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八章 動画の反響
2.予想外の来店客
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その日もいつものようにお店は忙しかった。動画がアップロードされて以降、お昼時以外も忙しい。
夕方の十五分休憩に、生絞りオレンジジュースを飲んでリフレッシュをした私は、あと残り二時間ほどの仕事も頑張ろうと気合を入れて、休憩室からお店に戻った。
「いらっしゃいま……」
言い終える前に、そのお客さんを見て私は固まった。
全体的に少しくたびれた姿の男性。私の記憶より白髪が増えていて、でも少し猫背なのは変わらない。
戸惑うような薄い笑顔を浮かべているのは、どうしてなのか。久しぶりだから照れているのか、すまないと思う気持ちが表情に現れているのか。
「い、依織。その……久しぶり」
「どうしてここがわかったの?」
自分の口から出たにもかかわらず、冷たい声だったことに、自分に動揺する。
「YouTube、見たんだ。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだよ。何の連絡もなく、いきなり仕事場にくるなんて」
「すまない。楽しそうに働いている依織を見て、会いたくなって」
「五年も放置しておいて、いまさら何?」
父が何かを言いかけて、口を閉ざした。私が怒っているのがわかったからだろう。
「そこにいられるとお客さんの邪魔になるから」
からりと扉を開けて、お客さんがやってきた。私は切り替えて、笑顔でお客さんを迎える。
「いらっしゃいませ」
「初めてなんですけど」
「ご来店ありがとうございます。カフェのご利用でしょうか」
「はい」
「こちらへどうぞ」
トングとトレーを手にした父の姿を視界の隅に入れながら、お客さんをカフェエリアに案内した。
別のお客さんのオーダーを送信後、レジに視線をやると、セルフのレジにあたふたしている情けない姿の父が見えた。
はあとため息をつき、レジに向かう。
「セルフレジわかんないの?」
「こういうのは、苦手なんだ。やっぱり人同士じゃないと、ね」
「遅れてるね。ここにお金を入れてください」
ぱぱっと操作して、現金を入れるところを教える。
「あ、うん。ありがとう。このパン、ここで食べて行っていいのかな」
「それだと税率が変わるから、悪いけど、打ち直すね」
イートインとテイクアウトでは消費税率が違う。セルフでレジをできる人はごまかす人もいるかもしれないけれど、スタッフがレジをするときは、ちゃんと訊ねて操作をしている。
カレーパンとホットドッグをイートイン、それ以外のパンをテイクアウトでレジを打つ。
「ドリンクは飲みますか」
「じゃあ、ホットコーヒーを」
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
「お好きな席にどうぞ」
会計を終えた父は、カウンター席に向かった。
父のホットコーヒーは、十五分休憩後の沙耶さんが用意してくれた。私が持っていくつもりだったけど、間に合わなかった。父が余計なことを話してなければいいんだけど。
仕事をしていると、父の視線をときどき感じて、集中できない状況だったけど、大きなミスはせず、閉店の時間間際になった。
暖簾を下げて、閉店の看板を外に立てる。カフェエリアのお客たちも、気配を察してくれたのか、次々と席を立ち始めた。
会計をする人、会計を終えて帰って行くお客さんを見送る。
父は最後に席を立った。会計は終わっているんだから、さっさと帰ればいいのに。
「いろいろすまなかったな」
私が何も言わないでいると、父は「またな」とだけ呟いて、帰って行った。
「知り合い?」
沙耶さんに訊かれて、私はどう答えようかと迷ったけれど、嘘をついても仕方がない。
「父です。五年間行方不明だったのに、突然現れて。感情がぐちゃぐちゃになっています」
「五年間も? どんな理由があったんだろうね」
「どんな理由でも、メールひとつで姿を消すって、普通じゃないですよ。私たちがどれだけ心配したか」
「そう、だね。話してきていいよ。閉店作業はしておくから」
「いえ。仕事ですから」
私は首を横に振って、仕事に戻った。
閉店後の帰り道、私は沙耶さんに父とのことを話した。
高校受験を目前にした時期に祖父が倒れ、ひとり実家に戻って二年間テレワークをしながら祖父を介護していた父。
高校二年の十二月に祖父が亡くなり、父は実家に残って様々な手続きをしていた。
私の大学が推薦入試で決まり、祖父関連の諸々な手続きや三回忌を終えて、年末、父は消えた。
「≪疲れたから。旅に出ます≫か」
まもなく松本宅に着くころ。沙耶さんが考えるように呟いた。
「そのときは深刻に捉えていませんでした。仕事が休みだから、どこかの温泉にでも行くんだろうな、ぐらいで。あたしたちだって旅行行きたかったね、と母と言い合っていました」
母の幼馴染、花崎麻弥先生との旅行は、このときはなかった。
母とお正月を過ごし、高校三年の最後の学期が始まり、私が十八歳の成人式を迎えても、父から連絡がなく、一月末、心配になった私たちは警察に行き、行方不明者届を提出した。
鍵を開けると、八さんが出迎えてくれる。なあんと鳴いて、沙耶さんの足をすりすりしたのち、触ろうとする手をするりと抜けて行ってしまう。
いつもの八さんの姿に、心に刺さっていたトゲトゲが少しだけ抜けた。
夜ご飯はクリームシチューに決まった。
クリームシチューなら手順は難しくないので、話しながらでも作れる。
私が鶏もも肉を切っている間に、沙耶さんが手早くニンジンとじゃがいもの皮を剥いた。電子レンジでニンジンだけ先に火を通す。
鍋を温めて鶏もも肉を炒める。野菜を加え、水にさらしてあく抜きをしていたじゃがいも加えた。最後にニンジンを入れて、煮ていく。
お客さんが増えた最近はパンが売れ残らなくなったので、もらって帰ることがない。冷凍していたバゲットと食パンを焼くことにした。
煮ている間に、話しの続きをした。
次回⇒3.父とのこと
夕方の十五分休憩に、生絞りオレンジジュースを飲んでリフレッシュをした私は、あと残り二時間ほどの仕事も頑張ろうと気合を入れて、休憩室からお店に戻った。
「いらっしゃいま……」
言い終える前に、そのお客さんを見て私は固まった。
全体的に少しくたびれた姿の男性。私の記憶より白髪が増えていて、でも少し猫背なのは変わらない。
戸惑うような薄い笑顔を浮かべているのは、どうしてなのか。久しぶりだから照れているのか、すまないと思う気持ちが表情に現れているのか。
「い、依織。その……久しぶり」
「どうしてここがわかったの?」
自分の口から出たにもかかわらず、冷たい声だったことに、自分に動揺する。
「YouTube、見たんだ。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだよ。何の連絡もなく、いきなり仕事場にくるなんて」
「すまない。楽しそうに働いている依織を見て、会いたくなって」
「五年も放置しておいて、いまさら何?」
父が何かを言いかけて、口を閉ざした。私が怒っているのがわかったからだろう。
「そこにいられるとお客さんの邪魔になるから」
からりと扉を開けて、お客さんがやってきた。私は切り替えて、笑顔でお客さんを迎える。
「いらっしゃいませ」
「初めてなんですけど」
「ご来店ありがとうございます。カフェのご利用でしょうか」
「はい」
「こちらへどうぞ」
トングとトレーを手にした父の姿を視界の隅に入れながら、お客さんをカフェエリアに案内した。
別のお客さんのオーダーを送信後、レジに視線をやると、セルフのレジにあたふたしている情けない姿の父が見えた。
はあとため息をつき、レジに向かう。
「セルフレジわかんないの?」
「こういうのは、苦手なんだ。やっぱり人同士じゃないと、ね」
「遅れてるね。ここにお金を入れてください」
ぱぱっと操作して、現金を入れるところを教える。
「あ、うん。ありがとう。このパン、ここで食べて行っていいのかな」
「それだと税率が変わるから、悪いけど、打ち直すね」
イートインとテイクアウトでは消費税率が違う。セルフでレジをできる人はごまかす人もいるかもしれないけれど、スタッフがレジをするときは、ちゃんと訊ねて操作をしている。
カレーパンとホットドッグをイートイン、それ以外のパンをテイクアウトでレジを打つ。
「ドリンクは飲みますか」
「じゃあ、ホットコーヒーを」
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
「お好きな席にどうぞ」
会計を終えた父は、カウンター席に向かった。
父のホットコーヒーは、十五分休憩後の沙耶さんが用意してくれた。私が持っていくつもりだったけど、間に合わなかった。父が余計なことを話してなければいいんだけど。
仕事をしていると、父の視線をときどき感じて、集中できない状況だったけど、大きなミスはせず、閉店の時間間際になった。
暖簾を下げて、閉店の看板を外に立てる。カフェエリアのお客たちも、気配を察してくれたのか、次々と席を立ち始めた。
会計をする人、会計を終えて帰って行くお客さんを見送る。
父は最後に席を立った。会計は終わっているんだから、さっさと帰ればいいのに。
「いろいろすまなかったな」
私が何も言わないでいると、父は「またな」とだけ呟いて、帰って行った。
「知り合い?」
沙耶さんに訊かれて、私はどう答えようかと迷ったけれど、嘘をついても仕方がない。
「父です。五年間行方不明だったのに、突然現れて。感情がぐちゃぐちゃになっています」
「五年間も? どんな理由があったんだろうね」
「どんな理由でも、メールひとつで姿を消すって、普通じゃないですよ。私たちがどれだけ心配したか」
「そう、だね。話してきていいよ。閉店作業はしておくから」
「いえ。仕事ですから」
私は首を横に振って、仕事に戻った。
閉店後の帰り道、私は沙耶さんに父とのことを話した。
高校受験を目前にした時期に祖父が倒れ、ひとり実家に戻って二年間テレワークをしながら祖父を介護していた父。
高校二年の十二月に祖父が亡くなり、父は実家に残って様々な手続きをしていた。
私の大学が推薦入試で決まり、祖父関連の諸々な手続きや三回忌を終えて、年末、父は消えた。
「≪疲れたから。旅に出ます≫か」
まもなく松本宅に着くころ。沙耶さんが考えるように呟いた。
「そのときは深刻に捉えていませんでした。仕事が休みだから、どこかの温泉にでも行くんだろうな、ぐらいで。あたしたちだって旅行行きたかったね、と母と言い合っていました」
母の幼馴染、花崎麻弥先生との旅行は、このときはなかった。
母とお正月を過ごし、高校三年の最後の学期が始まり、私が十八歳の成人式を迎えても、父から連絡がなく、一月末、心配になった私たちは警察に行き、行方不明者届を提出した。
鍵を開けると、八さんが出迎えてくれる。なあんと鳴いて、沙耶さんの足をすりすりしたのち、触ろうとする手をするりと抜けて行ってしまう。
いつもの八さんの姿に、心に刺さっていたトゲトゲが少しだけ抜けた。
夜ご飯はクリームシチューに決まった。
クリームシチューなら手順は難しくないので、話しながらでも作れる。
私が鶏もも肉を切っている間に、沙耶さんが手早くニンジンとじゃがいもの皮を剥いた。電子レンジでニンジンだけ先に火を通す。
鍋を温めて鶏もも肉を炒める。野菜を加え、水にさらしてあく抜きをしていたじゃがいも加えた。最後にニンジンを入れて、煮ていく。
お客さんが増えた最近はパンが売れ残らなくなったので、もらって帰ることがない。冷凍していたバゲットと食パンを焼くことにした。
煮ている間に、話しの続きをした。
次回⇒3.父とのこと
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