ひみつのおと

たきたたき

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卯月編 - April

第十四話

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A SIDE

「それでは次に肩甲骨と鎖骨の使い方に進みましょうか。と、体操の時間のようになってしまうと思うのですが構いませんか?」
「はい。お願いします。」
 体の使い方講座はまだまだ続く。腕と肩からの脱力からの話の流れだけれども、特にドラマーは知っておいて良いことかもしれないしということで引き続き説明をすることにした。
「肩甲骨は分かりますか?場所を指で指してみて下さい。」
 流石に知っていたようなので話を進める。
「これからする運動は、いきなり力一杯押し込むと変なところがったりしますので、自身の体と相談しながらゆっくりで。」
 と次に壁に手をついて腕を張り、そのまま肩甲骨の間、背中の中心から鳩尾みぞおちの少し上を通過するイメージで壁に押し付けてもらう。そうすると自然と肩甲骨は浮き上がる。最初は戸惑っていた杜谷さんも、背中の中心を古賀さんに押してもらうとその感覚も理解出来たようだ。続いて逆側に丸まるという運動を交互に何回か続けてもらった。
「これが問題無く出来るようになったら、今度はまっすぐ立って手を下ろしたまま肩の位置を変えずに肩甲骨だけを動かしてみましょう。こんな感じです。」
 目の前で実際に動かしてみせる。勿論すぐに出来るとは思ってはいないが、こうして実際に人が肩甲骨だけを動かすことが出来ると言うのを認識させるのが大事なのである。
「こうして肩甲骨が自由に動くようになれば、胸部が開くと閉じるという感覚が解るようになります。ドラムを叩く上で開くという動作を捻る動きと組み合わせるとスムーズに腕が動くようになると思います。こんな感じです。」
 実際に開くと閉じるの動きを見せ、それに体を捻るを加えて見せた。
「では次に鎖骨を動かしてみましょう。」
 右手の中指を右肩に当てさせて、視線を右肘に注視しながら右肘を大きく回してもらう。次にそのまま左手を右の鎖骨に当てながら今と同じ運動をしてもらい、右の鎖骨が実際に動くのを確認してもらう。外回りと内回り、更に左肩に移ってとじっくり動かしてもらった。これはすぐに出来たようだ。
「これは肩から腕を動かすのではなく、鎖骨と肩甲骨から腕を動かす練習です。こうして回している手と逆の手で鎖骨に触れば実際に動くのが分かると思います。」
「はい、鎖骨が動いてるの分かります。」
「これらの肩甲骨と鎖骨の今の運動を毎日十回ずつで良いのでやってみて下さい。今は意識して動かせていないのでそんなにですが、毎日少しずつ続ければ可動域が広がっていくと思います。これは今まで意識して動かしてこなかった骨や筋肉を意識して動かせるようにするということです。」
「は、はい。」
「今教えたこれらは、あくまでそこが動くのを知っているかどうかの問題で、何日か続けて各部位が問題無く動くようになればそれで結構ですので。えーっと、難しく言っていますが、これは筋トレでは無く、手を握る動作のように当たり前にその動作が出来るようになればそれで十分と言う話です。今まで動かせなかった、動くとさえ思っていなかったものが当たり前に動くようになればそれで良いと。そういうことです。伝わってますかね?」
「分かりました。やってみます。」

「では次に進めます。次は右腕を真上に上げてから力を抜いて、肘から手首へと下に落ちる際の手の軌道を観察して下さい。」
「軌道?」
「どういうルートをたどって手が下に落ちるのかです。」
 私がまずやってみせると、杜谷さんや古賀さんも実際に試しながら軌道を確かめている。
「それが自然な体と腕の仕組みです。この軌道は体に負担がかかりにくい自然な軌道を、体自身が教えてくれているということです。と言っても実際にドラムを叩く際に肘が肩より上に手を上げることはほとんど無いとは思いますが、今は概念として聞いておいて下さい。」
「はい。」
「この腕の軌道と脱力と合わせて打ちます。そして手首から上げてスティックを返してまた打ちます。ここで大事なのは体にストレスを与えないスティックと腕の軌道を覚えると言うことです。極端なことを言えば、ドラムというのは棒で物を何百何千何万回と叩く楽器です。当たり前ですがその分の反発力のダメージも体に返って来ることになります。ですので、返ってくる力をきちんと逃さなければ体にダメージが蓄積していきます。腱鞘炎けんしょうえんになったりというのがその代表例ですね。そういう点で無理の無いストロークと脱力というのはとても大事なことなのです。」
 必死にメモを続けている
「大事なことは、脱力と体に負担を掛けない角度、フォームです。まずは両肩を固めずに落として、適度に脇を締めることから始めてみて下さい。そしてドラムの練習の際にはフォーム確認のために必ず鏡を見て練習してみて下さいね。」
「はい、やってみます。」

「次は足ですね。今、小中学校では行わないと聞いたのですが、立位体前屈。足を伸ばしたまま手のひらが地面に届きますか?」
 古賀さんが我先にとやって手のひらが届いている。川北さんも指先が届いた。
「私、体が硬いので届きません。」
 杜谷さんは届かないようだ。
「では古賀さん。今度は手のひらを天井に向けて、その姿勢から手のひらをできるだけ遠くに前にゆっくりと手を下ろして、もう一度前屈をやってみて下さい。」
 当たり前だが古賀さんの指は地面に全然届かない。
「はい、ありがとうございます。実はこれ、体が柔らかいとは関係無く、股関節を上手く使えてるかどうかというのもありまして。」
 そう言って私は前屈をした。なんなら肘が地面に着こうかというところまで私は届く。
「エグっ!」と言ったのは古賀さんだろうか?
 それから股関節を意識して体を曲げる方法を教えた。
「両方の手の薬指と小指をふとももの付け根、一般にはビキニラインと呼ばれるのでしょうか。まずはそこに当てます。」
 ややこしい話にしたくはないので、反応される前に話をどんどん進める。実際にやってみせると話が早い。
「そしてこのまま薬指と小指を太ももと下っ腹で挟むように体を折り曲げます。これでどうですか?地面に指が届くようになりませんか?」
「ほんとだ。届くようになりました。」
「今のは股関節で体を折り曲げると言うことをしました。こうして股関節で上半身を折り曲げられると言うことは、逆に股関節で折り曲げて足を上げるということも可能になるはずです。股関節を意識すればイスに座った際、足を使うという感覚も少し違ってきます。よければ試してください。」
 実際に背中は伸ばしたまま膝だけを上げてみせる。それに釣られてみんなも試している。

「次は骨盤についてですね。骨盤の傾きというのは実際に骨盤を掴んでみて、大袈裟に傾けるのが一番分かりやすいと思いますが、いかんせん不格好になってしまうので今は私がやります。皆さんは家で試してみて下さい。」
「は、はい。」
「とは言え、とりあえずは皆さんで腰の出っ張った骨を掴んでみましょう。今まで生きてきて骨盤を手で感じたことがないと言う人もいるかも知れないので、これだけは今一緒にやってみましょう。」
 人差し指を前、親指を後ろにして手のひらを下に、実際に骨盤を掴ませてみた。
「はい。それではこれから先は私がしますので、皆さんは一度座って下さい。」
 私はそのまま横を向き、骨盤を極端に前傾させる。
「骨盤を極端に前傾させると頭が前に垂れるので、その分、上体を起こして姿勢を真っ直ぐにしようと背骨を後ろに反る必要が出ますね。これが出っ尻、反り腰の状態です。」
 その説明を聞きながら必死にノートに書いている。
「次はその逆に骨盤を後傾してみます。当たり前ですがこうすると上半身や頭が後ろに行きますので、上体を起こしバランスを取ろうと首が前に出る形になります。猫背やストレートネックと呼ばれる形に近づきますね。」
 引き続き必死にノートを取っているので少し待ってから続きを話す。
「何が言いたいかですが、骨盤の傾きというのが姿勢に直結しているということなんです。」
「なるほど。」
「人によっては左右の骨盤の高さで、骨盤のゆがみというのを認識されているかもしれませんが、こうして前後でも歪みというのは存在するのです。」
「確かに。言われてみればです。」
「それと背骨についてですが、背骨というのは横から見ると緩やかなカーブがついていて、頭の重さを受け止めるクッションの役割を担います。背骨がたわむことで人は体を起こしていられるとも言われますので、良い姿勢を心掛けてと必要以上に背骨を伸ばすのは運動に対して逆効果という場合もあります。ですので適度に撓み、力まないことを心がけて下さい。今拝見する限り、杜谷さんはドラムを叩く際に無理に背骨を伸ばしすぎて、結果フォームが手打ち気味になってる気がします。」
 杜谷さんは恐らくドラムを叩く際に姿勢良くと注意され続けたのだろう。背筋を伸ばし過ぎたりで必要のない無駄な力みが体に出ている。これでは早々に体にガタが来るのは明らかである。
「私、ずっと猫背っぽい感じで姿勢が良く無くって、姿勢を正してとかってずっと言われてたんです。そういうことだったんですね。」
「姿勢の話はきちんと説明してもらえないと分からないですよね。ただ前傾姿勢になることで内臓が圧迫されて呼吸がし辛くなれば単純にパフォーマンスが下がるので、姿勢を正せと言うのはある意味、間違ってはいないんですけどね。」
「あー、内臓が圧迫って、そっかぁ確かに。…なるほどなぁ。じゃあ息が上がりやすいのもその所為やったんかなぁ。」
 杜谷さんが鏡を見ながら姿勢を試している。それを横目にさっと壁に掛かっている時計を見る。

「あの、先生。ドラムのイスの高さってどうですか?私このくらいで良いんでしょうか?」
 今度は杜谷さんが鏡で自身の座った姿勢を見ながら私に質問を投げてきた。確かに杜谷さんのイスは少し高い気がする。しかしイスの高さも個性なので今は話に出さないようにしていたのだが。
「イスの高さは、踏んでみて踏みやすい高さ…当たり前のことなのですが、に合わせるのが一番だと思います。それにイスとペダルの距離で膝の角度も変わってきますので、まずは膝の角度を九十度というイメージから調整するのが良いかと思います。それと今やっている姿勢について試したその結果でも、イスが高い低いというのが出てくると思いますので。」
「なるほど、距離もかぁ。…あっ、話途中にしちゃってすみません。」
 そうやって謝りながらもメモを取り続けている。
「いいえ、大丈夫です。質問するというのは大事ですよ。」
「ありがとうございます。すみません、先生進めて下さい。」

「ドラムに限らず、演奏というのはいかに体や指を上手に使えるかということです。よく反復や基礎練習と言いますが、それ以前に体の使い方を知らなければ上達がスムーズに行かないと私は考えます。ですのでこうやって自分の体、人間の体について知り、自身で考えてみるというのも良い機会なのかなと私は思うのです。」
「なるほどなぁ。確かに気にしたこと無かったなぁ。」
 川北さんがつぶやいた。
「最後についでですがもう一つだけ。今日話した内容ではこれだけがエクササイズですので。足の指をグーパーしてみましょう。今は靴を履いているので難しいと思いますが、家で寝る前などにやってみて下さい。指を反るのではなく開くのです。」
 みんな靴を履いているので、自分の手を指に見立てて説明する。
「ということで、体の使い方についてはこんなところですかね?」
 一体何の説明をしているのだ私は。
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