兄嫁〜あなたがくれた世界で〜

SAKU

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三十五章

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 ──クリスマスイブの午後。

街は赤と金色の浮かれた色で揺れていた。
でも、ふたりが向かうのは——人混みじゃなく、
静かな“車の中”。

小さなレンタカー店の前で、
大我は鍵を持ちながら眉を寄せて立っていた。

「……冴夢。やっぱ歩きでも——」

「大我。」

たった一言。
でもその声に滲んだ震えに、大我は言葉を飲み込んだ。

冴夢はマフラーをぎゅっと握ったまま、
まっすぐ大我を見る。

「……乗ってみたいの。
 大我と……車で、クリスマス行きたい。」

その願いは、怖さに震えながらも“未来”へ伸ばした手だった。

大我の胸がきゅっと掴まれる。

(……そんな顔されたら……断れねぇだろ……)

「……分かった。
 でも絶対無理すんなよ?」

「うん。」

店員から受け取った鍵を握る指が微かに震えた。

(……ビビってるの、俺の方だよな……)

冴夢は気づいて、ふっと笑った。

「大我……かわいい。」

「今それ言うか?」

耳まで赤い。

───────────────────────

運転席のドアを開けた大我は、
一度だけ不安げに振り返った。

「……ほんとに、乗るか?」

「乗る。」

迷いのない声。
でも——
助手席に足をかけた瞬間、冴夢のつま先が一瞬止まった。

(……怖い……
 でも……大我がいる……)

その一秒の影を見逃さず、
大我は助手席に手を添えて低く囁いた。

「冴夢。
 怖かったらすぐ言えよ。
 ……すぐ止めるから。」

冴夢はゆっくり深呼吸して、シートへ身を預ける。

大我の心臓が速くなる。

(……兄貴のあと……
 ずっと車を怖がってた冴夢を……
 俺が運転席に乗せる……
 そう思うと……そりゃ震えるだろ……)

でも隣を見た冴夢は、
街のイルミネーションよりずっと綺麗だった。

───────────────────────

エンジンがかかる。
それだけのことなのに、
冴夢の肩がびくっと跳ねた。

その反応に——大我の胸が一瞬で冷える。

(……やべぇ……思い出した……)

──タクシーに乗せた日の冴夢。

冬の夕方。
後部座席で震えながら、
息の仕方さえ分からなくなった冴夢。

「……ひ……っ……は……っ……」

顔が真っ青になり、
涙を流しながら名前を呼んだ。

「……世那くん……やだ……やだ……やだ……」

呼吸は崩れ、
胸を押さえて苦しそうに前に倒れた。

触れた指先は氷みたいに冷たかった。

(……俺、何もできなかった……
 守れてなかった……)

あの日の震えが、大我の胸をまだ刺している。

だからこそ——
車に乗ると言った冴夢の勇気が、
今も息を飲むほど眩しかった。

隣の冴夢は震えてない。
でも手はしっかり握られている。

(“怖くない”は嘘でも……
 “俺と乗りたい”は本当なんだよな……)

大我はゆっくりと、胸に誓う。

(……今日だけは……絶対に……守る。)

「冴夢。」

大我は左手を差し出し、静かに言った。

「大丈夫だ。
 俺が運転する。
 絶対に、何も起こさねぇ。」

冴夢はその手を、そっと握った。

「……大我がいるから。」

それだけで、大我の胸がじんと熱くなる。

(……三年前とは違う。
 冴夢は“未来へ行くために”乗ってくれたんだ……)

大我は息を整え、アクセルを限界まで優しく踏んだ。

車がゆっくり動き出す。

冴夢の指がシートをつかむ。

大我はすぐに言った。

「冴夢。手……握ってていい。」

冴夢は大我の左手をそっと包んだ。

大我の心臓が、静かに跳ねた。

───────────────────────

信号が変わるたび、大我は尋ねる。

「大丈夫か?」
「気持ち悪くない?」
「揺れ平気?」

過保護すぎるほどの優しさ。

冴夢は小さく笑った。

「……大我が運転してるから、平気だよ。」

そのたびに、大我の胸の奥で何かがふっとほどけていく。

窓の外には、ゆっくり流れるイルミネーション。

冴夢がぽつりと呟く。

「……きれい……」

「そっか。来てよかったな。」

「うん……大我と来れたから。」

その言葉に、大我は横を向けないほど胸が熱くなった。

───────────────────────

車が止まると同時に、
冴夢は深く息を吐いた。

「……できた……私、乗れた……」

大我は震えた声で答える。

「……すげぇよ冴夢。
 俺より勇気ある。」

ふたりは自然と笑い合った。

“ただの20分”のドライブ。
でも——
冴夢には“3年分の一歩”。
大我には“兄貴の影を越える覚悟”。

そんな、かけがえのない時間だった。

───────────────────────

車を降りると、
夜気が少し冷たく頬をかすめた。

イルミネーションが揺れ、
冴夢はふぅっと息を吐いた。

(……乗れた……
 本当に……大我と車に……)

そんな横顔を見つめながら、
大我は手袋越しに冴夢の手をそっと握る。

「……冴夢。」

呼ばれるだけで胸が温かくなる。

大我は少し照れたように目を伏せて、
でも優しく言った。

「……かえろ?
 ケーキとチキン、冷めちまう。」

冴夢の胸がきゅっと鳴る。

(……あ……
 “普通のクリスマス”が戻ってきた……)

冴夢は笑って答えた。

「……うん。帰る。」

繋いだ手は、
イルミネーションよりもしっかり温かかった。

ふたりは並んで歩き出す。

今日の20分のドライブが、
これから何年にも渡って続く未来への道だと、
ふたりとも分かっていた。

──そして、帰り道。
大我の手の温度に守られたまま、
冴夢は“おうちクリスマス”の灯りを思い浮かべていた。

その小さな幸せが、
今夜は世界で一番あたたかかった。

──────────────────────────

──夜。

部屋にはケーキの甘い香りと、
オレンジ色の間接照明だけ。

ゆっくり食事を終えたふたりは、
ソファで隣同士になって座っていた。

大我が、紙袋を膝に置いたまま言う。

「……冴夢。手、出して。」

冴夢は首をかしげながら片手を差し出す。

大我はそっと、その手を包んで——
小さな箱を開けた。

出てきたのは、
誕生日に貰ったネックレスと同じブランドの、
細い銀のブレスレット。

「……え……これ……」

「つける。」

大我は当たり前みたいに言い、
冴夢の手首を優しく持ち上げた。

留め金をカチッと留めながら、
ふっと小さく笑う。

「……なんでだろうな。
 男って……こういう“身につけるもん”ばっか渡すよな。」

冴夢は照れて目を逸らす。

大我は続けた。

「昔は……“縛る”みたいで嫌だったんだけど。
 でも……なんかわかるわ。」

少し息を吸って、低く言う。

「……独占欲……なんだろうな。これは。」

その言葉のあと——
大我は冴夢の指先に、そっとキスを落とした。

指に触れた温度に、冴夢の胸が跳ねる。

「……独占されたいよ?
 大我なら……」

素直に響いたその一言に、
大我の目が驚いたように揺れた。

「……嬉しいこと言う……」

喉がぎゅっと震えたような声。
そして大我は紙袋をもう一つ持ち上げる。

「……じゃあ、もう一つ。」

冴夢に手渡された紙袋は、
どこか見覚えのある封筒の色をしていた。

中を覗いた瞬間——
冴夢は息を止めた。

「……手紙……?」

20通以上ある。
そして封筒は——
世那と大我がやり取りしていたものと同じ種類。

大我は照れと苦さが混ざった表情で、
後頭部をかきながら呟いた。

「……俺から冴夢宛。
 ずっと出せなかったやつ。」

冴夢は震える声で聞く。

「……出せなかった……?」

大我は、視線をほんの少し落とす。

「兄貴が……死んでからさ。
 手紙書くの……習慣みたいに抜けなくて。
 でも、宛先が……いなくて。」

ぎゅっと唇を結ぶ。

「それで……冴夢宛で書いてた。
 言えないこととか……
 渡せない気持ちとか……
 全部、ここに書いた。」

冴夢は胸を押さえる。

喉が熱い。
目がじんとして視界が揺れる。

大我が急に焦ったように言う。

「あっ!……ちょっと待て!!」

冴夢が開封しようとした手を、
大我はあわてて掴んだ。

「今読むな!ダメ。
 ほんと……やめろ。
 それ……俺……
 “ひとりで読んでほしい”ってやつだから……」

顔が真っ赤。
耳も真っ赤。
声も震えてる。

冴夢はゆっくり手を止める。

「……うん。
 わかった。……大事に読む。」

その笑顔だけで、
大我は息を吐いて、冴夢の髪をひと撫で。

「……頼むから……
 目の前で読まねぇでくれ……死ぬ……」

冴夢は小さく笑って、
胸にブレスレットをそっと触れた。

(……大我の気持ち……
 こんなに……くれてる……)

大我の手紙の束をそっと抱きしめて、
冴夢は小さく息を吐いた。

「……大我。
 私からも……あるよ。」

大我が驚いたように顔を上げる。

「え、俺に?」

冴夢は赤いリボンがついた小箱を差し出した。
包装が少しだけ歪んでいるのは、
緊張しながら結んだ証拠みたいだった。

「……開けて?」

大我は慎重にリボンをほどいて、蓋を開ける。

その瞬間、呼吸が止まった。

中には、
落ち着いた黒の革ベルトに銀の文字盤。
仕事でもプライベートでも使える上品な——
腕時計。

大我は思わず指先で文字盤を撫でる。

「……冴夢……これ……」

「大我に似合うと思ったの。」

冴夢は、ほんの少し照れたように笑った。

「……大我がブレスレットくれたでしょ。
 “身につけるもの”……あげたいって思ったのはね……」

視線がそっと大我を捉える。

「私も……同じ。
 独占欲……なのかな?」

大我の胸が一瞬で熱くなる。

「……冴夢……」

「いつも時間見て働いてるから……
 大我が“今日”を生きてるの、
 この時計で一緒に見られる気がして……
 なんか……いいなって……」

ほんの少し指先を絡めながら続けた。

「……大我の“時間”を、
 少し……もらったみたいで。」

その言葉に、
大我は一拍遅れて、ゆっくり息を飲んだ。

(……こんなの……
 反則だろ……)

「冴夢。」

声が低く、震えていた。

「……これ……やばいって……
 大事にしすぎて壊せねぇ……」

冴夢はくすっと笑う。

「壊したら教えて。
 また選ぶから。」

その優しさに、
大我は一瞬だけ目を伏せたあと——

冴夢の手首を取り、
ぎゅっと引き寄せるように抱きしめた。

「……俺さ。
 ずっと“渡す側”で……
 もらうの、慣れてなかったんだけど……」

喉の奥で言葉がかすれる。

「こんなん……
 一生、大事にするに決まってんだろ……」

冴夢の肩に額を預け、
小さく、でもはっきり呟く。

「……独占されてぇよ。冴夢に。」

冴夢は、そっと微笑んで
大我の背中に腕をまわす。

「……じゃあ……私も独占してね。」

時計の針が、
静かに“未来へ”刻み始めていた。

──────────────────────────

──お風呂に入った大我の気配が消えた部屋で。

冴夢は、そっと膝の上に手紙の束を乗せた。

淡い照明の下で、
世那と同じ封筒。
何十通もの“大我の声”。

胸がきゅっと鳴る。

(……読んでもいいんだよね……)

そっと、一通目の封を開けた。

───────────────────────

✦一通目

ー冴夢ちゃん、学校行けるようになってよかった。
けど、無理しなくていいからな。ー大我

(……そんな前……)

あの日の、自分の青ざめた顔が浮かぶ。
毎日泣いて、毎日怖くて、
ただ生きてるだけで精一杯だったあの頃。

その裏で——
大我はこんな手紙を書いていたんだ。

指先が、そっと震える。

───────────────────────

✦二通目

ー冴夢ちゃん、バイト先の店長が大事にしてくれてることが嬉しかったんだ。
いいね。あぁいうあったかい職場。
少しずつでいい、笑って。ー大我

(……全部……見てくれてたんだ……)

冴夢が、ほんの少しだけ笑った日。
頑張って声を出した日。
バイトに初めて一人で行けた日。

全部、大我は気づいてくれてた。

胸が、じんわり熱くなる。

───────────────────────

✦三通目

ー冴夢ちゃん。ごめん…俺…今日。気づいちゃって…
こんなん言えないけど。冴夢ちゃんが好き。
ごめん…絶対言わないから、だから、そっと好きでいていい?ー大我

読み進めた瞬間、
呼吸が止まった。

(……え……
 これ……いつ……?)

封筒の隅に書かれた日付を見て、
冴夢は目を見開く。

(……2年前……?
 そんな前から……
 大我……)

胸がぎゅうっと痛んで、
同時にあたたかく満たされる。

───────────────────────

✦四通目

ー冴夢ちゃん。メリークリスマス。
まぁ冴夢ちゃんはクリスマスって気づいてないよな。
俺も祝う気にはなれないや。
いつか、2人で祝える日が来るのかな?ー大我

クリスマス——
泣いて過ごしたあの年。

自分は何も見る余裕がなかったのに、
大我は“未来のクリスマス”を思ってくれていた。

(……叶ったね……今日……)

ぽたり、涙が落ちる。

───────────────────────

✦五通目

ー冴夢ちゃん。今日、兄貴の墓に行ってきた。
たぶん、冴夢ちゃんには辛いかなって思ってひとりで行ってきたよ。
兄貴は枢木の墓にいるから…。
いつか会いに行ってあげて?きっと待ってるから。ー大我

(……大我……
 ひとりで……行ってくれてたんだ……)

胸が熱くて、苦しくて、
でも——優しかった。

冴夢の涙がぽたぽた落ちる。

───────────────────────

✦六通目

ー冴夢ちゃん。受験大変そうだね。
無理しないで、って言っても無理するのが君だよね…
一番側で支えてあげたい。
甘やかして、何も心配すんなって……
けど、俺に出来ることは応援する事くらいしかないや…
出来れば頼って欲しい。俺の全てで守るからー大我

(守る……って……
 ずっと前から……言ってたんだ……)

冴夢は手紙を胸に当てる。
ほんの少し滲んだ涙で紙が柔らかくなる。

───────────────────────

✦七通目

ー冴夢ちゃん。高校卒業おめでとう。
あれから随分と大人になった。
どんどん綺麗になる君に視線が向いてしまう。
いつか隠せなくなる日が来るのが怖い…。
お願いだからもう少しゆっくり大人になってー大我

(……大我……)

冴夢は自分の頬を両手で押さえた。
恥ずかしくて、嬉しくて、
胸の奥がたまらなく温かい。

───────────────────────

✦八通目

ー冴夢ちゃん、大学進学おめでとう。
制服から私服になってますます大人になっていく君に
ずっと恋をしてる。好き。大好き…
言えない事がこんな苦しくなるなんて思わなかった…。
君が大人になって、誰かと自由になれる日がくるのが、
俺と兄貴の願いだけど……
考えただけで心が軋むんだ…矛盾してるよね…。
許してー大我

読みながら、
涙が止まらなくなった。

(……自由になって欲しいって……
 それなのに……苦しんで……)

冴夢は、唇を噛んで目を閉じた。

こんなにも、
自分のために揺れてくれた人がいた。

───────────────────────

✦九通目

ー冴夢ちゃん。大学忙しそうだね。
最近、送るって言うと“大丈夫”って言う日が増えた。
心配だから送らせて欲しい。
なんて…俺が一緒にいたいだけなんだ…。
ごめんね。手放せない…どうしよう…手放せないんだ…
冴夢ちゃんが欲しい…
ってなに言ってんだろ。
大丈夫。言わないから!ー大我

読み終えた瞬間、
冴夢は両手で顔を覆った。

(……言ってよ……
 そんなの……欲しいに決まってる……)

涙が落ちる音だけが、静かな部屋に響く。

胸に手紙を抱きしめる。

(……大我……ずっと……
 ずっと私のこと……)

声にならない言葉がこぼれた。

──────────────────────────


──そのとき。

浴室のドアが開く音が、小さく響いた。

湯気がふわっと流れ込み、
濡れた髪をタオルで拭きながら大我が出てくる。

「……冴夢? タオルどこ……」

と言いかけて——止まった。

冴夢が、
手紙の束を胸に抱えたまま、
頬を濡らして座っていたから。

「……冴夢……?」

冴夢は立ち上がる。
次の瞬間——

ばっと駆け寄り、
そのまま大我の胸に腕を回してぎゅっと抱きついた。

「……大我……
 たいが……っ……」

声が震えている。
泣いてるのに、苦しさじゃなくて温かい涙。

大我は驚いて目を瞬く。

「冴夢!? え、ちょ……」

視線の先に、テーブルの上の“あの手紙”。

大我の表情が、一瞬で理解に変わる。

(……あれか……
 読んだんだな……全部……)

小さく息を吐く。

「……泣くなよ……
 泣かせるために渡したんじゃない。」

冴夢は首を横に振る。
大我のシャツをぎゅっと握ったまま、
顔を胸に埋めて言った。

「……ちが……うの……
 嬉しかったんだもん……
 嬉し泣きは……いいでしょ……?」

その言葉に、大我の肩の力がふっと抜けた。

(……嬉しくて泣いてるのか……
 俺の……あんな手紙で……)

大我は冴夢の背中に両腕を回し、
ふわりと抱きしめ返した。

温かくて、やわらかくて、
ずっとこうしたかったみたいに自然だった。

「……冴夢。」

低く優しい声で囁く。

「……俺も嬉しいよ。」

冴夢は胸の中で小さく息を飲む。

「……え……?」

大我は抱きしめた腕に少し力を込めた。

「冴夢が……
 あの手紙読んで……
 “嬉しい”って言ってくれることが——
 俺は……一番嬉しい。」

その声は、
手紙に書かれた何十通もの“言えなかった気持ち”と
まったく同じ温度だった。

冴夢は涙の跡を残したまま、
ゆっくり大我の胸の中で目を閉じる。

(……大我……
 こんなに……ずっと……)

大我の胸の鼓動が耳に響く。
その一定のリズムが、
今日いちばん安心する音だった。

冴夢は呟くように言った。

「……大我……ありがとう……
 全部……嬉しかった……」

大我は冴夢の髪にそっとキスを落とした。

「……全部、大事にしてたんだよ。
 冴夢が……俺の全部だったから。」

その言葉に、
冴夢の涙がもう一滴落ちた。

でもそれは、
悲しみじゃなく——

ずっと欲しかった“愛されていた証拠”に触れた涙。

ふたりの影が、
部屋の柔らかい灯りの中でそっと重なった。

──────────────────────────


──泣き腫らした目を冷やすように、
熱いシャワーが冴夢の頬を流れ落ちていく。

胸に溜まった熱も、
涙の名残も、
少しずつ溶けて流れていく。

(……戻ったら……
 大我……いるんだ……)

湯船に浸かったわけでもないのに、
胸の奥がぽかぽかしていた。

ゆっくり身体を拭いて、
バスタオルを巻き直す。

鏡に映った自分の目は、
まだほんのり赤い。

(……読んだこと……ばれるよね……
 でも……もう……隠せない……)

深呼吸をひとつして、
そっと脱衣所の扉を開ける。

──その瞬間。

「んっ!」

大我が、
両腕を広げて立っていた。

ソファの前で、
優しく、確信したみたいに、
「おいで」の形で。

冴夢の呼吸が止まる。

「……大我……?」

大我は少しはにかんだ顔で言った。

「来いよ。
 ほら……“出てきたらまた抱く”って言ったろ。」

胸が、弾けた。

“ぎゅううっ”って音がした気がした。

その瞬間——

冴夢の指から タオルがふわりと落ちた。

ぽとん、と床に落ちる音。

そして冴夢は、

ばっ!

と小走りで大我の胸に飛び込んだ。

大我の腕が、
しっかりと冴夢を包み込む。

濡れた髪の先が、
大我の首筋に触れる。

大我の声が、
耳元で低く、やわらかく震えた。

「……よし。
 ……こっち来い。」

背中にまわる腕があたたかい。
力強くて、優しくて、
“離す気がない”抱きしめ方。

冴夢は胸に顔を埋めながら、
小さく呟いた。

「……あったかい……
 大我が……いちばん……」

大我は冴夢の濡れた髪にそっと手を添えて、
小さく笑った。

「……知ってるよ。
 冴夢は俺のとこに来るのが一番落ち着く。」

冴夢の心臓が跳ねた。

湿った頬に、
大我の親指がそっと触れる。

「……泣いた顔も……
 シャワー上がりでふにゃってしてるのも……
 全部かわいい。」

冴夢は思わず、

「……たいが……」

と甘えるように名前を呼んだ。

大我は抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

「ほら……
 ちゃんと抱きしめたかったんだよ。
 冴夢が出てくるまで……ずっと待ってた。」

胸が、溶けるみたいに熱くなる。

冴夢はぎゅうっと大我の腰に手を回し、

「……待たれたら……
 飛び込むに決まってる……」

と、震える声で答えた。

大我は喉の奥で笑って、
冴夢の髪にそっとキスを落とした。

「……知ってる。
 飛び込んでくれて、ありがとな。」

ふたりの影は、
部屋のあかりの中で優しく重なった。
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