DEEP BLOOD

SAKU

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第一話

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帝都を見下ろす高層塔。
夜風がふわりと吹き、
月明かりだけが静かに二人の影を落としていた。



「サク。いつも助かる。
あいつは“動けたらいけない”やつだったからな。」

軽く肩を落とす葛城総理。
昔から変わらない、少し苦い笑み。

サクは淡々と返す。

「いえ。
あなたが“間違わなければ”……
私は従順でいられますよ。」

その一言に、総理はふっと笑った。

「変わらないな。
“私が子どもの頃から”。」

夜風に揺れる外套を抑えながら、
サクは静かに言う。

「あなたはお父上とは……“違いますね”。」

葛城の目がわずかに揺れた。

「あぁ。
……そうでありたいと思ってる。」

サクが歩みを返す。

「では、また。
必要なときにお会いしましょう。」

背を向けかけたその時——

「待て、サク。」

総理の声が、月を割るように響いた。

サクが振り返る。

「おまえ……“魔女の家”を知っているか?」

わずかに目を細める。

「魔女……?
また物騒な名を。」

葛城は首を振った。

「いや……
そうでもない。

魔女の系譜はもう“終い”だ。
力も、ほとんど残っていない。」

少しの間。
月光だけが流れていく。

「どうだ?
最後の魔女に、会ってみないか?」

サクは短く息を吐いた。

「私が?
……何のために?」

葛城は口元だけで笑う。

「ただの興味だよ。
“不老不死のヴァンパイア”と
“古代錬金術の魔女”。
出会ったらどうなるのか……気になってな。」

一瞬、静寂。
夜の“間”が、二人を包む。

サクはわずかに口元を緩めた。

「……お戯れを。」

葛城が手を軽く上げる。

「では、また会おう。サク。」

サクは天を見上げるように、月へ目を向け——

「えぇ。
葛城総理……また
月明かりの下で、お会いしましょう。」



 ー“香の店”【いるみな】

山奥の細い山道を抜けた先。
ひっそりと灯る、小さな店が一軒。

木の扉の前で風が止み、
まるで“呼ばれた者”だけを迎えるように、
静かな香が漂っていた。

扉がちりんと鳴いた。



「あの……すみません。」

入ってきたのは、
まだ幼さの残る高校生くらいの少女だった。

店主・久遠凪くおんなぎは、
手元の瓶から顔を上げる。

「いらっしゃいませ。」

少女は緊張したように言葉をつなぐ。

「香水……調香してくれるって聞いて……」

凪は目を瞬いた。

この店には珍しい、
“普通の少女”。

「え。あなたが?
こんなところまで?」

確かに驚くのも当然だった。

この店は、
深い山の奥にあって——

代々“魔女の家”と呼ばれてきた場所。

必要な者しか辿りつかない。
そんな場所へ、
ごく普通の少女がひとりで来るなど
まずありえない。

少女は、胸の前で両手をぎゅっと握った。

「その……調香師を調べたらここが出てきて……
香水、初めてで……」

凪はふっと笑った。
冷たくない、柔らかな笑み。

「誰かと同じは嫌だった……ってことかな?」

少女は恥ずかしそうにうなずく。

「はい……
彼氏が、匂いに敏感な人で……」

凪の瞳がすこしだけ和らいだ。

「なるほど。“誰かのため”ね。
わかった。少し待ってて。」

凪は少女の手首をそっと取り、
椅子に導いた。

触れた瞬間、
少女の“願い”の香りが微かに伝わる。

「そうね……あなたなら。」

そう呟いて、
凪は工房の奥へ静かに歩いて行った。

扉が閉まる音と、
ガラス瓶が触れ合う微かな音だけが響く。

やがて凪が戻ってきた。

「あなたなら、香水よりもこっち。
たぶん、その方が合うわ。」

凪の細い指が差し出したのは

淡いピンク色の小さな円錐形の“香”。

透明な袋の中で、
月光を吸うように美しく光っている。

少女は目を丸くした。

「これ……香水じゃないんですね?」

凪は微笑む。

「ええ。
あなたは“纏う香り”じゃなくて、
自然に漂わせて惹きつけるタイプ。

ほのかに香るほうが……
あなたらしいわ。」

少女の表情がふっと明るくなる。

「……そんなふうに言ってもらえるなんて。嬉しいです。」

凪はゆっくりと首を振る。

「これはね、
あなたの“願い”に合わせて作った香り。

強く主張しなくていい。
必要な人にだけ届けばいい。」

少女は大切そうに包みを抱え、
深く頭を下げた。

「ありがとうございました。」

凪は静かに微笑み返す。

「またいつでも。
……必要になったら。」

扉の鈴が、ちりんと鳴く。

少女が去り、
山奥の店には再び静寂が戻った。

凪は棚に残った香の瓶を片付けながら、
ふと天井を見上げる。

(……今日は、やけに“香りの流れ”が強い……)

胸の奥が小さくざわつく。
魔女としての感覚が、
“何かが来る”と囁いていた。

けれど、その正体はまだ捉えられない。



 ー帝都・官僚区

夕方の光が沈み、
帝都のビル群が影を落とす時間。

凪はタクシーを降り、
官僚区の高層ビルの前で深呼吸した。

山南やまなみさん、自分で来てくれたらいいのに……)

革のバッグを胸に抱えながら、
受付に身分証を見せ、
専用エレベーターで上へ。

扉が開くと、
白い大理石の廊下が静かに伸びていた。

ノックしようとした瞬間——

「凪ちゃん!」

山南一心が顔を出した。

ネクタイは緩み、
机の資料をそのまま置いてきたような慌てぶり。

「ごめんね、忙しいのに。」

「“服従薬”でしょう?
山南さんも、これに頼りたくないのは知ってますが……」

凪は瓶を差し出す。

山南は受け取ると、
どこか遠くを見るような目でつぶやいた。

「そうなんだが……
これがないと守れない場面も多くてね。
凪ちゃんには申し訳ないと思ってる。」

凪はわずかに目を伏せた。

「……これは“摂理に反する”薬です。
使い方を誤れば魂を歪める……
そのことだけは忘れないでください。」

山南は頷く。

「肝に銘じるよ。」

短いやり取りを終え、
凪は官僚区を後にした。

エレベーターが下りる間、
胸の奥が妙にざわつく。

(……なんだろう。この感覚……)

まるで、遠くの誰かに呼ばれているみたいに。

⸻ 

──“黒い影”が、血の匂いをまとっている。

「……くそ……あいつ、遠慮なしに“持って”いきやがった。」

吐き捨てるような声が闇に響く。

ある官僚の執務室前。
月明かりすら届かない狭い路地裏で、
黒い影がひとつ、しゃがみ込んでいた。

外套の裾が破れ、
地面には黒い液体がぽたぽたと落ちていた。


 ―官僚区・東の裏路地

夜風が乾き、
街灯の薄い光が歩道を照らす。

凪はビルの角を曲がった瞬間、
ぴたりと足を止めた。

(……鉄の匂い……?)

けれど、この香りは違う。

人の血の匂い…けれど
もっと濃く、もっと深く……
胸の奥を直接揺らすような強烈な“呼び声”。

(なに……?
どうして……こんなに……)

時計は午後9時を回っていて、こんな時間に女ひとり。薄暗い路地裏に行くのは愚かな行為だとわかっていた。

けど…。
理性では止められなかった。

凪は路地の奥へ歩く。

烏が激しく羽ばたき、
風がぴたりと止む。

そして——

闇の中に、
黒い影がひとつ。

壁にもたれ、
外套をかすかに揺らしながら座り込んでいた。

月光が、その顔だけを照らす。

——紙のように白い。

闇の底に落ちるような静けさの中、
その男はゆっくりと顔を上げた。

月明かりが、
血の気のない白い肌を淡く照らす。



「あの……大丈夫……?」

凪の声が震える。
恐怖ではない。
“わからないもの”に触れたときの、本能的なざわめき。

男はしばらく凪を見つめたあと、
掠れた声でつぶやいた。

「……人の……子……?」

凪は息を飲む。

(紅い…瞳…?…)

綺麗な紅いふたつの光が凪を見ていた。



「ケガですか? 救急車を——」

凪がバッグからスマホを探ろうとした瞬間、
男の声が鋭く遮った。

「ダメだ!」

さっきまで弱っていたはずの身体から
信じられないほど強い声が出た。

凪は反射的に肩を震わせる。

「で、でも……」

男は壁にもたれたまま
苦しげに息を整えながら言った。

「……すまない。
大丈夫だ。もう塞がる。
……だから……行って?」

確かに、
外套に残った血跡は乾きつつあり、
身体の傷はほとんど塞がりかけていた。

(そんな……早く……?……ありえない……)



だが凪は、一歩も引かなかった。

「行って? 無理でしょう? 人として!」

そのままスマホを取り出し、
迷わず発信する。

表示された名前は——

《山南 一心》

男の目がわずかに動く。



「山南さん。
部屋の奥の窓、覗いてください。」

数秒後、
官僚棟の上層階から窓が開き、
山南が凪を見下ろした。

目が合った瞬間、
山南の顔色が変わる。

『……今から行く。』

⸻ 

 ー数分後

「凪ちゃん!?」

山南一心がスーツの上着も着ないまま、
息を切らして駆け込んできた。

その視線が路地の影を捉えた瞬間——
彼の表情が固まる。

ほんの一拍の沈黙。

そして深く頭を下げた。

「……サク様。」

その声音には
恐れではなく、
“雲の上の上司に対する絶対の敬意”が宿っていた。



サクはゆっくりと立ち上がり、
もう塞がった傷を押さえるでもなく、
静かに言う。

「山南一心……すまない。
頼めるか? この少女のことも。」

山南は即座に頷く。

「もちろんです。
凪は……こちら側の人間ですから。」

凪は思わず眉を寄せる。

(……こちら側……?)

サクの瞳が、その反応を逃さない。

深い闇色の瞳が凪を捉えた。

わずかな間。
呼吸の止まる静寂。

「……そうか。」

その声音は、
まるで凪の存在を“確認する”ような、
不思議な響きを帯びていた。



山南が促す。

「お話は中で。
サク様も……凪ちゃんも、大丈夫だから。」

凪は一歩踏み出そうとして——
サクの視線に射抜かれる。

その目は、
まるで——
運命を確かめるように、凪の魂を見ていた。

胸の奥がふっと熱くなる。

(……この人……
何者……?)

魔女と吸血鬼が出会った瞬間だった。
 
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