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1章 幼稚園の先生
8.疲れ切って
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十九時。仕事を終えて、私は幼稚園を出た。
自宅マンションまでは自転車で十五分ほど。
体の疲れはいつもと変わらない。早く帰ろうと自転車を漕ぐ足は、そこそこ軽快。
しかし、今日は精神的にずしんときている。
あんなに強烈な親御さんは、五年働いて初めてかもしれない。
文句や要求の多い親御さんはいるけれど、私たちに向けてのものだった。
トラブルとはいえ、同じ園に通う相手への配慮に欠ける要求をし、それが通って当然だと思っている親御さん。
拒否した私は、無能呼ばわりされた。
『無能な人間に子供を預けられない』
私にはかなりきつい言葉だった。
五年間、園児たちのために頑張って仕事をしてきた。
失敗はたくさんしたし、「ちゃんとして」と叱られたこともある。
お怒りは真摯に受け止めて、反省し、次に活かしてきた。
少しは自信もついてきていたのに。
「はああ」
体は元気なのに、ため息も気持ちも鉛のように重かった。
「ご飯どうしよう」
作る気力なんて、今日はいつも以上にない。ついでに食欲もない。
ないけれど、食べておかないと、明日が持たない。今日はお昼ご飯を食べ損ねている。
元気いっぱいの子供たちと遊ぶには体が元気でないといけない。だから食事はしっかりとっておきたい。
園と自宅の間は住宅街のため、スーパーがない。スーパーに行くには遠回りしないといけない。遠回りをする気力が湧かない。
そんな時、決まって寄るお弁当屋さんがあった。
短大時代にアルバイトで二年間お世話になり、就職してからも週の半分は寄っている。
中谷さんの手作りの、温かいお弁当は、落ちていた食欲を戻す力がある。
暗くなった夜道に煌々と明かりを灯すお弁当屋さんが見えて、泣きたくなるほど嬉しさがこみあげた。
お店の脇に自転車を止めて、「こんばんは」とガラスの扉を開けた。
「あ……っらっしゃいませ……」
レジの前で座ってスマホを見ている大学生っぽい男性が、面倒そうな声を出した。
お客を迎える態度ではないよね。
座っているのは気にしない。でも、せめてスマホから顔を上げてほしいかなと思う。
いちいち指摘するのも面倒だし、味に変わりなければいいや、とスルーしてメニュー表を見る。
アルバイトをしていたときと、メニューに大きな変わりはない。
「サバ焼き定食ください」
「サバ定っす」
「はーい」
厨房から元気な声が返ってきて、安心した。
お客用のイスに座ってぼうっと待っていると、「お待たせしました」と厨房の中谷さんが、顔を出した。
「やっぱり真衣ちゃんだった」
「こんばんは」
白の三角巾を頭に巻いた、割烹着姿の中谷さんは、お母さんのようなお祖母ちゃんのような存在。
初めてのアルバイトで何もわからない私に、中谷さんがいろいろ教えてくれた。接客の仕方やお金の扱い方、料理も。
「疲れた顔をしてるね。仕事大変?」
「ええ、まあ。子供たちはかわいいですけど」
「変な親に当たっちゃった? 何があったのかわからないけど、気にしないでいいのよ。しっかりご飯食べて、しっかり寝てね。なんとかなるもんだから」
「はい。ありがとうございます。いただきます」
なんとか笑顔を見せて、お金を払う。
「あざーす」
「ありがとうございました。でしょ。ちゃんと言いなさい」
「りょ、っす」
「なにそれ」
「了解って意味っす」
「そこはわかりましたって言うの」
レジの男性が中谷さんに指導されている声を聞きながら、お店を後にした。
『なんとかなるもんだから』と中谷さんに言われたときは、一瞬そんな気もしたけど、無理だよね。
家に近づいているはずなのに、気持ちは園に置きっぱなしになっている気がした。
次回⇒9.一人の食事
自宅マンションまでは自転車で十五分ほど。
体の疲れはいつもと変わらない。早く帰ろうと自転車を漕ぐ足は、そこそこ軽快。
しかし、今日は精神的にずしんときている。
あんなに強烈な親御さんは、五年働いて初めてかもしれない。
文句や要求の多い親御さんはいるけれど、私たちに向けてのものだった。
トラブルとはいえ、同じ園に通う相手への配慮に欠ける要求をし、それが通って当然だと思っている親御さん。
拒否した私は、無能呼ばわりされた。
『無能な人間に子供を預けられない』
私にはかなりきつい言葉だった。
五年間、園児たちのために頑張って仕事をしてきた。
失敗はたくさんしたし、「ちゃんとして」と叱られたこともある。
お怒りは真摯に受け止めて、反省し、次に活かしてきた。
少しは自信もついてきていたのに。
「はああ」
体は元気なのに、ため息も気持ちも鉛のように重かった。
「ご飯どうしよう」
作る気力なんて、今日はいつも以上にない。ついでに食欲もない。
ないけれど、食べておかないと、明日が持たない。今日はお昼ご飯を食べ損ねている。
元気いっぱいの子供たちと遊ぶには体が元気でないといけない。だから食事はしっかりとっておきたい。
園と自宅の間は住宅街のため、スーパーがない。スーパーに行くには遠回りしないといけない。遠回りをする気力が湧かない。
そんな時、決まって寄るお弁当屋さんがあった。
短大時代にアルバイトで二年間お世話になり、就職してからも週の半分は寄っている。
中谷さんの手作りの、温かいお弁当は、落ちていた食欲を戻す力がある。
暗くなった夜道に煌々と明かりを灯すお弁当屋さんが見えて、泣きたくなるほど嬉しさがこみあげた。
お店の脇に自転車を止めて、「こんばんは」とガラスの扉を開けた。
「あ……っらっしゃいませ……」
レジの前で座ってスマホを見ている大学生っぽい男性が、面倒そうな声を出した。
お客を迎える態度ではないよね。
座っているのは気にしない。でも、せめてスマホから顔を上げてほしいかなと思う。
いちいち指摘するのも面倒だし、味に変わりなければいいや、とスルーしてメニュー表を見る。
アルバイトをしていたときと、メニューに大きな変わりはない。
「サバ焼き定食ください」
「サバ定っす」
「はーい」
厨房から元気な声が返ってきて、安心した。
お客用のイスに座ってぼうっと待っていると、「お待たせしました」と厨房の中谷さんが、顔を出した。
「やっぱり真衣ちゃんだった」
「こんばんは」
白の三角巾を頭に巻いた、割烹着姿の中谷さんは、お母さんのようなお祖母ちゃんのような存在。
初めてのアルバイトで何もわからない私に、中谷さんがいろいろ教えてくれた。接客の仕方やお金の扱い方、料理も。
「疲れた顔をしてるね。仕事大変?」
「ええ、まあ。子供たちはかわいいですけど」
「変な親に当たっちゃった? 何があったのかわからないけど、気にしないでいいのよ。しっかりご飯食べて、しっかり寝てね。なんとかなるもんだから」
「はい。ありがとうございます。いただきます」
なんとか笑顔を見せて、お金を払う。
「あざーす」
「ありがとうございました。でしょ。ちゃんと言いなさい」
「りょ、っす」
「なにそれ」
「了解って意味っす」
「そこはわかりましたって言うの」
レジの男性が中谷さんに指導されている声を聞きながら、お店を後にした。
『なんとかなるもんだから』と中谷さんに言われたときは、一瞬そんな気もしたけど、無理だよね。
家に近づいているはずなのに、気持ちは園に置きっぱなしになっている気がした。
次回⇒9.一人の食事
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