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episode11
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そして翌日。
おでこに大きな絆創膏を貼ったまま出勤した美咲を見て、さすがの漆原も心配して声を上げた。
「おまっ、それ! 何、まさかお前もやられたの!?」
「そうですよ! あのクソジジイ!」
まじか、と漆原は呆然としてぼそりと呟いた。
大きな怪我は額だけだったが顔中に小さな擦り傷ができていて、腕も擦りむいて血が滲んだ跡がある。どれも大した事は無いが、漆原はひどく苦しそうな顔で俯いた。
「……中まで送ってやりゃ良かったな」
「若手アンドロイドエンジニア代表なんて来たらクソジジイの血管切れますよ」
「そういう事じゃなくてだな……いや、いい。ちょっとこっち来い」
はあ、と漆原は大きくため息を吐くと、ちょいちょいと指を動かして美咲をフリースペースまで連れて行く。
「何ですか?」
「お前の祖母ちゃんて久世裕子で合ってる?」
「え? はあ、多分。って、何で漆原さんそんな事知ってるんですか」
「……久世裕子が誰だか分かってねえなお前」
「祖父も父も私には隠してたからあんまり」
「お前アンドロイド史の講義受け直して来い」
漆原はノートパソコンを立ち上げると、カタカタとキーボードを叩いた。
そしてブラウザには若い女性の画像が映し出されていた。きりりとした目つきは凛とした、というよりも少しキツい印象だ。シャープな顔立ちとすらりとした長身はモデルのようだった。
漆原はモニターをくるりと美咲の方に向ける。
「誰ですかこれ」
「久世裕子。アンドロイド心理学の第一人者と言われる人だ」
アンドロイド心理学とは、アンドロイドの心と行動を研究する学問だ。
ここ十数年で一分野として確立されたばかりで、未だに賛否両論がある。
アンドロイドはプログラムで動くのだから『心』など無いという人間が大多数を占めていた。だがパーソナルの研究が進み研究者も増えた事で『性格はAIによって変わり、それらの編纂こそが心だ』と唱える人間が増え始めた。
さらにはアンドロイド依存症が拡大した事で、アンドロイドの行動が人間に与える精神面の影響力が重視され学問として確立するに至った。
「こんな新ジャンルの第一人者が祖母世代なんてあり得なくないです? 別人ですよ」
「いや、久世大河氏の妻なら間違いなく久世裕子博士だ」
「何でお祖父ちゃんの名前まで知ってるんですか?」
「この前表札見たろ。ほら、これ」
「……これ……」
漆原のパソコンモニターに表示されていたのは五十年以上昔のニュース記事だった。
「久世大河議員辞職……議員!? 議員て、議員!?」
「本当に知らないのかよ。久世大河といやクソジジイ日本代表みたいな奴だぞ」
「……え?」
記事を読め、と漆原はモニターをコツコツと突く。
そこにはいくつもの表題が並んでいて、特に大きくピックアップされているのが二つあった。
「久世裕子博士の引退が久世大河議員から発表された。裕子博士から意思表明はされておらず――って、なんでお祖父ちゃんが発表してんですか」
「大河議員は女性は家庭にいるものだ、ってタイプなんだな。裕子博士本人の意思も学会の許可も何もなく発表したんだよ」
「は~!?」
「当時はアンドロイド心理学なんてまだ無かったよ。この頃はまだアンドロイドの行動分析くらいだ。それをアンドロイドの心理と紐づけるきっかけになったのが裕子博士の研究だったんだ。アンドロイド史で聞いた覚えは?」
「……あの、ええと……」
「あのな、歴史を知るってのは大事なんだよ。過去の失敗を知らなきゃ成功は無い。勉強しとけよ」
「はーい……」
「で、勝手に引退させられたんだな。研究室にあった彼女の持ち物も廃棄されて学会の除名手続きまでしてる」
「既にクソなんですけど、さらにクソっぽい単語がここに」
「同じ男としてはこっちの方がクソだな」
美咲の指差した先に書いてあるのは議員だの研究者だの、職業は全く関係無い言葉だった。
「愛人三股。大河議員に慰謝料七千万円を請求……」
「若手注目株の裕子博士を引退させたあげく女遊び。これが原因で裕子博士は家を出た――って報道だな」
「ガチでクソジジイじゃないですか」
「人の身内に向かって言いにくいがガチのクソジジイだ」
スクロールすれば似たような記事が幾つも並んでいる。
横領等の金銭に関する汚い話は見当たらないが、それでも女性に関する記事がずらずらと並んでいる。
ニ十歳年下の女性と浮気だの援助交際だの、これが自分の祖父だなんて信じられなかった。
「……初めて聞きました、こんなの……」
「まあ五十年も昔の話だし。娘に聞かせたくないだろ、こんなの」
こんな話、祖父も共に住む家で両親が美咲に説明するとなると、一体何から切り出すのか迷うだろう。
だがこんな形で、それも上司から聞かされてこんな恥ずかしい思いをするなら先に知っておきたかった、と美咲は唇を噛んだ。
美咲が小さく震えているのに気付いたのか、漆原はぽんっと頭を撫でてくれる。
「祖父さんアンドロイド嫌いって言ってたよな」
「はい。思わず孫を殴るくらいには」
「それは多分これが原因だろうな」
これ以上何があるんだと美咲はため息を吐いた。
恐る恐る漆原の指先を見るとそこには久世裕子の記事が書かれていた。
「久世裕子博士アンドロイドと駆け落ち……!?
「家を出た時に当時一緒に暮らしてたアンドロイドを連れていったらしい。それが若い男性型だったんだ」
「若い男性型……」
はたと実家で見た写真を思い出した。
家族三人以外にA-RGRYの姿が映っていた。
若い男性型だ。
「で、でも、何で駆け落ちなんですか。アンドロイド連れて歩くのなんて普通です」
「当時は業務用以外のアンドロイドと暮らす事自体が奇異だった。しかも裕子博士はアンドロイドの気持ちに寄り添うべきだと提唱していた。夫の浮気、アンドロイドを人間と同一視する考え方、そしてA-RGRY」
「……駆け落ちとは限らないじゃないですか……」
「俺もそう思う。これは報道の悪意だ。連中は面白い話題が欲しいだけなんだよ、所詮」
「話題、ですか……」
母と自分に手を上げた祖父が、かつては祖母をも追詰め苦しめていた事実が許せず美咲はぎりっと拳を握りしめた。
「……まあ、こんな話をしたのには理由があってだな」
漆原はパタンとノートパソコンを閉じた。
だが今度は一冊の雑誌を取り出した。それは漆原が表紙を飾ったアンドロイドに関する雑誌で、つい先月発売になった物だった。
美咲は何だかんだ言いながら予約をしてまで購入している。
その雑誌を漆原はパラパラとめくり、巻末の小さな記事を指差した。そこにはアンドロイド心理学に関する内容が綴られていて、筆者は久世裕子と記載されていた。
「え?」
「絶賛連載中なんだよな」
「……え? てことは」
「お前の祖母ちゃん、生きてるんじゃねえの?」
美咲は雑誌を取り上げ、じいっとその記事を睨んだ。
そこには確かに久世裕子の名前が書かれている。けれどこんな話は祖父からも父からも聞いた事は無かった。
「確かお前アンドロイド研究反対されてたんだよな。その理由はコレじゃないのか?」
何故父がアンドロイドを嫌っているのか、美咲はその理由を知らなかった。
好きになれないと言ってそれ以上は話をしなくなるが、思い返せばどこか傷付いた顔をしていたのが美咲の脳裏に浮かんだ。
アンドロイドに恨みはなくても、出ていった母親が連れて行ったのは自分では無くアンドロイドだったなんて、子供心にもそれは傷が深いだろう事は想像がついた。
「お父さん……」
「俺からは以上。どうするかは自分で考えろよ」
「……はい……」
今日はもう帰ってもいいぞ、と漆原は美咲の頭を撫でてくれた。
けれど美咲はその手の温かさに気付く事はできず、ただじいっと祖母の名前を見つめていた。
おでこに大きな絆創膏を貼ったまま出勤した美咲を見て、さすがの漆原も心配して声を上げた。
「おまっ、それ! 何、まさかお前もやられたの!?」
「そうですよ! あのクソジジイ!」
まじか、と漆原は呆然としてぼそりと呟いた。
大きな怪我は額だけだったが顔中に小さな擦り傷ができていて、腕も擦りむいて血が滲んだ跡がある。どれも大した事は無いが、漆原はひどく苦しそうな顔で俯いた。
「……中まで送ってやりゃ良かったな」
「若手アンドロイドエンジニア代表なんて来たらクソジジイの血管切れますよ」
「そういう事じゃなくてだな……いや、いい。ちょっとこっち来い」
はあ、と漆原は大きくため息を吐くと、ちょいちょいと指を動かして美咲をフリースペースまで連れて行く。
「何ですか?」
「お前の祖母ちゃんて久世裕子で合ってる?」
「え? はあ、多分。って、何で漆原さんそんな事知ってるんですか」
「……久世裕子が誰だか分かってねえなお前」
「祖父も父も私には隠してたからあんまり」
「お前アンドロイド史の講義受け直して来い」
漆原はノートパソコンを立ち上げると、カタカタとキーボードを叩いた。
そしてブラウザには若い女性の画像が映し出されていた。きりりとした目つきは凛とした、というよりも少しキツい印象だ。シャープな顔立ちとすらりとした長身はモデルのようだった。
漆原はモニターをくるりと美咲の方に向ける。
「誰ですかこれ」
「久世裕子。アンドロイド心理学の第一人者と言われる人だ」
アンドロイド心理学とは、アンドロイドの心と行動を研究する学問だ。
ここ十数年で一分野として確立されたばかりで、未だに賛否両論がある。
アンドロイドはプログラムで動くのだから『心』など無いという人間が大多数を占めていた。だがパーソナルの研究が進み研究者も増えた事で『性格はAIによって変わり、それらの編纂こそが心だ』と唱える人間が増え始めた。
さらにはアンドロイド依存症が拡大した事で、アンドロイドの行動が人間に与える精神面の影響力が重視され学問として確立するに至った。
「こんな新ジャンルの第一人者が祖母世代なんてあり得なくないです? 別人ですよ」
「いや、久世大河氏の妻なら間違いなく久世裕子博士だ」
「何でお祖父ちゃんの名前まで知ってるんですか?」
「この前表札見たろ。ほら、これ」
「……これ……」
漆原のパソコンモニターに表示されていたのは五十年以上昔のニュース記事だった。
「久世大河議員辞職……議員!? 議員て、議員!?」
「本当に知らないのかよ。久世大河といやクソジジイ日本代表みたいな奴だぞ」
「……え?」
記事を読め、と漆原はモニターをコツコツと突く。
そこにはいくつもの表題が並んでいて、特に大きくピックアップされているのが二つあった。
「久世裕子博士の引退が久世大河議員から発表された。裕子博士から意思表明はされておらず――って、なんでお祖父ちゃんが発表してんですか」
「大河議員は女性は家庭にいるものだ、ってタイプなんだな。裕子博士本人の意思も学会の許可も何もなく発表したんだよ」
「は~!?」
「当時はアンドロイド心理学なんてまだ無かったよ。この頃はまだアンドロイドの行動分析くらいだ。それをアンドロイドの心理と紐づけるきっかけになったのが裕子博士の研究だったんだ。アンドロイド史で聞いた覚えは?」
「……あの、ええと……」
「あのな、歴史を知るってのは大事なんだよ。過去の失敗を知らなきゃ成功は無い。勉強しとけよ」
「はーい……」
「で、勝手に引退させられたんだな。研究室にあった彼女の持ち物も廃棄されて学会の除名手続きまでしてる」
「既にクソなんですけど、さらにクソっぽい単語がここに」
「同じ男としてはこっちの方がクソだな」
美咲の指差した先に書いてあるのは議員だの研究者だの、職業は全く関係無い言葉だった。
「愛人三股。大河議員に慰謝料七千万円を請求……」
「若手注目株の裕子博士を引退させたあげく女遊び。これが原因で裕子博士は家を出た――って報道だな」
「ガチでクソジジイじゃないですか」
「人の身内に向かって言いにくいがガチのクソジジイだ」
スクロールすれば似たような記事が幾つも並んでいる。
横領等の金銭に関する汚い話は見当たらないが、それでも女性に関する記事がずらずらと並んでいる。
ニ十歳年下の女性と浮気だの援助交際だの、これが自分の祖父だなんて信じられなかった。
「……初めて聞きました、こんなの……」
「まあ五十年も昔の話だし。娘に聞かせたくないだろ、こんなの」
こんな話、祖父も共に住む家で両親が美咲に説明するとなると、一体何から切り出すのか迷うだろう。
だがこんな形で、それも上司から聞かされてこんな恥ずかしい思いをするなら先に知っておきたかった、と美咲は唇を噛んだ。
美咲が小さく震えているのに気付いたのか、漆原はぽんっと頭を撫でてくれる。
「祖父さんアンドロイド嫌いって言ってたよな」
「はい。思わず孫を殴るくらいには」
「それは多分これが原因だろうな」
これ以上何があるんだと美咲はため息を吐いた。
恐る恐る漆原の指先を見るとそこには久世裕子の記事が書かれていた。
「久世裕子博士アンドロイドと駆け落ち……!?
「家を出た時に当時一緒に暮らしてたアンドロイドを連れていったらしい。それが若い男性型だったんだ」
「若い男性型……」
はたと実家で見た写真を思い出した。
家族三人以外にA-RGRYの姿が映っていた。
若い男性型だ。
「で、でも、何で駆け落ちなんですか。アンドロイド連れて歩くのなんて普通です」
「当時は業務用以外のアンドロイドと暮らす事自体が奇異だった。しかも裕子博士はアンドロイドの気持ちに寄り添うべきだと提唱していた。夫の浮気、アンドロイドを人間と同一視する考え方、そしてA-RGRY」
「……駆け落ちとは限らないじゃないですか……」
「俺もそう思う。これは報道の悪意だ。連中は面白い話題が欲しいだけなんだよ、所詮」
「話題、ですか……」
母と自分に手を上げた祖父が、かつては祖母をも追詰め苦しめていた事実が許せず美咲はぎりっと拳を握りしめた。
「……まあ、こんな話をしたのには理由があってだな」
漆原はパタンとノートパソコンを閉じた。
だが今度は一冊の雑誌を取り出した。それは漆原が表紙を飾ったアンドロイドに関する雑誌で、つい先月発売になった物だった。
美咲は何だかんだ言いながら予約をしてまで購入している。
その雑誌を漆原はパラパラとめくり、巻末の小さな記事を指差した。そこにはアンドロイド心理学に関する内容が綴られていて、筆者は久世裕子と記載されていた。
「え?」
「絶賛連載中なんだよな」
「……え? てことは」
「お前の祖母ちゃん、生きてるんじゃねえの?」
美咲は雑誌を取り上げ、じいっとその記事を睨んだ。
そこには確かに久世裕子の名前が書かれている。けれどこんな話は祖父からも父からも聞いた事は無かった。
「確かお前アンドロイド研究反対されてたんだよな。その理由はコレじゃないのか?」
何故父がアンドロイドを嫌っているのか、美咲はその理由を知らなかった。
好きになれないと言ってそれ以上は話をしなくなるが、思い返せばどこか傷付いた顔をしていたのが美咲の脳裏に浮かんだ。
アンドロイドに恨みはなくても、出ていった母親が連れて行ったのは自分では無くアンドロイドだったなんて、子供心にもそれは傷が深いだろう事は想像がついた。
「お父さん……」
「俺からは以上。どうするかは自分で考えろよ」
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