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劇嬢版 完結篇
断罪魔孃【前篇】
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目覚めると、そこは見慣れたベッドの上だった。
一人暮らしには充分すぎる、2DKのお部屋。
戸棚に並ぶ、愛しのヒーローたちの勇姿。
なにもかも、いつも通りの朝だ。
けれど私は、胸に穴が空いたような喪失感に包まれていた。
右腕に抱きしめていた魔玄籠手の感触がまだあって、掛け布団をめくると一瞬だけ紫の光の粒子が舞った──ような気がしただけ。そこには何もない。
あれは夢? いいや、そんなわけがない。それだけは、はっきりわかる。あの日々が、夢なんかであるものか。
それに枕もとの電波時計の日付表示は、しっかり半年経過していたし、その間の記憶も──経験はしていないけれど──しっかりと、頭の中に残っていた。
そう、エリシャが倉城 衿沙としてOL生活を送っていた記憶。
当然ながら、こっちはこっちで色々なことがあったようだ。
「うわあ……」
それらを反芻して、思わず頭を抱える。
まず当然のように彼女は、不器用に例のセクハラ上司と衝突していた。
そして即、雄弁で叩きのめした。以降、彼はすっかり大人しくなって、私は同僚たちからも感謝されまくった。
その後なんらかの力が働いて、企画営業部に異動させられる。しかしそこでも雄弁とカリスマを発揮しまくった私には、今やなんと主任の肩書きまでくっついていた。
──ぶっちゃけ荷が重い。けれど、今の自分になら、どうにかできそうな気もしている。なにせ、こっちは国ひとつ救ってきてるんだ。
そういえば、なんだか肩周りは逆に軽いような気がする。肩と言うか、頭かな? ──起き上がって覗き込んだ鏡台の前で、私は固まる。
「これ、私……か……」
映っているのはもちろん、ヒロインオーディション必勝の超美少女ではなくて、二十五年見慣れた私自身のよく知る顔だ。
けれど、自分で言うのもなんだが、鏡の中にいる私は、私の知る私よりも遥かに素敵だった。
実はずっと、髪を短くしたかった。子供のころ憧れた特撮ヒロインたち──長い髪をなびかせた彼女も、ツインテールを飛び跳ねさせる彼女も好きだったけど、いちばんなりたいと思ったのは、ショートカットで凛々しく戦う彼女だった。
でも、短い髪が似合うのは本当の美人だけとか、知ったふうに囁くどこかの誰かの声が聞こえる気がして、ずっと勇気が出なかった。おとなしいお前は、おとなしい髪型にしておくのが無難だと。
今、鏡の中の私には、軽やかなショートカットがよく似合っていた。
それに表情のせいだろうか、それとも瞳に宿る自信の光か。どことなく、凛とした空気もまとって見えるのだ。
さらには鏡台の前、メイク道具もいくつか買い足されている。髪型に似合うよう、透明感と凛々しさを際立たせるメイクを研究し、その成果をエリシャは私の記憶の中に残してくれていた。
ふと見れば、買うだけ買ってタンスの肥やしにしていた、クールなダークカラーのパンツスーツが、きれいにアイロンがけされてハンガーに待機している。
「そういう、ことか」
紐づいた記憶を反芻しながら、納得する。
私がエリシャを守るためレイジョーガーに変身していたように、エリシャもまた、私がなりたかった私への「変身」をしてくれていたんだ。
それから私は、ダイニングテーブルの真ん中に鎮座する、分厚く重い「パラディン☆パラダイス究極設定資料集」を見つけて、丁重に本棚に移動した。
貼り付けられた無数の付箋から、エリシャの真面目さを目の当たりにして、口元を緩ませながら。
彼女は衿沙としてよりよく生きていくための行動も、エリシャの世界に帰還したときのための準備も、見事なまでに両立していた。本当に、すごい十五歳だ。
そして、私はあの世界で彼女の命を守り切ったのだ。胸の内側から滲むようなこの熱は、きっと誇らしさなのだろう。
とはいえ、それに浸ってばかりもいられない。
まずは、エリシャがミオリの面影を求めて買い漁った、見るからにお高価そうな缶入りの紅茶でも味見しつつ。衿沙としては半年ぶりの、出社の準備をしなくては。
──それからの数カ月は、まさに怒涛のように、目まぐるしく過ぎ去っていった。私は私なりに、エリシャの残してくれたものを無駄にせず引き継げている。
「パラパラのアニメ、劇場版が製作決定したの!」
金曜の退社後。テーブルを挟んで、丼の湯気の向こうに浮かぶ満面の笑顔は、私の高校からのオタ友である奈津美だ。
入れ替わってすぐのころ。突如としてパラパラ──パラディン☆パラダイスをプレイし始めたエリシャに対し、彼女はたくさんのアドバイスをしてくれた。
それだけじゃなく、エリシャのどこかおかしい様子を察して、深い詮索はせずに色々と相談に乗ってくれていた。
──さすが、本業・心理カウンセラーだけある。やっぱり持つべきものはオタ友だ。
感謝のしるしに、今月の女子会のラーメンは私の奢り。ちなみにエリシャは淡麗系醤油ラーメンがお気に入りだったようで、さすが、私と好みが合う。
「しかも、ゲームで未実装のエリシャ生存ルートを、エリシャ視点でやるらしいの」
「へえ、すごいね!」
細縮れ麺をすすりながらのリアクションが、我ながら白々しくなったのは、その情報もチェック済みだったせい。ええ、今の私は特撮に対するのと同等の熱量で、パラパラの最新情報もネットより収集しておりますから。
「それが、ちょっとメタ展開っていうか、世界をゲームのようにループさせて、愉しんでいた神様がいて、世界を好き勝手させないためにその神様と戦うお話みたい」
おそらく、パラパラはいまも二つの世界の相互干渉点──「窓」としての役割を失っていないのだろう。だからこそエリシャが主役の物語が作られる。しかも上位存在に挑まんとするお話だという。
──わかる。彼女なら、そうするだろう。
「観るでしょ?」
「もちろん!」
即答。それだけは、何があっても見届けなくては。
──ヴヴッ。
そのとき、スマホが振動して新着メッセージを報せる。職場の後輩の詩織からだった。どうしても相談したいことがあって、今日これから会ってほしいという。
生真面目がメガネをかけたような彼女は、エリシャが部署を移動したあと、例のセクハラ上司に次のターゲットにされかけていた。
それを元同僚からこっそり知らされたエリシャは、当てにできない人事部に代わって元部署に単身で乗り込み、周到に準備した証拠画像や録音データを突きつけ彼に引導を渡したのである。
さすがに辞職することになった彼のその後については、なんでも怪しいネットビジネスに手を染めているとかなんとか。うん、二度と関わりたくない。
淡麗系醤油ラーメンを手早く食べ切り、奈津美に謝罪と埋め合わせの約束をして店を出る。とはいえ食券制なので、ラーメンを奢るという目的は達成済みだ。
そして詩織から送られてきたGoogle MAPのリンクを辿り、早歩きで目的地へ向かう。今日はすみれ色のブラウスに濃紺のパンツスーツ。その背筋をぴんと伸ばして、颯爽と。
辿り着いたのは、路地を少し入って階段を地下に降りた先の、表札もない扉。
その向こうの「ネットには載せていない、落ち着いて話せる隠れ家的なお店」で、詩織が待っているはず。
階段を降りながら、ダンケルハイト邸の地下室を──あのはじまりの日を思い出して、胸がざわめいた。
こんなときミオリがいてくれたら、どんなに心強いだろうと思ってしまう。けど、ないものねだりはしてられない。実際は私の方が年上なのだし。
──覚悟を決めて、私は冷たく重い扉を開けた。
一人暮らしには充分すぎる、2DKのお部屋。
戸棚に並ぶ、愛しのヒーローたちの勇姿。
なにもかも、いつも通りの朝だ。
けれど私は、胸に穴が空いたような喪失感に包まれていた。
右腕に抱きしめていた魔玄籠手の感触がまだあって、掛け布団をめくると一瞬だけ紫の光の粒子が舞った──ような気がしただけ。そこには何もない。
あれは夢? いいや、そんなわけがない。それだけは、はっきりわかる。あの日々が、夢なんかであるものか。
それに枕もとの電波時計の日付表示は、しっかり半年経過していたし、その間の記憶も──経験はしていないけれど──しっかりと、頭の中に残っていた。
そう、エリシャが倉城 衿沙としてOL生活を送っていた記憶。
当然ながら、こっちはこっちで色々なことがあったようだ。
「うわあ……」
それらを反芻して、思わず頭を抱える。
まず当然のように彼女は、不器用に例のセクハラ上司と衝突していた。
そして即、雄弁で叩きのめした。以降、彼はすっかり大人しくなって、私は同僚たちからも感謝されまくった。
その後なんらかの力が働いて、企画営業部に異動させられる。しかしそこでも雄弁とカリスマを発揮しまくった私には、今やなんと主任の肩書きまでくっついていた。
──ぶっちゃけ荷が重い。けれど、今の自分になら、どうにかできそうな気もしている。なにせ、こっちは国ひとつ救ってきてるんだ。
そういえば、なんだか肩周りは逆に軽いような気がする。肩と言うか、頭かな? ──起き上がって覗き込んだ鏡台の前で、私は固まる。
「これ、私……か……」
映っているのはもちろん、ヒロインオーディション必勝の超美少女ではなくて、二十五年見慣れた私自身のよく知る顔だ。
けれど、自分で言うのもなんだが、鏡の中にいる私は、私の知る私よりも遥かに素敵だった。
実はずっと、髪を短くしたかった。子供のころ憧れた特撮ヒロインたち──長い髪をなびかせた彼女も、ツインテールを飛び跳ねさせる彼女も好きだったけど、いちばんなりたいと思ったのは、ショートカットで凛々しく戦う彼女だった。
でも、短い髪が似合うのは本当の美人だけとか、知ったふうに囁くどこかの誰かの声が聞こえる気がして、ずっと勇気が出なかった。おとなしいお前は、おとなしい髪型にしておくのが無難だと。
今、鏡の中の私には、軽やかなショートカットがよく似合っていた。
それに表情のせいだろうか、それとも瞳に宿る自信の光か。どことなく、凛とした空気もまとって見えるのだ。
さらには鏡台の前、メイク道具もいくつか買い足されている。髪型に似合うよう、透明感と凛々しさを際立たせるメイクを研究し、その成果をエリシャは私の記憶の中に残してくれていた。
ふと見れば、買うだけ買ってタンスの肥やしにしていた、クールなダークカラーのパンツスーツが、きれいにアイロンがけされてハンガーに待機している。
「そういう、ことか」
紐づいた記憶を反芻しながら、納得する。
私がエリシャを守るためレイジョーガーに変身していたように、エリシャもまた、私がなりたかった私への「変身」をしてくれていたんだ。
それから私は、ダイニングテーブルの真ん中に鎮座する、分厚く重い「パラディン☆パラダイス究極設定資料集」を見つけて、丁重に本棚に移動した。
貼り付けられた無数の付箋から、エリシャの真面目さを目の当たりにして、口元を緩ませながら。
彼女は衿沙としてよりよく生きていくための行動も、エリシャの世界に帰還したときのための準備も、見事なまでに両立していた。本当に、すごい十五歳だ。
そして、私はあの世界で彼女の命を守り切ったのだ。胸の内側から滲むようなこの熱は、きっと誇らしさなのだろう。
とはいえ、それに浸ってばかりもいられない。
まずは、エリシャがミオリの面影を求めて買い漁った、見るからにお高価そうな缶入りの紅茶でも味見しつつ。衿沙としては半年ぶりの、出社の準備をしなくては。
──それからの数カ月は、まさに怒涛のように、目まぐるしく過ぎ去っていった。私は私なりに、エリシャの残してくれたものを無駄にせず引き継げている。
「パラパラのアニメ、劇場版が製作決定したの!」
金曜の退社後。テーブルを挟んで、丼の湯気の向こうに浮かぶ満面の笑顔は、私の高校からのオタ友である奈津美だ。
入れ替わってすぐのころ。突如としてパラパラ──パラディン☆パラダイスをプレイし始めたエリシャに対し、彼女はたくさんのアドバイスをしてくれた。
それだけじゃなく、エリシャのどこかおかしい様子を察して、深い詮索はせずに色々と相談に乗ってくれていた。
──さすが、本業・心理カウンセラーだけある。やっぱり持つべきものはオタ友だ。
感謝のしるしに、今月の女子会のラーメンは私の奢り。ちなみにエリシャは淡麗系醤油ラーメンがお気に入りだったようで、さすが、私と好みが合う。
「しかも、ゲームで未実装のエリシャ生存ルートを、エリシャ視点でやるらしいの」
「へえ、すごいね!」
細縮れ麺をすすりながらのリアクションが、我ながら白々しくなったのは、その情報もチェック済みだったせい。ええ、今の私は特撮に対するのと同等の熱量で、パラパラの最新情報もネットより収集しておりますから。
「それが、ちょっとメタ展開っていうか、世界をゲームのようにループさせて、愉しんでいた神様がいて、世界を好き勝手させないためにその神様と戦うお話みたい」
おそらく、パラパラはいまも二つの世界の相互干渉点──「窓」としての役割を失っていないのだろう。だからこそエリシャが主役の物語が作られる。しかも上位存在に挑まんとするお話だという。
──わかる。彼女なら、そうするだろう。
「観るでしょ?」
「もちろん!」
即答。それだけは、何があっても見届けなくては。
──ヴヴッ。
そのとき、スマホが振動して新着メッセージを報せる。職場の後輩の詩織からだった。どうしても相談したいことがあって、今日これから会ってほしいという。
生真面目がメガネをかけたような彼女は、エリシャが部署を移動したあと、例のセクハラ上司に次のターゲットにされかけていた。
それを元同僚からこっそり知らされたエリシャは、当てにできない人事部に代わって元部署に単身で乗り込み、周到に準備した証拠画像や録音データを突きつけ彼に引導を渡したのである。
さすがに辞職することになった彼のその後については、なんでも怪しいネットビジネスに手を染めているとかなんとか。うん、二度と関わりたくない。
淡麗系醤油ラーメンを手早く食べ切り、奈津美に謝罪と埋め合わせの約束をして店を出る。とはいえ食券制なので、ラーメンを奢るという目的は達成済みだ。
そして詩織から送られてきたGoogle MAPのリンクを辿り、早歩きで目的地へ向かう。今日はすみれ色のブラウスに濃紺のパンツスーツ。その背筋をぴんと伸ばして、颯爽と。
辿り着いたのは、路地を少し入って階段を地下に降りた先の、表札もない扉。
その向こうの「ネットには載せていない、落ち着いて話せる隠れ家的なお店」で、詩織が待っているはず。
階段を降りながら、ダンケルハイト邸の地下室を──あのはじまりの日を思い出して、胸がざわめいた。
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