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第三話 桐生蓮音(きりゅう れおん) ~噓と真実~
初めての連弾
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お姉さん――香さんに指示された通り、僕はねこふんじゃったの歌メロを弾く。
香さんは普通の伴奏を弾く。
二巡目にスピードアップをしてみたら、香さんは裏打ちでツービートを刻み、途中から激しいバッキングに変わった。
僕はもっとテンポを上げて弾いてみた。
三巡目はウォーキングベースになったので、僕もジャズを意識してアレンジを加えてみる。なんとなくだけど。
一つの曲がアレンジによってくるくると形を変えていく。
猫をふんじゃったじゃない。僕が猫に翻弄されている。
黒いの白いの茶色にグレー、三毛にキジにサバにサビ、ハチワレ、靴下。
遊んで遊んでと僕にまとわりつくのに、掴もうとするとするりと逃げていく。
わずかにしっぽに触れさせてもらえたのは、猫の優しさかな。
夢中で香さんと遊んでいたら、これで最後ねと耳打ちされ、猫ふんじゃったを締めた。
背後で少し拍手がもらえた。さっきの香さんのソロに比べると少ないけれど、真剣に弾いたわけじゃない、遊びの演奏に拍手がもらえるだけでありがたいと感じた。
香さんとの演奏はすごく楽しかった。
次はどう弾こう。どう弾いてくるだろう。
相手の音をよく聴いてときどきアイコンタクトを取りながら、今この時にしか奏でられない、二度と弾けない音楽を作りあげる。頭を使うしドキドキした。連弾ってめちゃくちゃ楽しい。
「香さん、ありがとうございました。ちょっとへこんでたんですけど、すっきりしました」
あんなに躊躇っていたのに、お姉さんのお陰で弾けるようになった。ピアノ以外の楽しいことの答えは出ていないけど、ピアノを弾くことはやっぱり楽しい。
「あたしも。悲しいことがあったんだけど、蓮音くんと弾けて元気になった。音楽ってやっぱりいいね」
「はい!」
「いい顔になったよ」
お姉さんに褒められて、少し恥ずかしくなる。
「それじゃあ、僕はこれで。公衆電話を探したいので」
「公衆電話? この辺にあるのかな? あたしのスマホ使う?」
お姉さんが鞄からスマホを取り出し、僕に渡そうとする。
「え? いえ、悪いので」
「いいよ。電話くらい。お家でしょ?」
「あ、はい」
「いいよ。使って」
操作をして、電話番号を入力する画面を出してくれた。
あとで電話代を払えばいいかと、僕は甘えることにした。
「すみません。ありがとうございます」
香さんから借りたスマホで母のスマホの番号を入力しようとして、考え直して家の電話番号にした。
知らない番号からの電話だったら出ないかもしれないし。
家の電話に出たのは弟だった。
いつもサッカーで帰宅するのは遅いのに、今日は帰っていたらしい。
良かったと思いながら、僕を探しに家を出た母への伝言を弟にメモさせて電話をするように頼んだ。
バスのロータリーにある待ち合わせに使われるモニュメント前に移動し、母を待つ。
香さんも付き合ってくれた。
待っている間、香さんと話をした。
出場したコンクールは五年連続一位だったのに、今年は二位になってしまった。
その理由が選曲ミス。僕に合っていない、ピアノ以外の楽しいこともしたほうがいいと言われた。
ピアノ以外に楽しいことなんてないのに、困っている。悩んでいるうちに、ピアノに触れられなくなったと。
友達は? と聞かれて、ゼロと告白しなければいけないのが、けっこうつらかった。
情けなかった。
平気だと思っていたのに、ぜんぜん平気じゃなかった。寂しいことだと気がついた。
僕が一方的に話していると、バスが着いて、母が飛び降りてきた。
弟はちゃんと伝えてくれたみたいで、母はすぐに僕のいるところを見つけて走ってきた。
「蓮音! 心配をかけないで。体調悪いの?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい。それと、レッスンをさぼってごめんなさい」
「とにかく無事で良かったわ。先生にも連絡しておくわね。次のレッスンは行けるの?」
「たぶん」
「どうして休んだのか理由を聞かせて欲しいけど、家に帰ってからにしましょう。電話を貸してくださった方ですね。お世話をおかけして、すみませんでした。ありがとうございます。電話代のお支払いと、あとお礼を」
母がぺこぺこと頭を下げる。
「いえ。お礼なんて大丈夫です。あ、でもひとつお願いが」
「はい。何でも仰ってください」
「蓮音くんと友達になりたいんです」
お姉さんの唐突なお願いに、僕も母も愕然とする。
「あ、申し遅れました、わたし麗華音大の」
と自己紹介をしながら学生証を見せてくれた。
「ピアノ科の大澤香といいます。ピアニストの大澤響子は母です」
驚いた僕の声が、車の騒音や人の喧騒をかき消すほどに響いた。
香さんは普通の伴奏を弾く。
二巡目にスピードアップをしてみたら、香さんは裏打ちでツービートを刻み、途中から激しいバッキングに変わった。
僕はもっとテンポを上げて弾いてみた。
三巡目はウォーキングベースになったので、僕もジャズを意識してアレンジを加えてみる。なんとなくだけど。
一つの曲がアレンジによってくるくると形を変えていく。
猫をふんじゃったじゃない。僕が猫に翻弄されている。
黒いの白いの茶色にグレー、三毛にキジにサバにサビ、ハチワレ、靴下。
遊んで遊んでと僕にまとわりつくのに、掴もうとするとするりと逃げていく。
わずかにしっぽに触れさせてもらえたのは、猫の優しさかな。
夢中で香さんと遊んでいたら、これで最後ねと耳打ちされ、猫ふんじゃったを締めた。
背後で少し拍手がもらえた。さっきの香さんのソロに比べると少ないけれど、真剣に弾いたわけじゃない、遊びの演奏に拍手がもらえるだけでありがたいと感じた。
香さんとの演奏はすごく楽しかった。
次はどう弾こう。どう弾いてくるだろう。
相手の音をよく聴いてときどきアイコンタクトを取りながら、今この時にしか奏でられない、二度と弾けない音楽を作りあげる。頭を使うしドキドキした。連弾ってめちゃくちゃ楽しい。
「香さん、ありがとうございました。ちょっとへこんでたんですけど、すっきりしました」
あんなに躊躇っていたのに、お姉さんのお陰で弾けるようになった。ピアノ以外の楽しいことの答えは出ていないけど、ピアノを弾くことはやっぱり楽しい。
「あたしも。悲しいことがあったんだけど、蓮音くんと弾けて元気になった。音楽ってやっぱりいいね」
「はい!」
「いい顔になったよ」
お姉さんに褒められて、少し恥ずかしくなる。
「それじゃあ、僕はこれで。公衆電話を探したいので」
「公衆電話? この辺にあるのかな? あたしのスマホ使う?」
お姉さんが鞄からスマホを取り出し、僕に渡そうとする。
「え? いえ、悪いので」
「いいよ。電話くらい。お家でしょ?」
「あ、はい」
「いいよ。使って」
操作をして、電話番号を入力する画面を出してくれた。
あとで電話代を払えばいいかと、僕は甘えることにした。
「すみません。ありがとうございます」
香さんから借りたスマホで母のスマホの番号を入力しようとして、考え直して家の電話番号にした。
知らない番号からの電話だったら出ないかもしれないし。
家の電話に出たのは弟だった。
いつもサッカーで帰宅するのは遅いのに、今日は帰っていたらしい。
良かったと思いながら、僕を探しに家を出た母への伝言を弟にメモさせて電話をするように頼んだ。
バスのロータリーにある待ち合わせに使われるモニュメント前に移動し、母を待つ。
香さんも付き合ってくれた。
待っている間、香さんと話をした。
出場したコンクールは五年連続一位だったのに、今年は二位になってしまった。
その理由が選曲ミス。僕に合っていない、ピアノ以外の楽しいこともしたほうがいいと言われた。
ピアノ以外に楽しいことなんてないのに、困っている。悩んでいるうちに、ピアノに触れられなくなったと。
友達は? と聞かれて、ゼロと告白しなければいけないのが、けっこうつらかった。
情けなかった。
平気だと思っていたのに、ぜんぜん平気じゃなかった。寂しいことだと気がついた。
僕が一方的に話していると、バスが着いて、母が飛び降りてきた。
弟はちゃんと伝えてくれたみたいで、母はすぐに僕のいるところを見つけて走ってきた。
「蓮音! 心配をかけないで。体調悪いの?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい。それと、レッスンをさぼってごめんなさい」
「とにかく無事で良かったわ。先生にも連絡しておくわね。次のレッスンは行けるの?」
「たぶん」
「どうして休んだのか理由を聞かせて欲しいけど、家に帰ってからにしましょう。電話を貸してくださった方ですね。お世話をおかけして、すみませんでした。ありがとうございます。電話代のお支払いと、あとお礼を」
母がぺこぺこと頭を下げる。
「いえ。お礼なんて大丈夫です。あ、でもひとつお願いが」
「はい。何でも仰ってください」
「蓮音くんと友達になりたいんです」
お姉さんの唐突なお願いに、僕も母も愕然とする。
「あ、申し遅れました、わたし麗華音大の」
と自己紹介をしながら学生証を見せてくれた。
「ピアノ科の大澤香といいます。ピアニストの大澤響子は母です」
驚いた僕の声が、車の騒音や人の喧騒をかき消すほどに響いた。
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