
 高射砲の射撃音の間を埋めるかのように、太鼓を連続で叩くような音が響き始めた。中隊が持つ高射機関砲が射撃を開始したのだ。
 機関砲そのものは、砲弾を高度六〇〇〇メートル近くまで打ち上げる能力がある。しかし、直径が七六ミリもある高射砲に比べて、たった三七ミリしかない小さな砲弾に対し、複雑な時計式信管を組み込むのは難しいため、あらかじめ指定した秒時が経過したら炸裂するように設定された時限信管と、目標に命中した時に炸裂するように設定された着発信管が組み合わされている。そのため、直上だと四〇〇〇メートルあたりで炸裂してしまうのだ。
 角度が水平に近づいて行っても、経過秒数で炸裂するため、飛距離は多少伸びるものの、直上の時と同じように、四〇〇〇メートル程度を有効射程と考慮するのが妥当である。
 つまり、高度三〇〇〇を飛ぶ敵機に対しては、ほぼ直上に近い位置に接近しない限り、射撃しても意味がないのだ。
 今は、敵機がその有効射程圏内のギリギリのところを通過中だ。そのため、高射機関砲小隊の小隊長であるオリガ・ストロエヴァ下級街区指導者は、射撃すれば有効弾を得られる可能性があると判断したのだろう。

 敵機が投下した爆弾は、自由落下を続けて橋へと迫っていく。
 マリヤは、敵機を追うのをやめ、爆弾の落下する姿をじっと見つめていた。
 嫌な予感がしてたまらない。
 マリヤの視線が上空から地平線へと移動していき、ついに水平と呼んでもおかしくない位置まで降りてきた。
 そして。
 最初の爆発は、至近弾だった。
 "栄光の十一月七日橋"の西岸に近い上流側に、水柱が立ち上る。
 そこからはあっという間だった。
 橋の上流側と下流側にいくつもの水柱が河から立ちのぼり、橋が夾叉されているのがわかった。
 まずい。と思う間もなかった。
 橋のトラス構造を取る鉄骨に、爆炎があがる。
 命中した。
 命中してしまった。
 命中した爆弾はそれだけではない。たくさんの水柱が次々に生まれる中、橋の上にさらなる爆炎が生じる。今度は橋桁だ。
 すべての爆弾が地上へと到達し、水柱が消えてなくなったとき。橋には二発の爆弾が命中していた。
 マリヤは胃がきりきりと痛みだしたのを感じたが、それを無視してなんとか顔をあげた。
 せめて、一矢報いたい。
 マリヤは祈るような気持ちで、飛び去ろうとする敵機を見上げた。 

 それは奇跡にも等しいものだった。
 高射機関砲の砲弾は敵機の編隊を通過し、その上空で炸裂していたのだが、どうやら一発が命中したらしい。
 敵機のうち、中ほどを飛行中の爆撃機が、左翼の中ほどから白煙を引くのが見えた。
 それだけではない。
 すでに何発目かもわからぬ高射砲弾のうちの一発は、有効弾となった。
 編隊の後方を行く一機の機体の真横に黒煙が生じ、右翼や機体がその黒煙に包まれるのが見えた。
 敵機ががくんと高度を下げたのがわかる。
 そればかりか、翼や胴体から黒煙を引き始め、じりじりと高度を落とし始めているではないか。
 第四七三独立防空中隊の全員が、自分たちの戦果を確信した瞬間だった。
 歓喜の叫びが聞こえる一方、彼女たちはさらなる戦果をもとめて、自分たちの仕事により真剣に臨み、行動する。
 とはいえ、敵機はすでに有効射程からは遠ざかりつつあるため、これ以上射撃を継続しても、さらなる有効弾は得られそうにない。
「射撃中止!」
 マリヤはそう判断したため、射撃の停止を命じた。
 高射砲二番砲から最後の一弾が放たれると、中隊が放っていた戦闘雑音のすべてが消え、静寂があたりを包む。
 はずだった。
 実際には、中隊員の歓喜の声がこだまする事態となっていた。
 例の有効弾を与えた敵機が、黒煙を引きながら高度を下げ続け、編隊から完全に落後するとともに、最後には地平線へと吸い込まれていったからだ。
 墜落の爆炎を見ることはかなわなかったが、あれはほぼ確実に撃墜したはずだ。
 喜ぶ中隊員をよそに、マリヤの顔は蒼白に近く、表情はひきつっていた。
 隣にいるアレクサンドラの表情も硬い。
 手放しで喜べる状態ではなかったからだ。
 たった二発とはいえ、爆弾が命中したのは事実だ。しかも、かなり遠方から飛来したらしい敵の爆撃機は、かなり小さな爆弾を多数投下していったらしい。機数よりもはるかに多い水柱が立ったことと、その水柱の高さが思っていたほどではなかったのは、その証拠であろう。
 おかげで、橋の損傷は比較的軽微で済みそうだ。トラス構造を取る鉄骨については、損傷個所を切断し、新しいものを組み込めばいいだろうし、橋桁も修理が不可能なほどの損傷を負っているとは思えない。もちろん、床板については修理が必要だろうが。
 それでも、中隊が防空任務を命ぜられていた"栄光の十一月七日橋"に、敵弾が命中してしまったという事実は動かせない。
 これは、労農党の名誉が汚されたと言っても過言ではないのだ。
 呆然とした表情で橋を眺めるマリヤは、小さな声でつぶやくように言う。
「このままではいけない……。このままでは……」
 その言葉をかろうじて聞き取れたアレクサンドラも、傷ついた橋ににらみつけるような視線を送っていた。
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