ブルーピーシーズ

弧川ふき@ひのかみゆみ

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第1章 始まりの受難

07-2 変形

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 うう……? 何が……どうなったんだっけ……。
 ここは……?

 目が覚めてすぐ、辺りを見回した。
 どこかの廃屋に見える。
 パチンパチンと音がすると思ったら、電灯だ、たまに点滅してる。そんなのが幾つかある。
 部屋の右半分が暗いけど、物が見えない訳じゃない。
 ともあれ、仰向けから動こうとした。
 でも動けない。手足はロープでベッドの角の脚に縛り付けられている。

 ベッドでまた? 何度縛られればいいんだ僕は。

 理解した直後、女性がゆっくり近付いてきた。僕から見て左にあるドアのない出入口からだ。
「ああ、お目覚め? 睡眠薬は抜けきったかな?」
 彼女はそう言うと、僕の太ももにまたがるように乗って、向き合った。
 僕のひざの上で、長い髪を後ろで縛る。そうしながら彼女が――
「じゃあ早速」
 僕の股に手をやって、ファスナーを下ろそうとした。
「やめろ! ふざけんな!」
「あら、何をされるか分かってるの?――なんて、冗談だけど」

 女性は皮肉気に笑った。
 廊下のような所からの光しか照らすものがない。だから、見えたのは、女性の歪んだ口角の片方だけ。それが余計に寒気を呼んだ。

 数日前の経験からして、目的だけは分かってる。一応言ってやる。
「どうせまた力の遺伝した人間を作ろうってんだろ、ふざけんじゃねえって言ってんだ!」
「あれ? くれてやるって話じゃないの? あなたの遺伝子」

 くれてやる? あの時僕が言ったセリフそのままじゃ……。捕まった三人とのことを知ってる? もしかして、誰かに聞かされた……?

「ふふん、これであの人は」
 ふと、そう聞こえた。女性の小さな声で。

 これであの人はって? 何か求めてるのか。
 なんだか妙なつながりがあるみたいだ。あの人?……いやいや、疑問が増えても思考停止しちゃ駄目だ。
 もしかして全容を知らずに頼まれた? いや、知ってはいるんだよな、詳しい所だけ知らないのか?
『あの人』に命じられた? それとも? どっちにしろ、もし『あの人』への狂信的なことが根本にあるとしたら、その人よりも僕を信じさせられれば、もしかしたら。
 でもどう訴えればいい?

「くそっ」
 抗おうとする。だけど動けない。手足の縛りが強固過ぎる。

 鞄はどこだ。あの筆箱の芯がないと。

「提供したとして、そうやって生まれた子供のために環境を整えるのか?」
 もう、言葉しか武器になるものがない。
「絶対そんなことしそうにないよな、残酷な状況しか思い浮かばないよ。お前らのやることと言ったら、こんなことばっかりだ! くれてやるって言ったのは、奴らの様子を見るためだ。時間稼ぎ! 油断させるための! 人質がいたんだぞ、それを守るため!」
「情熱的ねえ、それだけ愛してる?」
「そうやって対処したくなるくらいに、あいつらは悪魔なんだよ。最低なのになんであんな奴らとつるんでるんだ。僕ははなからくれてやる気なんかないからな!」

 この叫びを聞いても、女性はクスクスと笑うだけだ。

 まさか奴らの所業だとか、これからもひどいことをしそうだなんてことを、分かっててここに?

 女性は言う。
「あのね。『あの人』は本当にそういう人じゃないの。仕方なく悪い態度を取る人もいるけど、本当にやりたいことはそんな酷いことじゃないのよ? だからこれも必要なだけ。あなたに強制したのも仕方なくよ。だから協力して。これはあくまで遺伝子学的に必要なこと。いい?」

 ――何だ、『あの人』って。立場のある人?

 女性は返事を待たずにこちらのズボンのファスナーを下ろし始めた。
「ほんとに残念よ、あなたがすんなり協力してくれればいいのに。そしたらウィンウィンでしょ? 手間取らないじゃない?」

 くそ! 無抵抗にやられるだけなのか? 今度こそ?
 鞄が見当たらないから、とにかく何か言うしか……!

「さっき僕を羽交い絞めにしたのは男だった、あいつはあんたの何だ?『あの人』ってのがそいつ? ゆくゆくはって思ってんの? 夢のまた夢だよそれは。こんなことをさせる奴はあなたを相手にしない! 全部駒だ。あなたも駒、使われてるだけ! 要らなくなったらポイだ。こんなことさせるのはその必要があったからだ! 必要なくなりゃそいつは――」
「うるさい!」

 一瞬だけ、女性の顔が近付いた。
 彼女は身を引くと――

「あの人は違う、あの人は私のこと……信じてくれてる。信じてるのよ。だから私も。だから……! そんな私を、あの人が捨てる訳ないのよ」

 そんなことを言わせたからかな、僕の目にも涙が浮かんでる。言われたら自分も同じようにショックを受けるから?……そうかも。
 この女性がどのくらい、どんな風に『あの人』を信じてるのか。女性の言動が洗脳のようなもののせいだとしたら?

 僕はひどいことを言ってる、そう自覚しながらも必死に自分を守る、それしかない。
「今必死だったな。自分に言い聞かせた? 迷いがあるならやめたら? こんなことしても、あなたのためにはならない、そいつが嘘を吐いてるから! 奴らがやってるのはいいことなんかじゃない! あんたは別の仕事だってできるだろ? なあ、そっちでいいだろ。あなたを愛せる人だって探しゃ五万といる。……なんであいつらなんだよ! これは酷い地獄につながることなんだよ! こういうこともうやめろって!……疑ってみてよそいつを!」

 僕がそう言い切った時、女性は大きく笑った。

「あなたは……信じてない、だからそう言うだけ。私はあの人のため。それほど私にとって信じられる人なの。ほかには何も要らないくらいにね」

 くそっ、ここまでだなんて。本当に通じない……?
 説得しないなんてことを考えたくない。だからその分切羽詰まるのはしょうがない。けど、じゃあ、どうする?
 鞄はどこ。シャー芯のケースはあの中。鞄は! くっ……見えない……!
 あれば使えるのに。まあ成功するとは限らないけど……あれば手があるのに。
 もう強引に逃げるしかない? でもどうやって?
 ほかに手段は?……くそっ、思い付かない……!

 そう思った時には、女性は、僕の膝の上でまたがり直してた。
「さ、科学のためよ、しっかり役目を果たしてね」
 そう言った女性の手が伸びる。
 女性に触られるのを嫌がって体をゆすってみた。力んで手足をジタバタさせる。引き千切れない。さっきから引き千切ろうとしてるのに。
 ロープはしっかりと固定されてる。

 絶望の中考えた。――僕が今以上に筋肉質な男だったらこうはならなかった?
 もしそうならロープを引き千切れた? いやそれだけじゃなく、羽交い絞めにされても抵抗できた?

 ……諦めの気持ちがだんだん強くなってきた。無意味な願望を抱いてる、そんな実感が強くなる。
 限界以上に力を入れている――のに、ロープはどうにも――。
 もし鞄が奪われてるなら――この近く、見えない所にあるなら――そう思って手当たり次第にサクラを込めても駄目?
 でも何も起こらない。手に芯が現れない。
 そこまで扱い切れてないだけかもしれないけど。現れない。

 泣きたくなった。

 やっぱり僕はこんなに弱い。

 そう思った時――あのルオセウ人の絵を思い出した。手足は長く強じん。人間よりも強靭――。
 ふと、すさまじくたくましいルオセウ人が、僕の脳内で厚みを持った。まるで本当にいそうな姿が浮かぶ。どうしてなんだろ。どんなことでもね除けそうな存在に思えたから? そんな存在に頼りたくなったのかも。

 その時、腕がミシミシときしんだ気がした。
 女性は僕の股間のファスナーの中に手を入れてモソモソと探り当てようとしたけど、横から軋む音がしたのはその時だった。
「へ?」
 と、なぜか女性の気の抜けた声が聞こえた。
 そして一瞬後。
 彼女は迫真の叫びを上げて、ベッドからなぜか急いで下りた。直後、その辺に座り込んだ。

 ……何だ? あの人動かないぞ。
 何かを怖がったのなら逃げればいいのに。……いや、腰が抜けた?

 それとほぼ同時に、なぜか、僕の右腕が自由になった。
 不思議に思い、右腕を見た。
 右腕は膨れていて服はパツパツ。手首辺りの肌は瑠璃色。破れている所もあって、そこから露わになった前腕には、薄い浅葱あさぎ色の、甲殻としか思えないものが見えた。
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