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初恋が実るまで
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もう、ここに来れるのもあと数回だ。
中学の同級生の親父さんが働く八百屋のベンチでほうじ茶を飲みながら感慨深くなる。
最近、事あるごとにそうやって考える。
広い空を見上げるのも、のどかな田んぼ道を歩くのも、オレンジ色のローカル線に乗れるのもあと数回。
今度住む場所は、空も狭けりゃ田んぼも無いし、電車は五分に一度やってくる。
少々寂しくはあるが、まだ見ぬ未来に思いを馳せると嬉しさが簡単に勝る。
高校の卒業式は滞りなく終わった。
その翌日にピンクがかった茶色に髪を染めて、ピアスももう二つあけた。
引越しの準備はもう万全。
さっき転出届も出してきた。あとは友人たちと最後のお別れパーティーをしてビービー泣ければ問題無し──のはずだった。
「千歳のことが好き……って言ったら、どうする?」
こわごわとしたその声に、持っていた湯呑みを落とすところだった。
両手で持っていて正解だった。
「好きって、そういう意味で?」
「そういう、意味で」
とても冗談で言っているとは思えなかった。
創がベンチに座ってから口を開くまで、一時間近くかかったのだ。そろそろ帰るわ、と言えばコートの袖を引っ張ってきて、頑なにここに居座ることに拘った。
おかげで底冷えする上に、お腹はタップタプ。親父さんにほうじ茶のおかわりを何杯貰ったと思ってるんだ。
「……ていうか、それ今言う?!」
八百屋の軒下で同性から告白をされたって人、全国で何人くらいいるだろう。
場所も場所だけど、時期も時期だ。
俺と創は、学部は違うが一緒の大学へ行って、これから一緒に暮らすのだ。そんな時に突然の重大発表。
創の隣に座っていた、この店常連の爺ちゃんが前傾姿勢で俺たちを覗き込む。
「告白ってのはいいもんだな。久々に婆ちゃんとの熱烈な恋を思い出しちったよ。おめ、ちゃんと返事してやれよ、こいづは勇気出して告白したんだがら」
「爺ちゃんは黙っとけっ」
真横でこんな話をしている男同士がいれば、最近めでたく米寿を迎えたらしい茂爺ちゃんも突っ込みたくはなるだろう。
興味津々の舐め回すような視線は無視して、俺は頬を赤く染めている創だけを見つめた。
「なんで今告白しようと思ったんだ?」
「気持ちを隠したまま同居するのは、千歳に申し訳なくて。もっと早く言いたかったけど、なかなか言えなくて……今日を逃したら、もう言えない気がして」
「いつから俺のことをそんな風に?!」
「……友達になって、割とすぐ」
「マジで?! 全然気付かなかったんだけど!」
驚き過ぎて、つい責めるような口調になってしまう。こんな告白をうけて『そうか。じゃあ仲良く暮らしていこうね』とはなれない。
俺の頭ひとつ分背が低い創は、いつも以上に顔をうつむけて、まるで小動物のように体を震わせている。
相当緊張しているのだろう。涙脆さも手伝って泣きそうになっているのを目にすると、うぅ、と罪悪感でいっぱいになる。
「本当の、はつ、恋なんだ。千歳が」
「初恋?」
そんなはずはない。
高二の冬ごろ、ほんの数ヶ月だったが創には彼女がいた。俺が初恋な訳ない。
創は奥歯同士を噛み締めたような苦しい表情になって、居心地が悪そうに「ごめん」と立ち上がった。
「契約解除してもらえるか大家さんに聞いてみるから。すぐには無理そうでも、ちゃんと家賃は払う……俺、千歳が好きなんだ。だから千歳に、迷惑かけたくない……」
おぼつかない足取りで遠ざかっていく親友の背中を追いかけることができなかった。
すっかり冷めてしまった湯呑みのほうじ茶を見つめたまま、しばらく唖然としていた。
創と出会ったのは高二の春だった。
だけど初めから仲が良かった訳ではない。創は自分とは違う、おとなしくて控えめなグループにいた。目が合えば挨拶する程度の仲だったが、トイレで偶然、顔色の悪い創と鉢合わせになり、保健室に連れていったことが話すきっかけになった。
白いベッドに寝そべりながら、創はポツポツと言葉を紡いだ。
──中学の時、あんまり友達いなかったんだ。
電車とバスで一時間以上もかかるこの学校に通っている時点で、それは本当っぽいと察しがついた。
──だから?
後に続く言葉が無かったので、不運な過去を慰めて欲しいのかと思い、そう尋ねてみた。
創はたまに、お腹を壊すらしかった。
中学の頃の惨めな日々や、その時の気持ちを思い出してしまうのだという。
苦笑する創に俺は迷いなく言った。
──じゃあ、これから沢山作ればいいじゃんよ、友達。
俺もその友達になってやる。
創の小さな手を握ると、じわりと優しい熱がこっちに伝わってきた。心の柔らかい部分にもそっと触れられた気がして、胸が痛くなった。
時が止まったように身動きがとれなくなったが、涙目で『紺野くんって変わってる』と笑われて我に返った。
創の頭がいいというのは知っていたので、テスト前はお世話になった。鍵っ子だという創の家にそのまま泊まったり、自分の家にも遊びに来てもらったり。
創の進路調査票に東京の大学の名前が書いてあるのを見て、頭で考えるよりも先に『一緒の所に行きたい』と口に出していた。創といるのは楽しかったし、俺だって都会への憧れがある。創は二つ返事で『じゃあ行こうか』と笑んでくれた。
その頃に、創に初めての彼女ができた。まるで創の女版のような、文系の控えめな子。
親友なのにそんな恋愛事情は全く把握していなかったので、卒倒しそうなくらいにビックリした。
順調にいっているのか気になって問えば『別に』と素っ気ない返事だったから、そういうのを訊かれるのは苦手なのだろうと思い、探れなかった。
圧倒的な体格差は縮まることがないまま三年に上がった頃、別れた、と事後報告を受けた。
『なんか、そういう気分じゃなくなって』と、おとなしい創の口から出たとは思えない発言に驚いたけど、今考えたらその意図が分かる気がする。
彼女を作ることで俺への恋心を昇華させようとしたけれど、無理だったんじゃないか。
そういえば、『せっかくなら一緒に住んであげてよ。このバカ息子を創くんが見張っててくれれば私も安心なんだけど』と俺の母親が提案した時から、様子はおかしかった。『ちょっと、不安です』とか『迷惑掛けちゃうかもしれないし』とやんわり拒絶する創に向かって、俺たち能天気親子は『大丈夫大丈夫~!』と背中を叩いたのだ。
今になって不憫に思える。創は押しの強い親子に断るタイミングも与えられぬまま、今日まで悶々と過ごしてきたのだろう。
中学の同級生の親父さんが働く八百屋のベンチでほうじ茶を飲みながら感慨深くなる。
最近、事あるごとにそうやって考える。
広い空を見上げるのも、のどかな田んぼ道を歩くのも、オレンジ色のローカル線に乗れるのもあと数回。
今度住む場所は、空も狭けりゃ田んぼも無いし、電車は五分に一度やってくる。
少々寂しくはあるが、まだ見ぬ未来に思いを馳せると嬉しさが簡単に勝る。
高校の卒業式は滞りなく終わった。
その翌日にピンクがかった茶色に髪を染めて、ピアスももう二つあけた。
引越しの準備はもう万全。
さっき転出届も出してきた。あとは友人たちと最後のお別れパーティーをしてビービー泣ければ問題無し──のはずだった。
「千歳のことが好き……って言ったら、どうする?」
こわごわとしたその声に、持っていた湯呑みを落とすところだった。
両手で持っていて正解だった。
「好きって、そういう意味で?」
「そういう、意味で」
とても冗談で言っているとは思えなかった。
創がベンチに座ってから口を開くまで、一時間近くかかったのだ。そろそろ帰るわ、と言えばコートの袖を引っ張ってきて、頑なにここに居座ることに拘った。
おかげで底冷えする上に、お腹はタップタプ。親父さんにほうじ茶のおかわりを何杯貰ったと思ってるんだ。
「……ていうか、それ今言う?!」
八百屋の軒下で同性から告白をされたって人、全国で何人くらいいるだろう。
場所も場所だけど、時期も時期だ。
俺と創は、学部は違うが一緒の大学へ行って、これから一緒に暮らすのだ。そんな時に突然の重大発表。
創の隣に座っていた、この店常連の爺ちゃんが前傾姿勢で俺たちを覗き込む。
「告白ってのはいいもんだな。久々に婆ちゃんとの熱烈な恋を思い出しちったよ。おめ、ちゃんと返事してやれよ、こいづは勇気出して告白したんだがら」
「爺ちゃんは黙っとけっ」
真横でこんな話をしている男同士がいれば、最近めでたく米寿を迎えたらしい茂爺ちゃんも突っ込みたくはなるだろう。
興味津々の舐め回すような視線は無視して、俺は頬を赤く染めている創だけを見つめた。
「なんで今告白しようと思ったんだ?」
「気持ちを隠したまま同居するのは、千歳に申し訳なくて。もっと早く言いたかったけど、なかなか言えなくて……今日を逃したら、もう言えない気がして」
「いつから俺のことをそんな風に?!」
「……友達になって、割とすぐ」
「マジで?! 全然気付かなかったんだけど!」
驚き過ぎて、つい責めるような口調になってしまう。こんな告白をうけて『そうか。じゃあ仲良く暮らしていこうね』とはなれない。
俺の頭ひとつ分背が低い創は、いつも以上に顔をうつむけて、まるで小動物のように体を震わせている。
相当緊張しているのだろう。涙脆さも手伝って泣きそうになっているのを目にすると、うぅ、と罪悪感でいっぱいになる。
「本当の、はつ、恋なんだ。千歳が」
「初恋?」
そんなはずはない。
高二の冬ごろ、ほんの数ヶ月だったが創には彼女がいた。俺が初恋な訳ない。
創は奥歯同士を噛み締めたような苦しい表情になって、居心地が悪そうに「ごめん」と立ち上がった。
「契約解除してもらえるか大家さんに聞いてみるから。すぐには無理そうでも、ちゃんと家賃は払う……俺、千歳が好きなんだ。だから千歳に、迷惑かけたくない……」
おぼつかない足取りで遠ざかっていく親友の背中を追いかけることができなかった。
すっかり冷めてしまった湯呑みのほうじ茶を見つめたまま、しばらく唖然としていた。
創と出会ったのは高二の春だった。
だけど初めから仲が良かった訳ではない。創は自分とは違う、おとなしくて控えめなグループにいた。目が合えば挨拶する程度の仲だったが、トイレで偶然、顔色の悪い創と鉢合わせになり、保健室に連れていったことが話すきっかけになった。
白いベッドに寝そべりながら、創はポツポツと言葉を紡いだ。
──中学の時、あんまり友達いなかったんだ。
電車とバスで一時間以上もかかるこの学校に通っている時点で、それは本当っぽいと察しがついた。
──だから?
後に続く言葉が無かったので、不運な過去を慰めて欲しいのかと思い、そう尋ねてみた。
創はたまに、お腹を壊すらしかった。
中学の頃の惨めな日々や、その時の気持ちを思い出してしまうのだという。
苦笑する創に俺は迷いなく言った。
──じゃあ、これから沢山作ればいいじゃんよ、友達。
俺もその友達になってやる。
創の小さな手を握ると、じわりと優しい熱がこっちに伝わってきた。心の柔らかい部分にもそっと触れられた気がして、胸が痛くなった。
時が止まったように身動きがとれなくなったが、涙目で『紺野くんって変わってる』と笑われて我に返った。
創の頭がいいというのは知っていたので、テスト前はお世話になった。鍵っ子だという創の家にそのまま泊まったり、自分の家にも遊びに来てもらったり。
創の進路調査票に東京の大学の名前が書いてあるのを見て、頭で考えるよりも先に『一緒の所に行きたい』と口に出していた。創といるのは楽しかったし、俺だって都会への憧れがある。創は二つ返事で『じゃあ行こうか』と笑んでくれた。
その頃に、創に初めての彼女ができた。まるで創の女版のような、文系の控えめな子。
親友なのにそんな恋愛事情は全く把握していなかったので、卒倒しそうなくらいにビックリした。
順調にいっているのか気になって問えば『別に』と素っ気ない返事だったから、そういうのを訊かれるのは苦手なのだろうと思い、探れなかった。
圧倒的な体格差は縮まることがないまま三年に上がった頃、別れた、と事後報告を受けた。
『なんか、そういう気分じゃなくなって』と、おとなしい創の口から出たとは思えない発言に驚いたけど、今考えたらその意図が分かる気がする。
彼女を作ることで俺への恋心を昇華させようとしたけれど、無理だったんじゃないか。
そういえば、『せっかくなら一緒に住んであげてよ。このバカ息子を創くんが見張っててくれれば私も安心なんだけど』と俺の母親が提案した時から、様子はおかしかった。『ちょっと、不安です』とか『迷惑掛けちゃうかもしれないし』とやんわり拒絶する創に向かって、俺たち能天気親子は『大丈夫大丈夫~!』と背中を叩いたのだ。
今になって不憫に思える。創は押しの強い親子に断るタイミングも与えられぬまま、今日まで悶々と過ごしてきたのだろう。
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