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九章 父の五年間
1. 叔父と叔母
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読経と説法が終わり、お坊さんが着替えている間に、昨夜一度片付けたローテーブルを再び出し、人数分の料理を用意していく。
昨夜は両親が料理をしたけれど、今日は人数が十五人になるので、仕出し弁当を頼んでいた。
テーブルを拭いたり、届けられていた黒い箱のお弁当を運んだり。
食事の支度をするのは母と私と三宅さんの奥さんと娘さん。今朝到着した景子叔母さんと、浩章叔父さんの奥さん。
父はお酒の用意をしてから、着替え終えたお坊さんの話相手をしている。
中学生以下の子供たちは和室の隅でゲームをしていた。
台所に置いていた最後のお弁当を手に取ったとき、扉が開いた。ふと目をやってしまい、しまったと思う。浩章叔父さんだった。
「おう。ご苦労さん」
たばこの臭いが、叔父さんから漂ってくる。
私はたばこが苦手。臭くてたまらない。早々に離れようとしたのに、
「仕事、その後どうなんだ?」
浩章叔父さんが声をかけてきた。無視するわけにはいかないので、持ち上げたお弁当をテーブルに置く。
「その節は、相談に乗ってもらって、ありがとうございました。体調を崩して、この夏に退職したんです」
「退職!? あれだけ泣きついてきて、結局辞めたのかよ。そんなことになるんじゃないかと思ってたんだよな。叔父さんは」
「……すみませんでした」
謝ることしかできない。
私は叔父に電話をし、保険を変更する予定はないか、乗り換えや新規で保険を探している人がいたら紹介してほしいと、何度も頼みこんだ。今年の四月から六月ごろにかけての話。
課されたノルマをクリアしたい一心で頑張ったけれど、叔父からはっきりと断られた。迷惑だから電話をかけてくるなと。
契約どころか、パンフレットを送ることもできなかった。
「依織ちゃんには向いてないと思ってたんだよ。営業職は。人たらしでもない、どっちかっていうと人苦手な方だろう? 長続きしないと俺は見越してたんだよな。ほら、叔父さんはずっと営業でやってきてるから、向き不向きがわかるんだよ」
必死だったあの頃の、つらい記憶が思い出された。
血の気が引いたように体が冷たくなり、手足が震えてくる。
火のついていない台所は寒い。でも今の震えは、体の内側からくるものだった。
「営業ってのは、一生懸命なだけじゃだめなんだ。するっと懐に入り込んで、その気にさせるんだよ。必死さなんて、暑苦しいだけ」
追い打ちをかけるような叔父の言葉がぐさぐさと刺さる。立っているのがつらくなり、その場に座ろうとした。
「そろそろお食事始めましょうかって……」
背後から女性の声がかかった。振り返る。景子叔母さんだった。
「浩兄、たばこ臭っ!」
「うるせえ。たばこぐらい好きに吸わせろ」
どたどたと足音を鳴らして立ち去ろうとする浩章叔父さんを、景子叔母さんが呼び止める。
「手ぶらで行かない。ビール持って行って。どうせ飲むんでしょ」
叔母が冷蔵庫から冷やしたビールをお盆に載せる。
叔父は舌打ちしながらも、お盆を持って台所から離れた。
「依織ちゃん、体調悪いの? 顔色が少し悪いけど」
「大丈夫。寒いだけです」
「そう。依織ちゃんたくさんお手伝いしてくれてたもんね。ご飯食べて、ゆっくりしましょう。温かいお茶を飲めば、体も温まるから」
景子叔母さんにも謝らないといけない。
「叔母さん、私、退職したんです。担当変更のお知らせが届いてたと思うけど」
「ああ、ええ。届いてたわ。どうしたのかなって心配してたの? 退職したからだったのね」
「その節は、お世話になりました」
「いいえ。私の方こそ。ちょうど子供の医療保険を見直そうと思ってたところだったから。依織ちゃんが親身になって一生懸命に説明してくれたから、契約を決めたの。良い物を紹介してくれて、ありがとうね」
「あ、いいえ」
叔母は付き合いで契約してくれたのだと思っていたけど、付き合いだけではなかったのかもしれない。と叔母さんの表情を見て、ふと思った。
「お仕事たいへんだったわよね。決まったお店で常連さんを作っていくのと違って、ずっと新規の人を探し続けないといけないんだもの。今はお仕事してるの?」
「パン屋さんで働いています。とても美味しいパン屋さんなんです」
「そう。いいわね。叔母さんパン大好き」
「ちょっと遠いですけど、近くに来ることがあったら、お店に来て下さい。とまり木というお店で、YouTubeでも紹介されたんです」
「え? YouTubeで? すごいね」
「はい。大切な場所です」
「良いお仕事と巡り合えたのね。良かったね」
「はい」
叔母ととまり木の話をしていると、いつのまにか体の震えが止まっていた。
今朝食べたとまり木のパンを思い出す。
店長のパンは、一日経っていても、とても美味しかった。
トースターで焼いたカレーパンは、父と半分こにして食べた。
三時間も離れた距離にいるのに、店長のパンは私の心を癒してくれた。
「さあ、美味しい物を食べて、体を温めましょう。冷えは体に毒なのよ」
景子叔母さんと一緒に、私は最後のお弁当を持って、台所から和室に移動した。
体の冷えも、すっかり治まっていた。
次回⇒2.親子の時間
昨夜は両親が料理をしたけれど、今日は人数が十五人になるので、仕出し弁当を頼んでいた。
テーブルを拭いたり、届けられていた黒い箱のお弁当を運んだり。
食事の支度をするのは母と私と三宅さんの奥さんと娘さん。今朝到着した景子叔母さんと、浩章叔父さんの奥さん。
父はお酒の用意をしてから、着替え終えたお坊さんの話相手をしている。
中学生以下の子供たちは和室の隅でゲームをしていた。
台所に置いていた最後のお弁当を手に取ったとき、扉が開いた。ふと目をやってしまい、しまったと思う。浩章叔父さんだった。
「おう。ご苦労さん」
たばこの臭いが、叔父さんから漂ってくる。
私はたばこが苦手。臭くてたまらない。早々に離れようとしたのに、
「仕事、その後どうなんだ?」
浩章叔父さんが声をかけてきた。無視するわけにはいかないので、持ち上げたお弁当をテーブルに置く。
「その節は、相談に乗ってもらって、ありがとうございました。体調を崩して、この夏に退職したんです」
「退職!? あれだけ泣きついてきて、結局辞めたのかよ。そんなことになるんじゃないかと思ってたんだよな。叔父さんは」
「……すみませんでした」
謝ることしかできない。
私は叔父に電話をし、保険を変更する予定はないか、乗り換えや新規で保険を探している人がいたら紹介してほしいと、何度も頼みこんだ。今年の四月から六月ごろにかけての話。
課されたノルマをクリアしたい一心で頑張ったけれど、叔父からはっきりと断られた。迷惑だから電話をかけてくるなと。
契約どころか、パンフレットを送ることもできなかった。
「依織ちゃんには向いてないと思ってたんだよ。営業職は。人たらしでもない、どっちかっていうと人苦手な方だろう? 長続きしないと俺は見越してたんだよな。ほら、叔父さんはずっと営業でやってきてるから、向き不向きがわかるんだよ」
必死だったあの頃の、つらい記憶が思い出された。
血の気が引いたように体が冷たくなり、手足が震えてくる。
火のついていない台所は寒い。でも今の震えは、体の内側からくるものだった。
「営業ってのは、一生懸命なだけじゃだめなんだ。するっと懐に入り込んで、その気にさせるんだよ。必死さなんて、暑苦しいだけ」
追い打ちをかけるような叔父の言葉がぐさぐさと刺さる。立っているのがつらくなり、その場に座ろうとした。
「そろそろお食事始めましょうかって……」
背後から女性の声がかかった。振り返る。景子叔母さんだった。
「浩兄、たばこ臭っ!」
「うるせえ。たばこぐらい好きに吸わせろ」
どたどたと足音を鳴らして立ち去ろうとする浩章叔父さんを、景子叔母さんが呼び止める。
「手ぶらで行かない。ビール持って行って。どうせ飲むんでしょ」
叔母が冷蔵庫から冷やしたビールをお盆に載せる。
叔父は舌打ちしながらも、お盆を持って台所から離れた。
「依織ちゃん、体調悪いの? 顔色が少し悪いけど」
「大丈夫。寒いだけです」
「そう。依織ちゃんたくさんお手伝いしてくれてたもんね。ご飯食べて、ゆっくりしましょう。温かいお茶を飲めば、体も温まるから」
景子叔母さんにも謝らないといけない。
「叔母さん、私、退職したんです。担当変更のお知らせが届いてたと思うけど」
「ああ、ええ。届いてたわ。どうしたのかなって心配してたの? 退職したからだったのね」
「その節は、お世話になりました」
「いいえ。私の方こそ。ちょうど子供の医療保険を見直そうと思ってたところだったから。依織ちゃんが親身になって一生懸命に説明してくれたから、契約を決めたの。良い物を紹介してくれて、ありがとうね」
「あ、いいえ」
叔母は付き合いで契約してくれたのだと思っていたけど、付き合いだけではなかったのかもしれない。と叔母さんの表情を見て、ふと思った。
「お仕事たいへんだったわよね。決まったお店で常連さんを作っていくのと違って、ずっと新規の人を探し続けないといけないんだもの。今はお仕事してるの?」
「パン屋さんで働いています。とても美味しいパン屋さんなんです」
「そう。いいわね。叔母さんパン大好き」
「ちょっと遠いですけど、近くに来ることがあったら、お店に来て下さい。とまり木というお店で、YouTubeでも紹介されたんです」
「え? YouTubeで? すごいね」
「はい。大切な場所です」
「良いお仕事と巡り合えたのね。良かったね」
「はい」
叔母ととまり木の話をしていると、いつのまにか体の震えが止まっていた。
今朝食べたとまり木のパンを思い出す。
店長のパンは、一日経っていても、とても美味しかった。
トースターで焼いたカレーパンは、父と半分こにして食べた。
三時間も離れた距離にいるのに、店長のパンは私の心を癒してくれた。
「さあ、美味しい物を食べて、体を温めましょう。冷えは体に毒なのよ」
景子叔母さんと一緒に、私は最後のお弁当を持って、台所から和室に移動した。
体の冷えも、すっかり治まっていた。
次回⇒2.親子の時間
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