怪しいバイト、行ってみた

濃霧

文字の大きさ
18 / 47
何もわからないままバイトは始まる

第18話

しおりを挟む
 起き抜けの耳が、ランの話し声が拾った。

「これで何回目だ?」

 透は胸がざわつくような勘が働いて、開きかけていた目を閉じた。

 ランはひどく苛立っているようだった。声を荒げることはしないが、言葉の1つひとつに棘がある。
 透と話しているときとはまるで別人だった。

「なぜ言わない? これは何の電話だ?」

 電話口から悲鳴のようなものが聞こえた。

「いい加減腹をくくれ」

 ランはそう言うと、荒々しく電話を切った。舌打ちが車内に響く。車が揺れる。

 透はきつく目を閉じた。
 生々しい夢を見ても構わないから、今すぐ眠りにつきたかった。

 いつの間にか、もう1度眠っていたようだった。

 車の時計を見ると、時刻は昼をまわっていた。

 透が土で汚した服を洗うために、コインランドリーへ立ち寄った。ついでにタオルや自分の服も洗濯した。

 乾燥するのを待つ間に、透は近くのネットカフェでシャワーを浴びた。

 今度は迷わずに戻ってくると、ランは再び誰かと電話をしていた。
 入っていいものか躊躇っていると、ランが気づき、スマホを耳にあてたまま手を振ってくる。手招きだ。透はホッとしてドアを開けた。

「わかりました。またご連絡します」

 ランは電話を切り、助手席に座る透を見た。

「汗は流せたか」

「すっきりしました」

 ランは満足そうに頷くと、コインランドリーに戻り、透に洗濯物を回収させた。

「今日も行くところがある」 

「俺は?」

「車で留守番だ。できるな?」

 数時間後、車は公園沿いの道路脇に止まった。

 親子がシャボン玉を飛ばし、老婦人が大型犬を散歩していた。少し離れた場所では、子どもたちが追いかけっこをして遊んでいる。

「エンジンはかけたままにしておく。トイレはあそこだ。風に当たりたくなったら外に出てもいいが、遠くへは行くなよ」

「はい」

「できるだけ早く帰ってくる。必ずここで待っていろ」

 ランは透に何度も念を押すと、黒い鞄を手にどこかへ行ってしまった。

 透はすぐに退屈になって、後部座席を漁った。何か暇を潰せるものはないかと思ったのだ。  

 タオルケットをめくると、紙袋を見つけた。覗くと、本が数冊入っている。

「萩原……」

 目についたのは、とある作家の詩集だった。

 口にしたことはないが、透は未だに、自分を萩原透だと思っている節があった。テストで書き間違えたことも1度や2度ではない。
 伊東という苗字は、何年経っても借り物のような感覚だ。

 透は何気なく頁を繰った。そして、ある頁で手を止めた。

 ハリって、玻璃ハリか。でも玻璃って何だろう。その詩では、玻璃は服の素材になっているようだった。
 スマホがあれば調べられるのに。

 透はその後も、紙袋に入っていた本を次から次へと読んだ。

 すべて読み終わり顔を上げると、すっかり日が傾いていた。透は肩の凝りを感じ、車を降りた。

 夕方を知らせるチャイムが鳴った。子どもたちが一斉に公園の外へ駆けていく。無邪気な笑い声が余韻のように残った。

 公園は静けさが広がった。時折、犬の鳴き声や飼い主同士の話し声がする。

 透はベンチに座り、藍色に染まっていく空を見ていた。

 ランは今頃、どこで何をしているのだろうか。いつ帰ってくるのだろうか。

 もしこのまま帰ってこなかったとしたら、どうすればよいのだろう。透はいやな胸騒ぎがした。

 そのときだった。

「あれ。萩ちゃんじゃない?」

「え?」

 ふちの細い眼鏡をかけた若い男が、親しげに声をかけてきた。そうしてそのまま、当たり前のように透の横に座った。

「おひさしぶり。中学で同じだった誠司せいじ。わかるかな」

 透は彼の顔を見つめ、必死に記憶にある顔と照合した。つり目にタレ眉、狐のお面に似た顔は、たしかにどこかで見覚えがあった。

「……えっ、誠司!?」

 彼は中学1年生の透と、最も仲の良い友人だった。中学生のわりに大人びていて、奇想天外で思いつきをするのが得意だった。
 透は彼とともに大胆な悪戯を仕掛けては、大人たちを困らせた。

 印象に残っているのは、煮物の匂いが漂ってくる居間で、薄い座布団に正座をしていた記憶だ。

 2人は毎日のように外で遊びまわっていた。透の家の門限は、誠司の家に比べて早く、遊び足りない2人はあることを思いついた。

 門限の時間を過ぎると、腕時計の針を巻き戻し、時計がずれていたと嘘をつくのだ。
 そうして、2人は決まって誠司の家の門限を大幅に過ぎた時刻に帰宅した。

 しかし何回も繰り返すうちに、偽装工作は見破られ、誠司の祖母にしかられた。
 しかられた後に振る舞われるあたたかい和食の味が、透は大好きだった。

「ここらへんに住んでるの?」

「今は祖母の家を出て、大学の近くに1人暮らしをしている。ちょうど夏休みに入ったから、こっちに帰省したのだよ」

「おばあさんは、今はここに住んでいるんだね」

 透がそう言うと、誠司は怪訝そうな顔をした。

「今も昔もずっとここだよ」

 透は数秒、その言葉の意味を考えてから、素っ頓狂な声をあげた。

「ここって△△市なの? というか、〇〇県なの?」

「そう。僕らの思い出の地。僕が通っていた南小はこのすぐ近くだよ。当時は、この公園でもよく遊んだな」

 誠司はしみじみとそう言った。

「年々緑が減って、代わりに何軒も老人ホームが建っている。子供はほとんどいない。中学校のあたり、見に行った?」

「行ってない」

「悲しくなるよ。面影がほとんどない」

 誠司はそれから、当時のクラスメイトの近況などを話して聞かせた。

 地元に出た者、残っている者。大学へ行った者、浪人中の者、専門学校へ行った者、就職した者、結婚し出産した者。担任は定年退職をしたらしい。

 彼はいくつもの名前をあげたが、透は思い出せない顔が多かった。

「僕はどう? あれから変わっている?」

 誠司は長い足を組み、ジャケット写真のような気取ったポーズをしてみせた。

「見た目はちょっと変わったけど、中身は変わってないな。おばあさんは元気なの?」

「今年で80歳になるけれど、ものすごく元気だよ。今度会ってくれるかい」

「俺のこと、覚えてるかな」

「覚えているよ。記憶力は僕よりもいいくらいだ。……ねえ萩ちゃん、1人称が俺になったのだね。今になって気づいたよ」

「うん。あと苗字、萩原じゃなくなった。伊東になった」

「伊東なら、いとちゃんだね」

 そうだねと透が軽く相槌を打つと、誠司は微笑んだ。困ったときや戸惑ったときに、彼はよくこういう表情をした。

「神隠しみたいにいなくなってしまったから、何ひとつ言葉を掛けられなかった。何度か電話はしたのだけれど」




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

冴えないおじさんが雌になっちゃうお話。

丸井まー(旧:まー)
BL
馴染みの居酒屋で冴えないおじさんが雌オチしちゃうお話。 イケメン青年×オッサン。 リクエストをくださった棗様に捧げます! 【リクエスト】冴えないおじさんリーマンの雌オチ。 楽しいリクエストをありがとうございました! ※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。

完成した犬は新たな地獄が待つ飼育部屋へと連れ戻される

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

トマトふぁ之助
BL
 某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。  そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。  聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

あの部屋でまだ待ってる

名雪
BL
アパートの一室。 どんなに遅くなっても、帰りを待つ習慣だけが残っている。 始まりは、ほんの気まぐれ。 終わる理由もないまま、十年が過ぎた。 与え続けることも、受け取るだけでいることも、いつしか当たり前になっていく。 ――あの部屋で、まだ待ってる。

処理中です...