兄嫁〜あなたがくれた世界で〜

SAKU

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二十七章

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──朝。

大我はスマホを握りしめたまま、
メッセージアプリの入力画面をぼんやり見つめていた。

何度も文字を打っては消し、
また打っては消し……。

(……どう言えばいい……?
 いや、言わなきゃいけないんだ。)

一週間前——誕生日の夜。
冴夢が涙で、それでも前を向く瞳で言ったあの言葉。

『もう……世那くんの妻じゃないよ』

“冴夢が決意を見せたのに、
 俺はまだなにも形にしていない。”

その思いが、胸の奥でずっと燻っていた。

大我は深く息を吐いた。

(……逃げない。俺も、ちゃんとする。)

そして短く、一文を打ち込む。

“父さん。話があるんだ”

送信。

指先が小さく震えた。

(……行こう。跡取りとしてじゃなくてもいい。
 男として、正面から。)

──────────────────

 ー 昼前 —— 枢木邸前

重厚な門の前に立つと、
大我は胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。

(……冴夢は聖に預けた。
 ひとりで来なきゃ、意味がない。)

門越しの静けさ。
昔から変わらない、少し冷たい空気。

インターホンを押す。

一度。
二度。

ガチャ。

扉の向こうには、祖母が立っていた。

「……大我かい。」

背筋が伸びたまま、
昔と変わらぬ鋭い目。

「お祖母様、ご無沙汰してます。」

「ふん。
 家を飛び出して、一向に帰ってこない“跡取り”なんて、聞いたこともないね。」

刺すような声。
胸にひりつくような言葉。

それでも大我は反論しなかった。

祖母がさらに口を開こうとした、その瞬間。

「母さん。それくらいにしてやってください。」

低く、落ち着いた声が廊下から響く。

枢木家現当主・枢木大世くるるぎたいせい

背は高く、スーツ姿はいつも通り隙がない。
けれど大我の記憶より、ほんの少し表情が柔らかかった。

「大我は私と話しに来たんです。」

祖母は不服そうに眉を寄せた。

「まったく……世那の方が聞き分けが良かったのに。
 お前は本当に……」

「母さん!!」

父の声が鋭く割り込んだ。

「世那も大我も、私の息子です。
 大我がどれほど努力してきたか……見てきたでしょう!」

祖母は手をひらりと振り、

「知らないよ。もう勝手にしな!」

と吐き捨て、奥へ消えた。

扉が閉まり、静寂が落ちる。

(……相変わらずだな)

大我が苦笑すると、
父が少し穏やかな顔になる。

「ばあさんは……元気な方がいい。
 お前もそう思うだろ?」

「うん。元気なら、それでいいよ。」

父はほんの一瞬目を細め——
息子の成長を測るように視線を向けてきた。

「……大我。」

「ん?」

「中に入りなさい。
 話があるんだろう。」

大我は深く頷いた。

「うん。……大事な話だよ。」

父は背を向けた。
その後ろ姿は、
昔よりずっと“父親”に見えた。

(逃げない。今日、ぜんぶ話す。)

玄関の向こうへ。

それは“帰る場所”ではない。

“未来を作るために向き合う場所”だった。

──────────────────


 ー 枢木家 応接室 

深い沈黙の中で、枢木大世がゆっくりと口を開いた。

「……話とは、なんだ。」

大我は逃げない目で父を見た。
短く息を吸い、そのまま真正面から言う。

「……結婚したい子がいるんだ。」

大世の表情がかすかに揺れた。
驚愕というより、想定外すぎて言葉が出ない顔だった。

大我は続ける。

「ただ……その子は少し複雑で。
 父さんには、いちばん先に話しておかなきゃって思って……今日は一人で来た。」

大世は息を潜め、息子の言葉を待った。

大我はゆっくり、一つずつ事実を置くように語り始める。

「なまえは名取冴夢……虐待を受けてた子なんだ。
 高校にも行けるかどうか分からないくらい、追い詰められてた。」

大世の眉が痛むように寄った。

「気づいたのは……兄貴だった。世那が見つけた。」

大我は父の目を見据えたまま続けた。

「父さんは知らなかったと思うけど……
 兄貴は“保護”のために冴夢と結婚した。」

大世の手がわずかに震えた。

「本当に……彼女を救うためだけに、籍を入れたんだ。」

大世は息を止めたように動かない。

「結婚は三日で終わった。
 冴夢は守られて、兄貴もそれでいいと思ってたみたいだ。」

その三日間を想像したのだろう。
大世の表情に深い影が落ちた。

「そのあと三年……
 俺が冴夢と一緒に暮らして、守って、学校に行かせて……家族みたいに暮らしてた。」

大世は静かに目を閉じた。
その沈黙には、後悔も、痛みも、父としての情けなさも混ざっていた。

大我はまっすぐ言う。

「兄貴が亡くなって……俺が冴夢を引き取って。
 ずっと守るつもりだった。」

そして胸の奥からにじむように言葉が落ちた。

「……でも気づいたら、俺のほうが救われてた。
 彼女を……愛してる。」

長い沈黙が落ちた。
やがて大世はかすれた声で言った。

「……私は……なにも知らなかったのだな。」

深い後悔をにじませながら続ける。

「世那が……そんな決断をして……
 そんな苦労をして……
 頼ってくれなかったことが……父親として情けない。」

震える拳を握りしめる。

瑞葉みずはとのことも……
 息子たちにとって最善を選べなかった。
 枢木家の在り方すら……間違っていたのかもしれない。」

大我は静かに聞いていた。

大世は深く息を吸い込み、息子の目を見る。

「……大我。
 お前は……冴夢さんを守ってきたのだな。」

「うん。
 逃げずに向き合ってくれた。
 “生きたい”って言ってくれた。
 俺も……あの子と生きたい。」

父の表情がやわらかく揺れる。

「……家を飛び出したのは……
 世那が亡くなったあとの、その子のため……だったのか?」

大我は小さく笑った。

「……うん。
 あのままにしてたら……冴夢、ひとりになっちゃうと思って。」

大世はしばらく目を閉じ、
そしてゆっくり言葉を絞り出した。

「……大我。
 お前は……立派だ。」

そして、深い誇りとともに言う。

「世那も……そう思っているだろう。」

その言葉に胸が熱くなる。

大世は真正面から息子を見つめた。

「……冴夢さんを連れてきなさい。
 会わせてくれ。」

大我の目が揺れた。

認められたんだ——
冴夢との未来を。

大世は優しく頷く。

「跡取りの未来も、枢木家の在り方も……
 お前たちの手で変えていけばいい。」

大我の声が震える。

「……ありがとう。」

父にそう言えたのは、生まれて初めてだった。

大我は立ち上がり、静かに言う。

「実は近くまで連れてきてるんだ。
 冴夢……聖に預けてある。」

大世はわずかに目を細めて微笑んだ。

「……聖くんか。」

「うん。」

思い出すように大世が言う。

「この前な……
 聖くんの店に食事に行ったんだ。
 あの子も……立派になったな。」

大我はすぐニッと笑った。

「いやいや、中身は変わってないよ。外面と口先だけ大人、中身は子どものまんま。」

大世は喉の奥でくくっと笑う。

「そうか……やっぱりそうか。」

大我も軽く笑い、
そして表情を引き締める。

「……迎えに行ってくる。」

そう言った大我の声には、もう迷いが一つもなかった。

大世は深く頷き、ゆっくりと立ち上がった。

「行きなさい。大我。」

低く、それでいて温度のある声。

「跡取りである前に——
 一人の“男”として、その子を連れてきなさい。」

胸の奥がじん、と熱くなる。

いままでずっと、
“世那の弟”として、
“跡取り”として、
どこか線を引いて生きてきた。

だけど父は初めて——
“息子である大我”そのものを見てくれた。

「……ありがとう、父さん。」

大世は少しだけ目を細めた。

「世那は……お前が冴夢さんを護ったことを、きっと誇りに思っている。」

その言葉は、
まるで兄が隣で微笑んだように胸へ落ちた。

(兄貴……見ててくれたか。)

背中を押された気がした。

大我は深く息を吸い、真っ直ぐ頭を下げた。

「冴夢を連れてくる。
 ……俺の“これから”を、見ていてほしい。」

「あぁ。」

短く、しかし確かな父の肯定が返る。

もう振り返らない。

大我は応接室を出ていく。

扉の向こうは、
過去ではなく、未来へつながる光だった。

───────────────────────
 ー枢木家・玄関ホール

靴を履きながら、大我はスマホを取り出した。

(……冴夢。すぐ迎えに行く。)

指が勝手に動く。

“もうすぐ行く。待ってて。”

送信して、軽く息を吐いた。

その頭上で、祖母の声がぽつりと落ちる。

「……大我。」

振り向くと、さっきとは違う、ほんの一瞬だけ柔らかな目をしていた。

「……世那の……」

言いかけた言葉を飲み込み、祖母はふっと背を向けた。

「……行きな。」

それはたぶん、
枢木家の“古い価値観”が、
ほんの少しだけ溶けた瞬間だった。

大我は小さく笑い、扉を押し開けた。

冬の空気が頬を撫でる。

(……よし。行こう。)

冴夢の元へ。

未来へ。

兄の願いの、その先へ。
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