怪しいバイト、行ってみた

濃霧

文字の大きさ
27 / 47
誰が敵で、誰が味方か

第27話

しおりを挟む


 それから1か月が経った。

 ランからの音沙汰はなく、連続殺傷事件も世間ではすっかり過去のこととなった。

 江波は概ね容疑を認めており、その供述から、類似した過去の未解決事件との関与も調べられているようだった。

 大学では期末試験が終了し、明日からいよいよ夏季休暇となった。

 最後の講義は教授の長たらしい挨拶で締めくくられた。透が筆記用具や教科書を鞄に詰めているうちに、目立つ学生たちのグループが我先にと講義室を出ていく。

 第1波が外へ抜けていった後、いくらか静かになった室内で、「あの」と誰かが声を発した。

 なんとなく視線を向けると、1人の男が緊張した様子で雪に声を掛けていた。
 
「来月の花火大会、一緒に行きませんか!」

 講義室中の視線が雪に集まる。だが、雪は物ともせず、あっけらかんとした口調で言った。

「ごめんなさい、あなた誰ですか?」

「そんな! 目が合うと必ず、笑いかけてくれたじゃないですか」

「そうでしたっけ? でも雪は人見知りだから、知らない人とは遊びに行けないんですよ」

「じゃ、じゃあ友達から」

「友達になるのにも、結構時間が要るんです。最低でも半年はないと無理な感じなんですよね。あ、でもそれじゃ夏が終わっちゃいますねー」

「ええっ」

「それに、心に決めた王子様がいるので」

 そう言って微笑む雪と目が合った。よくわからないが、透もとりあえず微笑んでおいた。
 にわかに講義室がざわつきだす。特に扉の近く、雪を誘った男の友人らしき数名は、膝をついて泣き叫んでいる。とんだカオスだ。

「冗談でしょ……そんなの聞いてないぞ!」

「言ってないですもん」

 心なしか好奇の視線を感じ始めて、透は逃げるように講義室を出た。

 帰ろうかと思いかけて、まだ夏休みに読む本を借りていないことを思い出した。途中でエレベーターを降り、大学図書館のある隣の棟に移動する。

 日が差し込むガラス張りの渡り廊下を歩いていると、眼下に浮足立った学生たちの姿が見える。

 その中に動きのうるさい、やたら派手な柄のTシャツを着た後ろ姿を見つけ、透は小さく吹き出した。

 彼の父が警察関係者であると、事件後に知った。
 その繋がりで、透は江波から受けた被害について、警察に話を聞かれることがあった。

 署内でこの前の警察官たちに遭遇するのではないかと肝を冷やしたが、そんなことはなかった。

 当然、ランの話はしていない。よって、どのような流れでその場にいたのかを説明するのに苦労したが、特に突っ込まれることはなかった。

 隣の棟に入り、階段へと足を向けようとしたところで、透の耳が微かな音色を拾った。

 その旋律に、透は自然と足を止めた。

 あの曲だ。

 眠れない夜を乗り越えるために、幾度も口ずさんだ曲。名前は思い出せないけど、とても好きな曲。

 音がする場所を探して、勝手に足が動く。そのうち、駆け足になった。

 胸に広がるのは懐かしさだった。夏の初め、バンドチームがこの曲を演奏していたが、透はやはり、ピアノバージョンがたまらなく好きだった。

 明るいようでどこか悲しい、この曲を知ったのはいつ、どこでのことだっただろう。

 ――いい曲だね。

 ふいに頭の中で、愛華の声がした。

 ――透はこの曲好き?

 記憶の一部が蘇る。あたりに大勢の人がいる。熱気に包まれ、透は立っていた。

 ――まあまあかな。

 ――素直じゃないな。好きって言えばいいのに。

 何かの紙でパタパタと扇ぎながら、愛華は半笑いで言う。

 ――まあまあだし。好きじゃないし。

 ――はいはい、難しいお年頃なんだよねー。……言い返してこないの? よっぽど夢中なんだ。

 驚いたような愛華の声に応えずに、透は食い入るように前を見ている。

 ――透が真剣になるところなんて、始めて見た。

 ――うるさい。邪魔すんな。

 ――ひっどい。ついてきてあげてるのに。

 険悪な雰囲気になる2人を窘める声がする。兄のさとるだ。

 ――皆演奏に集中しているんだから、大声で喋っちゃいけないよ。

 ――はーい。ねえ、聡くんはどうしてこの中学に入らなかったの? 北小出身でしょう?

 ――そうだよ。でも、サッカーに力を入れている中学に入りたかったんだ。

 ――プロになりたいの?

 ――ううん。そういうわけじゃないよ。

 ――なりたくないの? じゃあなんで?

 ――サッカーが好きなんだ。

 兄の答えに納得がいかなかったのか、大量に質問の弾を込める気配を感じる。
 透は注意を前に向けたまま、それを止めた。

 ――袖引っ張んないで! 伸びるでしょ。

 ――うるさい。聴いてるんだから静かにしろよ。

 ――結局聴いてるんじゃん。

 愛華はぶつくさ小言を言ったが、すぐに大人しく前を向いた。

 ――あの人、よく見たらイケメン。

 ――ピアノの? 俺も思った。

 ――ちがうよ。ピアノの人はちょっと怖い。

 透は講堂の扉を開け、目を見張った。あのときの景色が、今、目の前に広がっていた。

 広い舞台の、真ん中よりもやや左にずれた場所で、彼がピアノを弾いている。見た目に似合わず、繊細な指使いで、あの曲を奏でている。

 扉の傍で、音を立てないようにしゃがみ込み、透は聞き入った。

 曲は1度大きく盛り上がって、終わった。

 衝動的に拍手をして、思いのほか響いたことに焦っていると、ピアノのほうから、人が立ち上がる気配がした。

 透は駆け寄りたいような、逃げ出したいような気持ちになった。だが、どちらを選ぶ間もなく、彼――ランが目の前までやってきた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

完成した犬は新たな地獄が待つ飼育部屋へと連れ戻される

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

冴えないおじさんが雌になっちゃうお話。

丸井まー(旧:まー)
BL
馴染みの居酒屋で冴えないおじさんが雌オチしちゃうお話。 イケメン青年×オッサン。 リクエストをくださった棗様に捧げます! 【リクエスト】冴えないおじさんリーマンの雌オチ。 楽しいリクエストをありがとうございました! ※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...