恋愛禁止条項の火消し屋は、子会社社長を守る側に立つ

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第4章 チャット切り貼り:主人公が“共犯”にされる

強引な守り

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別室は、会議室より狭く、空気が薄かった。窓のブラインドが半分だけ下ろされていて、朝の光が縞になって机を切っている。机の上には、私がさっき置いたはずのない“書類一式”が整然と並べられていた。——整えたのは、こっちじゃない。

佐伯の側近が椅子を引く。丁寧な動作。丁寧な圧。

「こちらへ」

私は座らず、立ったまま言った。

「“直接”というのは、電話ですか」
「はい。すぐ繋ぎます」

側近がスピーカーを押す。

ワンコールで繋がった。

『福本さん、お疲れさま』

佐伯の声は穏やかだった。穏やかすぎて、背中が冷える。

『現場で、余計なことを言っているそうだね』
「余計、とは」
『守秘義務だよ。君が“首輪”だの“整列”だの、煽る言葉を使うと、統合PJの秩序が崩れる』

秩序。円滑。いつもの単語。私は呼吸を整え、机の上の“申立書(暫定)”のタイトルを指先でなぞった。触れていると、冷静になれる。

「私は煽っていません。証拠保全と聴取の適正性を確認しているだけです」
『適正性の確認は本社がやる。君の仕事は“手順通り”だ』
「手順通りなら、全ログの開示をお願いします。匿名通報窓口の投稿ログ、管理権限、テンプレの配布履歴」

一拍。スピーカー越しに、佐伯の呼吸が止まる。

『……福本さん』

名前の呼び方が、少しだけ変わった。柔らかいのに、刃。

『君は賢い。だから分かるはずだ。必要最小限で動け。波及はさせるな』
「波及を止めたいなら、切り貼りの出どころを押さえるべきです」
『切り貼り、という表現は不適切だね』
「不適切なのは、条件を削って断定だけを流す行為です」

側近の目が細くなる。監査室の男が、椅子の背で小さく咳払いをした。この部屋には、私と側近だけじゃない。壁際に監査が二人。最初から、整列している。

『君は、社長と距離を取りなさい』

佐伯が、唐突に言った。

『現場は“敵意”が強い。君が燃えれば、全部終わる』

私の胃が冷えた。燃えるな。君のため。いつもの鎖。

「社長との接触は、業務上必要です」
『必要最小限だ』
「では“必要最小限”の定義を、文書でください。監査にも共有してください」

沈黙。側近の指が、机の端を小さく叩く。その瞬間——別室のドアが、ノックもなく開いた。

「——必要最小限、だと?」

低い声。社長だった。コートのまま、目だけが燃えている。寝ていない目。怒鳴らない怒りの目。側近が立ち上がり、慌てた礼儀を貼り付ける。

「社長、ここは——」
「俺の会社だ」

社長はそれだけ言って、私と机の間に半歩入った。庇う動き。けれど、庇い方が強引すぎて、空気が一瞬でざわつく。

スピーカーから、佐伯の声が響く。

『社長。現地対応は福本さんに任せています。介入は——』
「介入?」

社長が笑った。口だけ。

「お前らが現場に“監査”って札貼って入り込んで、匿名通報を量産して、告発者を自宅待機にして。どこが“任せてる”だ」

監査室の男が、柔らかく言う。

「社長、誤解があるようです。匿名通報は社員の自主的な——」
「自主的?」

社長が机を指で叩く。音は小さいのに、会議室より刺さる。

「二分で量産される“自主”があるなら、工場の改善も二分で終わるな」

空気が固まる。私の胸の奥で、警報が鳴った。——これは危ない。社長が前に出ると、向こうは喜ぶ。勝ち筋を作れる。でも同時に、社長の強引な盾が、今この瞬間だけは私の喉元の刃を逸らしたのも分かる。

『社長。冷静に。統合PJは——』
「統合PJが何だ。生活を壊していい理由になるのか」

社長の声が、ほんの少し上がる。私は息を吸い、社長の袖を掴みたくなる衝動を押し込めた。掴んだら、写真になる。掴んだら、油になる。

代わりに、私は言葉で止める。

「社長」

短く呼ぶ。落ち着いた声。

「前に出ないでください。——出るなら、“手続き”として出てください」

社長が、私を見た。一瞬だけ、怒りが静まる。私は続ける。

「ここで必要なのは口喧嘩じゃない。ログです。署名です。指示系統です。——それを出せば、燃料が切れます」

社長が小さく舌打ちを飲み込み、視線をスピーカーへ戻した。

「佐伯。今すぐ出せ」
『何を』
「匿名通報窓口の管理権限とログ。監査が配った守秘義務紙の配布履歴。想定問答の原本。出さないなら——」

社長が言いかけたところで、監査室の男が遮る。

「社長、権限の範囲を——」
「俺が権限だ」

強引。乱暴。だけど、現場の人間が最後に使える言葉は、いつもそれだ。

『社長』

佐伯の声から、穏やかさが消えた。

『あなたの発言は、統合の妨害と受け取られかねない』
「受け取れ。どうせ噂は作れるんだろ」

社長が吐き捨てる。そして、私の方を見ずに言った。

「福本。お前を外すなら、俺が止める」

その一言で、背中が冷たくなった。止める——盾になるつもりだ。でも、その盾が強すぎると、私は“社長の女”になる。切り貼りの餌になる。

私はすぐに線を引いた。書類を一枚、社長と私の間に滑り込ませる。境界線。仕事の線引き。

「外させないためには、社長が守るんじゃなく、書面で守るんです」

社長が眉を動かす。私は机の上の“申立書(暫定)”を持ち上げ、監査へ向けて言った。

「本日付で提出します。証拠保全と聴取の適正性に関する申立。受領印をください」

監査の男の目が、ほんの少しだけ泳いだ。受領印は、逃げ道を塞ぐ。受け取った瞬間、手続きが始まるから。

側近が口を開く。

「それは本社の承認が——」
「承認はいりません」

私は即答した。

「申立は申立です。——拒否するなら、拒否の理由を文書でください。誰が決裁したかも」

沈黙。社長が、ふっと息を吐く。怒りの熱が少し冷えて、代わりに覚悟が残る。スピーカーの向こうで、佐伯が静かに言った。

『……福本さん。君は自分が何をしているか分かっているね』
「はい」

私は答えた。

「切り貼りされない形に戻しているだけです」

その瞬間、側近のスマホが震えた。画面を見た側近の顔色が、わずかに変わる。

「……監査室の車、もう一台来ています」

監査室の男が続ける。

「外部の弁護士同席です。——これ以上の議論は、正式な場で」

正式な場。それは、“こちらの手続きを奪う”合図だ。

社長が一歩、前に出かけて止まる。私は先に言った。

「いいです。正式な場で。——ただし、私の申立は受領してください。今この場で」

側近が紙を見つめ、監査と目を交わす。数秒が、やけに長い。

そして、監査が言った。

「……受領します。ただし“暫定”として」
「暫定で十分です」

私は頷いた。受領印さえ取れれば、鎖は切れる。

受領印が押される。乾いた朱肉の匂いが、妙に現実的だった。

ドアの外から、また足音。今度は複数。廊下の空気が変わる。“正式な場”が、こちらへ歩いてくる。

社長が低く言った。

「来たな」

私は受領印の朱を見つめ、静かに答えた。

「ええ。——ここから、切り貼りじゃなく“原本”で戦います」
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