走れない新幹線

R3号

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そこから僕たちは毎週同じ曜日の同じ時間に練習をするようになった。

冬が終わり、4月。

彼女は高校3年生になり僕は社会人1年目として働き出した。

一旦お互いの新生活に慣れようということで少しの間だけ練習は休みにすることにした。

僕の就いた仕事はシステムエンジニアの様な仕事で、ご時世やら働き方改革やらで最初の1ヶ月の研修が終わると在宅での業務が増え出社するのは月に2~3回程度になった。

だから土日も平日分の仕事が全て終わっていれば普通に休みであった。

入社から1ヶ月が経ち久しぶりに彼女に連絡をしてみると、彼女も新しいクラスにも慣れてそろそろかなと思っていたらしく今週からまた練習を再開する約束をした。

 1ヶ月ぶりにあった彼女は新しいクラスの話や進路の話を楽しそうに話してくれた。だがやはり走り出して少しすると呼吸が乱れ、足がおぼつかなくなり立ち止まってしまう。

その度に彼女は

「やっぱりもうダメなのかな・・・。」

と悔しそうな笑顔で呟く。

 6月に入り彼女にとって最後の大会であり、優輝君との約束をしたあの大会の話が部活内で上がったという。

とうとう来た。

この大会で走り切って優輝君との約束を果たせれば彼女の心の傷も直すことができるはずだ。そう思い次の練習の日に尋ねてみた。

「夏の大会が最後だね。由佳ちゃん的にこの大会は出たい?」 

「正直出るのが怖いです。優輝君との約束も、私にとっても高校最後の大会ということも分かってはいるんだけど。どうしても怖くて。今の私が出ても何も残せないと思うし・・・。」

 僕は年上として、先輩として、真剣に問うことにした。

「由佳ちゃんは陸上をやっていてどの時が一番楽しい?」

くらい顔をしたまま彼女は

「えっと・・走り出して、トップスピードになった時の体と空気の感覚とそのままゴールラインを超えた時の達成感・・かな?」

「なんだ、君は結果なんて気にしてなていないじゃん。」

「え?」

「君は大会に出るのが怖い理由の中に結果が残せないと言ったね。でも君が陸上を楽しいと感じる中に勝利や栄光に執着する言葉がなかった。てことはつまり楽しいからただやっている。とも考えることは出来ない?」

「そう・・なのかな?」


「もしそうなら大会に出る理由はシンプルだよ。優輝君、いや、親友との約束を果たすために大会に出る。それが今の君が走る理由となって大会に出る理由にもなる。僕はその理由だけで十分だと思うし素晴らしいと思うよ。」


「でも、優輝君との約束は優勝なんですよ。今の私には絶対に無理。走るのがあんなに大好きだったのに今はただ苦しくて寂しいだけなんです。」


「じゃあ考え方を変えてみようよ。由佳ちゃんが好きといったトップスピードになった時の感覚。
スターターが鳴って走り出してからそのスピードに辿り着くまでの加速する時、みんなが君の背中を押したから早くなる。君の家族や友人、顧問の先生や部活の仲間、ライバルで親友の優輝君、ついでに今回は僕もいる。それが君の努力と合わさればどこまででも速く走れると思わない?」


「背中を押してくれるから速くなる・・・か。」


彼女はその場で蹲って泣いてしまった。
「ど、どうしたの?大丈夫?具合また悪くなった?」
 
焦ってあたふたしていると彼女が蹲ったまま

「私、そんな風に考えたこと無くて。今までの走りが全てそうだったんだとお思うとなんか胸がいっぱいになって。」

僕はそれ以上は何も言わず隣に座り夜風に当たっていた。

しばらくすると彼女は立ち上がり真っ直ぐな瞳で言った。

「私、今なら走れそうです。この気持ちなら大丈夫な気がします。」

そう言った彼女の姿はこれまでにない程凛々しく強く見えた。

「よし!!なら少し悪さしよう。」

「え?」 



僕らは学校に戻りそのまま門を乗り越えて校内のトラックに来た。

「バレたら大変ですよ。怒られますって。」

「いいからいいから!スタートラインについて。」

「見つかって怒られても知らないですよ笑。」

彼女はそういって位置についてクラウチングの姿勢をとった。

僕はゴールラインで腕を上げ合図を出す。

「よーい!どん!」

合図と同時に走り出した彼女はどんどん加速していき見惚れてしまうほど綺麗なフォームで闇を切り裂くようにゴールラインを駆け抜けた。
僕のいるところまで戻ってくる彼女はスッキリをした最高の笑顔だった。
僕は彼女のこの顔を忘れることはないだろう。

「お兄さん。本当にありがとうございました。走り出した時確かに感じることができました。いろんな人が私の背中を押してその手が私の足を前に進ませてくれる感覚がしました。こんなに楽しい走りは初めてです。」

「うん、本当に良い走りだったよ。」

「私、今とっても大会に出たい!もっと走りたい!」

「その言葉が聞けてよかった。もう心配いらないね。僕との練習も今日でおしまいにしよう。」

ニコニコだった彼女の顔が急に不安げになった。

「嫌です。このまま大会までお兄さんと練習したい。お兄さんがいたから私はまた走れるようになったんです。だから・・まだ一緒に・・・」

「ここからはまた部活に戻って君の力で進むべきだと思うよ。僕も由佳ちゃんとの練習の日々は本当に楽しかった。忘れていた気持ちも思い出すことができた。でも、この時間は長く続いてはけないとも思うんだ。」

「それは僕らの年齢の差とかそういうことじゃない。なんていうか、僕はさっきの君の走りを見た時にここで終わるべきだと思ってしまった。きっとこれ以上続けると時間は長くても薄いものになってしまう。そんな気がするんだ。」
 
由佳ちゃんは背を向け自分が走ったコースの方を見つめた後、こちらを向いた。

「わかりました。お兄さんがそう言うならきっとそうすべきなんだと思います。」

 クシャッとした笑顔で月明かりに照らされた彼女の目にはいっぱいの涙が光っていた。
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