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6話 覚えている過去
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「ただいま」
「おかえり。今日は遅かったのね」
「祐嗣くん、おかえりなさい」
母さんがお客さんの髪を触りながら、声だけを掛けてくる。常連のお客さんにも迎えられて、僕は店を通った。
美容室はパーマ液のツンとした匂いが満ちている。幼い頃からの、嗅ぎ慣れた香り。
落ち着くものではないけど、帰ってきたなと実感する匂いだ。
我が家の一階は母さんが経営する美容室で、二階・三階が住居になっている。
店舗奥の階段を上がって、二階のリビングに彼女を連れていく。
「お邪魔します」
所在なさそうに、リビングの壁際に立っている彼女にソファーを勧める。
「三階上がってすぐが僕の部屋、隣が母親の部屋で、玄関側にベランダがあるから。落ち着かないとは思うけど、自由に移動して。テレビでも見る?」
返事を聞かずに、ソファーの目の前にあるテレビの電源を入れる。
いろいろチャンネルを変えるけど、ニュース番組しかやってなかった。
「好きな番組とかある?」
「ううん。テレビはあまり見ないから。スマホで動画は見てるけど」
「僕も動画はよく見てる。好きなチャンネルは?」
「バトンとダンス動画。ユージくんは?」
「大食い」
「ええ? 大食い? イメージに合わないかも」
「めっちゃ喰うから、気持ち良くってさ」
「お腹空いちゃわない?」
「最初は食欲湧くけど、ボリューミー過ぎて、逆になくなる」
「そっか。でも、なんかわかる気もする」
結局テレビは消して、三階に移動する。
「小清水さんはさ――」
「円花でいいよ。小清水って長いでしょ」
「あ、じゃあ、ま、円花さん」
「呼び捨てでいいよ」
「いや、慣れてないから、さ。円花さんは、生きてた時の記憶が全部戻ってんじゃないよね。バトン習ってたことは覚えてるみたいだけど」
「あ、そうだね。覚えてた。なんて言うんだろ、間が抜けてて、閃くみたいに思い出したり、話かけてくれたら自然と引き出されたり、そんな感じ」
「成仏するのに、記憶って関係あるのかな?」
「どうなんだろう。でもさ、心残りがあると成仏できないっていうじゃない? 私の場合、それが記憶なのかなあ、なんて。わかんないけど」
「思い出した記憶の整理してみる?」
僕は未使用のノートを取り出し、机に広げる。
「まず、名前が小清水円花、年齢は高校受験をした記憶と中学を卒業した記憶があるから、推定15歳。中学は第一中学校。バトントワリング経験者で、9歳からクラブチームに所属、と」
僕が知った情報をノートに書き出す。
「他に思い出したことは?」
「勉強は得意じゃなかった」
「あはは、それはまあ、僕も人のこと言えないからメモらないでおくわ。親と友だちの名前は覚えてない。家はわからないって言ってたよね。きょうだいは?」
「きょうだいはいないよ。ひとりっ子。住所はわかんない。他は、うーん‥‥‥」
「まあ、そのうち思い出すんじゃないかな。思い出したら教えて。中学で、何かしてた? バトンの大会に出たとか」
「あ、バトン部に入ってたよ、全国大会にも出たし。賞はもらえなかったけど。高校生の演技がすごく良くて、憧れたの」
「うちを受験したのは、バトン部に入るため?」
「うん、そう。合格したのかは、覚えてないけど。今中学の制服を着てるってことは、落ちちゃったのかもしれないね」
「入学前だから制服が手元になかったとか、中学に思い出がたくさんあるから、とかかもしれないよ」
「そっか。そういう考え方もあるね」
「他に覚えてることは?」
小学6年生の時ク、ラブチームでの出場で円花さんも選抜され、銀賞をもらった。
半年前の大会でも、銀賞をもらった。
円花さんの生涯は、バトン一色だったようだ。
「あのさ、聞きにくい質問してもいい?」
「え? なあに? 好きな人とか? お付き合いしてる人はいなかったと思うよ」
「違う違う。あのさ、最期の時は覚えてる?」
「ああ‥‥‥それ、覚えてないの」
頬が強張る。
「そりゃ怖いよな。フツーに考えて。これは置いておこう。思い出す必要が出てきたら調べればいい」
「うん。そうする」
「今の時点で覚えてることは、以上なのかな。記憶を取り戻したら、円花さんが昔の、昭和の人とかだったら、びっくりするね」
「それはないよ」
「言い切れるの?」
「だって、昭和って動画配信あったの?」
「‥‥‥ない、か」
「うん。だから、祐嗣くんと同世代なのは、間違いないと思うよ」
「話してても、時代の違和感はないから、まあ、そうだとは思うけど。親のことは気になるよね。どうやったら、思い出せるんだろうね」
「街ブラ、とか?」
「あー、街ブラか」
「ひとりでぶらぶらしてるより、小声でもいいから話しながらだと、刺激受けて思い出せてる気がするんだ。だけど、街ブラするには、祐嗣くんに付き合ってもらうしかないんだけど」
「‥‥‥わかったよ。こんなに根掘り葉掘り聞いておいて、後はひとりで頑張れなんて放り出せないよ」
「いいの!? ほんとに?」
「可能なことは協力するよ」
「やったー! ありがとう」
円花さんが、ボクの手を取ろうとする。透き通っているから、僕の手は掴めない。
困惑する彼女に向けて、僕は右手を差し出した。手が重なる。
感触も温度も感じなくて、円花さんが本当に生きていないのだと、身をもって実感した。
次回⇒7話 第一中学校
「おかえり。今日は遅かったのね」
「祐嗣くん、おかえりなさい」
母さんがお客さんの髪を触りながら、声だけを掛けてくる。常連のお客さんにも迎えられて、僕は店を通った。
美容室はパーマ液のツンとした匂いが満ちている。幼い頃からの、嗅ぎ慣れた香り。
落ち着くものではないけど、帰ってきたなと実感する匂いだ。
我が家の一階は母さんが経営する美容室で、二階・三階が住居になっている。
店舗奥の階段を上がって、二階のリビングに彼女を連れていく。
「お邪魔します」
所在なさそうに、リビングの壁際に立っている彼女にソファーを勧める。
「三階上がってすぐが僕の部屋、隣が母親の部屋で、玄関側にベランダがあるから。落ち着かないとは思うけど、自由に移動して。テレビでも見る?」
返事を聞かずに、ソファーの目の前にあるテレビの電源を入れる。
いろいろチャンネルを変えるけど、ニュース番組しかやってなかった。
「好きな番組とかある?」
「ううん。テレビはあまり見ないから。スマホで動画は見てるけど」
「僕も動画はよく見てる。好きなチャンネルは?」
「バトンとダンス動画。ユージくんは?」
「大食い」
「ええ? 大食い? イメージに合わないかも」
「めっちゃ喰うから、気持ち良くってさ」
「お腹空いちゃわない?」
「最初は食欲湧くけど、ボリューミー過ぎて、逆になくなる」
「そっか。でも、なんかわかる気もする」
結局テレビは消して、三階に移動する。
「小清水さんはさ――」
「円花でいいよ。小清水って長いでしょ」
「あ、じゃあ、ま、円花さん」
「呼び捨てでいいよ」
「いや、慣れてないから、さ。円花さんは、生きてた時の記憶が全部戻ってんじゃないよね。バトン習ってたことは覚えてるみたいだけど」
「あ、そうだね。覚えてた。なんて言うんだろ、間が抜けてて、閃くみたいに思い出したり、話かけてくれたら自然と引き出されたり、そんな感じ」
「成仏するのに、記憶って関係あるのかな?」
「どうなんだろう。でもさ、心残りがあると成仏できないっていうじゃない? 私の場合、それが記憶なのかなあ、なんて。わかんないけど」
「思い出した記憶の整理してみる?」
僕は未使用のノートを取り出し、机に広げる。
「まず、名前が小清水円花、年齢は高校受験をした記憶と中学を卒業した記憶があるから、推定15歳。中学は第一中学校。バトントワリング経験者で、9歳からクラブチームに所属、と」
僕が知った情報をノートに書き出す。
「他に思い出したことは?」
「勉強は得意じゃなかった」
「あはは、それはまあ、僕も人のこと言えないからメモらないでおくわ。親と友だちの名前は覚えてない。家はわからないって言ってたよね。きょうだいは?」
「きょうだいはいないよ。ひとりっ子。住所はわかんない。他は、うーん‥‥‥」
「まあ、そのうち思い出すんじゃないかな。思い出したら教えて。中学で、何かしてた? バトンの大会に出たとか」
「あ、バトン部に入ってたよ、全国大会にも出たし。賞はもらえなかったけど。高校生の演技がすごく良くて、憧れたの」
「うちを受験したのは、バトン部に入るため?」
「うん、そう。合格したのかは、覚えてないけど。今中学の制服を着てるってことは、落ちちゃったのかもしれないね」
「入学前だから制服が手元になかったとか、中学に思い出がたくさんあるから、とかかもしれないよ」
「そっか。そういう考え方もあるね」
「他に覚えてることは?」
小学6年生の時ク、ラブチームでの出場で円花さんも選抜され、銀賞をもらった。
半年前の大会でも、銀賞をもらった。
円花さんの生涯は、バトン一色だったようだ。
「あのさ、聞きにくい質問してもいい?」
「え? なあに? 好きな人とか? お付き合いしてる人はいなかったと思うよ」
「違う違う。あのさ、最期の時は覚えてる?」
「ああ‥‥‥それ、覚えてないの」
頬が強張る。
「そりゃ怖いよな。フツーに考えて。これは置いておこう。思い出す必要が出てきたら調べればいい」
「うん。そうする」
「今の時点で覚えてることは、以上なのかな。記憶を取り戻したら、円花さんが昔の、昭和の人とかだったら、びっくりするね」
「それはないよ」
「言い切れるの?」
「だって、昭和って動画配信あったの?」
「‥‥‥ない、か」
「うん。だから、祐嗣くんと同世代なのは、間違いないと思うよ」
「話してても、時代の違和感はないから、まあ、そうだとは思うけど。親のことは気になるよね。どうやったら、思い出せるんだろうね」
「街ブラ、とか?」
「あー、街ブラか」
「ひとりでぶらぶらしてるより、小声でもいいから話しながらだと、刺激受けて思い出せてる気がするんだ。だけど、街ブラするには、祐嗣くんに付き合ってもらうしかないんだけど」
「‥‥‥わかったよ。こんなに根掘り葉掘り聞いておいて、後はひとりで頑張れなんて放り出せないよ」
「いいの!? ほんとに?」
「可能なことは協力するよ」
「やったー! ありがとう」
円花さんが、ボクの手を取ろうとする。透き通っているから、僕の手は掴めない。
困惑する彼女に向けて、僕は右手を差し出した。手が重なる。
感触も温度も感じなくて、円花さんが本当に生きていないのだと、身をもって実感した。
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