ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)

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第三部

31、一人じゃないから

「あーん、やだー。もう分かんない! 無理ぃ」
「こら、ひより。しっかり看護してくれないとダメじゃないか」
「これ看護ですか? 違う気がする! 八雲さん変態!」

 例のナースウェアを改めて着せられたひよりは、八雲の上に跨っていた。
「胸の音を聴いてくれ。脈をとってごらん」一見、医師が指導しているかのように思えるがそれはとんでもない語弊だ。
 下からひよりを見上げながら、満足そうに彼女の体をくまなく診察しているのは八雲自信である。
 不必要に痩せてはいないかと背中や腰を触り、空模様のようにころころ変化するひよりの顔色を見ながら健康観察に抜かりはない。

「変態とは失礼だなぁ。ロマンと言ってくれないかひより」
「もう……ロマン多すぎです」
「ひよりが与えてくれた新しいロマンだろ? こんな俺はもう嫌いになった?」

 八雲の少し下がった目尻はひよりが何を言っても効果はないくらい慈しみで溢れている。ひよりがどんなに悪態つこうとも、どんなに反抗してみせても、全部を嬉しそうに受け止めるのだ。勝てるわけがない。

「嫌いになるわけ、ないじゃないですか。わかってるくせに……いじわるです」
「いじわる、か。じゃあ、お詫びにとことんかわいがってあげよう。いつも頑張るひよりに」
「えっ、まっ……」

 あっという間に天地が入れ替わる。ひよりは男の大きな体に優しく囲われて、抵抗する術を放棄せざる得なかった。

「八雲さんて、えっち」
「なんとでも」
「この医官さん、エロいです!」
「うん、うん。ひよりにだけだよ」
「当たり前です」
「嫉妬は消えた?」
「……はい」

 バカな嫉妬をしたもんだ。仕方のないことを理由に勢いで買ったナースウェア、八雲の手によってベッドの下に落とされた。
 八雲にとって、年下の若い妻の嫉妬は可愛すぎてダメだった。勢いとはいえ通信販売で買うほど、ひよりを動かしたのだから。

 そう、全ては

「俺のために斜め上を行くひよりが、大好きだよ」

 に尽きるのである。

 ひよりはもう二度とこんなことしない。嫉妬なんてしない。あとが大変なことになるから! と、大反省。
 ふと、八雲の顔がいつになくとても真剣な表情へと変わった。

「ひより。そろそろ考えようか」
「そろそろって、何を?」
「二人の子どものことさ」
「あ……そ、だね」
「ひよりの気持ちが大事だから、いいと思ったら教えてもらえると嬉しいな」

(八雲さんとの、子ども。私たちの……)

 ドキと心臓が音をたてた気がした。決して、嫌な響きではない。彼との間に子どもを授かることができたら、どんなに嬉しいだろう。と同時に、不安も襲ってくる。
 夫が長期不在のときに、自分は家と子どもを守れるだろうかと。

「今じゃなくていいんだよ。まだまだ先は長いんだから。ごめんね、困らせちゃったかな」
「ううん。そんなことない。ちゃんと考えたいもの。わたしも八雲さんとの間に、赤ちゃん欲しいよ」
「ありがとう。おいおいでいいんだ」
「はい」
「今夜はとことんひよりを甘やかさないといけないからね。さあ、俺に集中して」
「わたしを甘やかすじゃなくて、八雲さんが甘やかされる日なのに」
「じゃあ、甘えさせてもらおうか。ひより、たくさん乱れておくれ」
「それも、ちがっ……」

 ひよりが朝が遠いなと思ったのは、これで何度目だろうか。

「ところでひより。どうしてこんなことになったのかな。何が君を嫉妬させ、通販でそれを買う羽目になったのか教えてもらえないか」
「それは、その。八雲さんは大人の女性にモテそうですもん! 病院で働いたら患者さんや看護師さんたちからアプローチされそう」
「なるほど。ところで、どうして僕が病院にいると分かったのかな」
「えーっと、それは……帰ってきたとき、病院の匂いがしましたからっ」

 八雲は温和な表情でひよりに問う。しかし、ひよりはありったけの知恵を振り絞って誤魔化した。橋本二曹が写真流出による責任で叱責でされたら大変だからだ。

「そうなの? 病院って匂うんだ」
「はい、匂いますよ。駐屯地とは違いますから」
「ふうん」

(やだ! その笑顔。怖い!)


 こうして二人で過ごす貴重な週末はあっという間に過ぎていった。夫のお世話をしよう、癒してあげようと息巻いたのはいつだったか。気がつけばいつものパターンにひよりは翻弄される。かろうじて自分の身の回りのことはした! 程度である。洗濯もアイロンもお料理も、上機嫌な夫が全部やってしまった。

「明日からまた頑張れるよ。ありがとう、ひより」
「こちらこそ、何から何までありがとうございました」
「あはは。ひよりは可愛いなぁ」

 日曜日の夕方。八雲は出張の続きだと言って家を出た。あと二週間の我慢だそうだ。ひよりにとって、たまにしか会えないのは、いつもより気分が盛り上がっていいけれど体力的には厳しすぎた。

「気をつけて、いってらっしゃい」
「ああ。ひよりもね」
「はい」

 やっぱり、毎日一緒がいいなとひよりは心の中で願った。


 ◇


 そして、月曜日。

「今日は午前が外来で、午後が救急か。さて、質問あるやつはいるか?」

 東の言葉に橋本二曹が真っ直ぐに手を挙げた。

「はい!」
「橋本二曹」
「ありがとうございます。あの、隊長は週末どうでしたか? ゆっくり休めましたでしょうか」
「どうして君からそんなことを聞かれるんだ」
「安達曹長に代わって、上官の状態を把握しておく義務があるからです」
「見ての通りいつもと変わらないよ」
「そうですか。いつも以上に顔色がよろしいかと」
「ははぁん。橋本二曹、うちの愛妻になにか処方したな?」
「なっ、そ、そんな! 恐れ多いです! なにもしておりませんがっ」
「ほう……なにもしてない、か」
「はい! 自分はなにも!」
「していない、と?」
「え、あー……と、とくには……ぁぁ」

 橋本二曹のしどろもどろになる姿を見た他の部下たちは、靴の先を見ながら肩を震わせていた。

「くっ……くくく……」
「ふ、ふっ……」
「……む、ふふふ……」

 自ら墓穴を掘る先輩に、他の隊員たちは込み上げる笑いを抑えるのに一苦労だ。

「お前たち、連帯責任だな」
「「「ええええ!!」」」
「冗談だよ。何をしたかは知らんが、充実した休暇だった。さて、あと二週間しっかり働こう」
「「「はいっ!」」」

 我らの隊長は大変ご機嫌であった。


 ◇


「ひよりさん」
「若菜さん! おはようございます」
「あら、週末にご主人帰ってこられたのかしら」

 マンションのエントランスで安達夫人とすれちざう。

「はっ! バレてる……」
「ふふふ。だって、顔に書いてあるもの。お仕事? 頑張ってね」
「はい。行ってきます」

(顔に! 書いてあるって⁉︎)

 ひよりはバックから鏡を取り出して自分の顔を見た。お化粧も前髪の調子もいつも通りだ。そして念のためにと、首回りも確認した。

(うん。大丈夫。八雲さんは見えるところにつけるような人じゃないもの)

 いったいなんの心配をしているのか。仮についていたとして、流石に面と向かって聞いたりしないだろう。この二週間のひよりの様子を見てくれていた安達夫人だからこそ気づいたのだ。
 どんなに明るく活動していても、やっぱり寂しいとか心細いという気持ちは出てしまう。それに気づけるのは同じ経験をしている自衛官の妻であろう。

「顔に出ちゃうのかな。どんな時も普通に変わらないようにしているつもりなのに」

 ひよりにとってもこの週末は心身共に癒され、満たされた。それは、紛れもない事実だ。

「ふぅー。折り返し地点は過ぎたわ! がんばろう」

 エントランスを抜け外に出ると、ゴミ捨て場から迷彩姿の自衛官が現れた。今日は燃えないゴミの日だ。

「おはようございます。東さん」
「おはようございます。久世さん」
「出勤ですか? 駅まで送りましょうか? 自分、車なんで」
「ありがとうございます。でも、お天気もいいので歩いて行きます。体力つけないと」
「了解です。なにかあったら声かけてください」
「はい! いつもありがとうございます」

 いつの日だか、ひよりが若者に絡まれそうになった時に撃退してくれた通信科の隊員だ。彼もまたひよりが一人の時は気にかけて声をかけてくれる。

(八雲さんのお陰で、みんなが優しいわ)

 久世と別れマンションを出て駅に向かって歩きはじめると、少し先にまた迷彩姿の自衛官がいた。その背中は一目見ただけで誰だか分かる。
 安達陸曹長である。
 東の留守中は、ひとりで駐屯地業務を守っているのだという。

「安達さーん」

 初めて会った時は自衛官だということが吹き飛ぶくらい恐ろしく思えた。額に残る傷はどう見ても普通の人のそれではなかったからだ。しかし、今は違う。

「ひよりさん。おはようございます」
「おはようございます。歩いて出勤ですか?」
「ええ。体力維持ですよ」
「そうなんですね。あ、うちの会社の近くにマリトッツォ専門のお店ができたんです!」
「なんと! いま話題のやつですな」
「こんど買ってきますから、お茶しましょう?」
「いいですね。隊長が戻ってきたらぜひご一緒に」
「はい。では、わたしはここで」
「いってらっしゃい」
「いってきます!」

 夫がいない日々は寂しいけれど、寂しくない。マンションには同じ気持ちを知る仲間がいる。いつもお互いを気にかけて、孤立しないように見守ってくれる。

(きっと、大丈夫。わたしは一人じゃないもの)

 いつでも頼っていいと、心を許してくれる人たちがいる。だから、ひよりは夫が不在でも乗り越えられると思った。

(赤ちゃん、いつでもいいよ! 早く会いたいな!)

 そう、ここには手を差し伸べてくれる仲間がいる。決して、一人ぼっちではないのだから。
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