ぼくの言の葉がきみに舞う

ユーリ(佐伯瑠璃)

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初めての客

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 きれいに化粧を施され、肩も胸元もさらけ出すように着付けをされた十羽。これから自分を買った男が待つ部屋に行かねばならない。気持ちも足取りも重いのに、世話役の女が後ろから背を押す。

「こんなこと、花魁でもないのに滅多にないよ。あんた、運がいい」

 自分から客を呼び寄せる事もせず、前評判も大してない十羽を買う男がいる。せいぜいお茶を出す手伝いしかしていないというのに、今夜の客は初めから十羽を指名してきたのだ。

「顔だけはいいからね、あんた。しっかり奉仕して、明日も明後日も買ってもらえるように努力しな。金払いがいい客は、本当に助かる。いいかい、忘れるんじゃないよ。床に入ったら、相手の好きなようにさせな」

 十羽は昨日から、耳を塞ぎたくなるような床の手解きを女廊たちから受けた。痛くても痛いというな、脚は思い切り開け。男が望めば一物を咥えろ、歯は立てるな、苦しくても気持ちいいといえ。そうしていれば、そのうち本当に何をされても気持ち良くなるのだと教えられた。

「暗い顔をするんじゃないよっ。笑いな!」

 今はただ、言われるがまま部屋に行くしかない。黒川の手の者は今も十羽を見ているに違いない。

「さあ、緋色この部屋だ。いいね、忘れるんじゃないよ。嫌われないように、しっかりと奉仕をしな」
「はい」
「なんだい、頼りない声だねぇ。まあいい、避けなことを喋らないだけましさ。さあ、いっておいで」

 この場から逃げるのならば、

(男が床で油断をしたとき……)

 鉄之助の姿を見たばかりに、募る想いは抑えられなかった。


 ◇


 十羽は恐る恐ると襖に手をかけ、ゆっくりと引いた。そして、習った通りに頭を下げて名を名乗る。

「緋色と申します。よろしくお願い申し上げます」
「おお! 待っておったぞ緋色さん。いやぁ、また別嬪だねぇ。ささ、こっちに来なさい。さあ」
「はい、それでは失礼いたします」

 男は通る声で十羽に早くこいと手招きをしている。大きな体、大きな手、そして大きな声に十羽は一瞬怯んだ。

(この人を欺いて、逃げられるかしら。ううん、大丈夫。私には心を読む力があるもの)

 男はこの界隈にも顔がきくのだろう。十羽に他の男がつく前に指名をした。十羽がまだ、男の前に出る前から目をつけていたことになる。十羽は特に評判が良いわけでもなかったし、どちらかというとこの世界には全く似つかわしくない女だ。男に、どうしてそのようなことができたのだろうか。
 金持ちなのか、それとも遊郭の偉い誰かと知り合いなのか。そこは謎である。

「そんなに離れていたら、酒の一杯も注げぬではないか。もっと、近くに。そうだな、ここ、ここに座れよ」

 男は隣にきて酌をしろという。男が言うのはもっともである。十羽の仕事は男をもてなすことだ。本当ならば無礼だと怒鳴られても文句は言えない状態だ。

「申し訳ありません」

 十羽は慌てて男の隣に座り、酒を注いだ。男が持つ盃はあまりにも小さく見える。盃が小さいのではない。男の指が太く逞しいのだ。

(この人、刀を握る人ね……それも、かなりの使い手)

 刀を振れない十羽にも分かるほど、男の手にはマメができた痕があるった。

「なあに、いいってことよ。今夜が、はじめてなんだろう?」
「はっ、はい」
「まあそう固くなりなさんな。とって食いやしねぇって」

 思いの外、男は機嫌を損ねていなかった。初めてなのだから仕方がないと、優しいふりをしているがそれもこの後のことごあるからに違いない。
 男は皆同じ。女の体を抱ければ大抵のことは許してくれる。そう女廊たちが言っていた。男は助平すけべだから、多少の失敗も胸を見せたり、尻を触らせてやれば喜ぶと。

(この男もきっと、腹の中は同じ。機嫌がいいのは、私を抱けるから)

 十羽は男の本心を読もうと耳を澄ませた。にこにこしているが、心の中は違うはず。

「緋色、だっけか。好いた男はいねぇのか。こんなところに連れ込まれてよ。足抜けしたいって、思わねぇのか」
「足抜け、そのようなことは」
「まあ、本当のことなんざ言えねぇよなぁ」
「私が足抜けをしても、行くところがありませんから」
「そうかねぇ。おまえさん、別嬪だしよ、すぐに貰い手がつくと思うんだよなぁ。うちの若ぇやつなんか、おまえさんに似合うと思うんだ。ちょっとツンケンしてるけどよ、根はいいやつだぜ?」
「はあ……」

 この男が十羽を買ったのに、好きな奴はいないのか、うちの若い者に合うと思うなど、よく分からないことを言う。

「おまえさんのことをよ、ずうっと気にかけてんだよ。連れ出してぇけど、自分には力がないってへそ曲げてよ。若いって、いいもんだよな」
「あの? 仰ることがよく分からないのですが」
「なあ、緋色。俺を信じちゃみねぇか。もしおまえさんに、好きな男がいるっていうなら……」

 男がそこまで話すと、女中が膳を持って入ってきた。

「失礼いたします」
「おう、うまそうだな。緋色、食わしちゃもらえねぇか」
「は、はい」

 男は突然、十羽の腰を引き寄せて顔の近くでそう言った。口をあんと開けて、食わせてくれと待っている。十羽は箸を持ち酒の肴になりそうなものを適当に口に持っていった。男は満足げにそれを食べた。

「緋色は、いい女だ」

 十羽の腰に置かれた男の手が、女中に見せびらかすようにゆっくりと動き、十羽の尻を何度か撫でた。

「やっ……」

 十羽は驚きのあまりに声を出す。それを聞いた男は口を開けて笑う。

「がははは。初々しくていいねぇ」

 膳を運んできた女中はそんな二人をちらりと認め、静かに部屋を出て行った。
 十羽は急に体に触れられて、どうしていいか分からずに硬直していた。もしやこの流れで、太ももや胸を揉まれるのではないかと考えた。
 十羽の体は男の逞しい腕に抱きとめられてしまっているので、身じろぎひとつもできやしない。

「すまねぇ。無体な真似をした」
「あのっ?」

 男はそっと、十羽から手を離した。何が何だか分からなくなった十羽は、畳に手をついたまま男の顔を見上げた。

(どういう、ことなの? この方はいったい、何を考えているの……えっ、どうして。心が、読めない!)

 どうしてか分からない。男の心の声が全く聞こえてこないのだ。こんなことは、初めてであった。

「とりあえず、長居は無用ってことは分かったぜ。緋色、そろそろ覚悟してくれよな」
「えっ、あの、そのっ」

 男は十羽の手を掴み、そのまま十羽を肩に担いでしまった。じたばたしようとも、男にはまったく支障がないようでそのまま奥の間に連れていかれる。
 そこには布団が敷かれている。

(うそ、もう、始めるの!)

 男の心の声が聞こえないのが怖かった。何を考えているのかまったく分からない。せめて、今から抱いてやるとか、どうやって脱がせてやろうかなど、囁いて欲しいものだ。

「だ、旦那様っ。きゃっ」

 とさり、と十羽は布団の上に下ろされた。見上げると男が十羽を跨いで立っている。その顔に表情はない。

(怖い!)

 男は黙ったまま膝をついた。十羽との距離がしだいに詰まる。十羽は思わず着物の襟をぎゅっと握った。どうしても、抱かれたくないという意志。しかし、男はどんどん十羽に近づいてくる。とうとう男に顔の横に手をつかれた。十羽はぎゅっと目を瞑る。

「いいか、よおく聞いてくれよ? 緋色こと、お十羽ちゃんよ」
「なっ、なっ、なぜその名を!」
「しぃーっ」

 男は十羽の口を手で塞いだ。大きな声は出してくれるなという意味だろう。男はちらちらと四方を確認するように視線を散らす。

「ここの主人は手強いんだよ。なあ、お十羽ちゃん、悪いようにはしねぇ。だまって俺の言うことを聞いちゃくれねぇか」

 男は十羽を組み敷いた。性急なその動き、抗ってもぴくりとも動かない大きな体。なによりも男の言っている意味がわからない。あげく、心の声も聞こえてこない。
 男に抱かれることが今の十羽の仕事だ。そうはいっても、やはり嫌なものは嫌なのだ。なんとか逃げ出したいと思っていた。しかし、男は十羽の名前を知っており、ここの主人が手強いことも知っていた。十羽の頭の中は混乱を極めている。

「い、いやっ……うっうう」
「おいおい、参ったなこりゃ。もうこの辺が潮時かもしれねぇな」

 男が天井を見上げると、カタンと小さく乾いた音がした。なんと天井裏から、黒装束の人間が音も立てずに降りてきたのだ。

(誰! なにが、始まるの!)

 忍びのようないでたちで現れた者。小柄な体躯が男とは対照的で目を引いた。

「すまねえ。泣かせちまった……」
「なにをやっているのですかっ。とりあえず、ここから出ましょう」
「俺が店の人間どもの気を引いておくから、あとは頼んだぜ。店から出さえすれば、アイツが何とかしてくれるだろ。死ぬなよ」
「そんなヘマはしませんよ」
「なんだ、おまえ。ずいぶんと逞しくなったな」
「そのことは後で」
「おう、気をつけていけ。それから、お十羽ちゃんよ。こいつから離れんなよ」

 ますます何が何だか分からない。
 十羽は、大柄の男から黒装束の小柄な男に引き渡された。分かったことは、ここから脱出するということくらいだ。

「あのっ」
「説明はあとで!」
「きゃっ」

 黒装束の小柄な男は刀を大柄の男に投げ渡し、十羽を抱き上げて降りてきた天井に再び舞い上がった。

 十羽の鼻先に懐かしい匂いがした。
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