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原田に拾われた理由

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 多摩を出て、江戸で女を拾った常世は山を越え駿府すんぷまでやってきた。のちに静岡と改名される土地である。

「ここは確か、徳川慶喜公が住まわれていると聞きました。もう謹慎生活は解かれたのですね」
「箱館戦争が終結し、明治政府になったからな。新選組だった一部の人間もそろそろ出てくる頃じゃないかと、誰かが言っていたな」
「でも土方副長は、箱館でお亡くなりになったのですよね……」
「……ああ」
「一度、お会いしたかったです」
「なんだ、新選組にいたくせに会ったことないのか」
「はい。残念ながら機会は訪れませんでした。なにせ私には剣術の腕もなく、十番組のお荷物みたいな存在でしたし。邪魔にならないようにするのに、必死でしたから」

 そんな十羽がなぜ、新選組の隊士になれたのか。
 時は慶應三年、伊東甲子太郎を新選組が粛清した年である。
 当時、十羽は逢引茶屋と呼ばれる店で働いていた。ただ、客人に茶を出すだけの簡単な仕事だった。
 ある日、女も連れずに一人の大きな男が店にやって来た。しかし、その男はずいぶんとくたびれた感じで、心に傷でも負っているのか終始うつむき加減であった。店の主人は男一人では利用できないと断ったが、その男は懐から金を出し主人の手に握らせるとこう言った。

『だったら、そこの娘を貸してくれ。なんにもしてくれなくていいから。俺は部屋をひとつ借りたいだけだ』
『でしたら、まあ仕方ありませんな。お十羽、お相手を』
『は、ははいっ』

 そのとき十羽が相手をしたのが、新選組十番組組長の原田佐之助だったのだ。
 十羽は茶を持って、主人に言われた通り男を部屋に案内した。普段ならば案内をして茶を出せば部屋を退出する。しかし、今回はこの男の相手をしなければならないのだ。
 緊張を隠せない十羽はしどろもどろになってしまう。

『こちらが、その、お布団になりまして。お休みになられる場合はご利用いただけます。それと、お身体を拭く時は桶にお湯をお持ちします。えっと……わ、わわわたしはっ、この辺りにいますのでご用の際はなんなりと』

 十羽は体格のいい男をこんなに近くで見たことがなかった。まともに顔も見れずに一気に捲し立てるように説明を終えてしまう。先ほどは何もしなくて良いと言われたが、そんな保証はどこにもない。

『あんた、名前は』
『名前はっ、十羽と申します。あの、こういった事は慣れておりませんで、その……あっと、お、お手柔らかに……』

 十羽がそういうと、目の前の男は大きな声で笑った。

『あはは。そんなに怯えなくても、俺は何もしない。ぐははは』
『も、申し訳ありません』
『謝らなくてもいい。俺はよ、ちょっと一人になりたかっただけだ。考え事ってやつだ。十羽は適当に寛いでいてくれ』

 男は十羽に、にんまりと笑って見せると窓辺に肘をついて、そのまま遠くへ意識をやった。
 男の逞しい輪郭に日がさして、その物寂しげに外を眺める姿が美しも儚く見えた。そんな男を十羽は瞬きをするのも忘れ見入った。
 すると、男の心の嘆きが伝わってくる。

(なんで助けられなかったんだ。あんだけ気を付けろと言っていたのに。アイツだけは助けてやってくれって、近藤さんは言ってたのによ。大事な仲間一人も救えねえで、何が組長だ。何が新選組だ。すまねえ平助……俺はお前の志さえ、殺しちまった……)

 男はひどく傷つき、そして悔いていた。
 その男の心の声が十羽の心をも悲しませていた。

『平助、さん。無念の死を遂げられた方ですか』
『おまえ、なんでそれを!』

 男は目を吊り上げて十羽を睨んだ。

『見ていたのか、それともおまえはっ……どっかの間者かっ』

 気づけば男は十羽の胸元を握り、首を絞めるように畳から浮かしていた。

『ぐっ……ふっ……ち、がっ。違い……ま、す』
『じゃあなんでさっき、あんなことを言った。まさかここは御陵衛士ごりょうえじの茶屋か』
『ちがっ……く、くるし』

 十羽は決してどこかの間者ではないし、ましてや御陵衛士などに知り合いはいない。仮にこの茶屋が使われていたとしても、十羽は給仕しかしたことがなく、客の身分も立場も知らないのだ。
 十羽は死を覚悟した。
 人の心が読めるなど、言っても信じてもらえるはずがない。

『おっと、死なせはしねえ。俺は気が短いんだ。本当のことを言え』
『言ったら、信じてくれますか』
『……事としだいによる』
『うっ』

 男は十羽を畳に叩きつけ、組み伏した。手足を畳に押し付けられた十羽は、ぴくりとも動くことができない。
 十羽の生死はこの男の手にかかっていた。太く大きな手が首にかかれば、簡単に息の根は止まるだろう。
 十羽は恐る恐る言葉を発した。

『声が、聞こえます。あなた様の心の……声が……』
『なんだと……ふん! 笑わせるな! 証拠はなんだ。そんなもんねえだろ』
『ならば、声を出さずにお名前を申してください。心の中で、なんでもいいのでおっしゃってください。当ててみせますから』
『悪足掻きもたいがいにしろ。よし、わかった。もしお前の言うことが本当なら、お前は俺の部下になれ。いいな』
『えっ、部下にですか』
『嘘ならば斬る。女に手荒な真似はしたくねえが、間者なら生かしておけねえ』
『分かり、ました』

 十羽に選択肢はなかった。男がどこの何者か分からないまま、部下になるのは間違いない。十羽は嫌でも、他人の心が読めてしまうのだから。

 原田佐之助、新選組組長との出会いであった。


 ◇


「で、死ななずにすんだけど原田の部下になったわけだ。運が悪すぎるだろ」
「運が、悪かったのですかね。でも隊士になってからは原田組長はよくしてくれました」
「女であることを隠して過ごしたんだろ。なかなか簡単じゃないだろうに」
「苦労はそんなに。ただ、組長付の身分を与えられたので、ほかの隊士には衆道だって思われていたみたい」
「ああ、なるほどね」

 大した実力もない者を組長が側に置き離さなければ、平隊士がそう思ってもおかしくはない。むしろ、十羽には好都合だっただろう。

 ―― 常葉もどうせ、そんなところだったんだろうな。それを土方はうまく利用していたのか。人の気も知らないで腹の立つ話だ。

「あの頃の新選組は、皆さん心に傷を負っているようでした。昔から付き合いのある仲間とたもとを分かち、そして、粛清してしまったと」
「ふんっ、内部紛争しかしていない連中が傷ついてたって? 笑わせる」
「だからっ、新選組は突き進んだんです。彼らの志を背負って、負けると分かっていても引かなかった。人は人である限り、傷つくのです!」
「なんだよ」
「すみませんっ」
「別に、謝らなくていい。で、あんた里はどこだ。親が心配してるんじゃないのか」

 十羽も過去を振り返れば、楽しさよりも苦しさや悔しさの方が勝っているのだ。逢引茶屋で働く前のことは特に思い出したくなかった。
 自分の親が幕末の動乱に紛れて、山賊まがいを生業なりわいにしていたなどどうして言えよう。もとを辿れば、武将に仕えた忍びであったなど誰が信じようか。その血筋ゆえか、十羽には心を読む術が物心ついたときから備わっていた。

「わたしに里も親もありません。さあ、日が暮れます。どこか宿を探しましょう」
「おいっ」

 十羽は同情も憐れみもいらないというように、明るく振る舞った。

「そう言えば、鉄之助殿はどちらへ向かわれるのですか。私になにかお手伝いできることがあれば」
「手伝いは無用。お供も無用だ」

 常世の答えは聞く前から分かっていた。どこか治安の良い町が見つかれば、そこに自分を置いていくことも察している。でも、常世のとりつくしまを与えない態度にはさすがに落ち込む。

「そんな……ひどい」

 年も近く、どこか境遇も似ている常世に勝手に親近感を抱き、あわよくばこの先も旅の供をしたいと思っていた。しかし、優しいのにつれない態度が常世との距離をいやおうなしに感じさせる。

「おい、泣いてるのか! なあ、泣くことないだろっ……おい。今すぐ置いていくわけじゃないぞ。おい、十羽」
「泣いてなんかっ」
「参ったなぁ。これだから女は……はあーくそ。よし、あそこの宿入るぞ。とりあえず風呂入って落ち着け」
「えっ、まってください」

 常世は妹からも、こんなことで泣かれたことはない。

 ―― 面倒くせぇ。

 なのに、放っておけないのだ。
 こんな複雑な心境を妹以外にさせられるなんて納得いかない。
 常世にとって誤算だらけの旅である。
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