怪しいバイト、行ってみた

濃霧

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番外編

今日はいい日☆

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 雪が目に涙をいっぱい溜めて見つめる先には、透がいて、楽しそうに誰かと話していた。あんなに笑っている透を初めて見たが、何が雪を泣かせたのか、亮太にはさっぱりわからなかった。

 走っていってしまった雪を、あっけにとられて見送ったまま、亮太はしばらく動けなかった。

「邪魔だよ」

「……っ、すみません」

 人にぶつかり文句を言われて、ようやく我に返った。流動体のように動き続ける人波では、止まっているだけで迷惑をかける。とにかくここから移動しなくては。

 あてどなく歩きながら、帰るべきだろうかと思った。今まで祭りや花火大会のような場で1人取り残されることなどなかったから、どうしていいか迷ってしまう。

「まだ花火上がってないもんな」

 帰るにはもったいない。5分ぐらい見てみるか。打ち上がるまでは、残り10分を切っているようだし。

「雪ちゃん、ちゃんと駅に着けたかな」

 何もない夜空を見上げていたら、雪のことばかりが頭に浮かんだ。

 明るくて笑顔が可愛い女の子だなと、初めに見たときから思っていた。雪の笑顔にはいやな嘘がない。

 相手に取り入ろうとか、騙そうとか、そういう目的で笑顔を使う人間と、亮太は少なからず出会ってきた。そういう相手と渡り合うには、自分も笑顔で武装しなければならない。

 いつしか上手な笑顔を覚え、それを苦労せず使いこなせるようになった。

 でも友達といるときぐらいは、素の自分でいたいと思った。

 その点透は、亮太がくだらない話をしても「何を言っているんだこいつ」という顔をしながら、律儀に最後まで聞いてくれる。

 特段オチがなくても、高尚な話じゃなくても、失望して離れていったりしない。
 小馬鹿にされていると感じるときはあるが、透に呆れられるのを亮太は案外気に入っている。

 風が吹いたら飛んで行ってしまいそうな危うさがあり、心配になって声を掛けたのがきっかけだが、友達になれてよかったなと亮太はつくづく思っている。

 雪も透も、大好きだ。大好きな2人だから、結ばれてくれたら嬉しい。……きっと嬉しい。

「お兄さん」

 通り過ぎようとした屋台の中から声がした。

「……俺ですか?」

「はいそうです。ラムネ買いませんか? 冷えていて美味しいですよ」

 眼鏡を掛けた若い男が、にこやかにそう言ってきた。商売相手に向けるには温かすぎるぐらいの笑顔で、この人は苦労していそうだなと思った。

「1本ください」

 ちょうど喉が渇いていたので、亮太は迷わずそう答えた。

「はい、まいどあり」

「いくらですか?」

「あー……タダでいいですよ」

「え、どうしてです?」

「うーん。あ、ほら、もう屋台も閉じる時間ですからね」

 間と表情から、即席で作った理由なのが丸わかりだった。正直な人なんだなと亮太は微笑ましく思った。本当の理由はわからない。でも、相手が善意で言ってくれているのは伝わってきた。

 普段は面倒を避けるために断るところだが、今日くらいはいいかもしれない。

「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えます。ついでに何か食べるものを買っていいですか? ここ、パン屋ですよね」

 そう言うと、男は嬉しそうに顔をほころばせた。

「ええ。パン屋です。メニューにあるものは一通り揃っていますので、お好きなものをお選びください」

「うわ、いっぱいあるんですね。じゃあ、おすすめのメロンパンで」

「アイスクリームを挟んだものとそうでないものがありますが、どちらになさいますか?」

「パンにアイス挟むんですか? すごいな。じゃあ挟んだほうでお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 できあがりを待っていると、後ろの方でピュ~ッと音がした。振り向くと、パッと夜空に大輪が咲いていた。

「はじまりましたね。はいどうぞ」

「ありがとうございます」

 男はメロンパンをラムネを渡し終えると、するりと屋台から出てきた。重力を感じさせない身のこなしが、亮太のうちで飼っている猫みたいだった。

「裏に椅子ありますけど、使います?」

「いいんですか?」

「ええ。ずっと立ってるのも疲れるでしょう」

「ちょっと持っててください」と亮太に1本のラムネを預けて、男は2脚のパイプ椅子を持って戻ってきた。

「はあ……」

 男は椅子に腰掛けるなり、体の底から漏れたよう深いため息をついた。

「お疲れ様です。ずっとおひとりで回していたんですか?」

「そうなんです。色々事情がありまして」

 男は難しい顔をしつつ眉間に手をやった。

「いやでも、僕のことはいいのですよ。どうぞ飲んでください」

「ありがとうございます」

 瓶のラムネは、たしかによく冷えていた。パチパチと口のなかで爆ぜる炭酸が、頭上で弾ける花火とリンクしているようで、何だかおかしかった。

 次々に打ち上がる花火を30発ほど見ただろうかという頃になって、亮太の興味は隣に座るくたびれた様子の男に移った。

「おいくつなんですか?」

 ぼんやりと花火を見ていた瞳が、亮太の方を向いた。花火をしっかり見ようとしていたのだろうか、先ほどよりもパッチリと開いている。まるで楽しいおもちゃを見つけたときの猫みたいだった。

「僕ですか?」

「そうです。歳近そうだなって思ったので」

 そう話すと、男は眉を下げて微笑んだ。徳の高そうな笑顔だ。

「19歳、大学1年です」

「え! 同い歳です!」

「そうですか」

 声を上擦らせる亮太に対して、男は目を伏せて静かに微笑むだけだった。

「俺は✕✕大なんですけど、もしかして同じ大学だったりします?」

「それはどうでしょうね」

「濁された……!」

 頭を抱えて落ち込む亮太に、男は何か言いたげな表情をした。

「俺の顔、何かついてます?」

「いえ。その……アイスクリームが溶けてこぼれています」

 下を見れば、いつの間にか地面に丸く白い跡がいくつもできていた。そこに無数のアリが群がっている。

「えっ! あああ! ごめんなさいすぐ食べます!」

 作り手にしてみればさぞ不愉快な光景だっただろう。申し訳なくなり、亮太は話すのをやめて食べることに集中することにした。

「そんな勢いで食べたら喉に詰まりますよ」

「いや、めちゃくちゃ美味しいのでつい」

 サクッとした外側と、ふわふわの生地。バターの香ばしい香りと冷たいバニラの味が相性抜群だ。

「そうですか。それはよかったです。アイスクリーム入りは今回限定ですが、そのメロンパンはいつでも売っているので、またぜひ食べにいらしてください」

「店舗があるんですね! いいことを聞きました。絶対また食べに行きます」

「一応、店舗というより移動販売車なのですが、このあたりの地域を巡回しております」

「へえー!」

 そういえば、移動販売車と似たようなニュアンスの言葉を、どこかで聞いた覚えがあった。それほど前のことではないはずだ。

「どうかされました?」

「いや、なんでもないです。それよりメロンパン、あとひと口になっちゃいました。あっという間すぎて悲しいです」

 お世辞ではなく、今まで食べたメロンパンの中で最も美味しかったので、食べ切ってしまうのが惜しかった。

 雨に濡れた犬のようにしょぼくれる亮太に、男は逡巡した様子を見せた。

「……よろしければもう1つお食べになりますか?」

「いいんですか?! 食べます!」

 男は細い目を丸くして、それからくすっと笑った。口の端がきゅっと持ち上がっている。今までよりも素に近い笑顔で、亮太は嬉しくなった。

「構いませんよ。たくさん食べてもらえるのは嬉しいですから。取ってきますね」

「お願いします!」

 とどのつまり、亮太は最後の花火が打ち上がって消えていくのをしっかり見届け、家に帰った。

「ただいまー」

 玄関を開けると、三毛猫のちくわが出迎えてくれた。目を細めて足元にすり寄ってくるのがとても可愛らしい。

「似てるよな」

 ふわふわの顎の下を撫でながら、最後まで共に花火を見た男のことを思い出す。

「にゃー」

「だよな。ちくわもそう思うよな」

「にゃーん」

「ん? なんだ、遊ぶか?」

「にゃー」

「よし、じゃあ俺の部屋行こうぜ」

 亮太の言葉を理解したかのように、ちくわはさっと足から離れて階段を駆け上がっていく。

 そのあとを追いながら、今日はいい日だったなと亮太は思うのだった。



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