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第一章

プロローグ

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 たった一人の家族だった父、吉岡よしおか黒曜こくようが一か月前に他界した。
 父には親兄弟親族は私以外いなかった。会社勤めはしておらず常に家にいて、友人もいなかったので葬儀らしい葬儀はしなかった。母は死別ではなく離縁なのでどこかにいるのだろうが連絡先どころか名前すら知らない。それに離縁したのなら連絡されても困るだろう。
 そうして孤立した私に遺されたのは、父の持ち家だったこの古い日本家屋の一軒家と父の私物だけだった。

「形見分けする人なんていないけど整理くらいはするかな」

 父の自室は仕事部屋を兼ねていた。立ち入り禁止を言い渡されていたが、取り立てて足を踏み入れたいとは思わなかった。何しろ置いてある物が異様なのだ。そしてこれが母と離縁することになった要因でもある。

 父の部屋へ入ると、大きな水槽が所せましと並べられていた。水槽の中にはぎっしりと金魚鉢が敷き詰められている。
 これだけでも異様だが、さらに異様なのは西洋剣と銃、漁師網が所狭しと積み上げられていることだ。

「一体何をしてたんだか」

 私は父の職業を知らない。ただ西洋剣と銃、漁師網の三種類を延々と作っていた。時折これらを持って出かけ、売上だといって金を持って帰ってくる。
 この怪しい自営業が我が家の収入源だったのだが、母はこんなことは止めて普通に働いてくれと言っていたらしい。けれど父は聞かずにこれらを作り続け、耐えかねた母は五歳にもならない私を父に任せ出て行ってしまったという。
 私は物心ついた時からこれだったので慣れているが、この品揃えに何の意味があるかは私にも分からない。分かるのは廃棄に多大な手間と費用が掛かるということだ。
 どうしたものかとため息を吐くと、漁師網がぎっしりと詰め込まれた両手で抱えられる程度の水槽に紙が貼りつけられていた。
 そこには『常夜納品(鯉屋分)』と書いてある。

「え。まさか注文入ってたのかな。どうしよ」

 もし客が待っているのなら届けるか断りの連絡を入れなくてはいけないが、納品先のことなど聞いたことも無い。
 父はスマートフォンを持っていなかった。おそらく連絡先を書き留めているメモなどがあるはずだ。作業机に備え付けの引き出しを開けていくが、どれもこれも作業用工具が入っているだけだった。最後になった一番下の大きな引き出しに手をかけると、それは片手で引き出せないほどずっしりと重い。
 持ち上げるようにして引き出すと、中からじゃらじゃらと石がぶつかるような音がした。ぐいと全て引っ張り出すと、姿を現したのは天然石やガラス玉、宝石のように輝く様々な石だった。他にもチェーンやストラップなど、多種多様なアクセサリーパーツまでもが揃っている。

「ああ、ここにあったんだ」

 これも父の仕事道具だが、唯一私が手伝っていた物だ。
 父は日に数時間は必ず私と二人で数珠作り――腕輪を中心としたアクセサリー作りをした。ここはこの部品を使え、ここはこういう結び方をするんだ、と細かなこだわりを持っていた。
 これも要望があるから作ってるということだったが、私にとっては口数が少ない父との貴重なコミュニケーション時間だった。特に手芸が好きだったわけでは無いが、父の笑顔を見ることができる時間はとても大切だった。
 完成した時の嬉しそうな笑顔を思い出しながらパーツケースを出して見ると、一番下に父の名を思わせる黒曜石のような宝石箱があった。
 始めて見るそれを開けてみると、中にはラピスラズリ――私の名前でもある瑠璃るりの石がぎっしりと詰まっていた。

「……お父さん」

 父は最後まで何かを作り続けていた。長年やっている割には不器用で、いつも何処かを怪我していた。
 これが私に遺された全てだった。
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