白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは

紫さゆり

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10.人影

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 靖之の死は、真由子に生きることのはかなさを早くから教えることになったが、それと同時に一日一日を大切に過ごすことの大切さも教えた。雪江とほんとうに二人きりとなったと実感した時、真由子はもう泣いたりはしなかった。そして父の実之が死の間際に言った「お母さんを大切に」という言葉も、真由子の気持ちを強くした。真由子は何よりも他人から「かわいそうな家の子ども」と思われるのが、一番つらく、そしていやなことだったのだ。

 真由子は中学生になると、背もすんなり伸びて顔立ちも少しずつ大人びてきた。色白で髪の長い真由子が、秋濤の歌会に雪江を手伝って、いっしょにお茶やお菓子を出すと、会員たちから「真由子ちゃん、だんだんとお母さんに似てきたね」と言われるようになった。
 雪江のようなもの静かなタイプでもなく、またお雛様のような古風な顔立ちでもないので、真由子自身は雪江に似ていると言われるのがふしぎでならなかった。しかし他人から見れば、真由子のふとした表情や仕草、声などが雪江にそっくりなのだという。血のつながりというものは、ひっそりと影のように身に添い、あらわれてくるのだった。

「そろそろ寝ようかな」
 真由子は塾の英語の復習を終えると、肩を軽く回して伸びをした。春期講習会も、あと二日で終わる。四月からは真由子は中学二年になる。中学で高校受験の進路調査があった時、真由子は志望校を書く欄に「翠蘭高校」と書いた。文武両道を掲げる翠蘭高校は、兄の俊之や靖之の出身校でもあった。
 俊之も靖之も、高校では歌人の水上実之の息子ということで、文芸部からずいぶんと熱心な誘いがあったらしいが、二人とも短歌に全く興味を示さず、文芸部顧問の古典の教師を落胆させた。
 真由子は机の上に置いてあるガラスの白鳥の置物に目を留めた。この白鳥の置物は、靖之が長野県の山に登った時に買ったのではないか、と稚子は言っていた。湖にたくさん白鳥が飛んで来て、水浴びする姿がとても綺麗だったと以前、靖之が話していたのがその理由だった。
 靖之が亡くなって、早いもので三年たつ。机の上の白鳥は、ほっそりとして美しい。真由子は白鳥の置物に触れてみた。すぐにひやりと手に夜気の冷たさが伝わってきた。

 静かな春の夜だった。物音ひとつ聞こえてこないと、まるでこの世でひとりきりのような気さえする。真由子は椅子から立ち上がり、窓の外を眺めた。窓のそばには外灯がある。暗闇の中、外灯は煌々と光り、庭を照らしていた。
 庭の木々は外灯の光が届く所はよく見えるが、届かない所はまるでモノクロで、影絵のようだ。光が当たる所と当たらない所の違い。真由子が見るともなく庭を見ていたら、庭に人影のようなものが見えた。
 庭に誰かいる……? こんな夜遅くに? それとも見間違いかしら。真由子は思わず目を凝らした。 
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