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多田羅の神々
16、鳴神さまの神殿で
しおりを挟む気がつくと、朱実はふかふかの布団の上に横たわっていた。まるでいつかの出来事のようだと半ば諦め気分でゆっくりと体を起こした。
「ここは彼の神殿なのね?」
ここもまた新築の神社のように木のいい香りがしていた。畳も新しく、障子も真っ白でうっすらと花の模様があった。いっけん落ち着いた部屋のように思ったが、襖と天井を見てすぐに否定した。
「派手じゃない⁉︎」
なんと障子は虎模様、そして天井も虎模様、まさかの床の間の床板も虎模様! 欄間の模様に至っては鳴門のような渦巻きであった。縁取りは金。障子のとっても金。至る所に虎柄と金が使われてあり、派手好きでお金のある権力者という感じがした。
泰然の神殿に比べると、大変騒がしい。
(暑苦しいくらいの、自己主張)
そのとき、
ターン!
激しく障子が開いた。
「娘! ようやく目覚めたか。人間はやわで困るな! 俺は待ちくたびれたぞ」
男は乱暴な動きをするが、朱実が目を覚ますまで大人しく待っていたのだ。想像していたよりも、悪い神ではないのかもしれない。
「あの、先ずはお名前をお教えいただけませんか? わたしは朱実と申します」
「そうだったな。朱実、俺の名は轟然だ。皆は俺のことを鳴神とも呼ぶ」
「鳴神さまって、夏の神様じゃないですか! ということはそちらの模様は梔子ですね」
朱実がそう問いかけると、轟然ら狩衣の袖を何度か振って見せた。
「うむ、いかにも。ほれ、俺からは梔子の気品溢れる匂いがするだろう? なんて優雅なことか。泰然の沈丁花にも劣るまい」
確かに轟然の態度とは裏葉に香る梔子は信じられないほどに甘く、また不思議と心が落ち着くようだった。いわゆる、リラックス効果が彼の香りにはあるのだ。とはいえ、本人と香りがあまりにもかけ離れすぎていて困惑してしまう。
「え、ええ、そうですね。ところで轟然さまはわたしをどうしようと?」
「遊ぶと言ったではないか」
「遊ぶ……、え?」
「玩具を買い集めてきたのだ。待っておれよ」
轟然が動いたり声を出すたびにミシミシと部屋が軋むような音がする。空気の揺れが半端ない。しかし轟然は全く気にした様子はなく、奥の部屋から何やら大きな箱を持ってきた。それらを朱実の前に大雑把に下ろすと、轟然も腰を下ろして胡座をかいた。
「さあ、どれで遊ぶ」
轟然は箱を逆さまにして中の物をバラバラと放り出してしまった。
「どれでって、うん? なにこれ……!」
箱から出てきた物を見た朱実は一瞬、言葉を失った。なぜならば辺りに散らばった物はペットショップなどで見かける物ばかりだったからだ。
毛糸玉(各色、大小複数)
けりぐるみ(鮫、海老、鰯など複数)
捕まえてごニャン
釣具セット…もとい、猫カモン!
チュウチュウマウス(2匹)
キャッチしてミー(電池稼働式)
モグラ叩き
段ボール迷路
カシャカシャトンネルボール付き
―― 他、多数!
「猫ちゃんのオモチャじゃないですか! ま、まさかですけど、轟然さまがこれで遊んでほしいのですか」
朱実は目をぎらつかせた轟然を見て身震いしながら問いかけた。
(ゴロゴロしたり、にゃーんて鳴いたり、グーした手で転がしたり、あの大きな足でかわいい鮫ちゃんを蹴り蹴りするってことなの?)
神たる者がこのような小さな玩具で遊びたいなど、想像しただけである意味恐怖を覚えた。
「え、やだっ……、やだ~。神さまなのに、猫ちゃんのオモチャで遊びたいだなんて。いくらご自分の夏が終わって暇だからって、それはないですよぅ」
(気持ち悪ぃぃぃぃ)
「おい、朱実とやら。気持ち悪いとはなんだ。勘違いをするな。これは俺の神使にやる気を出させる作戦なのだ! 手伝えという意味だぞ」
「神使! なるほど、そういう事ですね! よかったぁ。ところで、轟然さまの神使さんはどちらに?」
「いま呼び寄せよう」
轟然がパチンと指を鳴らすと、朱実の前に茶虎の塊が現れた。よく見ると先ほど鎮守の杜で見かけた茶虎の猫ではないか。
「あら! 猫ちゃん! え? 猫ちゃんが轟然さまの神使なんですか? かーわいい。やだぁ、寝てるぅ。触ってもいいですか?」
「構わんが、そやつは人間などに触れさせはせぬぞ。んんんん?」
「毛がモフってしてるぅ。もうすぐ冬になるもんねぇ。あーん、気持ちいい。癒されるぅぅ」
もふもふもふもふ……ゴーロゴロゴロゴロ……
朱実が茶虎の首や顎の下、眉間を指先でこちょこちょすると、眼を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らし始めた。これから冬に向けて今よりももっとふかふかの毛になるはずだ。
「まて、綿姫。お主何をされているのか分かっておるのか」
「お名前、綿姫っていうの? 女の子なんだ。あら、お腹なんて出しちゃって。撫でてほしいの? いーよ。いっぱい撫でてあげ……、えっ」
「どうした朱実」
「女の子じゃないですよ! 男の子ですよぉ! ひめってお姫様の姫ですね!」
「そうだぞ? それがどうした」
「どうしたって、ひめって……。女の子の名前じゃ」
朱実はお腹を撫でた時にお腹の下の方にオスの象徴を見つけ、名前は姫なのになぜここにあるのかと混乱した。
そのとき、ぽわんと綿のような煙が沸く。
「朱実殿、お久しゅうございます。大きくなりましたね。僕はいかにもあの時の猫でございます。この、鳴神こと轟然様の神使です。ちなみに名前は綿姫で合っています。メスの名前? 気にしないですね。僕が気に入ってるんで」
現れたのは朱実より少し背の高い、端正な顔立ちの青年だ。綿姫という名前とは正反対に、誰がどこから見ても立派な男性であった。
「おい綿姫、仕事が溜まっている。片付けぬか」
「えー。そんなことで僕を召喚したんですかぁ。僕はまだ昼寝の途中だったのですよ」
「神使のくせに怠慢が過ぎる。ほら、朱実が手伝ってくれるそうだぞ」
「え、待ってくださいよ轟然さま」
「にゃー? 朱実殿とならやります。朱実殿、お手伝いお願いします。僕じゃらしを持ってきてくれますか? にゃーい!」
たった今まで人間の姿をしていたのに、頭からちょこんと耳を出し、口元は猫好きにはたまらないウィスカーパッド、目はくるんと丸く、尻尾をピンと立てた半分人間、半分猫というあざとさ100%の姿になっていた。
あまりにも無邪気すぎるその態度に朱実は落ちた。
「か、かわいい……」
朱実は白いもしゃもしゃがついた猫じゃらし他数個を持って、綿姫のあとをついていった。
◇
「朱実どのぉぉ~! うひゃっ! くそぅ、今度こそその獲物捕らえるにゃー!」
「綿姫ってば、かわいい! それっ! これ終わったらあっちの書類だよ。そーらっ」
「にゃにゃ! にぁぁぁん!」
というやりとりが各部屋で行われ、とうとう朱実の体力は尽きた。ふらふらした足取りで轟然がいる執務室にたどり着いたとたん、そのまま倒れ込んで眠りについてしまった。
神使の綿姫は満足したのか、ひとの形から猫の姿に戻って朱実の隣で絶賛毛繕い中である。
轟然はポカンと口を開けてそれを見ていた。
「ふわぁぁ~。轟然様、僕も朱実殿の隣で寝ます」
綿姫はにょいーんと背伸びをし、体をほぐし終わると轟然の許可も得ぬまま朱実の懐に丸くおさまった。
「なんと! 3時間弱で片付けたとな。この娘、なかなかやるではないか。泰然め、いい娘を嫁にしたな。いや、まだ嫁にしておらんかったな。まさか手をつけていなかったとはにわかに信じがたい」
轟然は朱実が気まぐれな猫の神使にここまで気に入られるとは思っていなかったのだ。
まさか鎮守の杜の散歩を解禁したとたん、朱実と遭遇した。
「土地神であった蒼然が消え、多田羅の町の均衡が崩れた。だから大事な我が神使を神殿に封じた。しかし先の秋の大祭で狐が夫婦で舞ったと聞いて、一時的に解禁してみたらこれだ。惜しいな。あと少し早く娘の存在を知っていれば、俺の花の紋様を刻んだのに」
まじめに神の仕事をしておけばよかったなど、今更ながら後悔をしてしまう。
春と秋は似たような気候であったがゆえに風師が土地神と兼務して多田羅の均衡を保っていた。実際は春は秋に似て非なるものであり、その逆も然り。
いくら神とはいえ、全てを完璧にこなすことは難しいのだ。そこに色恋沙汰が絡めばなおのこと。
「蒼然はものにできなかったが、泰然はそれを成し遂げた。これは本気で腰を上げねばならんようだな」
轟然は何かを決心したように立ち上がると、呪文を唱えた。すると、景色が歪み空気が割れて、その向こうの世界からある人物が現れた。
「轟然……」
抗議を表しているのだろう。怒りのこもったとても低い声でその人物は轟然の名を口にした。
「怒るな、泰然。俺は一切その朱実とやらに不義はしておらぬ。綿姫と遊んで疲れて寝ているだけだ」
「はぁ……。朱実は返してもらう」
泰然は大きくため息をつくと、膝をついて朱実を大事そうに抱え上げた。
「勝手に連れ出されては困る。二度とやめてもらいたい。もし二度目があったなら」
「わかった、わかった。もう娘の意志に反して連れて来たりはせぬ。おい、泰然。それより早く己のモノにしてしまわぬか。でなければ俺以外にも娘を欲しがる奴はいる」
「じゃまをした」
泰然は轟然の言葉にこたえることなく、鳴神の神殿から音もなく消えた。
朱実が帰ったことを知らない綿姫だけが、寝息をたてている。
(朱実どの、もっとおぉ! なぉぉん♡)
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