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二十六話 ティアラちゃんのママ

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 寝る時間を過ぎてしまった美弥は、お祖母ちゃんに送ってもらって、部屋に戻った。
 お風呂に入って、お布団に入った。けれどなかなか寝つけなかった。
 何度も寝返りを打ってみたり、ルークスに「寝られへん」とささやいてみたり。
 でも知らない間に眠りに落ちていて、ママの声に起こされた。

「美弥! 起きて! 寝坊した!」
「寝坊?」
 昨夜、目覚まし時計をセットしていなかったことを思い出し、飛び起きた。
 時間を確認すると、いつもなら家を出る時間だった。

 なんとなく行きたくなかった。急いで着替えるのも、朝ご飯を食べられないのも、走るのも。
 お腹痛いっていったら、お休みできるかな。
 どこも痛くないのに、ズルいことを考えた。

「美弥! 早く!」
 ママも学校がある。
 美弥はルークスをなでてから、起きて着替えた。

 ママはばたばたと走り回りながら、準備をしている。
「朝ご飯、食べてる時間ないでしょ。バナナだけでも食べておきなさい」

 いわれたとおり、バナナをモグモグして、顔を洗い歯を磨いて、ランドセルを背負った。
 朝の会はもう始まっている。一時間目の授業が始まる直前に教室に入りたいなと思った。

 エレベーターが八階に到着して、扉が開いた。中には女の人が一人いた。
 男の人しか乗っていなかったら、乗っちゃダメとママにいわれている。どうしてだかわからないけど。

 ルークスが(あ!)と声を出した。
『どうしたん?』
 ちょっとびっくりしたので、顔や声を出さないようにこらえた。

「乗る?」
 すぐに乗らなかった美弥に、女の人が聞いてくれた。
「はい」
 飛ぶようにエレベーターに乗りこんだ。

(みやちゃん、ティアラだ。ティアラのママだよ)
『ええ?』
 ルークスにいわれて、美弥は女の人が肩から提げているカバンを見た。
 柔らかそうな素材で、ピンク生地に肉球がプリントされている。サイドは穴がいくつか空いていた。

(その中に、ティアラがいるよ)
 鼻のきくルークスがいうのだから、間違いはないだろう。

 美弥は勇気を出して、女の人に声をかけた。
「ワンコさん?」

 美弥に話しかけられると思っていなかったのか、女の人が返事をくれるまで、少し間があった。
「ええ。ティーカッププードルよ」
 美弥を見て、答えてくれた。

「ティーカップぐらい小さいの?」
「見る?」
「うん。見たい」

 見せてくれると思っていなかったので、うきうきしながら、お姉さんが開けてくれた犬用キャリーバッグの中を覗きこむ。

 茶色のもこもこしたぬいぐるみみたいなイヌが、小さく震えながら、美弥を見てきた。真っ黒のつぶらな瞳と目が合う。

「すんごいちいちゃい。かわいい。お名前は?」
「ティアラよ」

「ティアラちゃん、こんにちは。お散歩かな?」
「動物病院に行こうと思って」

「体調良くないの?」
「ううん。ワクチンを打ってもらおうと思って」

 体調を崩したのかと心配した。ワクチンは必要なものだし、体調も診てもらえる。

「ワクチン大事やもんねえ。もしかして病院初めて?」
「そうなのよ。きりたに動物病院に行ってみようと思って。近くだとなにかあったらすぐに連れて行けるから安心かなって。どんなところか知ってる?」

「あたし引っ越してきたところやから、わからへんけど、昨日ドッグランでケンカがあって、桐谷先生が来てくれた。すごいかっこよかった。先生五階に住んでるねんて」
「そうなんだ。同じマンションに住んでるなら、困ったとき頼れるのかな。ありがとう、お嬢さん」

「あたし。801の東美弥です」
「1201の三宅です。よろしくね」

 あいさつを交わしたところで、エレベーターが停まり、一階に着いた。

 マンションの玄関で、三宅さんから、
「いってらっしゃい」
 と声をかけられた。

「いってきます」
 と返して、赤信号で止まる。

 三宅さんは幹線道路沿いに歩いて行った。きりたに動物病院前の交差点を渡るんだろう。

(みやちゃん、ぼくも動物病院にいってきてもいい?)
『え? ついて行くの?』
(ティアラちゃんが心配だから)

 ルークスは、美弥の返事も待たずに、三宅さんの後を追って行った。

 ルークスが行ったら他の動物たちが吠えるんじゃないかなと思ったし、なにより、
『一人で学校行かないとあかんやん』
 一人にされて、不安になった。

 ルークスがいるから登校がんばれたのに。今日は遅刻しているから、いつも以上に行きづらい。
 
 でも行くしかない。
 家を出たのにところなのに、戻ればママに心配をかけてしまう。
 ちょうど、信号が青に変わった。
 美弥はため息をひとつついてから、足を動かした。
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