恋愛禁止条項の火消し屋は、子会社社長を守る側に立つ

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第8章 統合説明会:建前を壊す一撃

人格攻撃

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説明会が終わり、ホールの外に人が流れ出した。スマホの通知が、あちこちで一斉に鳴る。“本日中に回答”。期限の刃が、各自のポケットで震えている。

私は出口に向かわず、いったん壁際に寄った。出口は、刺しが来る場所だ。来るなら、来るで、記録できる位置で受ける。

吉岡が小さく言う。

「10:22 退出」

私は頷く。その瞬間、背後から名前を呼ばれた。

「福本」

低い声。直属の上司——神谷。昨日の“最終通告役”の顔ではない。もっと静かで、もっと個人的な顔をしていた。

「ちょっと来い」

神谷は人の流れから少し外れた廊下を顎で示した。“人が少ない場所”。人格攻撃は、目撃者が減るほど刺さる。

私は一歩だけ動いて、止まった。止まったまま言う。

「ここでお願いします」

神谷の眉が動く。
「何でだ」
「ここは公共スペースです」

私は淡々と言った。

「個別の話なら、総務同席で文書にしてください」

神谷の口元が歪む。

「まだやるのか、それ」

“それ”。手続きのことを、物のように扱う言い方。

神谷は一歩詰めてきた。声は小さい。聞かせる小声。

「お前さ、いい加減にしろよ」
「会社を壊すつもりか」

——来た。“会社の信用”の代わりに、今度は“会社そのもの”。

私は返事をしなかった。返事をすると、言葉が戦いになる。戦いになると、人格が焦点になる。

神谷が続ける。ここから先は、手続きじゃ止められない種類の刃。

「みんな分かってるんだよ。お前がいつも揉める」
「前の会社でもそうだったんだろ」
「体調だってさ、管理室で——」

“過去”を刺しに来た。健康管理室の刺しが、廊下まで運ばれている。——つまり、配布線はここにもある。

胃がきゅっと縮む。でも私は、息を吐いた。吐いて、今の輪郭を増やす。

「その情報、どこからですか」

神谷が一瞬詰まる。詰まった時点で、もう刺しは刺し返されている。

「知ってる人は知ってる」

逃げる。逃げるのは、根拠がないからだ。

神谷は、次の刃を出した。一番汚い刃。いま会場が一番燃えている話題に、あえて触れる。

「社長に守られて、いい気になるなよ」
「自分は特別だと思ってんのか」

人格攻撃は、事実じゃなく空気で殺す。空気は、反論しても勝てない。勝てるのは、手順だけ。

私は声を上げずに言った。

「その発言、記録します」

神谷が笑った。短く。

「記録? 誰が見んだよ」

私は吉岡の方を見ずに言う。

「第三者調査です」

神谷の笑いが止まった。止まったのが、効いた証拠だ。

神谷は苛立ちを隠さずに、畳み掛ける。

「お前は“協力的じゃない”」
「だから配置転換が必要なんだよ」
「家庭事情だの例外だの、そんなの関係ない」
「全員同じ。公平だ」

——説明会の爆弾と、同じ言葉。公平。全員同じ。例外なし。

私はそこで初めて、神谷を見た。真正面じゃない。視線を少し下に置く。対決じゃなく、確認の角度。

「神谷課長」
「何だ」
「“協力的じゃない”という評価は、何の根拠で?」

神谷が吐き捨てる。

「雰囲気だよ」

雰囲気。言った。雰囲気は、根拠の代用品だ。代用品だと自分で口にした瞬間、原本になる。

吉岡が私のメモ帳に一行書く音がした。

10:27「雰囲気」発言

神谷はその音に気づいて、苛立ちが増す。

「お前さ、誰に向かって——」

私は遮らない。遮ると喧嘩になる。代わりに、条件だけ置く。

「勤務地変更の案内が来たら、根拠規程と期間、異議申立の手続きが文書で必要です」

神谷の顔が赤くなる。

「お前、ほんと面倒くさいな」

面倒くさい。人格攻撃の定番。面倒=排除していい、に変換するための言葉。

神谷は周囲をちらっと見た。人がいる。だからこそ、聞こえるように言った。

「みんな、お前が嫌なんだよ」

来た。“みんな”。主語が最大で、根拠が最小の刃。これが一番、胃にくる。

私は一拍置いて、言った。

「“みんな”の名前を挙げてください」

神谷が詰まる。詰まるのが答えだ。

「……そういう揚げ足がさ」
「揚げ足じゃありません」

私は淡々と言った。

「事実確認です。第三者調査は、事実しか扱いません」

神谷が唇を噛む。そして、別の角度で刺してきた。

「お前、正義のつもりか?」
「いいことしてるつもりか?」

人格攻撃は、動機に火をつける。動機で揺らせば、手順が崩れる。

私は揺らさなかった。動機は答えない。答えると物語になる。

「動機の話はしません」

私は言った。

「私は手続きの話をします」

その瞬間、神谷は諦めた顔をした。諦めた顔は、危ない。諦めた人間は、次に“上”の台本を使う。

「分かったよ」

神谷は低い声で言った。

「じゃあ、今日中に返信しろ。勤務地変更。拒否したら——」
「拒否しません」

私は即答した。

「文書の条件が揃えば、検討して回答します」

神谷が鼻で笑う。

「言葉遊び」
「違います」
「手続きです」

神谷は去り際に、最後の毒を落とした。振り返らずに。

「お前、また同じ結末になるぞ」

——過去をなぞれ、という呪い。私は呪いに返事をしなかった。返事をしない代わりに、吉岡にだけ小さく言う。

「今の、全部」

吉岡が頷く。

「時刻、残した。内容も残した」

情シス担当が後方から近づいてきた。

「会場の出席ログと、今の廊下の監視カメラ範囲、確認できます」
「うん」

私は言った。

「でも“追う”のは第三者に。社内でやると切り貼りされる」

胃はまだ痛い。痛いままだ。でも、痛みが私を孤立させなかった。

人格攻撃は、沈黙を引き出すための反撃だ。沈黙すれば、物語が固定される。

だから私は、沈黙しない代わりに——手順で話した。それだけで、反撃は“個人”から“手続き違反の疑い”に変わる。

そして私はもう分かっている。次に来るのは、勤務地変更テンプレの“個別案内”。本日中。例外なし。同席不可。

——なら、こちらも同じだ。先に条件を置く。先に原本を置く。先に順番を置く。

人格攻撃のあとに残るのは、感情じゃない。記録だ。
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