古民家ベーカリー&カフェ とまり木 ~美味しいパンとやすらぎを~ 〈何気ない暮らしの景色賞〉受賞

衿乃 光希

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八章 動画の反響

3.父とのこと

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「高校を卒業して、大学に入学しても、音沙汰がなくて。私は怒っていました。私には父はもういないんだと思っていました」
 テーブルについて、温かいお茶を飲みながら、沙耶さんに話を聞いてもらう。

「お父さんとお母さん、籍は抜いていないんでしょう?」
「はい。戸籍上は両親健在です。母はクリニックで働いていますし、祖父の遺産を父が口座に入れてくれたので、大学の費用もどうにかできました。でもどこにいるのか、働いているのかもわからなくて。スマホで連絡しても既読にならないし、そのうち解約されたみたいで、電話すら繋がらなくなりました。怒って当然ですよね」

 少し抜けたはずのトゲトゲが、再び刺さった気がした。
 あの頃の気持ちを思い出すと、冷静になんてなれない。

「まあ、依織ちゃんの気持ちはわからなくはない。だけどお父さんの言い分も聞いてみないことには。例えば、不謹慎だけど事故に遭って、スマホが壊れて、連絡ができなかったとか」

「まだ手紙でやり取りできる手段も残っているじゃないですか。どっちかというアナログな手段の方が詳しい世代ですよね。それすらもしなかった。現住所が書いてなくてもいいんです。せめて元気にしてるとか、ハガキ一枚も出せなかったのかなって。娘が成人したのに、就職も決まったのに、気にならなかったのかなって。私はそれに怒っているんです」

 そうだ。放置されて、私と母のことなんて忘れているんじゃないか。
 そうとしか考えられなくなっていて、父に苛ついた。

「依織ちゃん、寂しかったのかな」
 沙耶さんの優しい言い方に、違いますと反論しようとした気持ちが、消えた。
 そっか。私、寂しかったんだ。と認める気持ちも、少し芽生えた。

「それは……そうなのかもしれません。怒りの気持ちが強いので、認めたくないですけど」
 私は両親にべたべたと甘える性格ではなかった。それでも両親が好きだし、子供のころは両親とのお出掛けが好きだった。
 スーパーに行くだけ、コンビニに行くだけ。それだけでも、一緒に外出することが楽しかった。

「お父さん、どんな人だったの? 優しかった? 厳しかった?」
「優しい人です。頭ごなしに叱られた記憶は、ないです。でも無口で、自分ひとりで考えて、決めてしまう人でした。祖父の介護をひとりですると聞いたのは、父が決めてからでしたし」

「高校受験を目前にしている娘と母親をまき込めない、って考えたのかな?」
「そうだと思います」

 ひとりで帰ると決めたとき、父は私たちに手伝って欲しいとは、言わなかった。
 祖母が亡くなったときは突然だったので、入院も介護も一切なかった。
 だから、父は祖父の介護をすると決めたのかもしれない。祖母にできなかったことを、祖父にしてあげようと。

 私たちは、父の決断を聞いただけだかから、そこまで考えは及ばなかった。母は知らないけれど、私はそうだった。
 自分の高校受験で頭がいっぱいだったせいもあると思う。

「高校に無事に合格してからは、母と二週間に一度ぐらいの頻度で祖父母宅に行って、ご飯の支度をしたり、祖父の話し相手になったりしました。入学してからは大型連休のときしか行けなかったですけど」

「疲れたっていうのは、介護や、その介護を終えて手続き関係も終了して、気が抜けちゃったのかもしれないね。初めはただの気分転換のための旅行だった。でも何かがあって、戻ってこれなくなった。戻ってくる気力がなくなったのかもしれないけど」

 沙耶さんと話していると、再びトゲトゲが抜けて、落ち着いてきた。
「沙耶さんの言うとおり、父には父の事情があったのだと思います」

 私は自分側の気持ちだけで怒り、父の事情なんてほとんど考えていなかった。
 仕事をしながら、祖父の介護をして、家事をして。父も大変だっただろうと、遅まきながら考えが及んだ。

「スマホが変わっているなら、私たちの連絡先がわからなかったのかもしれませんし。何の心の準備もなく、いきなりだったから、私もわけがわからなくて」

「そうだね。びっくりしちゃうよね」
「もう、ほんとに。びっくりしました」

 YouTubeの動画に私が写ったことで、父と繋がる未来なんて、予想もしていなかった。
 だからパニックになって、父への心配よりも、自分の感情を優先してしまった。
 新しい連絡先の交換を、なんて考えも浮かばなかった。

 せっかく父と会えたのに。
 また会えるだろうか。
 お店に来るだろうか。
 後悔が押し寄せてきて、胸がちくりと痛んだ。
 私はバカだ。感情を優先して、素直になれなかった。

「お父さん、無事で良かったね」
 沙耶さんが目の前にティッシュの箱を置いてくれる。
 私は数枚抜いて、顔に押し当てた。

 夕食後、自室に戻ってから、母に連絡をした。
 父がいきなりお店に現れたこと。
 くたびれていたし、白髪も増えていたけど、元気そうだったことを伝えた。

『お父さん、先に依織ちゃんのところに行ったのね』
 安心した声の母に頷いてから、私は「ん?」と疑問を感じて、冷静になった。
 先に、私のところに行った? まるで父が戻ってくることを知っていたみたいな言い方じゃない?

「それって、どういうこと?」
『前にお祖父ちゃんの七回忌の話ししたでしょ? お父さん、戻ってくる予定だったの』

「え? 連絡がつかないって話じゃなかったの?」
『実は、春に連絡があったの。大きな地震があったじゃない。お父さん心配して、電話をくれてたの』

「そんな前から?」
『依織ちゃんに話そうとしたんだけど、すごく怒っていたから、お父さんに会いたくないかなって思って、言い出せなかったの。ごめんね』

 はああああ! なにそれ! 
 逆上して、文句を言おうとしたけれど、言葉にはしなかった。
 以前の電話を思い出したから。

 母が言いにくそうにしていたのは、父と連絡がついていて、七回忌に来る、という話をしようとしていたのだと思い至った。
 私が怒って早とちりをして、父から連絡がないと決めつけて、二人だけで法要をしようと、話してしまった。
 母は切り出すタイミングを逃してしまったんだ。私のせいで。

「もしかして、お父さんがYouTubeを見たのって」
『お母さんが伝えたの。依織ちゃん、元気でお仕事頑張ってるよって』

「そうだったんだ。すごい偶然だと思ったけど、偶然じゃなくて、必然だったんだ。お母さんが伝えたんなら、見るよね」
『お父さん、嬉しそうにしてたよ。お父さんが、パン好きって覚えてたの?』

「え? そうだっけ?」
 父がパン好き? そうだったっけ。

『子供のころ、一緒にパン屋さんに行ってたの、覚えてない?』
 一緒にパン屋さんに? 
 楽しかったお出掛けの中に、パン屋さんも含まれていたんだろう。

『お父さんは、カレーパンが大好きなのよ』
 カレーパンが好物。
 そういえば、さっきカレーパンを買って、店内で食べていた。

『お父さん、今は沖縄に住んでるんだって。今週末、法要でしょう。それに合わせて戻ってきてくれたの』
「出席するんだ」

『うん。良かったわ』
 母は弾んだ声で頷いた。心から嬉しそうだった。


 次回⇒4.朝のお仕事
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