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第二十五話
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――静かな取引
総理官邸の執務室は、
夜になると音が消える。
秘書も、警護も、
最低限だけが残され、
この部屋にあるのは――
国家ではなく、判断だけだった。
葛城総理は、
机の上の書類から視線を上げる。
「……罠に掛かった気分はどうだ、サク。」
静かな声だった。
サクは椅子に腰を下ろし、
外套を脱がないまま答える。
「悪くはありません。
やるべき事が、はっきりしました。」
「だろうな。」
葛城は小さく笑った。
「君がその顔で来る時は、
もう腹を決めている時だ。」
サクは否定しなかった。
「……街で起きている事件ですが。」
「ああ。」
「――犯人の狙いは、私です。」
葛城の目が、わずかに細くなる。
「続けろ。」
「純血種の吸血鬼がいます。
私とは“質”が違う存在です。」
「……政府の資料にはないな。」
「ええ。
私も、初めて遭遇しました。」
淡々と事実だけを並べる。
「彼女は、私を仲間に引き入れたい。」
「断った、か。」
「はい。」
葛城は椅子に深く背を預けた。
「それで終わる相手じゃない。」
「ええ。
“考える時間をくれた”そうです。」
乾いた笑いが落ちた。
「つまり、
君が来たくなる状況を作る。」
沈黙。
二人とも、
その“方法”を口に出す必要はなかった。
「……凪くんだな。」
葛城が静かに言う。
サクの指先が、
一瞬だけ強く握られる。
「……はい。」
「だから、ここに来た。」
「ええ。」
サクは、まっすぐに葛城を見る。
「私は、表舞台から消えます。」
「消える、ね。」
「相手の内側から、
吸血鬼という仕組みそのものを終わらせます。」
葛城は、すぐには返事をしなかった。
「……期間は?」
「最短で数年。
最悪の場合――戻りません。」
その言葉は、
最初から用意されていたように静かだった。
「お願いがあります。」
「君が“お願い”とはな。」
サクは一度だけ息を吸う。
「私の存在、
南雲朔夜を公式記録から消してください。」
「……死んだことにする?」
「“任務中に消失”。
それで構いません。」
「理由は?」
「凪を、
世界の裏側から完全に切り離すためです。」
長い沈黙。
やがて葛城は、
低く言った。
「……戻ってきたら?」
サクは、
一瞬だけ言葉を探し――
それでも口を開いた。
「もし、戻ることができたなら。」
声が、わずかに落ちる。
「その時は……」
サクの静かな願いを葛城は、確かに聞いた。
「……本当に、厄介な男だ。」
「承知しています。」
「条件がある。」
葛城は指を一本立てる。
「生きて戻れ。
それだけだ。」
サクは立ち上がった。
「……必ず。」
外套の内側で、
小さな香水瓶が触れる。
凪の匂い。
それが、
今のサクのすべてだった。
「では、行ってきます。」
葛城は答えず、
ただ手を振った。
扉が閉まる。
静かな執務室で、
葛城は一人、呟く。
「……必ず帰ってこい。
あの子のところへ。」
夜は、何も答えなかった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
夜の屋上。
街の灯りが遠くで瞬いている。
アイリーンは、最初からそこにいた。
振り返りもせず、微笑む。
「来ると思ってたわ、サク。」
サクは数歩手前で立ち止まる。
「条件がある。」
即答だった。
アイリーンが、ようやく振り返る。
楽しそうな目。
「条件?」
「――組織には入る。」
一拍。
「だが、
やりたくない事はしない。」
空気が、わずかに張る。
「従属もしない。
命令も受けない。
情報のための“在籍”だ。」
「――最初に君が言った、
吸血鬼の話を聞かせてもらおう。」
アイリーンは怒らない。
むしろ、くすっと笑った。
「随分と強気ね。」
「次だ。」
サクは続ける。
「魔女の家に触れるな。
凪に、近づくな。」
声は低く、淡々としている。
「触れることはもちろん、監視も追跡も噂にすることすら許さない。」
一歩、前に出る。
「――破った瞬間、
私は“敵”になる。」
沈黙。
アイリーンはサクを見つめ、
やがて、愉しげに息を吐いた。
「……いいわ。」
あっさりと。
「条件は受け入れる。」
サクの眉が、わずかに動く。
「その代わり。」
アイリーンの赤い瞳が、深く光る。
「あなたは、
“自分が何者か”を
最後まで見届けることになる。」
サクは答えない。
ただ一言、返す。
「――それで構わない。」
アイリーンは微笑んだ。
「ようこそ。
吸血鬼の世界へ。」
その言葉に、
サクは一切、感情を乗せなかった。
総理官邸の執務室は、
夜になると音が消える。
秘書も、警護も、
最低限だけが残され、
この部屋にあるのは――
国家ではなく、判断だけだった。
葛城総理は、
机の上の書類から視線を上げる。
「……罠に掛かった気分はどうだ、サク。」
静かな声だった。
サクは椅子に腰を下ろし、
外套を脱がないまま答える。
「悪くはありません。
やるべき事が、はっきりしました。」
「だろうな。」
葛城は小さく笑った。
「君がその顔で来る時は、
もう腹を決めている時だ。」
サクは否定しなかった。
「……街で起きている事件ですが。」
「ああ。」
「――犯人の狙いは、私です。」
葛城の目が、わずかに細くなる。
「続けろ。」
「純血種の吸血鬼がいます。
私とは“質”が違う存在です。」
「……政府の資料にはないな。」
「ええ。
私も、初めて遭遇しました。」
淡々と事実だけを並べる。
「彼女は、私を仲間に引き入れたい。」
「断った、か。」
「はい。」
葛城は椅子に深く背を預けた。
「それで終わる相手じゃない。」
「ええ。
“考える時間をくれた”そうです。」
乾いた笑いが落ちた。
「つまり、
君が来たくなる状況を作る。」
沈黙。
二人とも、
その“方法”を口に出す必要はなかった。
「……凪くんだな。」
葛城が静かに言う。
サクの指先が、
一瞬だけ強く握られる。
「……はい。」
「だから、ここに来た。」
「ええ。」
サクは、まっすぐに葛城を見る。
「私は、表舞台から消えます。」
「消える、ね。」
「相手の内側から、
吸血鬼という仕組みそのものを終わらせます。」
葛城は、すぐには返事をしなかった。
「……期間は?」
「最短で数年。
最悪の場合――戻りません。」
その言葉は、
最初から用意されていたように静かだった。
「お願いがあります。」
「君が“お願い”とはな。」
サクは一度だけ息を吸う。
「私の存在、
南雲朔夜を公式記録から消してください。」
「……死んだことにする?」
「“任務中に消失”。
それで構いません。」
「理由は?」
「凪を、
世界の裏側から完全に切り離すためです。」
長い沈黙。
やがて葛城は、
低く言った。
「……戻ってきたら?」
サクは、
一瞬だけ言葉を探し――
それでも口を開いた。
「もし、戻ることができたなら。」
声が、わずかに落ちる。
「その時は……」
サクの静かな願いを葛城は、確かに聞いた。
「……本当に、厄介な男だ。」
「承知しています。」
「条件がある。」
葛城は指を一本立てる。
「生きて戻れ。
それだけだ。」
サクは立ち上がった。
「……必ず。」
外套の内側で、
小さな香水瓶が触れる。
凪の匂い。
それが、
今のサクのすべてだった。
「では、行ってきます。」
葛城は答えず、
ただ手を振った。
扉が閉まる。
静かな執務室で、
葛城は一人、呟く。
「……必ず帰ってこい。
あの子のところへ。」
夜は、何も答えなかった。
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夜の屋上。
街の灯りが遠くで瞬いている。
アイリーンは、最初からそこにいた。
振り返りもせず、微笑む。
「来ると思ってたわ、サク。」
サクは数歩手前で立ち止まる。
「条件がある。」
即答だった。
アイリーンが、ようやく振り返る。
楽しそうな目。
「条件?」
「――組織には入る。」
一拍。
「だが、
やりたくない事はしない。」
空気が、わずかに張る。
「従属もしない。
命令も受けない。
情報のための“在籍”だ。」
「――最初に君が言った、
吸血鬼の話を聞かせてもらおう。」
アイリーンは怒らない。
むしろ、くすっと笑った。
「随分と強気ね。」
「次だ。」
サクは続ける。
「魔女の家に触れるな。
凪に、近づくな。」
声は低く、淡々としている。
「触れることはもちろん、監視も追跡も噂にすることすら許さない。」
一歩、前に出る。
「――破った瞬間、
私は“敵”になる。」
沈黙。
アイリーンはサクを見つめ、
やがて、愉しげに息を吐いた。
「……いいわ。」
あっさりと。
「条件は受け入れる。」
サクの眉が、わずかに動く。
「その代わり。」
アイリーンの赤い瞳が、深く光る。
「あなたは、
“自分が何者か”を
最後まで見届けることになる。」
サクは答えない。
ただ一言、返す。
「――それで構わない。」
アイリーンは微笑んだ。
「ようこそ。
吸血鬼の世界へ。」
その言葉に、
サクは一切、感情を乗せなかった。
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