ブルーピーシーズ

弧川ふき@ひのかみゆみ

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第1章 始まりの受難

07-3 途方に暮れる

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 そんなまさか――と、今更思ったわけじゃない。だって、変化が起こってから少しずつ、そうじゃないかと思い始めて、予感は大きくなってた。

 左腕も見た。なぜかそちらも音を立てて太く長くなり始めてた。数秒後、服が破れて薄青い上腕、浅葱あさぎ色の前腕があらわに。
 自分でも驚いた。こんなことがあるなんて。本当に変身できるなんて。まるで夢。でもこれは悪夢。

 正直、怖くなってた。もし戻れなかったら? 例外があるかは分からないけど、もし先祖返りのようなことが起こっていて僕の姿として定着してしまったら……?
 絵で佐倉守さくらもりの先祖を見ただけで、『実物』をこの目で見た訳でもないのに、イメージだけでなれるの?
 僕はどうなるの?

 考えれば考えるほど恐怖は増した。
 怖い。その思いがあったからか、こんなのは嫌だっていう声を上げたくなって……。
「ウオオオオアアアアアッ!」
 ――こんなの、悲鳴というより咆哮ほうこうだ。元の自分とは違う低い声。

 全身の何もかもが――髪や爪までもが――あの絵の通りかもしれない。助かってはいる、そういう状況ではある。でも嫌だ。嫌なのに。

 思いながら、逃れたくて四肢に力を込めた。ロープを引き千切るために全力で。するとすぐにブチッと音がした。
 緩んだロープをつかんでその辺に投げ、自由になって身を起こすと、女性に近付くため足を踏み出してみた。一歩。一歩。
 でも、こけそうになった。体勢を整える。
 なんでだか、爪先立ちをして歩く感覚だとうまく足を出せる。再度近付く。すると。
「ひ、ひいい!」
 女性は僕から逃げた。とは言っても、尻餅をついたままほんの少し退しりぞいただけ。

 僕はその女性に「こんな怖い目に遭うかもって、知らされてなかったのかよ」と嘆く意味で言おうとした。そして言葉になったのは。
「こ、な、くわいめいあぅかうぉっへ、ひあはえてらかっらろはよ」
 この形態の喉や口をうまく使えていない。
 声帯やその辺りの筋肉の感覚が普段と違う気がする。唇の動かし方も人と違う感じがする。ほかにも理由はあるかもしれない。
 声は、普段の僕よりもずっと低い。
 視点は高い。首が長く、背も高くなってしまったのか、あの絵の通りに? 反応からして見た目はかなり怖そうだ。

 僕がうまく言葉にできないせいか、姿も相まって恐怖をあおってしまってる。まあこの女性がすくんで逃げないなら、それはそれでいいか……。この人、変な組織から抜ければいいのに。
 居那正いなまささんは『八分くらいしか変身が続かない』って言ってた。どうするか。八分。待つしかない?
 でもやれることもない。こんな姿でどこかの道路に出るワケにもいかないし。

 僕は首を横に振った。
 辺りをさっきよりももっとよく見て、気付いた。廃屋の天井の高さや見降ろし加減から見て、身長自体、随分伸びている。望む大きさになれる? 今の僕はまるで二メートル何十センチ越えのバレー選手みたいだ。
 その上で腕と脚が極端に長い。
 太ももとすねはもちろんだけど、足首より先も長いし、足の指に至っては普通の人間の足の指の四倍くらいの長さがある。

 あ、靴下の先が破れてる。

 その穴から薄青色の足の指が大きくはみ出ている。
 爪も見た。手足の指の爪はどちらも半透明な翡翠ひすい色。
 前髪を見てみる。翡翠色だった。長さ自体はそこまで変わっていない。
 顔を触る。
 ――ああ、元の自分の感触がない。
 目は元の姿の時よりも若干左右に離れていて、口の部分はとんでもなく前に出ていて。鼻はその上唇の上、少し引っ込んだ所から上に、気持ち盛り上がっているだけ。そのくらいに鼻からあごまでが鼻ごと前へと大きく出ている。
 口は、下あごの大きなクチバシのような形。
 唇はある、軟らかい。なのに、口の形はこんなにも違う。

 変身、解けるんだよね? 解けるよね?

 何度もそう思ってしまう。
 息が乱れそうになるのを抑えながら、顔から少し離した手の指を見た。
 六本指。
 混乱の中、背中で風を感じるのにも気付いた。巨化そのものと盛り上がった肩のせいで(見えはしないけど)そでだけでなく背中の布地も裂けてるんだろう。
 背中と違って服の前部は視認できた、前側は少しも破れちゃいない代わりにボタンは少し取れてる。ベルトの留め具はひん曲がってる。
 ズボンは、太もも部分に破れはあるけどほかの損傷はない。靴は脱がされていて近くに置かれていたようなのでそれも壊れてはいない。

 と、変化を把握するのに実際は十秒も掛かっていない。
 それから鞄の捜索。

 お、あった、そこか。

 見付けた時、突然けたたましい音が響いた。何かが激しく衝突したような、ガンッ! という音。
 音のあとで、女性が――僕を怖がって叫んだり途切れ途切れの声を上げたりしてたけど――悲鳴を上げるのをやめた。

 え? 何が――

 女性の方を見た。
 倒れているのが視界に入る。女性は動かない。そしてその辺りの床に血が――。

 まさか。まさか。

 近付いて顔を見た。女性の表情は、何もない壁を見たまま止まっている……。

 そんな!

 動かない女性を色々な角度から見た。そして気付いた。彼女の背中とお腹から血が。
 服のどちら側にも穴があるように見える。

 し、死んだのか? この人。

 動かない。僕が縛られていたみたいに。でも喋りもせず、もう彼女は動かない。
 なんでだ。思うと同時に僕はまた咆哮してた。
 きっとさっきのは銃声。

 そう思い辺りを見た。どこから銃声が聞こえたのか。思い出そうとするだけで、なぜか『廊下から聞こえた』とすぐに分かった。その方向を見やる。
 そちら――廊下の壁の陰――から少し音が聞こえた気がした。足音か? そちらに人影が見えた気もした。
「ゥオアエガアアアッ!」
 お前か、と叫びたかった。でもできなかった。

 実際にはどんな声になったかなんて今は気にもしていなかった。勢いに任せ、人影らしきものに飛び掛かるように近付いた。
 だからなのか、『男』は勢いよく息を吐くような「ひっ」という小さな声を上げた。
 そのあとにまた銃声。

 僕はとっさに深く沈もうとした。脚が折り畳まれて、その低姿勢で素早く接近する。銃弾は僕に当たらず後ろの壁に、当たったというのが音で分かった。
 そして銃声を鳴らした誰かを、力一杯押し倒した。

 僕の巨体と廃墟の壁に挟まれて、その人物が弱々しく悲鳴を上げる。
「ぐぉ」
 それから見やる。あの男だ。羽交い絞めにして僕に睡眠薬を打った、あの男――。

 僕は銃を奪い、弾を取ろうとした。でも、どうやればいいのか分からない。

 ああ、もういい。

 その辺に銃を置き、男に向き直った。問い詰める。
「らんえ、こおひしゃ」

 なんで殺したと言いたかった。
 でもやっぱり駄目だ、うまくしゃべれない。

「らんえ、こおひしゃ!」
 僕は男の胸ぐらをつかみ、言い続けた。
「らんえ! おあえおひんぎてうおんわを、こおひしゃッ!」
 きっと予想は当たっている。あの女性は『そんな私を、あの人が捨てる訳ないのよ』と言った。実際ああまでしたんだ、女性はこの男を信じてたんだ、たとえだまされただけのひどい形の愛だとしても、それは彼女にとって全てで……。

 残酷だ。なのになんで殺したんだ、こいつは……。

 僕の言った通りみたいになってしまった、そうなってほしくなくて叫んでいたのに、ただの方便だったのに。
 この男も死んでやいないか。僕が殺してやいないか。そう思って怖くなった。確かめたい。

 大きく横に伸びたひし形の耳を、男の首に――当てようとしたけど――近付けるだけで確信できた、生きてる、こいつは生きてる。……なんで生きてるのは、あなたなんだ。

 ……少し経ってから、僕の姿は元に戻った。ホッと安心感が押し寄せる、泣きたくなるくらいに。

 嬉しくない。逃れられても、こんな状況でどうすればいいんだ。

 廃墟のなぜか切れていない電灯が照らす中、死んだ女性と恐らく気を失っているだけの男を見て、僕は立ち尽くした。
 しばらくしてから、僕がここにいたと分かる物を粗方片付けた。

 ベッド付近に戻ると、近くに置かれた鞄を見つけ、手に取った。鞄の側面のポケットを見ると、そこにスマホがあった。奪われてない。奪われてなくてよかった。そう思ってスマホを手に取った。

 街区表示板や近くの看板を確認すると、警察に通報した。
 とりあえず破れた服をサブバックに入れて、ジャージに着替えてその場を去った。

 ここは、誘拐された場所からそこまで遠くでもないはずだ、僕はそう信じて歩き続けた。
 当てもなく歩いて、精神的に来るなと思ったあと、しばらくしてから見覚えのある道に出た。

 深い安心が押し寄せる。でもそれは、あの女性がもう感じることのできない感覚。
 嫌な気分。
 それから考えた。いや、考えてしまった。なんでこんな目にばかり――なんであんな奴らが――と。考えても仕方ないのに。

 制服で帰っていたのに今はジャージ。その姿を同級生や知人なんかに見られて不思議に思われても嫌だ。だから僕は、終始、家路を急いだ、胸の痛みを取っ払うこともできないまま。
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