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第五話 櫻木陽美 ~出逢い~
ピアノ
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白木家から櫻木家新居へ。
ピアノ生にとって二度目の引っ越しをした。
新居は一馬氏の兄上、虎徹氏によってデザイン建築され、大層立派な御殿といっても差し支えないご自宅ができたようだ。完成を見に行った陽美さんは、家族に現像した写真を見せながら、興奮した様子で話していた。
私は応接室に設置されたが、ここの広さがなかなかのものだった。
私が最初に設置された、白木権蔵氏宅のふすまを外した広い和室ほどありそうだ。
白亜の床に敷かれたペルシャ絨毯。高い天井には豪奢なシャンデリア。真向いにはバーカウンター。焦げ茶色のソファーの向こうには大型のブラウン管テレビがある。
食事は別の部屋があるようで、陽美さんたちは普段ここで食事はしない。
来客時か、一馬氏がお酒を飲みながらピアノを聴く時に使用される。
璃子さんを出産するまでは、毎日のようにピアノを弾いていたが、出産後はゼロになった。
陽美さんは応接室にやってこなかったので、私が璃子さんを初めて見たのは、首がすわった頃だった。
義祖父母の訪問ににこにこと微笑み、陽美さんを困らせることはなかった。
陽美さんは疲れが溜まっているようだったから、ほっとしただろう。
璃子さんが成長し、真琴さんが生まれ、櫻木家はさらに賑やかになった。
圭子さんの代わりに家政婦の只野さんがやってきて、陽美さんと二人で家事をするようになった。
陽美さんは最初、只野さんに緊張していたようだ。がすぐに気を許し、仲良くなった。
体力のない陽美さんの代わりに、只野さんが元気いっぱいの璃子さんの相手ができることに感激し、頼りにしていた。
璃子さんが四歳、真琴さんが二歳になっていたある日、一馬氏は陽美さんに「久しぶりに友達と出かけてきたらどうだい」と声をかけていた。
真面目な陽美さんは、子供二人の世話を一馬氏に任せてしまってはと躊躇い遠慮していたが、一馬氏の意向を受け入れた。受け入れてからの陽美さんは楽しそうだった。さっそく友人に電話をかけ、日程を決めていた。
当日、昼前に出かけた陽美さんと入れ違いで、訪問客があった。
一馬さんは応接室に通すと、その人物は私を触り始めた。
鍵盤やペダルに触れてから、私の外装や鍵盤を取り外す。
一馬さんは四年間、使用されていなかった私の調律を依頼してくれていたのだ。
二時間弱で私はきれいな状態になった。メンテナンスをしてもらうと気持ちが良い。
早く弾いてもらいたくて、うずうずする。
私はいつ陽美さんに触れてもらえるだろうかと帰りを待っていた。
一馬氏もそうだろう。日々子育てに負われ、忙しい奥様にお出かけとピアノの調律という素敵な贈り物をしたのだから。
陽美さんは夕方に帰宅した。
ソファーでアニメを見ていた子供たちは、わっと駆け出して部屋を飛び出した。
一馬氏も出迎えに行く。
子供たちの「おかえりおかえり」とはしゃぐ声と、陽美さんの「ただいまー」と楽しそうな声が聞こえてくる。
お留守番中に一馬氏を困らせるような言動はなく良い子にしていたが、母親が帰ってくると不在を寂しく感じていたのだとわかる。
両手を子供たちに引っ張られ、応接室に入ってきた。
アニメを見ていたやら、お絵かきをしていたやら、父親と何をしていたのか報告をしている。
荷物を持ってついてきた一馬氏は苦笑気味だ。目の前で母親ラブを見せつけられ、切なく感じたのかもしれない。
陽美さんも三人へのお土産を買ってきていた。
璃子さんにはシャボン玉を、真琴さんにはスケッチブックを、一馬氏にはワインを贈っていた。
夕食を終えた一家は、再び応接室に戻ってきた。
一馬氏がひとりでお酒を飲みに来るのはよくあるが、全員が揃うのは珍しい。
一馬氏がピアノを所望したのだろう。子供用のイスをピアノ前に用意し、一馬氏はバーチェアに座る。
「何を弾こうかな」
私の前に座った陽美さんの顔には笑みが零れていた。
「音が狂ってるかもしれないよ」
振り返り、一馬氏に確認している。一馬氏は大丈夫というように頷いた。
「それじゃあ、ミルテの花から何曲か」
『献呈』を弾き始めた陽美さんが、おや? と軽く目を見開いた。音が狂っていないことに気がついた。夫の一連の企みにも思い至っている。唇の両端が上がった。
陽美さんはクラシック以外にも、子供たちが大好きなアニメの曲を弾いた。
璃子さんがピアノに合わせて歌い始めると、真琴さんもはしゃぎだした。
おとなしい真琴さんが珍しい。陽美さんがびっくりした顔をして振り返った。
真琴さんが姉と一緒に歌い、飛び跳ねている。陽美さんが二人を見ながら合わせて演奏をする。
その姿はかつて夢見ていた、幼稚園の先生のようだった。
ピアノ生にとって二度目の引っ越しをした。
新居は一馬氏の兄上、虎徹氏によってデザイン建築され、大層立派な御殿といっても差し支えないご自宅ができたようだ。完成を見に行った陽美さんは、家族に現像した写真を見せながら、興奮した様子で話していた。
私は応接室に設置されたが、ここの広さがなかなかのものだった。
私が最初に設置された、白木権蔵氏宅のふすまを外した広い和室ほどありそうだ。
白亜の床に敷かれたペルシャ絨毯。高い天井には豪奢なシャンデリア。真向いにはバーカウンター。焦げ茶色のソファーの向こうには大型のブラウン管テレビがある。
食事は別の部屋があるようで、陽美さんたちは普段ここで食事はしない。
来客時か、一馬氏がお酒を飲みながらピアノを聴く時に使用される。
璃子さんを出産するまでは、毎日のようにピアノを弾いていたが、出産後はゼロになった。
陽美さんは応接室にやってこなかったので、私が璃子さんを初めて見たのは、首がすわった頃だった。
義祖父母の訪問ににこにこと微笑み、陽美さんを困らせることはなかった。
陽美さんは疲れが溜まっているようだったから、ほっとしただろう。
璃子さんが成長し、真琴さんが生まれ、櫻木家はさらに賑やかになった。
圭子さんの代わりに家政婦の只野さんがやってきて、陽美さんと二人で家事をするようになった。
陽美さんは最初、只野さんに緊張していたようだ。がすぐに気を許し、仲良くなった。
体力のない陽美さんの代わりに、只野さんが元気いっぱいの璃子さんの相手ができることに感激し、頼りにしていた。
璃子さんが四歳、真琴さんが二歳になっていたある日、一馬氏は陽美さんに「久しぶりに友達と出かけてきたらどうだい」と声をかけていた。
真面目な陽美さんは、子供二人の世話を一馬氏に任せてしまってはと躊躇い遠慮していたが、一馬氏の意向を受け入れた。受け入れてからの陽美さんは楽しそうだった。さっそく友人に電話をかけ、日程を決めていた。
当日、昼前に出かけた陽美さんと入れ違いで、訪問客があった。
一馬さんは応接室に通すと、その人物は私を触り始めた。
鍵盤やペダルに触れてから、私の外装や鍵盤を取り外す。
一馬さんは四年間、使用されていなかった私の調律を依頼してくれていたのだ。
二時間弱で私はきれいな状態になった。メンテナンスをしてもらうと気持ちが良い。
早く弾いてもらいたくて、うずうずする。
私はいつ陽美さんに触れてもらえるだろうかと帰りを待っていた。
一馬氏もそうだろう。日々子育てに負われ、忙しい奥様にお出かけとピアノの調律という素敵な贈り物をしたのだから。
陽美さんは夕方に帰宅した。
ソファーでアニメを見ていた子供たちは、わっと駆け出して部屋を飛び出した。
一馬氏も出迎えに行く。
子供たちの「おかえりおかえり」とはしゃぐ声と、陽美さんの「ただいまー」と楽しそうな声が聞こえてくる。
お留守番中に一馬氏を困らせるような言動はなく良い子にしていたが、母親が帰ってくると不在を寂しく感じていたのだとわかる。
両手を子供たちに引っ張られ、応接室に入ってきた。
アニメを見ていたやら、お絵かきをしていたやら、父親と何をしていたのか報告をしている。
荷物を持ってついてきた一馬氏は苦笑気味だ。目の前で母親ラブを見せつけられ、切なく感じたのかもしれない。
陽美さんも三人へのお土産を買ってきていた。
璃子さんにはシャボン玉を、真琴さんにはスケッチブックを、一馬氏にはワインを贈っていた。
夕食を終えた一家は、再び応接室に戻ってきた。
一馬氏がひとりでお酒を飲みに来るのはよくあるが、全員が揃うのは珍しい。
一馬氏がピアノを所望したのだろう。子供用のイスをピアノ前に用意し、一馬氏はバーチェアに座る。
「何を弾こうかな」
私の前に座った陽美さんの顔には笑みが零れていた。
「音が狂ってるかもしれないよ」
振り返り、一馬氏に確認している。一馬氏は大丈夫というように頷いた。
「それじゃあ、ミルテの花から何曲か」
『献呈』を弾き始めた陽美さんが、おや? と軽く目を見開いた。音が狂っていないことに気がついた。夫の一連の企みにも思い至っている。唇の両端が上がった。
陽美さんはクラシック以外にも、子供たちが大好きなアニメの曲を弾いた。
璃子さんがピアノに合わせて歌い始めると、真琴さんもはしゃぎだした。
おとなしい真琴さんが珍しい。陽美さんがびっくりした顔をして振り返った。
真琴さんが姉と一緒に歌い、飛び跳ねている。陽美さんが二人を見ながら合わせて演奏をする。
その姿はかつて夢見ていた、幼稚園の先生のようだった。
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