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番外編
病人だから許してあげる△
しおりを挟む今日は朝から調子が悪い。身体はだるいし頭がぼうっとする。でも動けないほどではなかったので、Kは普段通りに出勤した。
特に大きなミスもなくやりきれたと思う。1日中気を張っていたせいか、退勤する頃には朝よりもだいぶ悪化していた。
身体が熱くて息切れがする。でもあとは帰るだけなので問題ない。今晩はシャワーを浴びたら、さっさとベッドに入ろう。
「お前さあ」
「クソ……」
「いきなりクソは辛辣だね」
後ろから掛かった声に、心なしか倦怠感が増した。振り切って帰ってしまおうかと思ったが、横に並ばれては手遅れだ。
「どうしたの?」
「何が」
「朝から」
Nの言葉に、Kは内心大きく動揺した。まさかにコイツに限って心配してくるなんて。
「別になんともない」
こんな時でもぶっきらぼうに返してしまう自分が嫌になる。
「なんともなくないだろ、それ」
珍しく真剣な顔で言われて、Kは変な気分になった。良いか悪いかでいえば、悪くない。
「今日のお前、エロいよ」
「……………は?」
「顔がエロい」
――俺の気持ちを返してくれ。
「……しねよ」
Kはもはや語気を強く言い返す体力もなかった。早く帰りたいと全身が訴えてきている。
「生まれて初めて言われた。そんなこと」
「へえ」
「悪くないね」
「………」
Kは悟った。コイツと話すのは時間の無駄だ。歩くペースを速めつつ捨て台詞のように言う。
「帰るんで」
「うん」
物分かりのいい返事に安堵したのも束の間、再び横に人の気配がする。
「……え?」
「電車だろ? 乗っけてやるよ」
「マジで?」
「マジで」
「怖……」
Nがこんなことを言い出すなんて、普通じゃない。
「金とか払わないっすよ」
困惑して敬語が混ざった。上がり続ける熱のせいだろう、鉄のような仏頂面が崩れかけている。
NはそんなKに笑みを深くして言った。
「金なんて要らないよ」
Kは素直に喜べなかった。
〝タダより高いものはない〟
なぜかふと、祖母の口癖が頭をよぎった。
助手席に乗り、住所を伝えてすぐに意識が途切れた。
「着いたぞ」
次に起きた時には自宅のマンションの前だった。ただでさえ寝起きなのに、身体が重くてなかなか言うことをきかない。
のろのろとシートベルトを外していると、痺れを切らしたようにNが助手席に回ってドアを開けた。
「降りろ。遅い」
「……一応病人なんだが」
「降りないと襲うぞ」
「警察だろお前」
とはいえ殴られでもしたら敵わないので、できるだけ急いで車から出た。
地面についた2本の足が笑えるほど頼りない。これは限界が近いなと、他人事のように思った。
「あざした。じゃ……」
「部屋どこ」
「え?」
「お前の部屋」
質問の意図が分からず素直に部屋番号を答えると、Nは当たり前のような顔をしてこう言った。
「行くぞ」
「はあ?」
「ほら腕貸せ」
ふらつくKの腕を掴み、肩に回して身体を支えてくれた。やさしすぎて怖い。
「どういう風の吹き回しだ……?」
「南南西かな」
「わけわからん……」
玄関の前まで来ると、もたつくKから鍵を奪い取ってNが開けてくれた。
リビングに着くなりぽいっと身体を離され、支えを失った身体は運よくソファに着地した。もう起き上がれそうにない。
「冷蔵庫は?」
「……奥、キッチンに……」
「薬は?」
「……くすり……?」
そんなものはない。ひとり暮らしを始めてから体調を崩したことなど、今までなかったから。
「なるほど。馬鹿は風邪引かないってか。でもこうやってぶっ倒れてんだから、ちょっと賢くなったのかもな」
ペラペラ喋りながら部屋を出ていく。ようやく帰ってくれるのかとホッとして、Kはそのまま眠ってしまった。
✻
口をこじ開けられて目が覚めた。反射的に閉じようとすると無遠慮に指を突っ込まれる。
「~~ッ!?!?」
「じっとしてろ」
他人に舌を触られるのは奇妙な感覚だった。相手がNだと思うと余計にだ。
Kが戸惑っていると、口の奥にサラサラと粉末が入れられた。代わりに指が出ていく。
「オェ……」
苦い。なんだこれ。
「粉薬だよ」
「こんな苦いもんなのか……」
渋い顔をするKをNは楽しそうに見下ろしている。被験体を見る研究者のような眼差しだ。本当に性格が終わっている。
「水……」
「ん?」
「水くれ」
口に滞在する時間が長くなればなるほど、この薬は苦さを増していくような気がした。飲み慣れていないKにはとても耐えきれない。
「おい、水」
「やだって言ったら?」
「自分で取り行く。どいてくれ」
「やだ」
なんだコイツは。Kはムカついて蹴ってやろうと思ったが、Nが馬乗りになっているせいで足が持ち上げられない。最悪だ。
ひどい苦みに襲われ、熱のせいもあって、不覚にもKの目は潤んできた。
「……絶景」
ゲスい笑みを浮かべるNが涙のせいでだんだんぼやけていく。
クソ、良薬口に苦しというがこんな苦くなくてもいいだろう。Kにはそんな悪態を口にする体力も残っていない。
瞬きをして頬に涙を伝わせていると、突然口をこじ開けられ水が注がれた。
飲み込む準備をしていなかったKは、むせてそのほとんどを吐き出してしまった。
「ゲホッ、ゲホゲホッ」
「あーあ」
頭上で呆れた声がするが、Kにしてみればいきなり注いでくるNが悪い。ひと言声を掛けるとかするだろう。普通。
恨みがましく睨んでいると顎を掴まれ、今度はさっきよりもゆっくりと水を注がれた。
だが仰向けの状態で水を飲むのは、思っていたより難しかった。舌が水の通り道を塞いでしまい、口の端からダラダラと零してしまう。
「へったくそ」
言葉とは裏腹にニヤニヤ笑うNが癪に障る。中途半端に溶けた粉薬が口の中を占領していて不快だった。身体を起こすには怠すぎる。もうどうしようもない。
諦めて寝ようとKが半ば目を閉じたときだった。
「ッ?!」
唇がやわらかいもので覆われた。
「んんっ」
ザラザラした何かに舌を押さえられ、少しぬるい水が流れ込んでくる。こくんと喉が動くペースに合わせて少量ずつ。
「……たしかに苦いな」
何が起こったのか理解ができなかった。潤んだ視界に映るNは、Kの口元を雑に拭いながら言った。
「やっぱり口ちっさいね、お前」
親指が濡れた唇をむにむに弄る。そのまま侵入してきて、舌を摘まれた。
「舌もちっさい。ピンク色」
ぼうっとした頭は情報の処理を拒んでいた。頭が回らないのは熱のせいだ。
「病人じゃなきゃなあ……」
Nが何かをぼやいている。意味はよくわからない。
「手、借りるよ」
その夜、Kは口に出すのも憚られるような淫らな夢を見た。相手が誰だったかなど思い出したくもない。
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