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第3章 捏造の始まり:パワハラ懲戒で黙らせる
脅しの核
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監査室の声をドア越しに遮って、私は鍵を掛け直した。完全に遮断できるわけじゃない。それでも“同席”させないだけで、新人の呼吸が少し戻るのが分かった。空気は、人の配置で変わる。
「……今の人たちが怖い?」
私が小声で聞くと、新人は頷く代わりに、唇だけを強く噛んだ。頷いたら終わる、と身体が覚えている。
「守秘義務の話、さっき続きがあるよね」
新人の目が揺れる。言えば助かるかもしれない。でも言えば潰される。その迷いに、私は火消し屋じゃない声を混ぜた。
「ここで言ったことは、あなたを守るための“証拠”になる。守秘義務って言葉は、正しく使えば盾。悪用されれば首輪。——今は首輪になってる」
新人の喉が鳴り、やっと声が出た。
「……昨日、監査の人が来て」
「誰が」
「名刺は見せませんでした。『監査』ってだけ」
名刺を出さない監査。便利な仮面だ。
「その人が、紙を置きました」
新人は鞄から折り目だらけのA4を取り出した。手が震えて、紙の端がかすかに音を立てる。上部に太字。
『秘密保持・守秘義務に関する注意喚起』
下に、いかにも正しい文面。最後の一行だけが、異様に冷たい。
——※本件に関し、社内外へ情報を漏洩した場合、就業規則に基づき厳正に対処します。
「これを……読ませて、署名させました」
「署名?」
新人は頷き、指先で自分の名前の欄をなぞった。文字が震えている。紙の上の震えは、嘘をつかない。
「“何を話したか”じゃなくて、“余計なことを話すな”って」
新人の声が擦れる。
「それで……言い方まで」
「言い方?」
私の胸が、嫌な角度で冷えた。テンプレの匂い。
新人は、覚えてしまった文を一つずつ吐き出した。
「『Aさんから精神的苦痛を受けた』『周囲に相談できない状況だった』『日常業務に支障が出た』って……」
息が止まる。USBで見た“想定問答”と、同じ匂い。
「それ、誰が言ったの」
「監査の人が。『このくらいの表現で』って……」
そして、最も小さな声で付け足した。
「『もし違う言い方をしたら、守秘義務違反になる可能性がある』って」
守秘義務違反。便利な言葉だ。真実を黙らせるのに一番早い。規程は盾にも剣にもなる——その剣先が、今はこの子の喉元に当たっている。
私はペンを取り、ヒアリングシートの余白に“そのまま”書いた。新人の言葉を、切り貼りされない形で残す。
「あなたは、Aさんに何を言われた?」
新人は一度目を閉じ、言った。
「……『俺が守るから、余計なこと言うな』って」
守る。告発者もまた、“守秘義務”の首輪に噛みつこうとしていたのだと思う。だから強い言葉になった。それが“パワハラ”に変換される。
ドアの向こうで、監査室の靴音が遠ざかった。探るだけ探って、次の部屋へ行ったのだろう。私は息を吐き、新人を見た。
「あなたは脅された。——それは事実です」
新人の目が潤む。
「でも、私が一つだけ確認する。あなたは“被害者”ですか?」
新人の肩が跳ねた。質問の角度が違うのが分かる。私は続ける。
「本当は、あなたも“見た側”で、怖くて、誰かの言葉をなぞらされた。——そうだよね」
新人は、堰が切れたように小さく泣いた。声を出さない泣き方。声を出すのが怖い泣き方。私は机の上の“注意喚起”の紙をそっと押さえた。これが首輪の実物だ。
「この紙、コピー取らせて」
「……持ってたら、バレます」
「ここに置いていい。私が保全する」
“証拠保全”。昨夜のメールの言葉を、こっちの意味で使う。
新人が頷いた瞬間、私は決めた。この件の核は、パワハラじゃない。守秘義務という言葉で、人の口と心を縛って、筋書き通りの証言だけを作ること。
火はもう回っている。なら、私は首輪の鎖を切る順番を、こちらで作る。
「……今の人たちが怖い?」
私が小声で聞くと、新人は頷く代わりに、唇だけを強く噛んだ。頷いたら終わる、と身体が覚えている。
「守秘義務の話、さっき続きがあるよね」
新人の目が揺れる。言えば助かるかもしれない。でも言えば潰される。その迷いに、私は火消し屋じゃない声を混ぜた。
「ここで言ったことは、あなたを守るための“証拠”になる。守秘義務って言葉は、正しく使えば盾。悪用されれば首輪。——今は首輪になってる」
新人の喉が鳴り、やっと声が出た。
「……昨日、監査の人が来て」
「誰が」
「名刺は見せませんでした。『監査』ってだけ」
名刺を出さない監査。便利な仮面だ。
「その人が、紙を置きました」
新人は鞄から折り目だらけのA4を取り出した。手が震えて、紙の端がかすかに音を立てる。上部に太字。
『秘密保持・守秘義務に関する注意喚起』
下に、いかにも正しい文面。最後の一行だけが、異様に冷たい。
——※本件に関し、社内外へ情報を漏洩した場合、就業規則に基づき厳正に対処します。
「これを……読ませて、署名させました」
「署名?」
新人は頷き、指先で自分の名前の欄をなぞった。文字が震えている。紙の上の震えは、嘘をつかない。
「“何を話したか”じゃなくて、“余計なことを話すな”って」
新人の声が擦れる。
「それで……言い方まで」
「言い方?」
私の胸が、嫌な角度で冷えた。テンプレの匂い。
新人は、覚えてしまった文を一つずつ吐き出した。
「『Aさんから精神的苦痛を受けた』『周囲に相談できない状況だった』『日常業務に支障が出た』って……」
息が止まる。USBで見た“想定問答”と、同じ匂い。
「それ、誰が言ったの」
「監査の人が。『このくらいの表現で』って……」
そして、最も小さな声で付け足した。
「『もし違う言い方をしたら、守秘義務違反になる可能性がある』って」
守秘義務違反。便利な言葉だ。真実を黙らせるのに一番早い。規程は盾にも剣にもなる——その剣先が、今はこの子の喉元に当たっている。
私はペンを取り、ヒアリングシートの余白に“そのまま”書いた。新人の言葉を、切り貼りされない形で残す。
「あなたは、Aさんに何を言われた?」
新人は一度目を閉じ、言った。
「……『俺が守るから、余計なこと言うな』って」
守る。告発者もまた、“守秘義務”の首輪に噛みつこうとしていたのだと思う。だから強い言葉になった。それが“パワハラ”に変換される。
ドアの向こうで、監査室の靴音が遠ざかった。探るだけ探って、次の部屋へ行ったのだろう。私は息を吐き、新人を見た。
「あなたは脅された。——それは事実です」
新人の目が潤む。
「でも、私が一つだけ確認する。あなたは“被害者”ですか?」
新人の肩が跳ねた。質問の角度が違うのが分かる。私は続ける。
「本当は、あなたも“見た側”で、怖くて、誰かの言葉をなぞらされた。——そうだよね」
新人は、堰が切れたように小さく泣いた。声を出さない泣き方。声を出すのが怖い泣き方。私は机の上の“注意喚起”の紙をそっと押さえた。これが首輪の実物だ。
「この紙、コピー取らせて」
「……持ってたら、バレます」
「ここに置いていい。私が保全する」
“証拠保全”。昨夜のメールの言葉を、こっちの意味で使う。
新人が頷いた瞬間、私は決めた。この件の核は、パワハラじゃない。守秘義務という言葉で、人の口と心を縛って、筋書き通りの証言だけを作ること。
火はもう回っている。なら、私は首輪の鎖を切る順番を、こちらで作る。
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