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1章 幼稚園の先生
9.一人の食事
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「ただいま」
玄関の扉を開けて、電気のスイッチを押す。
暗い1DKに明かりが灯っても、寂しさは増すばかり。
鍵をかけ、靴箱の上に置いた小物入れにキーケースを入れる。目についた芳香剤。ずいぶん前から匂いは消えているのに、私は見て見ぬふりで、靴を脱ぎ部屋に上がる。
疲れのせいにして放置。ダメだな、と頭ではわかっているけど、今日もそのままにしてしまった。
じっとりとした湿気が体にまとわりつく。部屋の空気が重い気がした。
かばんとお弁当をテーブルに置き、ベランダに面した窓を開ける。風の出入りを感じない。
いつもより湿度が高い気がする。明日は雨かも。
雨だと庭園での遊びができないから、教室か体育館での遊びになる。
年少さんでも楽しめる遊びだと、フラフープを使ったジャンプ渡りや、ズボンに長い紐を挟む尻尾取りゲームとか。
楽しんでくれるかな。
園児たちのことを考えると、暗く重かった気持ちが少し上向いた。
雨戸にして扇風機を回して、袋からお弁当を取り出そうとした。
「あれ? お味噌汁頼んだっけ?」
お弁当の上に、お味噌汁の容器が乗っていた。頼んだ記憶はないから、中谷さんが付けてくれたんだろうな。
蓋を開けると、湯気と味噌の香りがふわりと立った。
「いただきます」
手を合わせて、食事をとる。
温かい。お味噌汁もご飯もおかずも。人が作ってくれる食事って、美味しい。
一人で食事をするのは味気なくて、好きじゃない。だからせめて人が作ったものを食べたくなる。
見知っている中谷さんが作ってくれたものだからか、より美味しく感じる。お母さんかお祖母ちゃんが作ってくれたみたいで、安心する。
お味噌汁をすすっていると、チェストの上に置いた写真に目が留まった。
「あっ……今日、お祖母ちゃんの命日だ」
すっかり忘れていた。三年前の六月十九日。
食事を途中で止めて、写真を手に取る。
撮影日は十月十二日。
私が二十歳になった日、一緒に撮った。
私はお祖母ちゃんに着物を着付けてもらい、お祖母ちゃんもお母さんもきれいにメイクをして、おしゃれした。
「お祖母ちゃん、楽しそうだったな」
写真に父はいない。私が中学卒業とほぼ同時に、両親は離婚したから。
私は母の実家近くにある高校を受験し、母と引っ越した。
それ以来、父とは会っていない。
父は友人たちとの遊びに忙しく、あまり家にいない人だった。だから寂しさなんて、まったく感じなかった。
その父から誕生日の前日に現金書留が届いて、驚いた。私が二十歳になったことを覚えていたんだと。十八歳になったときは、何もなかったのに。
そのお金で中華料理を食べに行った。ふかひれスープや、北京ダック、アワビを食べた。一生で、こんな贅沢ができることはもうないだろう、っていうぐらいの贅沢三昧をした。
お祖母ちゃんは、「ありがたいね」と高級食材に手を合わせていたのを思い出した。
料理が運ばれてくるたびに手を合わせるお祖母ちゃんがおかしくて、お母さんと笑い合った。
お祖母ちゃんは戦後生まれで、子供のころは貧しかったと言っていた。だから、ありがたいと手を合わせたのだろう。
生きていたら七十七歳。何とかっていうお祝いの年齢じゃなかったっけと思い、写真を置いて、スマホで調べる。
「喜寿だ」
喜ばれるプレゼントとして、食事・名前の入った食器・服・メッセージカードなどが出てくる。
「もう……いないんだよね」
ぽつりとつぶやいた言葉に、心細さが増してしまった。
お花を墓前に供えるのが、お祝い方法としては正解なのかな。
「っていうか、命日だし。誕生日じゃないし」
しんみりした気持ちを切り替えるように画面を消し、食事に戻った。
食べ終わり、シャワーを浴びて、寝る支度を整える。
明日も平日だから、いつも通りの時間に出勤だ。子供たちが待っている。
園長に峯山さんの件を報告しないといけないし、橋爪さんとの場も設けないといけない。
話の通じなさそうなあのお父さん、どうしたら納得してくれるんだろうか。入園したばかりの佑斗くんが退園、なんてことにならないといいんだけど。
子供は環境が変わると、不安定になりやすくなる。入園から二ヶ月半。
佑斗くんは人見知りをしないし、物怖じもしない。環境の変化に慣れるのは早い子だと思うけど、転園となると不安を覚えるかもしれない。
お父さんと和解したいけど、どうすればわかってもらえるかな。
布団に入ったものの、明日のことを考えると眠気は吹き飛んでしまった。
何度も寝返りを打つ。眠れそうにない。
仕方がない。私は起きて、冷蔵庫から秘密兵器を取り出した。
平日は滅多に手にすることはない。けれど、寝つけない時は一本だけ、135mlのミニ缶のビールを飲む。
飲み過ぎて歯止めが利かなくなるのはいけない。ミニ缶は酔うほどでもないし、飲み切るのにちょうどいいサイズ。
部屋の電気を黄色くして、ミニ缶の蓋をぷしゅっと開けた。
次回⇒10. 手紙を書こう
玄関の扉を開けて、電気のスイッチを押す。
暗い1DKに明かりが灯っても、寂しさは増すばかり。
鍵をかけ、靴箱の上に置いた小物入れにキーケースを入れる。目についた芳香剤。ずいぶん前から匂いは消えているのに、私は見て見ぬふりで、靴を脱ぎ部屋に上がる。
疲れのせいにして放置。ダメだな、と頭ではわかっているけど、今日もそのままにしてしまった。
じっとりとした湿気が体にまとわりつく。部屋の空気が重い気がした。
かばんとお弁当をテーブルに置き、ベランダに面した窓を開ける。風の出入りを感じない。
いつもより湿度が高い気がする。明日は雨かも。
雨だと庭園での遊びができないから、教室か体育館での遊びになる。
年少さんでも楽しめる遊びだと、フラフープを使ったジャンプ渡りや、ズボンに長い紐を挟む尻尾取りゲームとか。
楽しんでくれるかな。
園児たちのことを考えると、暗く重かった気持ちが少し上向いた。
雨戸にして扇風機を回して、袋からお弁当を取り出そうとした。
「あれ? お味噌汁頼んだっけ?」
お弁当の上に、お味噌汁の容器が乗っていた。頼んだ記憶はないから、中谷さんが付けてくれたんだろうな。
蓋を開けると、湯気と味噌の香りがふわりと立った。
「いただきます」
手を合わせて、食事をとる。
温かい。お味噌汁もご飯もおかずも。人が作ってくれる食事って、美味しい。
一人で食事をするのは味気なくて、好きじゃない。だからせめて人が作ったものを食べたくなる。
見知っている中谷さんが作ってくれたものだからか、より美味しく感じる。お母さんかお祖母ちゃんが作ってくれたみたいで、安心する。
お味噌汁をすすっていると、チェストの上に置いた写真に目が留まった。
「あっ……今日、お祖母ちゃんの命日だ」
すっかり忘れていた。三年前の六月十九日。
食事を途中で止めて、写真を手に取る。
撮影日は十月十二日。
私が二十歳になった日、一緒に撮った。
私はお祖母ちゃんに着物を着付けてもらい、お祖母ちゃんもお母さんもきれいにメイクをして、おしゃれした。
「お祖母ちゃん、楽しそうだったな」
写真に父はいない。私が中学卒業とほぼ同時に、両親は離婚したから。
私は母の実家近くにある高校を受験し、母と引っ越した。
それ以来、父とは会っていない。
父は友人たちとの遊びに忙しく、あまり家にいない人だった。だから寂しさなんて、まったく感じなかった。
その父から誕生日の前日に現金書留が届いて、驚いた。私が二十歳になったことを覚えていたんだと。十八歳になったときは、何もなかったのに。
そのお金で中華料理を食べに行った。ふかひれスープや、北京ダック、アワビを食べた。一生で、こんな贅沢ができることはもうないだろう、っていうぐらいの贅沢三昧をした。
お祖母ちゃんは、「ありがたいね」と高級食材に手を合わせていたのを思い出した。
料理が運ばれてくるたびに手を合わせるお祖母ちゃんがおかしくて、お母さんと笑い合った。
お祖母ちゃんは戦後生まれで、子供のころは貧しかったと言っていた。だから、ありがたいと手を合わせたのだろう。
生きていたら七十七歳。何とかっていうお祝いの年齢じゃなかったっけと思い、写真を置いて、スマホで調べる。
「喜寿だ」
喜ばれるプレゼントとして、食事・名前の入った食器・服・メッセージカードなどが出てくる。
「もう……いないんだよね」
ぽつりとつぶやいた言葉に、心細さが増してしまった。
お花を墓前に供えるのが、お祝い方法としては正解なのかな。
「っていうか、命日だし。誕生日じゃないし」
しんみりした気持ちを切り替えるように画面を消し、食事に戻った。
食べ終わり、シャワーを浴びて、寝る支度を整える。
明日も平日だから、いつも通りの時間に出勤だ。子供たちが待っている。
園長に峯山さんの件を報告しないといけないし、橋爪さんとの場も設けないといけない。
話の通じなさそうなあのお父さん、どうしたら納得してくれるんだろうか。入園したばかりの佑斗くんが退園、なんてことにならないといいんだけど。
子供は環境が変わると、不安定になりやすくなる。入園から二ヶ月半。
佑斗くんは人見知りをしないし、物怖じもしない。環境の変化に慣れるのは早い子だと思うけど、転園となると不安を覚えるかもしれない。
お父さんと和解したいけど、どうすればわかってもらえるかな。
布団に入ったものの、明日のことを考えると眠気は吹き飛んでしまった。
何度も寝返りを打つ。眠れそうにない。
仕方がない。私は起きて、冷蔵庫から秘密兵器を取り出した。
平日は滅多に手にすることはない。けれど、寝つけない時は一本だけ、135mlのミニ缶のビールを飲む。
飲み過ぎて歯止めが利かなくなるのはいけない。ミニ缶は酔うほどでもないし、飲み切るのにちょうどいいサイズ。
部屋の電気を黄色くして、ミニ缶の蓋をぷしゅっと開けた。
次回⇒10. 手紙を書こう
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