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二十八章
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──午後の陽が傾きはじめた頃。
大我は再び、枢木家の門の前に立っていた。
その隣には、緊張で歩幅が半分になっている冴夢。
冴夢は胸の前で袋をぎゅっと握りしめている。
ショッピングモールで買った、小さな焼き菓子。
さっきまでは笑っていたのに。
──数十分前。
フードコートで、聖と冴夢が笑いながらホットドッグを食べていた。
そのテーブルに、大我が現れた。
「冴夢……父さんに会いに行こう。」
冴夢は固まった。
「え……? い、今……?」
横で飲み物を吸っていた聖は、
わかりやすく「来たか」とでもいうように眉を上げた。
「……あぁ、良かったな。」
「え……なにが?」
「大我の親父さんが、おまえのこと“認めた”ってことだよ。
まぁ、あの親父さんが反対するわけねーしな。」
「え……? え……??」
冴夢が理解できずに大我を見上げる。
大我は優しく答える。
「……大丈夫。俺が連れてくから。」
聖が椅子から立ち上がり、
不器用なくせに驚くほど優しい手つきで冴夢の背中を押す。
「冴夢。
おまえなら、絶対大丈夫だ。」
冴夢の胸に、小さな勇気がともる。
──────────────────
ー 枢木邸 —— 居間
門をくぐり、玄関を入り、
格式ある和洋折衷の居間に通された瞬間——
冴夢は息を止めた。
想像していたよりずっと大きく、
高い天井と静かな空気が“枢木”という家の重みを物語っていた。
(……すごい……こんな家……)
足がすくみそうになる。
だけど——
大我がそっと指を絡めてきた。
離れない。
その温度が、冴夢を立たせていた。
やがて、大世が入ってくる。
「初めまして。名取冴夢です。」
震える声。
けれど、精一杯の礼儀と覚悟を込めた一礼。
大世はふっと目を細める。
「緊張するなと言っても難しいかもしれないが……
楽にしなさい。」
そのやわらかい笑い方は
驚くほど“大我に似ていた”。
冴夢は少しだけ息を吸えるようになった。
しかし——祖母が現れ、
「このお嬢さんはいったい?」
すべてが張り詰める。
大我は手を握り直して言った。
「お祖母様。
俺と兄貴の“大切な人”です。
枢木に認めてもらうために連れてきました。」
祖母の目が見開かれる。
「……た、たいが……?」
「どういうことだい? お嬢さんもびっくりしてるじゃないか。」
その空気を切り裂くように——
大世が静かに言った。
「母さん、私から話そう。」
祖母が父を見る。
大我も、冴夢も自然と姿勢を正した。
大世はゆっくり、はっきりと言った。
「名取。……と言えば、わかるだろう。
世那の“奥さん”だった子だよ。」
「なんだって─?」
祖母の声が震えた。
“名取瑞葉”
“名取世那”
“大切だった家族の記憶”
いくつもの思いが、
祖母の瞳の奥で、一気にほどけていく。
これから——
冴夢の真実の告白と、
祖母の“過去の痛み”が重なる瞬間が始まる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「世那が、亡くなる直前に籍に入れたそうだ。」
大世の言葉に、祖母・清子の眉が動く。
「……この子、どう見ても二十歳そこそこだろう?
なんでそんな早く……」
大我が息を吸い、説明しようと口を開いた。
「それは——」
しかし、その袖をそっと掴んで止めたのは冴夢だった。
静かで、それでいて強い声。
「……わたしが話す。」
その一言に、清子の片眉が“ピッ”と上がった。
(……自分で話すというのか?
その目は…見せてもらおうか)
居間の空気が一度すっと凪ぐ。
冴夢は姿勢を正し、
深く息を吸い、淡々と語り始めた。
──────────────────
「……わたしは、母に愛されませんでした。」
清子が小さく瞬く。
「母がまだ学生の頃、“間違い”でできたのが私です。
父の顔は知りません。」
淡々とした声なのに、
その言葉は人の胸を確実に刺す。
「物心つく頃には……
“あんたなんかいらなかった”と言われて、
家の外に出されることが普通でした。」
大我の手が小さく震えた。
大世も眉間を押さえる。
冴夢は続けた。
「食事は学校の給食と……
たまに母がくれるお小遣いで。
食べられない日もありました。」
「泣いたり怒ったりすれば……
“うるさい”と殴られたり蹴られたり……
もしました。」
清子の手が、そっと膝の上で固まる。
「だから、わたしは……
泣くことをやめました。」
──その言葉は、静かに刺した。
「そのうち、母が“彼氏”を連れてくるようになりました。
何人も変わりました。」
冴夢は指先をぎゅっと握る。
「“彼氏”が来る日は……
わたしは外に出されていました。」
沈黙が落ちた。
その沈黙の重さが、残酷な現実を浮かび上がらせる。
「外で座っていた時……
世那くんと出会いました。」
清子の視線が揺れた。
「アパートの隣に越してきたのが世那くんで。
わたしが玄関にいると、部屋に入れてくれて……
ごはんを食べさせてくれました。」
──そこに初めて“あたたかさ”があった。
「中学三年生の時、高校進学のことで……
母とその彼氏に“高校には行かせない。
母の……夜の店で働け”と言われました。」
清子の瞳が大きく見開かれる。
「そこで世那くんが言ってくれたんです。
“学校に行かせてあげる。家族になろう”って。」
居間の空気が涙で揺れそうなほど静かになった。
「その後は……大我も、知ってる通りです。」
「世那くんが私を引き取って、高校に行かせてくれて……
わたしが籍を入れられる年齢になった日に、
市役所に行って家族になってくれた。」
冴夢は、真正面から祖母 清子を見る。
「——それが、わたしの全部です。」
──────────────────
清子は言葉を失っていた。
一度口を開きかけ、
しかし声がうまく出ず、
息だけが震えた。
(……この子…こんな現実……世那…あの子が…大我が…わたしは…今まで何を…)
大我も大世も、
息を飲んだまま冴夢を見ていた。
冴夢が語り終えた後——
応接室には、しんとした静寂が落ちていた。
祖母・清子は、
今にも崩れそうな顔で冴夢を見つめていた。
そして。
そっと、冴夢の手を取った。
その手は、年齢を刻んだ皺だらけなのに——
温かかった。
「……冴夢さん。」
清子の声は震えていた。
「私は……
世那と大我から……“家族”を奪ったんだよ……」
冴夢が息をのむ。
「ずっと……後悔してる。
世那……あんなに早く逝ってしまうなんて……
もう……謝ることもできない……」
震える指先が、冴夢の手をぎゅっと抱く。
「だけど……
あの子は……
本当に……あんたを──」
涙が一粒、静かに落ちた。
「……ありがとう……
生きててくれて……」
冴夢の肩が小さく震える。
「……あんたを見てると……
世那が……そこにいるみたいで……
わたしは……」
言葉が続かない。
立っていられないほどの後悔と、
長い長い孤独。
そのすべてが、
やっと形になった涙だった。
冴夢はその手を包み返した。
大我は横で拳を握っていた。
そして——
静かに口を開く。
「ばぁちゃん。」
清子はゆっくり大我を見る。
「……あのさ。
この前、枢木の墓に行ったんだ。」
清子の目が揺れた。
「その時……母さんに会ったよ。」
清子は息を止めた。
二十年以上、胸に刺さっていた“傷”の名前が呼ばれた。
「母さん……“幸せだよ”って言ってた。」
清子の唇が震える。
「だから……
もう、ばぁちゃんが苦しむことはないんだよ。」
「……たい……が……」
清子の声は、孫を呼ぶというより、
“救われた人間”の声だった。
大我は続けた。
「俺……知ってるよ。
ばぁちゃんが……母さんと兄貴の写真、
ずっと大事にしまってたの。」
清子の目から涙が止まらなくなる。
「時々……あれ見て泣いてたのも、知ってた。」
大世も、その話を聞いて息を呑む。
彼は知らなかったのだ。
大我は一歩近づき、
優しく、でも確かな声で言った。
「……もういいんだよ、ばぁちゃん。」
清子は、両手で顔を覆った。
「……世那……瑞葉……
あぁ……あぁ……」
泣き崩れる祖母を——
大我はそっと抱きとめた。
冴夢も、そっと隣に寄り添う。
それは、
ずっと失われていた“家族”が
初めて繋がった瞬間だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
静かになった居間で、
枢木大世が静かに手を組む。
「……さて。
ここから先は“未来”の話をしよう。」
冴夢の肩がびくッと震え、
大我は思わず父を見る。
「……父さん。」
大世は目を細め、
息子の顔をじっと見る。
「なんだ、大我。
私が話してしまっていいのか?」
“お前の覚悟を聞かせてみろ”
という父の目だ。
大我はごくりと喉を鳴らし、
冴夢の手をしっかりと握りしめて、一歩前に出る。
「……あ、いや。
俺が……ちゃんと話す。」
少し息を吸い、
冴夢を守るように立ち、大我は言った。
「俺、この先の未来を……冴夢と歩いていきたい。」
冴夢ははっと顔を上げた。
しかし、大我の声は揺らがず続く。
「そのためには……
枢木家に彼女を正式に認めてもらう必要がある。
だから今日……父さんと、ばぁちゃんに……冴夢を会わせたかった。」
一瞬の静寂。
大我の本心を真正面から受け取った祖母が、
ゆっくり息を吸い込みながら驚いた声を漏らす。
「……大我……?」
大世はすぐに頬をゆるめる。
「私は異論はないよ。」
きっぱりと言い切った。
「娘がほしかったしな。
男ばっかりだから、うちは。」
その軽口に冴夢は思わず目を見張る。
大我は肩の力が少し抜けた。
──だが。
祖母は腕を組み、ゆっくりと顔を上げる。
その目は鋭さではなく、
“真剣な家族を迎える眼”だった。
「……私はねぇ。」
祖母は冴夢のほうを見て、
次に大我へと視線を移した。
「大我が“ちゃんと”すれば、認めるよ。」
「ばあちゃん……?」
「でもねぇ……
ちゃんとしないなら……」
*間まが落ちる。
「“世那の嫁”として、冴夢さんのおばあちゃんになるけど?」
大我の目が一瞬で固まる。
(クッソ!! 気づいてやがる……
しかもエグい刺し方しやがって……ッ!!)
祖母の目は微塵も揺れず、
完全に“核心”を突いていた。
──大我は、冴夢にプロポーズしていない。
──冴夢は、そのことに気づいていない。
──でも、大我の言葉の重みと冴夢の反応で
祖母だけは真実を読み取った。
祖母は冴夢を傷つけないように、
決して口にしない“線”をきちんと守りながら、
それでも大我の背を押したのだ。
「大我。
お前が“覚悟”を決めればそれでいい。
でも覚悟の半端な男なら……
私は世那の嫁だったこの子の味方になるよ。」
その言葉に——
冴夢が目を丸くした。
大世がふっと笑う。
「母さん……優しいのか厳しいのかわからんよ。」
祖母は鼻を鳴らす。
「枢木の女ってのは、そういうもんだよ。」
その瞬間、
冴夢は祖母と大世の“家族の強さ”を
初めて知った気がした。
大我はゆっくりと冴夢の方へ顔を向ける。
「……冴夢。」
震えている冴夢の手を優しく包み込み、
まっすぐに目を見て言った。
「俺は……ちゃんとする。
絶対に。」
冴夢の目に、涙が浮かんだ。
それを見た祖母は、
ほんの少しだけ柔らかく微笑んだ。
「……ならいいさ。」
その瞬間、
枢木家は冴夢を初めて
“家族として迎え入れた”。
大我は再び、枢木家の門の前に立っていた。
その隣には、緊張で歩幅が半分になっている冴夢。
冴夢は胸の前で袋をぎゅっと握りしめている。
ショッピングモールで買った、小さな焼き菓子。
さっきまでは笑っていたのに。
──数十分前。
フードコートで、聖と冴夢が笑いながらホットドッグを食べていた。
そのテーブルに、大我が現れた。
「冴夢……父さんに会いに行こう。」
冴夢は固まった。
「え……? い、今……?」
横で飲み物を吸っていた聖は、
わかりやすく「来たか」とでもいうように眉を上げた。
「……あぁ、良かったな。」
「え……なにが?」
「大我の親父さんが、おまえのこと“認めた”ってことだよ。
まぁ、あの親父さんが反対するわけねーしな。」
「え……? え……??」
冴夢が理解できずに大我を見上げる。
大我は優しく答える。
「……大丈夫。俺が連れてくから。」
聖が椅子から立ち上がり、
不器用なくせに驚くほど優しい手つきで冴夢の背中を押す。
「冴夢。
おまえなら、絶対大丈夫だ。」
冴夢の胸に、小さな勇気がともる。
──────────────────
ー 枢木邸 —— 居間
門をくぐり、玄関を入り、
格式ある和洋折衷の居間に通された瞬間——
冴夢は息を止めた。
想像していたよりずっと大きく、
高い天井と静かな空気が“枢木”という家の重みを物語っていた。
(……すごい……こんな家……)
足がすくみそうになる。
だけど——
大我がそっと指を絡めてきた。
離れない。
その温度が、冴夢を立たせていた。
やがて、大世が入ってくる。
「初めまして。名取冴夢です。」
震える声。
けれど、精一杯の礼儀と覚悟を込めた一礼。
大世はふっと目を細める。
「緊張するなと言っても難しいかもしれないが……
楽にしなさい。」
そのやわらかい笑い方は
驚くほど“大我に似ていた”。
冴夢は少しだけ息を吸えるようになった。
しかし——祖母が現れ、
「このお嬢さんはいったい?」
すべてが張り詰める。
大我は手を握り直して言った。
「お祖母様。
俺と兄貴の“大切な人”です。
枢木に認めてもらうために連れてきました。」
祖母の目が見開かれる。
「……た、たいが……?」
「どういうことだい? お嬢さんもびっくりしてるじゃないか。」
その空気を切り裂くように——
大世が静かに言った。
「母さん、私から話そう。」
祖母が父を見る。
大我も、冴夢も自然と姿勢を正した。
大世はゆっくり、はっきりと言った。
「名取。……と言えば、わかるだろう。
世那の“奥さん”だった子だよ。」
「なんだって─?」
祖母の声が震えた。
“名取瑞葉”
“名取世那”
“大切だった家族の記憶”
いくつもの思いが、
祖母の瞳の奥で、一気にほどけていく。
これから——
冴夢の真実の告白と、
祖母の“過去の痛み”が重なる瞬間が始まる。
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「世那が、亡くなる直前に籍に入れたそうだ。」
大世の言葉に、祖母・清子の眉が動く。
「……この子、どう見ても二十歳そこそこだろう?
なんでそんな早く……」
大我が息を吸い、説明しようと口を開いた。
「それは——」
しかし、その袖をそっと掴んで止めたのは冴夢だった。
静かで、それでいて強い声。
「……わたしが話す。」
その一言に、清子の片眉が“ピッ”と上がった。
(……自分で話すというのか?
その目は…見せてもらおうか)
居間の空気が一度すっと凪ぐ。
冴夢は姿勢を正し、
深く息を吸い、淡々と語り始めた。
──────────────────
「……わたしは、母に愛されませんでした。」
清子が小さく瞬く。
「母がまだ学生の頃、“間違い”でできたのが私です。
父の顔は知りません。」
淡々とした声なのに、
その言葉は人の胸を確実に刺す。
「物心つく頃には……
“あんたなんかいらなかった”と言われて、
家の外に出されることが普通でした。」
大我の手が小さく震えた。
大世も眉間を押さえる。
冴夢は続けた。
「食事は学校の給食と……
たまに母がくれるお小遣いで。
食べられない日もありました。」
「泣いたり怒ったりすれば……
“うるさい”と殴られたり蹴られたり……
もしました。」
清子の手が、そっと膝の上で固まる。
「だから、わたしは……
泣くことをやめました。」
──その言葉は、静かに刺した。
「そのうち、母が“彼氏”を連れてくるようになりました。
何人も変わりました。」
冴夢は指先をぎゅっと握る。
「“彼氏”が来る日は……
わたしは外に出されていました。」
沈黙が落ちた。
その沈黙の重さが、残酷な現実を浮かび上がらせる。
「外で座っていた時……
世那くんと出会いました。」
清子の視線が揺れた。
「アパートの隣に越してきたのが世那くんで。
わたしが玄関にいると、部屋に入れてくれて……
ごはんを食べさせてくれました。」
──そこに初めて“あたたかさ”があった。
「中学三年生の時、高校進学のことで……
母とその彼氏に“高校には行かせない。
母の……夜の店で働け”と言われました。」
清子の瞳が大きく見開かれる。
「そこで世那くんが言ってくれたんです。
“学校に行かせてあげる。家族になろう”って。」
居間の空気が涙で揺れそうなほど静かになった。
「その後は……大我も、知ってる通りです。」
「世那くんが私を引き取って、高校に行かせてくれて……
わたしが籍を入れられる年齢になった日に、
市役所に行って家族になってくれた。」
冴夢は、真正面から祖母 清子を見る。
「——それが、わたしの全部です。」
──────────────────
清子は言葉を失っていた。
一度口を開きかけ、
しかし声がうまく出ず、
息だけが震えた。
(……この子…こんな現実……世那…あの子が…大我が…わたしは…今まで何を…)
大我も大世も、
息を飲んだまま冴夢を見ていた。
冴夢が語り終えた後——
応接室には、しんとした静寂が落ちていた。
祖母・清子は、
今にも崩れそうな顔で冴夢を見つめていた。
そして。
そっと、冴夢の手を取った。
その手は、年齢を刻んだ皺だらけなのに——
温かかった。
「……冴夢さん。」
清子の声は震えていた。
「私は……
世那と大我から……“家族”を奪ったんだよ……」
冴夢が息をのむ。
「ずっと……後悔してる。
世那……あんなに早く逝ってしまうなんて……
もう……謝ることもできない……」
震える指先が、冴夢の手をぎゅっと抱く。
「だけど……
あの子は……
本当に……あんたを──」
涙が一粒、静かに落ちた。
「……ありがとう……
生きててくれて……」
冴夢の肩が小さく震える。
「……あんたを見てると……
世那が……そこにいるみたいで……
わたしは……」
言葉が続かない。
立っていられないほどの後悔と、
長い長い孤独。
そのすべてが、
やっと形になった涙だった。
冴夢はその手を包み返した。
大我は横で拳を握っていた。
そして——
静かに口を開く。
「ばぁちゃん。」
清子はゆっくり大我を見る。
「……あのさ。
この前、枢木の墓に行ったんだ。」
清子の目が揺れた。
「その時……母さんに会ったよ。」
清子は息を止めた。
二十年以上、胸に刺さっていた“傷”の名前が呼ばれた。
「母さん……“幸せだよ”って言ってた。」
清子の唇が震える。
「だから……
もう、ばぁちゃんが苦しむことはないんだよ。」
「……たい……が……」
清子の声は、孫を呼ぶというより、
“救われた人間”の声だった。
大我は続けた。
「俺……知ってるよ。
ばぁちゃんが……母さんと兄貴の写真、
ずっと大事にしまってたの。」
清子の目から涙が止まらなくなる。
「時々……あれ見て泣いてたのも、知ってた。」
大世も、その話を聞いて息を呑む。
彼は知らなかったのだ。
大我は一歩近づき、
優しく、でも確かな声で言った。
「……もういいんだよ、ばぁちゃん。」
清子は、両手で顔を覆った。
「……世那……瑞葉……
あぁ……あぁ……」
泣き崩れる祖母を——
大我はそっと抱きとめた。
冴夢も、そっと隣に寄り添う。
それは、
ずっと失われていた“家族”が
初めて繋がった瞬間だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
静かになった居間で、
枢木大世が静かに手を組む。
「……さて。
ここから先は“未来”の話をしよう。」
冴夢の肩がびくッと震え、
大我は思わず父を見る。
「……父さん。」
大世は目を細め、
息子の顔をじっと見る。
「なんだ、大我。
私が話してしまっていいのか?」
“お前の覚悟を聞かせてみろ”
という父の目だ。
大我はごくりと喉を鳴らし、
冴夢の手をしっかりと握りしめて、一歩前に出る。
「……あ、いや。
俺が……ちゃんと話す。」
少し息を吸い、
冴夢を守るように立ち、大我は言った。
「俺、この先の未来を……冴夢と歩いていきたい。」
冴夢ははっと顔を上げた。
しかし、大我の声は揺らがず続く。
「そのためには……
枢木家に彼女を正式に認めてもらう必要がある。
だから今日……父さんと、ばぁちゃんに……冴夢を会わせたかった。」
一瞬の静寂。
大我の本心を真正面から受け取った祖母が、
ゆっくり息を吸い込みながら驚いた声を漏らす。
「……大我……?」
大世はすぐに頬をゆるめる。
「私は異論はないよ。」
きっぱりと言い切った。
「娘がほしかったしな。
男ばっかりだから、うちは。」
その軽口に冴夢は思わず目を見張る。
大我は肩の力が少し抜けた。
──だが。
祖母は腕を組み、ゆっくりと顔を上げる。
その目は鋭さではなく、
“真剣な家族を迎える眼”だった。
「……私はねぇ。」
祖母は冴夢のほうを見て、
次に大我へと視線を移した。
「大我が“ちゃんと”すれば、認めるよ。」
「ばあちゃん……?」
「でもねぇ……
ちゃんとしないなら……」
*間まが落ちる。
「“世那の嫁”として、冴夢さんのおばあちゃんになるけど?」
大我の目が一瞬で固まる。
(クッソ!! 気づいてやがる……
しかもエグい刺し方しやがって……ッ!!)
祖母の目は微塵も揺れず、
完全に“核心”を突いていた。
──大我は、冴夢にプロポーズしていない。
──冴夢は、そのことに気づいていない。
──でも、大我の言葉の重みと冴夢の反応で
祖母だけは真実を読み取った。
祖母は冴夢を傷つけないように、
決して口にしない“線”をきちんと守りながら、
それでも大我の背を押したのだ。
「大我。
お前が“覚悟”を決めればそれでいい。
でも覚悟の半端な男なら……
私は世那の嫁だったこの子の味方になるよ。」
その言葉に——
冴夢が目を丸くした。
大世がふっと笑う。
「母さん……優しいのか厳しいのかわからんよ。」
祖母は鼻を鳴らす。
「枢木の女ってのは、そういうもんだよ。」
その瞬間、
冴夢は祖母と大世の“家族の強さ”を
初めて知った気がした。
大我はゆっくりと冴夢の方へ顔を向ける。
「……冴夢。」
震えている冴夢の手を優しく包み込み、
まっすぐに目を見て言った。
「俺は……ちゃんとする。
絶対に。」
冴夢の目に、涙が浮かんだ。
それを見た祖母は、
ほんの少しだけ柔らかく微笑んだ。
「……ならいいさ。」
その瞬間、
枢木家は冴夢を初めて
“家族として迎え入れた”。
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隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
Lost at sea〜不器用御曹司の密かな蜜愛〜
白山小梅
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