DEEP BLOOD

SAKU

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第二十四話

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官邸を出た夜は、
不自然なほど静かだった。

街灯の光が路地を照らし、
人の気配も、車の音もある。
それなのに――
空気だけが、ひどく冷たい。

サクは、無意識に足を止めた。

凪の少し後ろ。
一定の距離を保つように、
黒いスーツの若い男が立っている。

山南一護。

護衛としての立ち位置。
周囲を警戒しながら、
それでも意識の半分は、凪に向いていた。

(……近い)

サクの内側で、
言葉にならない圧が立ち上がる。

「……山南一護。」

低く名を呼ぶ。

一護は即座に姿勢を正した。

「はい。」

サクは一歩、前に出る。

凪を、完全に背へ隠す位置。

何も言わない。
ただ、見る。

力量。
覚悟。
そして――凪への距離。

一護は、瞬時に理解した。

(……あぁ)

(独占欲、
 隠す気ゼロだな……)

だがそれは、
奪うための威圧ではない。

越えるな、という境界線。

一護はそれを正面から受け止め、
視線を逸らさなかった。

サクは、それ以上何も言わず、
踵を返す。

凪と並び、
歩き出した。

その背中を見送りながら、
一護は小さく息を吐いた。

(……重いな。
 でも――悪くない)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

前方、街灯の下に、
男が一人、立っている。

微動だにせず、
ただそこにいる。

(……こいつ)

一瞬で判断する。

(……吸血鬼か)

「――ご機嫌よう、サク。」

聞き覚えのある声。

男の隣、
闇の縁から、
女が姿を現した。

アイリーン・ディアス。

当然のように、
そこにいた。

サクは反射的に一歩前へ出る。

凪を、背に庇う。

その動きを、
アイリーンは愉しげに眺めた。

「あら。
 今日はお連れさんがいるのね。」

視線が、
一瞬だけ凪に触れる。

「……用件は何だ。」

低く、抑えた声。

「調べ回ってたみたいだけど、
 何かわかったかしら?」

(……把握済み、というわけか)

サクの瞳が、わずかに細くなる。

一歩。
また一歩。

アイリーンと男が、
ゆっくり距離を詰めてくる。

「ふふ、サク。
 そのお嬢さん……」

声が、柔らかくなる。

「すごく大切にしてるのね。
 距離が近いわ。」

サクの肩に、緊張が走る。

「彼女は――」

「あら……」

アイリーンが小さく首を傾げた。

凪を、もう一度だけ見る。

「この子……
 不思議な匂いがするのね。」

空気が、凍りつく。

(……気づかれたか?)

だが、それは“違和感”だけだ。
正体には、まだ届いていない。

アイリーンが、
興味本位で手を伸ばす。

――その瞬間。

サクの手が、
鋭くその手首を払い除けた。

「彼女に触るな!」

夜に、はっきりと声が響く。

完全に、凪を背に隠す位置。

「……これは、
 私のものだ。」

一瞬の沈黙。

男が、わずかに眉を動かす。

アイリーンは――
驚かない。

むしろ、
本当に楽しそうに微笑んだ。

「……“もの”だなんて。」

否定も、怒りもない。
価値観が、まるで違う場所にある笑み。

「安心して。
 今日は、奪いに来たわけじゃないわ。」

一歩、引く。

「でも……」

赤い瞳が、
サクだけを捉える。

「あなた、
 やっぱり欲しいわ。」

それだけを残し、
二人は闇へ溶けた。

夜が、元に戻る。

サクは、
凪の肩に手を置いたまま、
しばらく動かなかった。

「……帰る。」

短く、それだけ告げる。

 

魔女の家は、
変わらず静かだった。

扉を閉めた瞬間、
外の世界が切り離される。

凪の足が止まる。

「……サク……」

声が、震えている。

サクは何も聞かず、
凪を抱き上げた。

「歩けないだろう。」

ソファに下ろし、
ブランケットをかける。

凪は、
サクの袖を掴んだまま、
ほどなく眠りに落ちた。



夜が深まる。

サクは、
凪の寝息を背に、
影の中で結論を抱いた。

――決めた。

逃げない。
隠れない。

敵を、
凪の世界から消す。

凪の首元にある、
チョーカーを見る。

それは、
凪を守るためのものではない。

――サクが、人でい続けるためのお守りだ。

サクは、
音を立てぬよう、
チョーカーを外した。

代わりに、
ウルドの指輪をチェーンに通し、
凪の首元へ戻す。

(凪……
 待っていろなんて言えないが……
 必ず君を守ってみせる。
 だからどうか、忘れないでほしい。
 私が君を愛していることを……)

触れるか触れないかの距離で、
そっと口づけを落とす。

そして、
サクは凪に背を向けた。

 

部屋を出て、
通信端末を取る。

「山南。」

『……サク様?』

「一護を呼べ。」

それだけ。

通信を切り、
テーブルの上の小さな香水瓶を手に取る。

凪の匂い。

それだけを、
外套の内側にしまった。

玄関に立つと、
外で待っていた一護の気配が伝わる。

サクは靴を履きながら、
振り返らずに一言だけ告げた。

「……凪を頼む。」

命令でも、依頼でもない。

――託す言葉。

一護は、
短く、しかし確かに頷いた。

扉が閉まる。

サクは、
チョーカーを手に握りしめたまま、
夜へ踏み出した。

この世界を、
凪の手の届かない場所で終わらせるために。
 
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