上 下
6 / 17
6.

初めてのケンカ 〜 体ごとぶつかりあった日

しおりを挟む
四月の終わり頃。
 
教室の窓の外に見える校庭の木々の葉が青々としている。私は、それを見るともなしに眺めていた。

「海音、海音……」

夏川くんが肘で私をつっついてくる。

「ぼんやりしてないで、ちゃんと話を聞けよ」

小声で私をいさめる。
私は窓の外を眺めるのをやめて正面を向いた。

今、同じ班の人同士で、机をくっつけあって話し合いをしている最中だった。

「えっと……、だから、私は……」 

立花さんが、うつむいてもじもじしながら話をしていた。

立花さんはいつも声が小さい。
先生に当てられた時も、恥ずかしそうに小声でボソボソしゃべるので、何を言っているのかさっぱり聞こえない。

「未来に向かっていくような、そんなイメージの絵はどうかなって思って……」 

今、立花さんが一生懸命にしゃべっているのは、二十日後にひかえた体育祭に関係することだ。

この学校では、各クラスごとに目標を決め、それを大きなフラグに書いて運動場のフェンスに吊るすようになっている。

フラグには、目標となる言葉だけでなく、絵を添えることが多い。

今、その絵のデザインを決めるために、班に分かれて意見を出し合っているところだった。

それぞれの班で意見をまとめたのちに、クラス全体で討論して最終決定するようになっていた。

「あの……、恥ずかしいから、そんなに一生懸命に聞かなくていいからね……」

立花さんは恥ずかしそうにしながら一生懸命に話をしていた。

だけど、あんまりにも話が要領を得ないので、途中からほとんど耳に入ってこなかった。
意識がどんどん目の前の話し合いとは違うことへ移っていく。

こういう時、私はぼーっとしているように周りからは見えるだろう。
だけど、頭の中はにぎやかだし、忙しかった。

私は空想遊びが好きだった。
頭の中で無限に空想が広がっていく。

今、私の空想の中では、校庭に降りてきた巨大な飛行艇から、二本足で立ったブタが大量の荷物を運び出しているところだった。

わらわらと何千匹ものブタが一列になってリレー方式で校庭にダンボール箱を積み上げていく。

そんな光景をノートの隅に描いていると、知らない間に熱中してしまっていた。

夏川くんが肘で私の左の脇腹をこづいてきた。私は、絵の続きが描きたくて、気づかないふりをした。

すると、私の右隣に座っていた月森くんが、
「おもしろい絵だな。ていうか、絵、うまくない?」
と、ノートをのぞきこんできた。

月森くんも、立花さんの話に飽きていたようだった。

だいたい、話し合いのテーマからして、つまらないんだから仕方ない。
こんな話、真剣に話し合うこと自体が時間の無駄だ。
さっさと結論を出してしまえばいいのに、と思っていた。

「私の話、伝わりにくくてごめんね……。
なんか、自分でも何が言いたいのか分からなくなっちゃった」

立花さんが困った顔をして同じ班のみんなを見回した。
とりわけ、私の方を見ていた。

「要点はさ、こういうことなんじゃないの」
 
私は、鉛筆をノートの上におくと、立花さんがダラダラと話していたことの要点をまとめて話して聞かせた。
簡潔にまとまった私の話に、班のみんなが感心した顔をする。

「立花さんの話は、結論にたどり着くまでが長すぎるよ。
さっきの話も、後半の話はほとんどいらないよ」 

さっきまで感心していた班のみんなが、急に青ざめた。
しん、とみんなが沈黙する。

「ご、ごめんなさい……」

立花さんが、私の正面で涙ぐんでいた。

また、やってしまった、と私は思った。
冷静に分析したことを伝えただけだったけれど、どうもまずいことを言ったらしい。

「あ~、もうおまえは……」
夏川くんが苦い顔をして私を見ていた。

班のみんなから、非難するような視線が突き刺さる。

私は今さらながら後悔した。
だけど、発した言葉をなかったことにはできない。

あーあ、と頭の中でつぶやく。
あーあ、あーあ……。

私はこういう失敗を今までだって何度もしている。
そのたびに頭の中でつぶやいてきた。
あーあ、まただ。

だけど、その反省も、次の日には頭からふき飛んでいる。
だから繰り返す。
繰り返すたびにやってられないと思うけれど、たぶん、まわりの人はもっとやってられないって思っている。

だから、やっぱりこうつぶやくしかない。
あーあ……。

肩をすくめて左隣を見ると、夏川くんが頬を膨らませて、肘で私をついた。

私は飼い主に叱られた犬のように、シュンとした。

       •     •     •

「立花さんは話すのが苦手なんだと思う。
だけど、一生懸命話をしてくれてたんだから、聞く方も一生懸命聞いてあげた方が良かったと思うよ」

夏川くんが隣で私にそう言う。

「だってさ、立花さん自身が言ってたじゃない。一生懸命聞かなくていいって」

ゲームのコントローラーをいじりながら、私はそう言った。

私は、夏川くんの家に初めて招かれて、夏川くんの部屋でテレビゲームをしていた。
対戦ゲームだ。

夏川くんはゲームがうまい。
というか、夏川くんはなんだって人より少しうまい。
勉強だって、徒競走だって、サッカーだって、バスケットボールだって……。
私と夏川くんは何もかも真逆だ。
私はだいたいのことが人より不器用だ。
人の話を聞くのだって、夏川くんは得意だけど、私は苦手だ。

「言われた言葉を、そのまんま受けとっちゃダメだよ」

夏川くんは、そう言いながら、指をすばやく動かして大技を決める。
私はピンチに追い込まれた。

「海音は、頭がいいんだと思うよ。
勉強だってさ、テストで発揮できないだけで、本当はできるんだと思う。

立花さんの話もちょっと聞いただけで要点をまとめられたじゃないか。それは、海音の長所だと思うんだ。

だけどさ、苦手なこともあるよね。
例えばさ、人の立場にたって考えたりするのは得意じゃないよね」

テレビの画面では、私の操作しているキャラクターが壁際に追い込まれて猛烈なキックを食らっていた。
HPがとうとうゼロになる。

「あ! あーあ、やられちゃった」

私はコントローラーを放り出して、後ろ向きに倒れた。

「俺の連勝だな」

夏川くんがニヤリと笑う。

「つまんない。もうやめた」

私がそっぽを向いて寝そべっていると、夏川くんが背中を指でつついてくる。

「すねんなよ。ハンデつけてやるよ」

「そんなんで勝っても面白くないよ」

私はムッスリとした顔で横を向いた。ようやく、夏川くんが私の異変に気づく。

「何だよ、本当にすねてんのかよ」

夏川くんが顔をのぞきこもうとしてきたから、私はカーペットの上にあったクッションを抱き抱えて、それに顔をうずめた。

「いいよね、夏川くんはなんでも得意で……」

クッションに顔をくっつけたままだったから、声がくぐもっていた。

「私、本当は分かってる。
空気とか察するのが苦手だって。
立花さんのことだって、
言われなくたって、私が悪かったって分かってる」

「海音……」

夏川くんが肩のあたりに触れてくる。私はその手を振り払った。

「もういいってば」

夏川くんには分からないんだろうと思った。
私が意外と今日の学校での出来事を引きずっていること。

本当はこんな自分でいたくないって思っていること。

「注意したり、優しくしたり、中途半端なことしないでよ。もうほっといてよ」

「海音」
夏川くんがいさめるような声で私を呼んだ。

私は別に、夏川くんに怒りたいわけじゃなかった。
本当は自分に対して怒りたかった。
だけど、私のうちからあふれだした怒りは、コントロールを失って夏川くんに向かっていった。

「夏川くんなんか大嫌い!」

夏川くんも、とうとう声音に怒りをにじませた。
「何でそんなに怒ってんだよ」
 
「怒りのスイッチを押したのは夏川くんでしょ!」

二人は立ち上がって睨みあう格好になった。

「おまえのスイッチがどこにあるかなんて知らねーよ! いちいち怒鳴るなよ!」

「怒りっぽくってごめんね! こんな私が嫌なら友達やめたら?!」

「はあ? めんどうくせーこと言うなよ!」

「どうせ、めんどくさいよ! 嫌いなら、嫌いってはっきり言ってよ!」

クッションを投げつけようとする私の手首を夏川くんがつかんだ。
私は夏川くんの手の力強さに驚く。
腕を引こうとしても、押し返そうとしてもびくともしなかった。

悔しくて、もう一方の手で夏川くんの胸を叩こうとすると、両手首をつかまれた。

それでも暴れようとすると、夏川くんは両手首をつかんだまま体重をかけてきた。
押し返そうとしたが、私はあっけなくソファの上に押し倒された。

「なんでそんなにかみついてくるんだよ。
普通に話をしろよ!」

夏川くんは、押し倒した私の顔を見下ろしていた。私は夏川くんをにらみあげて、
「だって、怒らすようなこと、言うから!」
と怒鳴った。

「言ってない!」

「めんどくさいって言った。
それに、人の立場に立って考えるのが苦手だって言った!」

「それがなんなんだよ! 
苦手なことなんて誰だってあるだろ! 
俺にだってあるよ!」

夏川くんが大きく声を張り上げた。
なおも、勢いよく言葉を続ける。

「苦手なことを指摘されたから怒ってんのか? 
何で、そんなことでうじうじしてるんだよ! 
苦手なことだって失敗することだって、あってもいいだろ! 
失敗するたび、毎回、毎回、どうしたら良かったか考えりゃいいじゃん。

俺が付き合ってやるよ、とことん!」

私はハッとした。
真剣な表情をした夏川くんの顔がそこにはあった。

頭の中のかすみが晴れていく。
怒りも、スーッとひいていく。
入る隙間もないくらい自分の感情でいっぱいだった心に、初めて夏川くんの言葉が届いた。

私は腕から力を抜いた。
知らない間に息が上がっていた。

夏川くんが私の両手首から手を離す。

私はソファーに仰向けになったまま、夏川くんの顔ごしに見える天井を眺めていた。そうしながら、夏川くんの言葉をゆっくりとかみしめ、ゆっくりと飲み込んでいった。

俺が付き合ってやるよ、とことん。

夏川くんはそう言った。

夏川くんが私の上から体をどけると、ソファーの脚元に座り込んだ。

「おまえって、ほえたりかみついたり、犬みたいだよな。
まあ、別にそれでもいいんだけどさ……」

夏川くんがため息をついて、乱れた髪をかき上げた。
二人とも髪がぐしゃぐしゃになっていた。

「でもさ、俺、一個だけ海音に直してほしいところがあるんだ。
困ってる時に困ってるって言わないで、かわりにすねて怒るとこだよ。
それじゃさ、俺、おまえを助けられないじゃん」

私は自分の瞳が大きく揺れるのを感じた。
ほんの少し、天井がぼやける。
目頭が熱くなる。

「ごめん……」

腕で目をおおってつぶやいた私のそばで、夏川くんが微笑んだ気配がした。

続く~


 
しおりを挟む

処理中です...