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劇嬢版 完結篇
断罪魔嬢【後篇】《完》
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「いらっしゃいませ。倉城様ですね」
「……はい」
扉を開けるとすぐ、黒服のプロレスラーじみた巨漢が待ち受けていて、店の奥へといざなった。
「お連れ様がお待ちです」
頭二つぶん高くから見下す冷たい目線を、余裕の微笑で受け流し、その広すぎる背に着いていく。
狭い通路には、甘ったるい芳香と煙草の匂いが混じりあい充満していた。その先、薄暗い照明に照らされた広い店内には、いくつかのボックス席とバーカウンターが見える。
「こちらです。──それでは、ごゆっくり」
案内されたのはフロアの中央、椅子もテーブルもなく不自然に──舞台のように空けられたスペースの、さらに真ん中だった。
そこからゆっくり周囲を見渡す。確かに「隠れ家的なお店」には違いないが、ここはお酒と共に着飾った女性たちが接客する、会員制の高級ラウンジ的なあれじゃないかな。
ただし今は、数人の男たちがまばらに席についているだけだった。女性は中央に立つ私と、フロアの正面奥に玉座みたいに据えられた大きなソファから、眼鏡ごしにすがる涙目を向けてくる詩織のみ。
そして詩織の隣では、尊大さが歳月によって刻み込まれたような顔──あの元上司が、グラスを片手に、当時より仕立てのいいスーツを着崩してふんぞり返っていた。
「どーも、ごぶさたです」
衿沙としては半年以上ぶりの再会なので、とりあえずそう挨拶しておく。頭は下げない。
「よく来たな。ちなみに、お前を呼んだのは俺だ」
でしょうね。そういう種明かしせずともわかり切ったことをドヤ顔で言っちゃうのは、いかにも三流悪役キャラめいて、すごくカッコ悪いですよ。
「うちの可愛い後輩を返してもらえます? もう、部外者ですよねあなた」
なので無視して話を進める。すでにけっこうなアルコールが入っていそうな赤ら顔が、怒りでさらに赤黒くなった。
「お前は……俺にッ、指図をするな……!」
よほど腹に据えかねたのか、グラスを床に叩きつけて粉々にすると、革靴で何度も踏みにじる。私はそんな彼の醜態を、ただ無感情に見つめていた。
「ふん……まあ……いい。これからが、お楽しみの時間だ」
しばらくしてようやく私の視線に気付くと、我に返ってそう宣言する。
その言葉が、合図だったのだろう。
店内に座っていた男たちがゆらりと立ち上がり、私の背後から左右までを隈なく、逃げ道をふさぐように取り囲んでいた。十数人、いやもっと多いか……。
彼らは、頭部をすっぽり隠す黒い覆面をかぶっている。目鼻口の周りだけ穴が開いて白く縁取りされたそれは、言わずと知れた、日本で最も有名な悪の秘密結社の戦闘員マスクだ。
「お前、この手の特撮とか幼稚なものが好きなんだろ? いい齢して、しかも女のくせに」
にちゃりと厭らしく嘲う彼は、その化石じみた価値観でこちらの逆鱗を二枚抜きしていることに、気付いているのだろうか。
「これからお前にたっぷりと教えてやる。現実には正義のヒーローなんかいないってことをな」
──なるほど。相手の好きなものを使って尊厳を奪い、心を折ろうということか。それが彼にとっての復讐なのだろう。まったく、どうにも救いようのない屑だった。性根だけなら某魔学者と良い勝負じゃないか。
ふつふつと、沸き上がる怒りと反比例するように、頭は冴えてゆく。
周囲からは、戦闘員たちの荒い息がいくつも重なって聞こえていた。覆面から覗く目は真っ赤に血走って、中には半開きの口元から涎をたらす者もいた。
この様子、昨今ネットで存在を囁かれている違法薬物の影響かも知れない。
「もしかして、これ……」
出所不明のまま裏社会に蔓延りつつあるというそれは、高い中毒性はもちろん、身体能力を向上させつつ攻撃性を増すというステロイド的傾向を強く持つ。どんな紳士でもたちまち好戦的に変えてしまうという。
「知っているなら話が早いな」
何より危険視されているのが、理性や自己判断力を鈍らせて他者への依存性を高め、薬物の提供者に従属させるという特性だ。
まるで「強くて忠実な兵士を生み出す」ために作られたようなそれは、使用した半グレ集団同士の抗争を加速的に激化させ、死者まで出ているというニュースもあった。
「こいつらには、『Legion』をたっぷりキメてある」
それが、薬物に付けられた名前だった。帝国の紅き魔鎧兵と同名なのは、偶然だろうか。
「いいことを教えてやろう。Legionを日本に持ち込んだのは、この俺だ。店の奥のでかい金庫の中にたっぷりため込んであるのさ。薬も、金もな!」
少しでも私の優位に立つためか、聞いてもいないことをべらべら喋る。しかし言われてみると、彼は在職中よくわからない名目での海外出張を何度かしていた。
胸ポケットから取り出した小袋を自慢気にひけらかす指には、趣味の悪い金の指輪が並んでいる。そして、そこまで聞かせるということは、どう足掻いても無事に帰してはもらえないのだろう。詩織ともども。
それでも私は、彼の姿を冷ややかに見やりつつ、ゆっくりと右腕を掲げ、てのひらを額の前にかざした。
透けた静脈に、どくんと熱が灯る。その周囲の大気中から、淡く光る紫の粒子が滲みだし、手首を囲む光の輪になって凝結すると──そこに、見知った黒い輪具が実体化していた。
「……なんだ、その手品は?」
「そうね、とっておきの魔法を見せてあげる──」
そして、私は言い放つ。
「──纏装!」
静かに、力強く言葉を噛みしめて。輪具から溢れた紫の炎に、全身を包みこまれる安心感のなか、濃紺のスーツは紫の素体に変化してゆく。
周囲の男たちは、ざわつきながら少し後ずさる。理性が薄れていても、本能がそうさせたのだろう。そして元上司は、呆然とこちらを凝視していた。
紫炎から形成されてゆく漆黒の装甲は、現世界の希薄な魔力でも維持しやすく軽装化されていた。胸部装甲と右腕籠手以外の左腕や脚部は、シンプルなグローブとブーツになっていて、そのぶん動きやすい。
鏡張りの天井に映った自身の姿を、見上げる。
悪魔の如き兜の側面に、紫炎の中から黒角が左右に伸びてゆく。額の第三の目を含む紫水晶の瞳は、変わらず兇々しい耀きをはなっていた。
──より特撮のそれに近づいた姿に惚れ惚れする。とにかく本気でフィギュアがほしい。
「なんなんだ、それは……」
元上司が、放心気味に問いかける。隣で詩織も呆然としている。まあ、無理もない。
いわく、私の意識を元の体に戻す際に、両断された魔玄籠手の片割れを魔力に変換して紐づけし、現世界側にねじ込んだらしい。
目覚めたとき腕に残っていた感触は、気のせいではなかった。
そこに零式星牙の魔紋構造を逆輸入し、魔力が希薄な現世界でも使える形として再編成したもの。それがこの顕界式魔鎧──なのだとか、なんとか。
──夢うつつに、優しく凛々しいダンケルハイトの声がそれらを語りかけてきたのは、ほんの数日前の真夜中のこと。
色々あって想定以上に時間が掛かったと詫びつつ、彼女は今回も一方的に言いたいことだけ喋りたおした。ちなみに魔鎧の新デザインは、私の部屋のヒーローフィギュアを少し参考にしたらしい。どうりでカッコいいわけだ。
そして最後に、再編成が完了したら転写人格を残す余裕はないからと、引き留める隙も与えずそのままフェードアウトしていった。
『願わくば、この贈り物があなたの力にならんことを』
最後に、そう言い残して──。
魔鎧を作り上げ、炎は散った。漆黒と紫をまとった私は優雅に腕を組み、両足は肩幅に開き、視線を斜め上から挑発的に睥睨して、悠然と名乗る。
「断罪魔嬢、レイジョーガー!」
──せっかっくなので、番組名っぽい四文字熟語を冠してみた。私とエリシャのレイジョーガーに、きっと相応しいカッコ良さだろう。
「だからなんなんだよ! いやもうなんでもいい! お前ら、さっさとやってしまえッ!」
現実への理解が追い付かない、その苛立ちをあらわに唾を飛ばしながら彼は戦闘員たちに号令をかける。
普段から特撮を観ていたら、この程度の想定外には焦らず余裕で対処できるのにね。──というような話を先日職場でしたところ、そんなのは倉城さんだけですよと呆れられつつ褒められた。
そして周囲の戦闘員から殺到する攻撃予測線を置き去りに、私の姿は既にそこにはない。床を蹴り、一瞬でフロアの半分の距離を移動して、元上司のソファの真ん前に立ちはだかっていた。
「ひとつ、憶えておきなさい──」
天に掲げた、右の二の腕から手刀の側面にかけ、鋭利な紫の光刃が灯る。
「──他人の推しを嘲う罪、万死に値する!」
左手で、呆然自失の詩織の腕を優しく引いて、抱き寄せる。そして、口と両目をぽかんと開けて見上げる元上司に、私は躊躇わず光刃を振り降ろした。
「零星断罪刃──ッ!」
紙を切るように何の抵抗もなく、光刃は対象を中心線から真っ二つに両断していた。──元上司の真横すれすれをすり抜けて、腰掛けていたソファだけを。
「先輩……! ありがとうございます……!」
我に返って腕の中から私を見つめる彼女の瞳は、恐怖よりも恍惚として、いつだか謎の美少年として女生徒たちから向けられたそれを思い出した。
──いやでも、これはわかる。かっこいいもんねレイジョーガー。
何せ詩織は私と同じ、重度の特撮オタクなのだ。たぶん私も、こんなにかっこいいヒーローからこんな風に助けられたら彼女と同じ瞳になるだろう。ああほんとフィギュアがほしい。再現度重視のと可動重視のと二つはほしい。
そう、特撮知識に加えて生来の真面目さという共通項もあり、詩織はこっちでエリシャにできたはじめての、そしていちばん心を許せる友人になってくれていた。
エリシャが繋いだ縁だから、大切にしなくっちゃ。ちなみに今度、奈津美との女子会にもご招待する予定である。
視界の端に背後から攻撃予測線が届き始めた。戦闘員たちがすぐそこまで押し寄せてきている。
中央がガタンと落ちて斜めになったソファから、情けなくずり落ちかけた元上司を私は見下ろす。詩織には、ソファの背もたれの陰に身を隠すよう指示した。
「……くそッ、よく聞け……あいつらには、お前がいくら謝っても命乞いをしても、俺が止めるまでなぶり続けろと言ってあるッ!」
震え声でのたまう彼の胸倉を、黒い装甲で覆われた悪魔の右腕でつかみ、軽々と持ち上げる。
「俺を殺したら、もうあいつらは止められないぞ……!」
必死に脅し文句を絞り出すが、浮いた足元からぽたぽたと滴る失禁の雫のせいで、虚勢も台無しだった。
「──ていうか」
すべてを黙殺して、部下だったころから我慢していたことをひとつ、私はいちばん最後に伝える。
「お前って呼ぶな!」
それと同時に、背後の戦闘員たちの方へ彼をぶん投げていた。
情けない悲鳴の尾を引き、攻撃予測線に添って飛んだ体は、その先にいた一人の戦闘員の腕で受け止められ、そのまま無造作に床に転がされた。
成人男性の体重をあっさり受け止める、たしかに身体能力は強化されているようだ。
「痛ぇよ……ああくそっ、早くしろよ愚図ども! あの女を、さっさとめちゃくちゃにしろッ!」
よろめきながらも立ち上がる。痛みと羞恥と恐怖と怒りと、あらゆる感情に表情をぐにゃぐにゃと歪ませながら、震える指先を私に向け、唇の端から泡を飛ばす。
「いいや、もういい! そうだ、もう殺してしまえっ!」
──だが。
「うるッ……せえッ!」
「──えっ?」
ぼごり。鈍い音が響いて、元上司の顔面にひとりの戦闘員の拳がめり込んでいた。
「えらッ……そウにすんな……おッさんがァ……!」
呂律も怪しく口走った覆面の下の目は、充血どころか眼球を柘榴石に挿げ替えたように紅い。歯を剥きだして涎を滴らせ、理性は薄れるどころかもはや消失して見えた。
彼だけではない。他の戦闘員たちも、全員がその状態だ。
──過剰投与か。自分で持ち込んだくせに、まともな運用も出来ないとは。
ところでダンケルハイトは、魔鎧の件と別にこんな話も残していった。
上位存在が世界と世界の間に相互干渉点を穿った際、余波として虫喰い穴のように微小な干渉点が生じた。
これは、本来なら微々たる影響しかなく、いずれ修正力によって修復されるものだが、稀に、両世界に強い悪影響を及ぼす悪性干渉点として固定化される場合がある。
そうなった場合、片側だけ潰しても、片側が残っていればいずれ復元てしまうというのだ……。
──いやいや修正力さん、ちゃんと仕事してよ。私にはあんなにしつこかったくせに。
この状況。違法薬物と魔鎧兵は、まさにその悪性干渉点の顕現だろう。
現世界でもしっかり叩いておかないと、異世界で再び魔鎧兵が悪さをする可能性があるというわけだ。
上位存在の尻ぬぐいをするのは釈然としないが、エリシャの力になれるなら、やらない理由は何もない。──そして何より、再びレイジョーガーとして誰かを守るため戦えることに、私はこの上ない喜びを感じていた。
元上司の姿は、狂戦士と化した戦闘員たちの足元に呑まれて見えない。彼に制御できない以上、もう実力行使しかないよね。
「だいじょうぶ。これでも私、慣れてるから」
背中越し、ソファの陰に縮こまる詩織を安心させるよう囁いて。
眼前に迫っていた巨漢の戦闘員──おそらく店の入口から案内をしてくれた黒服の、剛腕の一撃を無造作に掲げた右の掌で受け止め、するりと手首を掴む。
そのまま右腕を振り上げ、振り下ろせば、彼の巨体はふわりと浮かび上がり、次の瞬間には顔面から床にしたたかに叩きつけられていた。
殺到していた攻撃予測線の束がゆるみ、理性を失い狂戦士と化したはずの戦闘員たちが、足を止める。
それを嘲笑うように私は、倒れた巨漢の広い背中を漆黒のブーツで踏みつけて、言い放つのだ。
「さあ、仮面舞踏会の開宴よ──!」
「……はい」
扉を開けるとすぐ、黒服のプロレスラーじみた巨漢が待ち受けていて、店の奥へといざなった。
「お連れ様がお待ちです」
頭二つぶん高くから見下す冷たい目線を、余裕の微笑で受け流し、その広すぎる背に着いていく。
狭い通路には、甘ったるい芳香と煙草の匂いが混じりあい充満していた。その先、薄暗い照明に照らされた広い店内には、いくつかのボックス席とバーカウンターが見える。
「こちらです。──それでは、ごゆっくり」
案内されたのはフロアの中央、椅子もテーブルもなく不自然に──舞台のように空けられたスペースの、さらに真ん中だった。
そこからゆっくり周囲を見渡す。確かに「隠れ家的なお店」には違いないが、ここはお酒と共に着飾った女性たちが接客する、会員制の高級ラウンジ的なあれじゃないかな。
ただし今は、数人の男たちがまばらに席についているだけだった。女性は中央に立つ私と、フロアの正面奥に玉座みたいに据えられた大きなソファから、眼鏡ごしにすがる涙目を向けてくる詩織のみ。
そして詩織の隣では、尊大さが歳月によって刻み込まれたような顔──あの元上司が、グラスを片手に、当時より仕立てのいいスーツを着崩してふんぞり返っていた。
「どーも、ごぶさたです」
衿沙としては半年以上ぶりの再会なので、とりあえずそう挨拶しておく。頭は下げない。
「よく来たな。ちなみに、お前を呼んだのは俺だ」
でしょうね。そういう種明かしせずともわかり切ったことをドヤ顔で言っちゃうのは、いかにも三流悪役キャラめいて、すごくカッコ悪いですよ。
「うちの可愛い後輩を返してもらえます? もう、部外者ですよねあなた」
なので無視して話を進める。すでにけっこうなアルコールが入っていそうな赤ら顔が、怒りでさらに赤黒くなった。
「お前は……俺にッ、指図をするな……!」
よほど腹に据えかねたのか、グラスを床に叩きつけて粉々にすると、革靴で何度も踏みにじる。私はそんな彼の醜態を、ただ無感情に見つめていた。
「ふん……まあ……いい。これからが、お楽しみの時間だ」
しばらくしてようやく私の視線に気付くと、我に返ってそう宣言する。
その言葉が、合図だったのだろう。
店内に座っていた男たちがゆらりと立ち上がり、私の背後から左右までを隈なく、逃げ道をふさぐように取り囲んでいた。十数人、いやもっと多いか……。
彼らは、頭部をすっぽり隠す黒い覆面をかぶっている。目鼻口の周りだけ穴が開いて白く縁取りされたそれは、言わずと知れた、日本で最も有名な悪の秘密結社の戦闘員マスクだ。
「お前、この手の特撮とか幼稚なものが好きなんだろ? いい齢して、しかも女のくせに」
にちゃりと厭らしく嘲う彼は、その化石じみた価値観でこちらの逆鱗を二枚抜きしていることに、気付いているのだろうか。
「これからお前にたっぷりと教えてやる。現実には正義のヒーローなんかいないってことをな」
──なるほど。相手の好きなものを使って尊厳を奪い、心を折ろうということか。それが彼にとっての復讐なのだろう。まったく、どうにも救いようのない屑だった。性根だけなら某魔学者と良い勝負じゃないか。
ふつふつと、沸き上がる怒りと反比例するように、頭は冴えてゆく。
周囲からは、戦闘員たちの荒い息がいくつも重なって聞こえていた。覆面から覗く目は真っ赤に血走って、中には半開きの口元から涎をたらす者もいた。
この様子、昨今ネットで存在を囁かれている違法薬物の影響かも知れない。
「もしかして、これ……」
出所不明のまま裏社会に蔓延りつつあるというそれは、高い中毒性はもちろん、身体能力を向上させつつ攻撃性を増すというステロイド的傾向を強く持つ。どんな紳士でもたちまち好戦的に変えてしまうという。
「知っているなら話が早いな」
何より危険視されているのが、理性や自己判断力を鈍らせて他者への依存性を高め、薬物の提供者に従属させるという特性だ。
まるで「強くて忠実な兵士を生み出す」ために作られたようなそれは、使用した半グレ集団同士の抗争を加速的に激化させ、死者まで出ているというニュースもあった。
「こいつらには、『Legion』をたっぷりキメてある」
それが、薬物に付けられた名前だった。帝国の紅き魔鎧兵と同名なのは、偶然だろうか。
「いいことを教えてやろう。Legionを日本に持ち込んだのは、この俺だ。店の奥のでかい金庫の中にたっぷりため込んであるのさ。薬も、金もな!」
少しでも私の優位に立つためか、聞いてもいないことをべらべら喋る。しかし言われてみると、彼は在職中よくわからない名目での海外出張を何度かしていた。
胸ポケットから取り出した小袋を自慢気にひけらかす指には、趣味の悪い金の指輪が並んでいる。そして、そこまで聞かせるということは、どう足掻いても無事に帰してはもらえないのだろう。詩織ともども。
それでも私は、彼の姿を冷ややかに見やりつつ、ゆっくりと右腕を掲げ、てのひらを額の前にかざした。
透けた静脈に、どくんと熱が灯る。その周囲の大気中から、淡く光る紫の粒子が滲みだし、手首を囲む光の輪になって凝結すると──そこに、見知った黒い輪具が実体化していた。
「……なんだ、その手品は?」
「そうね、とっておきの魔法を見せてあげる──」
そして、私は言い放つ。
「──纏装!」
静かに、力強く言葉を噛みしめて。輪具から溢れた紫の炎に、全身を包みこまれる安心感のなか、濃紺のスーツは紫の素体に変化してゆく。
周囲の男たちは、ざわつきながら少し後ずさる。理性が薄れていても、本能がそうさせたのだろう。そして元上司は、呆然とこちらを凝視していた。
紫炎から形成されてゆく漆黒の装甲は、現世界の希薄な魔力でも維持しやすく軽装化されていた。胸部装甲と右腕籠手以外の左腕や脚部は、シンプルなグローブとブーツになっていて、そのぶん動きやすい。
鏡張りの天井に映った自身の姿を、見上げる。
悪魔の如き兜の側面に、紫炎の中から黒角が左右に伸びてゆく。額の第三の目を含む紫水晶の瞳は、変わらず兇々しい耀きをはなっていた。
──より特撮のそれに近づいた姿に惚れ惚れする。とにかく本気でフィギュアがほしい。
「なんなんだ、それは……」
元上司が、放心気味に問いかける。隣で詩織も呆然としている。まあ、無理もない。
いわく、私の意識を元の体に戻す際に、両断された魔玄籠手の片割れを魔力に変換して紐づけし、現世界側にねじ込んだらしい。
目覚めたとき腕に残っていた感触は、気のせいではなかった。
そこに零式星牙の魔紋構造を逆輸入し、魔力が希薄な現世界でも使える形として再編成したもの。それがこの顕界式魔鎧──なのだとか、なんとか。
──夢うつつに、優しく凛々しいダンケルハイトの声がそれらを語りかけてきたのは、ほんの数日前の真夜中のこと。
色々あって想定以上に時間が掛かったと詫びつつ、彼女は今回も一方的に言いたいことだけ喋りたおした。ちなみに魔鎧の新デザインは、私の部屋のヒーローフィギュアを少し参考にしたらしい。どうりでカッコいいわけだ。
そして最後に、再編成が完了したら転写人格を残す余裕はないからと、引き留める隙も与えずそのままフェードアウトしていった。
『願わくば、この贈り物があなたの力にならんことを』
最後に、そう言い残して──。
魔鎧を作り上げ、炎は散った。漆黒と紫をまとった私は優雅に腕を組み、両足は肩幅に開き、視線を斜め上から挑発的に睥睨して、悠然と名乗る。
「断罪魔嬢、レイジョーガー!」
──せっかっくなので、番組名っぽい四文字熟語を冠してみた。私とエリシャのレイジョーガーに、きっと相応しいカッコ良さだろう。
「だからなんなんだよ! いやもうなんでもいい! お前ら、さっさとやってしまえッ!」
現実への理解が追い付かない、その苛立ちをあらわに唾を飛ばしながら彼は戦闘員たちに号令をかける。
普段から特撮を観ていたら、この程度の想定外には焦らず余裕で対処できるのにね。──というような話を先日職場でしたところ、そんなのは倉城さんだけですよと呆れられつつ褒められた。
そして周囲の戦闘員から殺到する攻撃予測線を置き去りに、私の姿は既にそこにはない。床を蹴り、一瞬でフロアの半分の距離を移動して、元上司のソファの真ん前に立ちはだかっていた。
「ひとつ、憶えておきなさい──」
天に掲げた、右の二の腕から手刀の側面にかけ、鋭利な紫の光刃が灯る。
「──他人の推しを嘲う罪、万死に値する!」
左手で、呆然自失の詩織の腕を優しく引いて、抱き寄せる。そして、口と両目をぽかんと開けて見上げる元上司に、私は躊躇わず光刃を振り降ろした。
「零星断罪刃──ッ!」
紙を切るように何の抵抗もなく、光刃は対象を中心線から真っ二つに両断していた。──元上司の真横すれすれをすり抜けて、腰掛けていたソファだけを。
「先輩……! ありがとうございます……!」
我に返って腕の中から私を見つめる彼女の瞳は、恐怖よりも恍惚として、いつだか謎の美少年として女生徒たちから向けられたそれを思い出した。
──いやでも、これはわかる。かっこいいもんねレイジョーガー。
何せ詩織は私と同じ、重度の特撮オタクなのだ。たぶん私も、こんなにかっこいいヒーローからこんな風に助けられたら彼女と同じ瞳になるだろう。ああほんとフィギュアがほしい。再現度重視のと可動重視のと二つはほしい。
そう、特撮知識に加えて生来の真面目さという共通項もあり、詩織はこっちでエリシャにできたはじめての、そしていちばん心を許せる友人になってくれていた。
エリシャが繋いだ縁だから、大切にしなくっちゃ。ちなみに今度、奈津美との女子会にもご招待する予定である。
視界の端に背後から攻撃予測線が届き始めた。戦闘員たちがすぐそこまで押し寄せてきている。
中央がガタンと落ちて斜めになったソファから、情けなくずり落ちかけた元上司を私は見下ろす。詩織には、ソファの背もたれの陰に身を隠すよう指示した。
「……くそッ、よく聞け……あいつらには、お前がいくら謝っても命乞いをしても、俺が止めるまでなぶり続けろと言ってあるッ!」
震え声でのたまう彼の胸倉を、黒い装甲で覆われた悪魔の右腕でつかみ、軽々と持ち上げる。
「俺を殺したら、もうあいつらは止められないぞ……!」
必死に脅し文句を絞り出すが、浮いた足元からぽたぽたと滴る失禁の雫のせいで、虚勢も台無しだった。
「──ていうか」
すべてを黙殺して、部下だったころから我慢していたことをひとつ、私はいちばん最後に伝える。
「お前って呼ぶな!」
それと同時に、背後の戦闘員たちの方へ彼をぶん投げていた。
情けない悲鳴の尾を引き、攻撃予測線に添って飛んだ体は、その先にいた一人の戦闘員の腕で受け止められ、そのまま無造作に床に転がされた。
成人男性の体重をあっさり受け止める、たしかに身体能力は強化されているようだ。
「痛ぇよ……ああくそっ、早くしろよ愚図ども! あの女を、さっさとめちゃくちゃにしろッ!」
よろめきながらも立ち上がる。痛みと羞恥と恐怖と怒りと、あらゆる感情に表情をぐにゃぐにゃと歪ませながら、震える指先を私に向け、唇の端から泡を飛ばす。
「いいや、もういい! そうだ、もう殺してしまえっ!」
──だが。
「うるッ……せえッ!」
「──えっ?」
ぼごり。鈍い音が響いて、元上司の顔面にひとりの戦闘員の拳がめり込んでいた。
「えらッ……そウにすんな……おッさんがァ……!」
呂律も怪しく口走った覆面の下の目は、充血どころか眼球を柘榴石に挿げ替えたように紅い。歯を剥きだして涎を滴らせ、理性は薄れるどころかもはや消失して見えた。
彼だけではない。他の戦闘員たちも、全員がその状態だ。
──過剰投与か。自分で持ち込んだくせに、まともな運用も出来ないとは。
ところでダンケルハイトは、魔鎧の件と別にこんな話も残していった。
上位存在が世界と世界の間に相互干渉点を穿った際、余波として虫喰い穴のように微小な干渉点が生じた。
これは、本来なら微々たる影響しかなく、いずれ修正力によって修復されるものだが、稀に、両世界に強い悪影響を及ぼす悪性干渉点として固定化される場合がある。
そうなった場合、片側だけ潰しても、片側が残っていればいずれ復元てしまうというのだ……。
──いやいや修正力さん、ちゃんと仕事してよ。私にはあんなにしつこかったくせに。
この状況。違法薬物と魔鎧兵は、まさにその悪性干渉点の顕現だろう。
現世界でもしっかり叩いておかないと、異世界で再び魔鎧兵が悪さをする可能性があるというわけだ。
上位存在の尻ぬぐいをするのは釈然としないが、エリシャの力になれるなら、やらない理由は何もない。──そして何より、再びレイジョーガーとして誰かを守るため戦えることに、私はこの上ない喜びを感じていた。
元上司の姿は、狂戦士と化した戦闘員たちの足元に呑まれて見えない。彼に制御できない以上、もう実力行使しかないよね。
「だいじょうぶ。これでも私、慣れてるから」
背中越し、ソファの陰に縮こまる詩織を安心させるよう囁いて。
眼前に迫っていた巨漢の戦闘員──おそらく店の入口から案内をしてくれた黒服の、剛腕の一撃を無造作に掲げた右の掌で受け止め、するりと手首を掴む。
そのまま右腕を振り上げ、振り下ろせば、彼の巨体はふわりと浮かび上がり、次の瞬間には顔面から床にしたたかに叩きつけられていた。
殺到していた攻撃予測線の束がゆるみ、理性を失い狂戦士と化したはずの戦闘員たちが、足を止める。
それを嘲笑うように私は、倒れた巨漢の広い背中を漆黒のブーツで踏みつけて、言い放つのだ。
「さあ、仮面舞踏会の開宴よ──!」
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