DEEP BLOOD

SAKU

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第二話

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──官僚棟・山南の執務室

凪が案内された部屋は広く静かで、
窓の外に帝都の灯りが滲んでいた。

山南一心がサクに向かって歩み寄る。
その声には、仕事の顔とは違う深い敬意が宿っていた。



「サク様、珍しいですね。一体何が?」

サクは外套の埃を払いながら、
いつもの落ち着いた表情で応じる。

「あぁ。葛城さんの依頼でな。
少し手間取っただけだ。」

山南は眉をわずかに動かし、
察したように言う。

「芦屋……ですね。」

「あぁ。まぁ、手間取っただけで問題はないよ。」

「そうですか。
後で“食事”届けさせますね。」

「頼む。」

淡々としたやり取り。
けれど“食事”という言葉の意味が
凪だけが理解できていない。

凪は部屋の隅で肩を縮め、
気配を殺すように立っていた。

その凪に、サクの瞳が向く。

静かに、深く。“測るように”。



「彼女は?」

山南は頷き、凪へ視線を移した。

「魔女の家の末裔ですよ。」

サクの目が、ほんのわずか細くなる。

「魔女……」

山南は淡々と続ける。

「えぇ。
サク様が来るまでは、この国の“裏そのもの”だった家です。
今は能力も失われつつあり……
たぶん彼女が最後の──」

サクは小さく息をついた。

「時代は変わる。
私も、魔女も……必要なくなるといいがな。」

山南は苦笑しながら同意する。

「そうですね。
国は人が真っ当に動かすべきです。
そのための“今”ですよ……」

「そうだな……」

二人の会話は、
凪には半分も意味がわからない。

ただ、
“とんでもない世界に足を踏み入れてしまった”
ということだけは、肌で感じていた。

山南が凪の前に立つ。

声が少しだけ柔らかくなる。



「凪ちゃん。
なんとなく察したと思うけど……これは“裏側”の話。」

凪は喉を鳴らし、小さくうなずく。

山南はサクへ一度視線を送り、
軽く肩をすくめた。

「彼……サク様は……」

言いづらそうに言葉を選んだその時、

サクが静かに口を開いた。



「……私が説明しよう。
おまえが言いづらいだろう?」

その声には
奇妙な“優しさ”と
抗えない“威厳”が同時にあった。

凪の背筋に、
ぞくりと冷たいものが走る。

胸の奥で、なにかが目を覚まし始めるように。

──静かな声。
けれど、その場の“空気”が変わるほどの存在感。

サクは凪の前にゆっくりと視線を落とした。

「凪……と言ったか。
私はサク。」

一拍、置く。

「そうだな……“吸血鬼”と言えば、わかりやすいか?
異能者でね。
この国の裏側で動いている。
……もう、そうだな……七十年、八十年くらいになるか。」

さらりと“80年”と言う声は、
とても“人間の年齢感覚”とは思えない落ち着きを帯びていた。

山南が笑みを浮かべる。

「サク様は “変わらず” 美しいですけどね。」

サクは軽く眉をひそめた。

「よせ。
ただの化け物だよ。」

凪の心臓がひとつ強く跳ねる。

サクは続けた。

「私は年を取らない。
死ぬこともない。」

静かで、淡々としていて。
けれど、どこか寂しさが滲んでいた。

「まぁ……世に出ている吸血鬼伝説。
あれそのままの生き物だ。」

紅い瞳が、ゆっくりと凪を映す。

恐怖ではない。
威圧でもない。
ただ、
“知らない世界を覗き込むような深さ”だけがそこにあった。

凪は息を忘れて、その瞳を見つめ返した。

胸の奥がまた、理由のない熱でざわついた。

⸻ 

凪はゆっくり息を吸い、
震えそうになる声を何とか抑えた。

「私は……魔女としての能力はほとんどありません。」

サクの紅い瞳が、わずかに細くなる。

凪は続けた。

「できる“調香”で……
少し、人のお手伝いをしているだけです。」

視線が床に落ちる。

「たぶん……私も化け物で……」

自嘲するような、でも隠しきれない寂しさが滲む。

「今日のことは誰にも言いません。
私は……あなたと“同類”ですから。」

静寂。

山南が息をのむ。

サクは目を瞬き、
ふっと、僅かな違和感を含んだ声で返す。

「……同類、か。」

まるで
“そこが違うのだが”
と言いたげに。

しかし否定はしない。

ただ紅い瞳だけが、
凪を深く深く映していた。

空気が少し沈む。

サクも、いつもの静けさの奥に
かすかな影を落としたまま黙っている。

その間を、山南がやわらかく断ち切った。



「……おふたりとも、“化け物”はやめましょう。」

その声には、
職務でも上下関係でもない、
**長く裏側を見てきた人間の“慈しみ”**があった。

凪が顔を上げる。

サクも視線だけを山南へ向ける。

山南は続けた。

「国のために痛みを背負ってくれている“人”ですよ。
どちらも。」

部屋に静けさが戻る。

けれどその静けさは、
さっきまでの“異質さの沈黙”ではなく、
すこしだけ温度のあるものだった。

サクは口元をわずかに緩めた。

「……そう言ってくれる人間は少ない。
……だが、ありがとう。」

凪は胸の奥で、
何か解けるような感覚を覚えていた。

“化け物じゃない”と
面と向かって誰かに言われたのは——
おそらく、初めてだった。



「サク様、食事を持ってきます。
……よろしければ、着替えも。」

サクが軽く外套を払う。

「頼む。」

山南が出ていき、扉が閉まる。

静寂。

部屋には、凪とサクの二人だけ。

⸻ 

「……サク、さま。傷の方は……?」

サクは静かに目を細め、くすりと笑った。

「“サク”でいいよ。
君は私の部下ではないだろう?」

「えっ……あ、はい……。その……傷は……?」


「見るかい?」

「いや!! 大丈夫ですっ——」

ガシャンッ!

凪の手から、グラスが落ちた。

床で砕け散り、透明な破片が散らばる。

「あぁ……やっちゃった……山南さん怒るかなぁ……」

サクが低く、鋭く言う。

「——触るな。手を切る。」

しかし遅かった。

「っ……!」

細い指先を、ガラス片が切り裂いた。

瞬間、空気が変わる。


「おいッ! 大丈夫——っ……」

──鼻を刺す、甘い香り。

血の匂いではない。
もっと濃くて、もっと甘くて、喉を焼くような……。

サクの呼吸が乱れた。

(……なんだ……?
この匂い……甘……い……)

くらり、と視界が揺れる。

凪が心配そうに歩み寄る。

「サク……?」

サクの喉が、震えた。

——ごくり。

耐えている。
必死に。
でも、限界が近い。

「……だめだ。
近寄るな……凪。来るな……」

しかし凪は止まらなかった。

しゃがみ込んだサクへ、
そっと手を伸ばす。

その指先についた赤が、
月光で艶めいた。

サクの瞳に飛び込むのは——
鮮やかな“赤”。

(……だめだ……
抑え……られ……)

次の瞬間。

抗えなかった。

サクは凪の手首をそっと掴むと、
震える呼吸のまま——

伸ばされた凪の指先を
静かに、そっと口に含んだ。

屋内なのに、
風が止まったような静寂。

二人の運命が、
音もなく噛み合い始めた瞬間だった。

——たった一滴。

サクの口に触れた凪の血は、
ほんの僅かだった。

けれど。

(……なん、だ……これ……)

一瞬で、喉を焼き尽くしていた渇きが
嘘みたいに消えた。

甘いのでも、鋭いのでもない。
ただ圧倒的な“飢えの終わり”。

「さ……く……?」

凪は息を呑む。
指先が、じん、と熱を帯びていた。

(なに……これ……
指が……あつい……)

サクは驚いたように目を見開き、
凪の指を解放する間もなく、

「す、すまないッ……その……!」

——顔が赤い。

吸血鬼の顔色ではない。
“動揺した男”の顔色だ。

「あ、あの……指……離し……て……」

お願いしても、
サクの冷たい指が、凪の手を離さない。

震えているのは、
凪ではなくサクの方だった。

「……指先、熱くて……
あの……なんか……変……で……」

凪が戸惑いながら言うと、
サクは視線を逸らしつつ説明した。

「あぁ……それは……
吸血鬼の特性だ。
血を摂ると……“痛覚を麻痺させる成分”が出るんだ。」

説明しながら、声が震えている。

自分でも予想していなかった反応なのだろう。

「……やっぱり。“食事”って……血液、なんですね。」

その一言で——

サクは完全に我に返った。

はっとしたように、
凪の手をぱっと離す。

紅い瞳が揺れ、
喉の奥で押し殺した気配が震えた。

(……しまった……
冷静さを欠いた……)

凪は、離れた指先を見つめながら
ぽつりと呟く。

「……でも……痛く、ない。」

サクの瞳が震えた。

“彼女の血は普通ではない”

その確信だけが、
静かにサクの胸に沈んだ。
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