DEEP BLOOD

SAKU

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第四話

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車内の静けさの中、
凪はふとサクの横顔に目を奪われた。

整った輪郭。
無造作なのに品のある漆黒の髪。
そして——

(……瞳……黒……?
さっきは赤かったのに……)

光の角度で黒に“見える”だけ。
ほんとうは、深い赤黒い色。

ーー赤く染まるのは、吸血鬼の本性が表に出る時。

そう思い出した瞬間、サクがクスッと笑った。

「……そんなに見ないでくれる?」

「え、あ、ごめんなさい……。
話って、何かなって……」

サクの声が、ひとつ深く落ちた。

「凪……ひとつ聞きたいんだけど。」

「はい……?」

「自分の“血”について……何か知ってる?」

「血……ですか? 魔女の血族……とか?」

「いや。そうじゃない。」

(魔女じゃ……ない?)

少し戸惑う凪に、サクは息をひとつ吐いた。

「じゃあ……普段からなにか言われたことは?
体質とか、特別な検査の結果とか。」

「特に……。O型ってくらいです。」

「……そっか。やっぱり、知らないんだ。」

サクの指が、ハンドルの上で静かに止まった。

「……あのね、これは私も初めてで……確信はまだ薄いんだけど。」

紅い瞳が、ふっと黒に沈む。
告げることをためらうように。

「たぶん君……
“ディープブラッド”。
別名——《ヴァンパイアキラー》と呼ばれる血を持っている。」

「……………………へ?」

理解が追いつかず、凪の頭の中が真っ白になった。

サクは少し苦笑して続ける。

「言葉ほど物騒じゃないから安心して。でも……
吸血鬼の本能を“乱す”血液なんだ。
私が、さっき——理性を飛ばしかけた理由。」

凪の心臓が、どくん、と跳ねた。

(え……じゃあ……
あの赤い瞳は……
私のせい……?)

サクは横目でちらりと凪を見る。
どこか不器用な優しさを滲ませながら。

「怖がらせたいわけじゃない。
ただ……知らないままだと、もっと危ない。」

その言い方があまりにも静かで、
逆に胸の奥がざわっと熱くなる。

凪は喉を鳴らしながら、やっと声を出した。

「わ、私……吸血鬼を……倒す血……なんですか……?」

サクは苦い顔で首を振った。

「倒せるわけじゃない。
ただ——“惑わせる”だけ。」

「………………惑わせ……?」

「うん。
吸血鬼にとって君の血は……甘くて、強くて、抗えない。
本能を狂わせる。」

凪の顔が一気に真っ赤になった。

(……なにそれ……
言い方……なんか……
や、やばい……)

サクは軽くため息を落とした。

「凪。
君の血は“武器”にも“毒”にもなる。
だから……気をつけて。」

低い声が、どこか震えていた。

それが恐怖なのか、抑えているものなのか——
凪にはまだ分からなかった。

ただ胸の鼓動だけが、
サクの言葉に合わせてどんどん速くなる。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

――凪の家。

車を降りた瞬間、
サクは思わず息を吸い込んだ。

夜気は冷たく澄み、
山の匂いがほのかに混ざる。

「……ここが“魔女の家”か。」

ぽつんと佇む古い家屋を見上げながら、
サクは苦笑を浮かべた。

「凪……君、すごいところに住んでるんだね……
いや、ほんとに山奥じゃないか。」

「よく言われます。
代々継いできた家なので……」

「そうか……」

サクはしばらく家屋と周囲の森を見渡す。
その瞳は、どこか懐かしさを湛えていた。

「……でも、うん。
いいところだ。」

「そうですか? 何もないですよ?」

「それがいいんだよ、凪。」

風で揺れる梢を眺めながら、
サクはふっと目を細めた。

(……生まれた村に似てる……
こういう匂いだった……)

ほんの一瞬、百五十年分の記憶が揺れたように見えた。

「お茶、出しますよ。上がっていってください。」

凪がそう言うと、
サクは少しだけ肩をすくめ、苦笑した。

「……ありがたいけど、さすがに遠慮しておくよ。」

「え……?」

サクは横目で凪を見る。
どこか照れを含んだ、けれど誠実な眼差し。

「一応……“男”だしね。
こんな夜遅くに一人暮らしの家へ上がるのは……
いろいろ、良くないだろう?」

凪の鼓動がひとつ跳ねた。

(サクが……そんなこと気にするんだ……)

サクは続ける。

「送るだけ。
君が安全に帰ったのを確認したら……帰るよ。」

優しい声なのに、
どこか寂しさを含んでいた。

──もっと一緒にいたいけど、
境界線だけは越えない。

そんな“紳士的な抑制”が、逆に胸をくすぐった。

凪は小さく笑った。

「……サクって、ちゃんとしてるんですね。」

サクは一瞬だけ固まり、視線を逸らす。

「……そう見えるなら、助かるよ。」

トレンチコートの裾が夜風に揺れる。
その横顔は人間よりずっと美しくて、
そして——ほんの少しだけ、孤独だった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

凪が鍵を取り出し、戸を開けた瞬間——
背後から、そっとサクの声が落ちた。

「……凪。」

夜風に混じるような、低く静かな声。

振り返ると、サクはポケットに手を入れたまま立っていた。
さっきまで車内で見せていた“理性の影”が
まだ少しだけ残っている。

「今日は……気をつけて寝てくれ。」

「……気をつけて……?」

サクはゆっくり息を吐く。

「君の血は……人間にはただの血だけど、
吸血鬼にとっては“匂い”だけでも刺激が強い。
今日は……とくに。」

凪は胸の奥がじんと熱くなる。

(……私のせいで、
サク……そんなに……)

「……サクは、大丈夫なんですか?」

その問いに、サクは視線を少し逸らした。

「……大丈夫じゃなかった。
でも……今は落ち着いてる。もう平気。」

(嘘だ……声がさっきより低い……)

凪が一歩近づいた瞬間、
サクの肩が、わずかに揺れた。

ほんの一瞬だけ、瞳の奥が赤く煌めく。

凪は息を呑む。

(……惑わせる……って……
もしかして、これ……)

けれどサクはすぐに目を閉じ、呼吸を整えた。

「……ごめん。
これ以上近づかれると……少し危ない。」

凪は慌てて一歩下がる。

「ご、ごめんなさいっ……!」

サクはふっと微笑んだ。
寂しさと優しさが混ざった、大人の笑み。

「君が悪いんじゃないよ。
ただ……今日は、君の血が“強い”だけ。」

「強い……?」

「うん。
私が、触れたら……止まれなくなるくらいには。」

凪の顔が一気に熱くなる。

(……そんな……
サクが……私に……?)

サクはゆっくり後ずさりしながら言った。

「だから今夜は、ここまで。
……おやすみ、凪。」

その声音は、まるで
“これ以上一緒にいると危険だ”
と告げるような、甘い警告だった。

凪は小さく頷く。

「……おやすみなさい、サク。」

サクが踵を返した瞬間、
夜風にBlack Orchidの香りがふわりと残る。

その背中は、どこまでも静かで美しくて、
そして——ほんの少しだけ、切なかった。

凪は胸に手を当てた。

(……血なんかじゃなくて……
私が……サクを惑わせてるみたいで……
なんか……変な気持ち……)

その夜、扉が閉まる音は、
いつもよりずっと重く響いた。

━━━━━━━━ 


凪はしばらく動けなかった。

(……血じゃなくて……
“私自身”のせいで……サクが……)

指先がかすかに震える。

吸血鬼を惑わせる血なんて、知らなかったはずなのに——
胸の奥でざわつく感情は、恐怖じゃなくて。

(……どうしよう。
もっと……知りたい……)

自分でも説明できない“熱”が、
そっと胸の内側に落ちた。

夜気が静かに家を満たす。

その瞬間——
遠ざかるサクの気配だけが、
なぜか離れずに残っていた。

 
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