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何もわからないままバイトは始まる
第19話
しおりを挟む「……ごめん。全然知らなかった」
「いいんだ。こうして再会できたから。……それだけで十分さ」
その笑顔を見て、透は小さく息を呑んだ。
誠司は小学生の頃に父を事故で、母を病気で立て続けに亡くしている。
そのために祖母と2人で暮らしていることは、狭い地域のコミュニティーゆえ、クラスメイトの全員が知っていた。
ときに無神経な言葉をかける者もいたが、誠司は「相手にしてもしょうがない」と笑って躱していた。
どれだけ口汚く罵られようと言い返さないので、隣で見ていた透の堪忍袋の緒が切れ、相手の男子生徒に殴りかかったこともあった。
成長が早かった透は、中学1年生の時点では、クラスメイトの中では体格がいいほうだったのだ。
「ねえ、今の連絡先を教えておくれよ」
誠司は言いつつ、肩にかけていた鞄からスマホを取り出した。透も出そうとして、はたと気づいた。
「そうだ俺、持ってないんだった」
「未だにかい?」
「ああ、そういうことじゃなくて。持っているには持っているけど、今は手許にないんだ」
「へえ。稀有な人だね。困らないのかい?」
「今のところは。すぐに返してもらえるし大丈夫」
誠司は納得したように頷くと、今度は鞄から手帳を取り出した。ボールペンで電話番号を書いてちぎり、折りたたんで透に渡した。
「あとでここに電話して頂戴よ。日を改めてまた話そう。ここにいるのは今日までだけど、電話はいつでも出られるから」
「わかった。電話する」
誠司がいなくなると、透は車に戻った。ランが帰ってくる気配はない。
エンジンを止めた車内は、外気と等しい温度まで上がっていた。
透はエンジンをかけ、クーラーをつけた。
出したままの本を紙袋にしまい、後部座席に戻した。ついでに飲み物と、非常食として売られていたビスケットの箱を取った。
喉を潤し、空腹を満たすと、ようやく実感がわいた。
生まれ故郷に帰ってきたのだ。
ここにくる道中、まったく気がつかなかった。
誠司の話していたとおり、随分変わっているのだろう。
誠司が通っていた南小がこの近くにあるのだとすれば、透たちが通っていた中学校もその近くにあるはずだ。あの中学校は南小の生徒と、透が通っていた北小の生徒の主な進学先だった。
中学校がこの近くにあるということはつまり、透の住んでいた家もそう遠くない距離にあるということだ。
しかし、ここから歩けない距離ではないものの、今はここを離れるわけにはいかない。ランがいつ帰ってくるかわからないのだから。
そう思ったときだった。バックミラーに映る黒い人影に気づいたのは。
その人影は左右に揺らめきながら、こちらに迫ってきている。
透は呆然と見つめているほかなかった。やがて人影と目が合うと、透は弾かれたように車から飛び出した。
透が駆け寄ると、人影は力なく片手をあげた。鉄のような匂いが鼻を掠めた。
「大丈夫ですか!?」
「チンピラに絡まれただけだ。大したことない」
ランはだるそうに運転席に座ると、そのまま目を瞑った。血色の悪い頬を横に長く走る、切り傷があった。
「すこしくたびれた。休む」
そう言うと、そそくさと目を閉じてしまった。間もなく寝息が聞こえてくる。
透は後部座席に身を乗り出し荷物を探った。しかし、消毒液や絆創膏といったものは見当たらない。
透は傷口と寝顔と外を順番に見て逡巡した。だが約束よりも大事なものがある。いつまでも迷ってなどいられなかった。
ランさん本当にごめんなさい。
透はドアを開け、車から抜け出した。
この公園の近くにスーパーがあると、前に誠司が話していた。透も何度か利用した覚えがある。
透は大通りに続く道を駆けながら、見逃さないように左右に視線を走らせた。やがて駐車場が目に入り、透は歩を緩めた。
脱力して息を吐き――途中でつっかえ、乾いた声が漏れた。
「そんなことある……?」
目の前には駐車場と、だだっ広い空き地があった。思わず舌打ちが漏れる。
スーパーが駄目ならコンビニか。ドラッグストアがここらへんにあるという話は聞いたことがない。
突っ立ったまま思考を巡らせる透に、またもや声が掛けられた。
「坊や、迷子かしら」
見れば、どこからか現れた老婦人が、透のことをしげしげと眺めていた。
誠司の祖母やこの前の老婆を和風とするならば、老婦人はその対極、ティータイムが似合いそうな洋風の出で立ちだった。
3人を会わせたらどんなやりとりをするんだろうと余計なことを考えて、慌ててやめた。今はそれどころではない。
「いや、ええっと、実は買い物ができる場所を探していて。そしたらここのスーパーが潰れてて」
「ここはもうずいぶん前からないのよ。どうも2つの会社がこの土地を巡っていつまでも揉めているらしくてね、一向に空き地のままなの」
「そうなんですか……」
「ええ。それにこの近くには他に買い物できる場所がなくてねえ。うちは息子夫婦が遠くに買いに行ってくれるんだけれども、お隣の灰田さんなんか、自分でお車を運転して買い物に行っているそうよ。こんなんじゃいつまでたっても免許を返納できないって困っていらっしゃって――」
老婦人はそれから、近所の人の生活事情についてあれこれと話した。
透は相槌を打ちながら、この話があとどれぐらい続くのかを想像し、気が遠くなるよう思いがした。
「――あら、何の話をしていたんだったかしら」
「ええっと……買い物ができる場所を探しているっていう話で」
老婦人は「そうだったわね」と手を叩き、思いもよらぬ提案をした。
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