DEEP BLOOD

SAKU

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第三話

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扉がノックもなく静かに開き、
山南一心が銀色のカートを押して戻ってきた。

その瞬間、彼の視線がサクに触れた。

(……あれ?
サク様……“血の気が戻ってる”……?)

ほんの数分前、サクは明らかに“空腹の限界”だった。
だが今の凪には異常がなく、ただ頬がほんのり赤いだけ。

(……そんなはずは……
じゃあ一体、何が……)

胸中でざわつきながらも、山南の顔は乱れない。

サクは気配を察したように、落ち着いた声で返す。

「サク様、お待たせしました。」

山南が丁寧に頭を下げる。

サクは短く頷き、言う。

「ありがとう、山南。
……彼女を家まで送ってやってくれ。」

思わず凪が目を瞬かせる。

「え……ですが……サク様は……?」

サクの視線は微動もせず、淡々と告げた。

「私は心配いらない。
それに——」

ふっと、カートに目が流れる。

白布が掛けられた“食事”。
吸血鬼のために整えられたもの。

「……これは、君に見せるには酷だ。」

凪の肩がかすかに震えた。

山南はすぐ理解し、深くうなずく。

「……承知しました。
ラウンジで凪ちゃんにも食事を。いったん下へ戻ります。」

「……頼む。」

山南が凪の肩へそっと触れる。

「さ、行こうか。凪ちゃん。」

凪は歩き出す直前、もう一度だけサクの横顔を見る。

さっきまで紅く揺れていた瞳は落ち着きを取り戻している。
それでも——

(……やっぱり、どこか……苦しそう……)

理由は分からない。
胸だけがざわついた。

サクは目を逸らしたまま、ぽつり。

「……気にするな。」

その声音には、距離を置こうとする“硬さ”が滲んでいた。

扉が閉まり、静寂が落ちる。

────────────────────────── 

 ーラウンジ

落ち着いた照明の下、
凪は出された紅茶の前でしばらく口を開けなかった。

だが、喉元の疑問がついにこぼれる。

「……あの。
サクの“食事”って……やっぱり……血液なんですか?」

“サク”と呼び捨てにした瞬間、
山南は一度だけ凪の瞳を深く見て——静かに頷く。

「……あぁ。血液だよ。」

「……」

「彼は人間を襲わない。
その代わり、“政府が用意した輸血パック”が食事だ。」

凪の胸が少し痛む。

(……じゃあ……いつも……
こんなものを、一人で……)

山南は苦い笑みを浮かべる。

「その交換条件が、政府の裏側の任務。
本人は“政府の犬”なんて言ってるけど……」

「そんな……っ」

山南は穏やかで、どこか祈るような声で続けた。

「凪ちゃん。
彼は七十年も八十年も……誰一人襲わずに生きているんだ。
ただ、人に危害を加えたくなかっただけだ。」

(……優しい生き方なのに。
どうして“化け物”なんて呼ばれてしまうんだろ……)

凪の胸が静かに疼く。

「それとね。」

山南の視線がまっすぐ凪に届く。

「僕は、君もサク様も“敬われるべき存在”だと思ってる。
こちらの都合で制限が多いのは分かってる。
けれど——」

少しだけ、声が震える。

「危険視してるんじゃない。
……ただ、本当に“護りたい”だけなんだ。」

凪は息を呑んだ。

それ以上山南は語らず、
静かに紅茶をすすめるだけだった。

────────────────────────── 

 ー再び、執務室

紅茶を飲み終え、ふたりは再び執務室へ。

扉が開いた瞬間——

(……っ)

そこに立っていたのは、まるで別人のような男だった。

黒のハイネック。
キャメルのトレンチ。
細身の黒のジーンズ。

若いモデルのように洗練されていながら、どこか近づきがたい気配。

もちろん、それは——サク。

(ほんとに……同じ人……?
さっきまでは血と戦闘の匂いしかしなかったのに……)

山南も思わず息を呑む。

(……これが“素の姿”……)

サクは歩み寄り、柔らかく微笑んだ。

「戻ったか。」

服装も、空気感も、血の気配も消えている。

サクは山南に視線を送る。

「山南。
彼女は……私が送る。」

「えっ……ですが……」

サクは静かに首を振る。

「少し話がある。それだけだ。」

凪の胸が跳ねた。

(話……?
怖くない……
むしろ……)

トレンチの裾がふわりと揺れ、
サクが凪の前に立つ。

「……行こう。凪。」

名前を呼ばれただけで、
胸に甘い重力が落ちた。

────────────────────────── 

✦地下駐車場

薄暗いフロアに、一台の黒い影が佇む。

ランドクルーザー300。
サク専用、防弾・防火・遮光仕様。
別名——“走る棺桶”。

サクがリモコンを押すと、低い電子音。

「……乗って。」

助手席のドアが開かれ、凪はそっと座る。

ふわりと漂う香り。

(これ……Black Orchid……
TOM FORD……サクの匂い……似合いすぎ……)

動揺を押し隠すように背筋を伸ばす。

サクがエンジンをかけ、横目で凪を見た。

「……どうした?」

「っ、いえっ……その……車、乗れるんですね!」

サクは口元を緩める。

「当然さ。免許も持っている。」

胸ポケットから四角いカードをひょい、と投げてよこす。

凪は慌ててキャッチし、目を落とす。

(……“南雲……朔夜”……?)

「……南雲朔夜さん……?」

「まぁ、偽装というか……
合法というか……定期的に“作ってもらう”名前だ。」

「作って……」

「私は“サクヤ”が本名だよ。
そもそも、名字は最初からなかった。」

凪は息を詰める。

サクは前方の闇を見据えたまま続けた。

「……気づいたときには、一人だった。
覚えていたのはその名前と、山間の小さな村にいたことだけ。」

それは淡々としているのに、
胸を締めつけるほど孤独な響き。

「だから百五十年の間に名字はいくつも変わった。
“南雲”は気に入っている。」

「……気に入ってるんですね……」

「うん。悪くない。」

車は静かに地上へ向かう。

香りが漂い、凪の心臓は早鐘を打つ。

(……吸血鬼に送られてる……
本当に……サクと二人きりで……)

横顔をそっと盗み見る。

紅い瞳は落ち着き、
まるで普通の若い男のようで——
でも、やはり人間ではない。

「凪。」

名前を呼ばれるだけで、呼吸が止まりそう。

「家まで送る。……安心していい。」

(……安心なんて……できない。
こんなに……どきどきするのに……)

それでも、
その“連れていかれる感じ”が、
なぜかとても甘かった。
 
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