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五章 来る者、去る者 前編
4.話し合い
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陽子から連絡先を教えてもらい、一週間後、青陽荘にやってきた横澤様を朱鷺の間にお通しした。春風とリイチが担当する。
朱鷺の間は本館と寮の間にある離れの部屋。
他のお客様にご迷惑をおかけすることがないように、配慮した。
陽子は春風が話をすることに、消極的だった。もし均が手を出したら申し訳ない、と心配してくれた。
初めは社長である義春にも同席してもらおうと思ったのだが、社長がいては身構えてしまうのではないかと、危惧した。
春風にはケンカをするつもりはないので、刺激したくなかった。
かといって、一人で対峙するには恐怖もある。
そこで、用心棒としてリイチに同席してもらうことにした。お部屋を担当すると言えば、納得するだろうからと。
料理の提供を終え、一時間が過ぎた頃、春風とリイチは朱鷺の間に向かった。
「お料理はいかがでしたか? ご満足いただけましたでしょうか」
リイチが膳を片付ける間、春風は横澤様に話しかける。
「めちゃくちゃ旨かったですわ。ほんまにタダでええんですか」
「先日、お越しいただきましたのに、嘘をつきましたので、お詫びの気持ちでございます。気兼ねなく、お受け取りくださいませ」
「ほんなら、甘えさせてもらいますわ。陽子はやっぱりここで働いてたんですな。陽子、呼んでもらえまへんやろか」
「陽子は別のお部屋の担当でして、仲居の指名は、受け付けておりません。重ね重ね申し訳ございません」
「陽子に酌してもらいたかったですけどな。まあいいですわ。女将、酌してもろてええですか」
「承知いたしました。ご注文いただきました瓶ビールをお持ちしております」
春風は横澤様の向かいに座り、新しく用意したグラスを横澤様の目の前に置いた。横澤様がグラスを手にすると、瓶を傾ける。
酌をしたビールを、喉を鳴らして飲む横澤様は上機嫌に見えた。
リイチが膳を片付け終え、部屋に戻ってきた。横澤様の背後の隅に座ったのを確認してから、春風は切りだす。
「改めまして、本日はお呼び出しいたしまして、申し訳ございません。応じてくださり感謝申し上げます」
「そら、陽子はやっぱり働いてます。嘘をついた理由を伝えるから、部屋を用意してます。言われたら、来ますよ。なんか裏がありそうやと思っても、のこのこと」
「ありがとうございます。陽子は先代女将が育てた、大切な仲居でございます。接客スキルはホテルでお勤めだったこともあり、申し分ありません。それに加え、従業員間の橋渡しもしてくれる存在です。女将を継いでまだ半年ほどのあたしの、精神的な助けになってくれています」
「さすがですな。元身内として、鼻が高いですわ」
「その陽子が、退職すると突然申しまして」
「突然ですか。それはまた無責任な」
「横澤様がお越しになられたと告げた直後の出来事でした」
「‥‥‥俺のせいやと言いたいんでっか?」
横澤様の声のトーンが少し落ちる。
「すべて伺いました。こちらとしては、陽子に辞めてもらっては困るのです。でも、もし、陽子が横澤様とやり直したい気持ちがあるのなら、涙を呑んで快く送り出すつもりでございました」
「また逃げるんか。離婚したとはいえ、子供ももうけた仲ですよ。情のない、冷たい女やったんですかね」
「失礼なことを申し上げますが、横澤様は、ご自身がなにをなさってきたのか、振り返ったことはございますか」
「ほんまに失礼ですね。この旅館は、プライベートにまで踏み込んでくるんですか」
「当旅館に勤める従業員は、家族と思っております。家族を守るためなら、ひと肌脱ぐ覚悟でおります」
「結束が強いんですな。それで、どうひと肌脱ぐんです? 文字通り、着物脱いでくれはるんですか?」
「リイチ」
身動きしたリイチを、春風はそっとたしなめる。
「冗談ですがな。殺気放ってる従業員が背後におるのに、マジで言うわけありまへんやろ。ほんで、俺にどないせいっていうんです?」
「陽子のことは、諦めていただきたいのです。さきほども申し上げましたが、陽子が本心から辞めると言っているのならば引き留めませんが、本心でないのですから全力で引き留めて、守ります」
「えらい惚れてますやん」
「ええ。陽子は女も惚れるいい女だと、思っております」
「見る目ありますな。お互い」
ふっと笑って、横澤様はビールを飲み干した。春風がビールを注ぐ。
「陽子に会いにきたのは、連れ戻すためやないんです。SNSで見かけたとき、懐かしいなって、陽子に惚れてた気持ちを思い出したんです。俺は酷い男でした。俺より稼ぎがいい陽子を妬んでました。勤務していたビジホが閉店した時、俺が養わなあかんって思ってた責任感が、ぽきんと折れてしもたんです。そしたら二人が重荷になってしもて。なんもする気が起こらんくて、自由になりたくなったんです。自由になるにも金はいる。でも働きたくなくて、陽子に寄生したんです」
横澤様は再びビールを飲み干す。春風は酌をしなかった。
「促されるまま、なんの覚悟もせんと進んでもうて、イライラとかモヤモヤを陽子のせいにして、陽子にぶつけて解消させてました。未熟な自分を認めるんが出来ひんかったんです。俺から逃げたことも許せんくて、ストーキングしました。弱い俺でもいいって、陽子に言うて欲しかったんです。俺を見捨てんといてくれって、泣きつきたかったんです。情けない人間です」
肩を落とす横澤様を不憫に感じたが、陽子への行為は許せない。
春風はほだされそうになった気を引き締める。
「陽子に会って、どうするおつもりだったんですか」
「謝りたかったんです。ほんまです」
「それなら、なぜ凄まれたのです。凄めば、自分の思い通りになると思っているからではありませんか」
「それは、くせっちゅうか、なんというか。陽子を隠してると思ったんで、頭に血が上って」
「警戒されるだけと、思わなかったのですか」
「すんません。怖がらせて」
ちょこんと頭を下げてみせた。
春風は軽く息を吐き出した。一応は悪いと思っているようだから、美愛や春風を怖がらせた行為に関しては、不問に付すことにした。
「それで、陽子への謝罪ということですが、受け入れてもらえると思っていますか」
「無理やと思ってます。痛い目に合わせたし、怖がらせましたから。美遥にも申し訳ないことしました。でも、このままっていうのもなんや目覚め悪いっちゅうか」
「自己満足のために謝罪をするのですか」
「女将、若いのに手厳しいなあ。そうですな。俺が謝ったところで、陽子と美遥の傷は消えまへんけど、もやもやした気持ちはましになるんやないかなと思ってます。今すぐやなくても、いずれ」
「未来のために、ですか」
「はい。俺の事はずっと恨んでくれて構いませんけど、人をずっと恨んで生きていくのも、しんどいんちゃうかなと思うんです。許せとは言いませんけど、一応謝られたしな、っていう記憶もあると、諦められるっていうか、しゃーないなって思えるっていうか‥‥‥うまく言葉にできませんわ。すんません」
「二人の未来を思うなら、二度と現れない、関わらないという方法もありますよ」
「はい。結局、俺は自分勝手なんですね」
横澤様が泣き出しそうな雰囲気が漂い、言い過ぎてしまったかと春風が思ったところで、
「失礼いたします」
襖の向こうから声がかかった。
弾かれたように、横澤様が顔を上げた。
朱鷺の間は本館と寮の間にある離れの部屋。
他のお客様にご迷惑をおかけすることがないように、配慮した。
陽子は春風が話をすることに、消極的だった。もし均が手を出したら申し訳ない、と心配してくれた。
初めは社長である義春にも同席してもらおうと思ったのだが、社長がいては身構えてしまうのではないかと、危惧した。
春風にはケンカをするつもりはないので、刺激したくなかった。
かといって、一人で対峙するには恐怖もある。
そこで、用心棒としてリイチに同席してもらうことにした。お部屋を担当すると言えば、納得するだろうからと。
料理の提供を終え、一時間が過ぎた頃、春風とリイチは朱鷺の間に向かった。
「お料理はいかがでしたか? ご満足いただけましたでしょうか」
リイチが膳を片付ける間、春風は横澤様に話しかける。
「めちゃくちゃ旨かったですわ。ほんまにタダでええんですか」
「先日、お越しいただきましたのに、嘘をつきましたので、お詫びの気持ちでございます。気兼ねなく、お受け取りくださいませ」
「ほんなら、甘えさせてもらいますわ。陽子はやっぱりここで働いてたんですな。陽子、呼んでもらえまへんやろか」
「陽子は別のお部屋の担当でして、仲居の指名は、受け付けておりません。重ね重ね申し訳ございません」
「陽子に酌してもらいたかったですけどな。まあいいですわ。女将、酌してもろてええですか」
「承知いたしました。ご注文いただきました瓶ビールをお持ちしております」
春風は横澤様の向かいに座り、新しく用意したグラスを横澤様の目の前に置いた。横澤様がグラスを手にすると、瓶を傾ける。
酌をしたビールを、喉を鳴らして飲む横澤様は上機嫌に見えた。
リイチが膳を片付け終え、部屋に戻ってきた。横澤様の背後の隅に座ったのを確認してから、春風は切りだす。
「改めまして、本日はお呼び出しいたしまして、申し訳ございません。応じてくださり感謝申し上げます」
「そら、陽子はやっぱり働いてます。嘘をついた理由を伝えるから、部屋を用意してます。言われたら、来ますよ。なんか裏がありそうやと思っても、のこのこと」
「ありがとうございます。陽子は先代女将が育てた、大切な仲居でございます。接客スキルはホテルでお勤めだったこともあり、申し分ありません。それに加え、従業員間の橋渡しもしてくれる存在です。女将を継いでまだ半年ほどのあたしの、精神的な助けになってくれています」
「さすがですな。元身内として、鼻が高いですわ」
「その陽子が、退職すると突然申しまして」
「突然ですか。それはまた無責任な」
「横澤様がお越しになられたと告げた直後の出来事でした」
「‥‥‥俺のせいやと言いたいんでっか?」
横澤様の声のトーンが少し落ちる。
「すべて伺いました。こちらとしては、陽子に辞めてもらっては困るのです。でも、もし、陽子が横澤様とやり直したい気持ちがあるのなら、涙を呑んで快く送り出すつもりでございました」
「また逃げるんか。離婚したとはいえ、子供ももうけた仲ですよ。情のない、冷たい女やったんですかね」
「失礼なことを申し上げますが、横澤様は、ご自身がなにをなさってきたのか、振り返ったことはございますか」
「ほんまに失礼ですね。この旅館は、プライベートにまで踏み込んでくるんですか」
「当旅館に勤める従業員は、家族と思っております。家族を守るためなら、ひと肌脱ぐ覚悟でおります」
「結束が強いんですな。それで、どうひと肌脱ぐんです? 文字通り、着物脱いでくれはるんですか?」
「リイチ」
身動きしたリイチを、春風はそっとたしなめる。
「冗談ですがな。殺気放ってる従業員が背後におるのに、マジで言うわけありまへんやろ。ほんで、俺にどないせいっていうんです?」
「陽子のことは、諦めていただきたいのです。さきほども申し上げましたが、陽子が本心から辞めると言っているのならば引き留めませんが、本心でないのですから全力で引き留めて、守ります」
「えらい惚れてますやん」
「ええ。陽子は女も惚れるいい女だと、思っております」
「見る目ありますな。お互い」
ふっと笑って、横澤様はビールを飲み干した。春風がビールを注ぐ。
「陽子に会いにきたのは、連れ戻すためやないんです。SNSで見かけたとき、懐かしいなって、陽子に惚れてた気持ちを思い出したんです。俺は酷い男でした。俺より稼ぎがいい陽子を妬んでました。勤務していたビジホが閉店した時、俺が養わなあかんって思ってた責任感が、ぽきんと折れてしもたんです。そしたら二人が重荷になってしもて。なんもする気が起こらんくて、自由になりたくなったんです。自由になるにも金はいる。でも働きたくなくて、陽子に寄生したんです」
横澤様は再びビールを飲み干す。春風は酌をしなかった。
「促されるまま、なんの覚悟もせんと進んでもうて、イライラとかモヤモヤを陽子のせいにして、陽子にぶつけて解消させてました。未熟な自分を認めるんが出来ひんかったんです。俺から逃げたことも許せんくて、ストーキングしました。弱い俺でもいいって、陽子に言うて欲しかったんです。俺を見捨てんといてくれって、泣きつきたかったんです。情けない人間です」
肩を落とす横澤様を不憫に感じたが、陽子への行為は許せない。
春風はほだされそうになった気を引き締める。
「陽子に会って、どうするおつもりだったんですか」
「謝りたかったんです。ほんまです」
「それなら、なぜ凄まれたのです。凄めば、自分の思い通りになると思っているからではありませんか」
「それは、くせっちゅうか、なんというか。陽子を隠してると思ったんで、頭に血が上って」
「警戒されるだけと、思わなかったのですか」
「すんません。怖がらせて」
ちょこんと頭を下げてみせた。
春風は軽く息を吐き出した。一応は悪いと思っているようだから、美愛や春風を怖がらせた行為に関しては、不問に付すことにした。
「それで、陽子への謝罪ということですが、受け入れてもらえると思っていますか」
「無理やと思ってます。痛い目に合わせたし、怖がらせましたから。美遥にも申し訳ないことしました。でも、このままっていうのもなんや目覚め悪いっちゅうか」
「自己満足のために謝罪をするのですか」
「女将、若いのに手厳しいなあ。そうですな。俺が謝ったところで、陽子と美遥の傷は消えまへんけど、もやもやした気持ちはましになるんやないかなと思ってます。今すぐやなくても、いずれ」
「未来のために、ですか」
「はい。俺の事はずっと恨んでくれて構いませんけど、人をずっと恨んで生きていくのも、しんどいんちゃうかなと思うんです。許せとは言いませんけど、一応謝られたしな、っていう記憶もあると、諦められるっていうか、しゃーないなって思えるっていうか‥‥‥うまく言葉にできませんわ。すんません」
「二人の未来を思うなら、二度と現れない、関わらないという方法もありますよ」
「はい。結局、俺は自分勝手なんですね」
横澤様が泣き出しそうな雰囲気が漂い、言い過ぎてしまったかと春風が思ったところで、
「失礼いたします」
襖の向こうから声がかかった。
弾かれたように、横澤様が顔を上げた。
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