怪しいバイト、行ってみた

濃霧

文字の大きさ
36 / 47
番外編

病人だから許してあげる△

しおりを挟む



 今日は朝から調子が悪い。身体はだるいし頭がぼうっとする。でも動けないほどではなかったので、Kは普段通りに出勤した。

 特に大きなミスもなくやりきれたと思う。1日中気を張っていたせいか、退勤する頃には朝よりもだいぶ悪化していた。

 身体が熱くて息切れがする。でもあとは帰るだけなので問題ない。今晩はシャワーを浴びたら、さっさとベッドに入ろう。

「お前さあ」

「クソ……」

「いきなりクソは辛辣だね」

 後ろから掛かった声に、心なしか倦怠感が増した。振り切って帰ってしまおうかと思ったが、横に並ばれては手遅れだ。

「どうしたの?」

「何が」

「朝から」

 Nの言葉に、Kは内心大きく動揺した。まさかにコイツに限って心配してくるなんて。

「別になんともない」

 こんな時でもぶっきらぼうに返してしまう自分が嫌になる。

「なんともなくないだろ、それ」

 珍しく真剣な顔で言われて、Kは変な気分になった。良いか悪いかでいえば、悪くない。

「今日のお前、エロいよ」

「……………は?」

「顔がエロい」

 ――俺の気持ちを返してくれ。

「……しねよ」

 Kはもはや語気を強く言い返す体力もなかった。早く帰りたいと全身が訴えてきている。

「生まれて初めて言われた。そんなこと」

「へえ」

「悪くないね」

「………」

 Kは悟った。コイツと話すのは時間の無駄だ。歩くペースを速めつつ捨て台詞のように言う。

「帰るんで」

「うん」

 物分かりのいい返事に安堵したのも束の間、再び横に人の気配がする。

「……え?」

「電車だろ? 乗っけてやるよ」

「マジで?」

「マジで」

「怖……」

 Nがこんなことを言い出すなんて、普通じゃない。

「金とか払わないっすよ」

 困惑して敬語が混ざった。上がり続ける熱のせいだろう、鉄のような仏頂面が崩れかけている。

 NはそんなKに笑みを深くして言った。

「金なんて要らないよ」

 Kは素直に喜べなかった。

 〝タダより高いものはない〟
 なぜかふと、祖母の口癖が頭をよぎった。

 助手席に乗り、住所を伝えてすぐに意識が途切れた。

「着いたぞ」

 次に起きた時には自宅のマンションの前だった。ただでさえ寝起きなのに、身体が重くてなかなか言うことをきかない。

 のろのろとシートベルトを外していると、痺れを切らしたようにNが助手席に回ってドアを開けた。

「降りろ。遅い」

「……一応病人なんだが」

「降りないと襲うぞ」

「警察だろお前」

 とはいえ殴られでもしたら敵わないので、できるだけ急いで車から出た。

 地面についた2本の足が笑えるほど頼りない。これは限界が近いなと、他人事のように思った。

「あざした。じゃ……」

「部屋どこ」

「え?」

「お前の部屋」

 質問の意図が分からず素直に部屋番号を答えると、Nは当たり前のような顔をしてこう言った。

「行くぞ」

「はあ?」

「ほら腕貸せ」

 ふらつくKの腕を掴み、肩に回して身体を支えてくれた。やさしすぎて怖い。

「どういう風の吹き回しだ……?」

「南南西かな」

「わけわからん……」

 玄関の前まで来ると、もたつくKから鍵を奪い取ってNが開けてくれた。

 リビングに着くなりぽいっと身体を離され、支えを失った身体は運よくソファに着地した。もう起き上がれそうにない。

「冷蔵庫は?」

「……奥、キッチンに……」

「薬は?」

「……くすり……?」

 そんなものはない。ひとり暮らしを始めてから体調を崩したことなど、今までなかったから。

「なるほど。馬鹿は風邪引かないってか。でもこうやってぶっ倒れてんだから、ちょっと賢くなったのかもな」

 ペラペラ喋りながら部屋を出ていく。ようやく帰ってくれるのかとホッとして、Kはそのまま眠ってしまった。


  ✻


 口をこじ開けられて目が覚めた。反射的に閉じようとすると無遠慮に指を突っ込まれる。

「~~ッ!?!?」

「じっとしてろ」

 他人に舌を触られるのは奇妙な感覚だった。相手がNだと思うと余計にだ。

 Kが戸惑っていると、口の奥にサラサラと粉末が入れられた。代わりに指が出ていく。

「オェ……」 

 苦い。なんだこれ。

「粉薬だよ」

「こんな苦いもんなのか……」

 渋い顔をするKをNは楽しそうに見下ろしている。被験体を見る研究者のような眼差しだ。本当に性格が終わっている。

「水……」

「ん?」

「水くれ」

 口に滞在する時間が長くなればなるほど、この薬は苦さを増していくような気がした。飲み慣れていないKにはとても耐えきれない。

「おい、水」

「やだって言ったら?」

「自分で取り行く。どいてくれ」

「やだ」

 なんだコイツは。Kはムカついて蹴ってやろうと思ったが、Nが馬乗りになっているせいで足が持ち上げられない。最悪だ。

 ひどい苦みに襲われ、熱のせいもあって、不覚にもKの目は潤んできた。

「……絶景」

 ゲスい笑みを浮かべるNが涙のせいでだんだんぼやけていく。

 クソ、良薬口に苦しというがこんな苦くなくてもいいだろう。Kにはそんな悪態を口にする体力も残っていない。

 瞬きをして頬に涙を伝わせていると、突然口をこじ開けられ水が注がれた。
 飲み込む準備をしていなかったKは、むせてそのほとんどを吐き出してしまった。

「ゲホッ、ゲホゲホッ」

「あーあ」

 頭上で呆れた声がするが、Kにしてみればいきなり注いでくるNが悪い。ひと言声を掛けるとかするだろう。普通。

 恨みがましく睨んでいると顎を掴まれ、今度はさっきよりもゆっくりと水を注がれた。

 だが仰向けの状態で水を飲むのは、思っていたより難しかった。舌が水の通り道を塞いでしまい、口の端からダラダラと零してしまう。

「へったくそ」

 言葉とは裏腹にニヤニヤ笑うNが癪に障る。中途半端に溶けた粉薬が口の中を占領していて不快だった。身体を起こすには怠すぎる。もうどうしようもない。

 諦めて寝ようとKが半ば目を閉じたときだった。

「ッ?!」

 唇がやわらかいもので覆われた。

「んんっ」

 ザラザラした何かに舌を押さえられ、少しぬるい水が流れ込んでくる。こくんと喉が動くペースに合わせて少量ずつ。

「……たしかに苦いな」

 何が起こったのか理解ができなかった。潤んだ視界に映るNは、Kの口元を雑に拭いながら言った。

「やっぱり口ちっさいね、お前」

 親指が濡れた唇をむにむに弄る。そのまま侵入してきて、舌を摘まれた。

「舌もちっさい。ピンク色」

 ぼうっとした頭は情報の処理を拒んでいた。頭が回らないのは熱のせいだ。

「病人じゃなきゃなあ……」

 Nが何かをぼやいている。意味はよくわからない。

「手、借りるよ」



 その夜、Kは口に出すのもはばかられるような淫らな夢を見た。相手が誰だったかなど思い出したくもない。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

冴えないおじさんが雌になっちゃうお話。

丸井まー(旧:まー)
BL
馴染みの居酒屋で冴えないおじさんが雌オチしちゃうお話。 イケメン青年×オッサン。 リクエストをくださった棗様に捧げます! 【リクエスト】冴えないおじさんリーマンの雌オチ。 楽しいリクエストをありがとうございました! ※ムーンライトノベルズさんでも公開しております。

完成した犬は新たな地獄が待つ飼育部屋へと連れ戻される

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

トマトふぁ之助
BL
 某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。  そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。  聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

あの部屋でまだ待ってる

名雪
BL
アパートの一室。 どんなに遅くなっても、帰りを待つ習慣だけが残っている。 始まりは、ほんの気まぐれ。 終わる理由もないまま、十年が過ぎた。 与え続けることも、受け取るだけでいることも、いつしか当たり前になっていく。 ――あの部屋で、まだ待ってる。

処理中です...