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16.秘めた想い
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物心がついた頃から、漠然と赤い髪色の女性を探していた。街などで僅かにカラフルな色をした人も見つけたりもしたけれど、成長するにつれ自分も含めて周囲には髪や瞳が黒や茶色ばかりだということに気付き、これは一体どういう記憶なのだろうと不思議に思ったりした。父や母に聞いても、アニメのキャラクターかと勘違いされるだけで。それでも人混みなどで色は違えども似たような髪型の女性を目で追っては、顔が違いガッカリするのを繰り返していた。そう脳裏に浮かぶ女性は意志の強そうな、目の覚めるような美人だったのだ。小学生になると、彼女は実在しておらず、変な目で見られるから口に出さないほうがいいだろうと考えるようになった。
そして日々は過ぎていき、晴輝は中学生になった。中学校では近隣地区の三つの小学校がひとつに集まるから、初めて顔を合わせる生徒が半数以上いる。小学校の同級生たちはいつもより周囲を気にして浮ついているが、未だに晴輝は記憶の中の女性にしか興味がなかった。実在なんてしないのだから、新たな出会いなんてなんの興味もない。しかしとうとう見つけてしまった。彼女ではない彼女が存在していたのだ。
入学式で凛香を見た瞬間、頭の中に自分のではない膨大な量の記憶が流れ込んできた。しばし固まっていたが両親に促され、記憶の激流に翻弄されつつ体育館に並べられた椅子へ座ったのだが、前方の凛香が視界に入った途端、そこから無意識に後姿をずっと見つめていた。実際の凛香は赤毛でもなければ三つ編みで眼鏡をかけていた。背筋だってシャンと伸ばさず俯いていることが多いし、取り巻きどころか友人さえ作る様子も見られない。なによりも晴輝の脳内にずっと住んでいる女性よりも随分と幼い……だというのに、なぜか彼女こそが幼い頃から探していた女性だと確信を持ったのだった。
脳裏に浮かぶのはここではないどこかの国で、違う文化や常識をもつ人たち。そこで人生を送った記憶。晴輝はそこでは貴族の護衛として仕えていた騎士団長の息子、クライヴ・ダンバーであった。父はもともと主人である公爵のサイモン・バートンと幼馴染であり、その息子であるクライヴも令嬢であるレベッカの遊び仲間としてゆくゆくは彼女の護衛をするよう育てられた。
「お嬢様! 危ないですから降りて下さい!」
父と剣の稽古中に庭でメイドの悲鳴が聞こえた。慌てて駆け付けると噴水によじ登る小さな背中が。風にサラサラと靡く柔らかそうな赤毛は、この屋敷のお嬢様以外にありえない。普段からお転婆ではあるが、この時ばかりはさすがに心臓が止まるかと思った。
足が縫い付けられたように動かないグライヴと違い、颯爽と駆け出し救出した父のお陰で令嬢が怪我を負うことはなかったのは幸いだった。
「クライヴ、見て! 綺麗でしょう? 女神様よりも、わたくしのほうが似合うと思うの」
手の中には少しくすんだ黄金の髪飾りがあった。確かに赤い髪に映えるだろうけれど、自分がもっと大人だったら代わりに取ってあげられるし、これ以上に素敵な髪飾りだってプレゼントできるのに。だから父以上にもっと強く大きくならなければ。クライヴはこの出来事から剣の腕を磨いて父と主人に認められると、彼女専属の護衛となった。
少女は花が開くように美しくなっていった。血の滲むような努力を重ね、それを表には出さないからクライヴにできることは見守ることだけ。時々零す涙を拭ってあげられる位置にずっといたというのに、触れることはできなくて。主だから、というだけではないレベッカを護りたい理由が、いつの間にかクライヴの胸の内に存在していた。彼女は自分の全てだ。できることならば隣に立ちたいけれど、それは叶わない夢だと分かっていた。レベッカは早々に王太子の婚約者となったのだから。
レベッカを大切にしてくれる方ならば、と自分勝手に痛む胸に無理矢理蓋をしたのだが。しかしレベッカが十五歳になり、学園に入学すると徐々にエルバートの態度が変わっていった。今までは物静かながらもレベッカのことを気に掛けていた彼が、進級した途端に返事は上の空で、やがてあからさまに彼女を避けるようになった。レベッカの婚約者という、クライヴが喉から手が出るほど欲しい位置だというのに、あろうことか格下の令嬢に熱を上げているのだと噂になっているのだ。一足先に卒業したエルバートは、レベッカがまだ在学中で忙しい身なのをいいことに、どうやらその令嬢、ニーナと親密な仲になっていたらしい。
それでもレベッカは卒業後に妃教育を始めた。あんな男に綺麗なその身を捧げるというのか、と思うと腹の奥が重く黒々としたもので渦巻くが、ただの護衛騎士でしかないクライヴには、どうすることもできない。ただ何があってもレベッカの側にいるという決意だけは揺らがなかった。そうでないと誰が彼女を支えるというのか。
「クライヴ、貴方も色々なことを耳にするでしょうけれど気にしない。ように私は大丈夫だから」
「レベッカ様……」
パートナーの役割を全く果たさなくなった婚約者のエルバート。レベッカだけが過密スケジュールの妃教育と無言のお茶会を強いられていた。
何も言わないつもりでいても、王太子の不遜な態度に腹が立っていたことに気付いたらしい。窘められてしまえば怒りを飲み込むしかない。だからといって蔑ろにされて平気ではないだろうに。クライヴだって大切な人をぞんざいに扱われて憤まんやるかたない。
「この結婚は貴族の義務なの。そこに感情なんて不要だわ。やるべきことをやるだけだから」
覚悟を決めているレベッカは悲しくも美しかった。お気に入りの髪留めをほっそりとした指先がなぞる。彼女が考え事をしているときの癖だ。レベッカだけを見つめているクライヴと違って、婚約者以外の女に夢中になっているエルバートと違って、広く先まで見通している。クライヴは尊敬する主人のために口を噤んだ。
ああ、自分がレベッカの婚約者だったなら。絶対にこのような悲しい顔をさせないのに。レベッカの時間や気遣いの一切を無碍にするエルバートは、クライヴにとってますます敵となった。
しかし当時のクライヴは騎士とはいえ恋する思春期の少年だ。大好きなレベッカには幸せになって欲しいけれど、今の冷めた状態で結婚すればレベッカを一番近くで慰めてあげられる。そして世継ぎさえ生まれれば、あとはレベッカとともに静かな離宮にでも移動してずっと傍にいられるはず。そんな打算もあったが、高潔なレベッカに知られたら遠ざけられる恐れもあったから、悟られないように胸の奥にひた隠しにしていたけれど。
そして日々は過ぎていき、晴輝は中学生になった。中学校では近隣地区の三つの小学校がひとつに集まるから、初めて顔を合わせる生徒が半数以上いる。小学校の同級生たちはいつもより周囲を気にして浮ついているが、未だに晴輝は記憶の中の女性にしか興味がなかった。実在なんてしないのだから、新たな出会いなんてなんの興味もない。しかしとうとう見つけてしまった。彼女ではない彼女が存在していたのだ。
入学式で凛香を見た瞬間、頭の中に自分のではない膨大な量の記憶が流れ込んできた。しばし固まっていたが両親に促され、記憶の激流に翻弄されつつ体育館に並べられた椅子へ座ったのだが、前方の凛香が視界に入った途端、そこから無意識に後姿をずっと見つめていた。実際の凛香は赤毛でもなければ三つ編みで眼鏡をかけていた。背筋だってシャンと伸ばさず俯いていることが多いし、取り巻きどころか友人さえ作る様子も見られない。なによりも晴輝の脳内にずっと住んでいる女性よりも随分と幼い……だというのに、なぜか彼女こそが幼い頃から探していた女性だと確信を持ったのだった。
脳裏に浮かぶのはここではないどこかの国で、違う文化や常識をもつ人たち。そこで人生を送った記憶。晴輝はそこでは貴族の護衛として仕えていた騎士団長の息子、クライヴ・ダンバーであった。父はもともと主人である公爵のサイモン・バートンと幼馴染であり、その息子であるクライヴも令嬢であるレベッカの遊び仲間としてゆくゆくは彼女の護衛をするよう育てられた。
「お嬢様! 危ないですから降りて下さい!」
父と剣の稽古中に庭でメイドの悲鳴が聞こえた。慌てて駆け付けると噴水によじ登る小さな背中が。風にサラサラと靡く柔らかそうな赤毛は、この屋敷のお嬢様以外にありえない。普段からお転婆ではあるが、この時ばかりはさすがに心臓が止まるかと思った。
足が縫い付けられたように動かないグライヴと違い、颯爽と駆け出し救出した父のお陰で令嬢が怪我を負うことはなかったのは幸いだった。
「クライヴ、見て! 綺麗でしょう? 女神様よりも、わたくしのほうが似合うと思うの」
手の中には少しくすんだ黄金の髪飾りがあった。確かに赤い髪に映えるだろうけれど、自分がもっと大人だったら代わりに取ってあげられるし、これ以上に素敵な髪飾りだってプレゼントできるのに。だから父以上にもっと強く大きくならなければ。クライヴはこの出来事から剣の腕を磨いて父と主人に認められると、彼女専属の護衛となった。
少女は花が開くように美しくなっていった。血の滲むような努力を重ね、それを表には出さないからクライヴにできることは見守ることだけ。時々零す涙を拭ってあげられる位置にずっといたというのに、触れることはできなくて。主だから、というだけではないレベッカを護りたい理由が、いつの間にかクライヴの胸の内に存在していた。彼女は自分の全てだ。できることならば隣に立ちたいけれど、それは叶わない夢だと分かっていた。レベッカは早々に王太子の婚約者となったのだから。
レベッカを大切にしてくれる方ならば、と自分勝手に痛む胸に無理矢理蓋をしたのだが。しかしレベッカが十五歳になり、学園に入学すると徐々にエルバートの態度が変わっていった。今までは物静かながらもレベッカのことを気に掛けていた彼が、進級した途端に返事は上の空で、やがてあからさまに彼女を避けるようになった。レベッカの婚約者という、クライヴが喉から手が出るほど欲しい位置だというのに、あろうことか格下の令嬢に熱を上げているのだと噂になっているのだ。一足先に卒業したエルバートは、レベッカがまだ在学中で忙しい身なのをいいことに、どうやらその令嬢、ニーナと親密な仲になっていたらしい。
それでもレベッカは卒業後に妃教育を始めた。あんな男に綺麗なその身を捧げるというのか、と思うと腹の奥が重く黒々としたもので渦巻くが、ただの護衛騎士でしかないクライヴには、どうすることもできない。ただ何があってもレベッカの側にいるという決意だけは揺らがなかった。そうでないと誰が彼女を支えるというのか。
「クライヴ、貴方も色々なことを耳にするでしょうけれど気にしない。ように私は大丈夫だから」
「レベッカ様……」
パートナーの役割を全く果たさなくなった婚約者のエルバート。レベッカだけが過密スケジュールの妃教育と無言のお茶会を強いられていた。
何も言わないつもりでいても、王太子の不遜な態度に腹が立っていたことに気付いたらしい。窘められてしまえば怒りを飲み込むしかない。だからといって蔑ろにされて平気ではないだろうに。クライヴだって大切な人をぞんざいに扱われて憤まんやるかたない。
「この結婚は貴族の義務なの。そこに感情なんて不要だわ。やるべきことをやるだけだから」
覚悟を決めているレベッカは悲しくも美しかった。お気に入りの髪留めをほっそりとした指先がなぞる。彼女が考え事をしているときの癖だ。レベッカだけを見つめているクライヴと違って、婚約者以外の女に夢中になっているエルバートと違って、広く先まで見通している。クライヴは尊敬する主人のために口を噤んだ。
ああ、自分がレベッカの婚約者だったなら。絶対にこのような悲しい顔をさせないのに。レベッカの時間や気遣いの一切を無碍にするエルバートは、クライヴにとってますます敵となった。
しかし当時のクライヴは騎士とはいえ恋する思春期の少年だ。大好きなレベッカには幸せになって欲しいけれど、今の冷めた状態で結婚すればレベッカを一番近くで慰めてあげられる。そして世継ぎさえ生まれれば、あとはレベッカとともに静かな離宮にでも移動してずっと傍にいられるはず。そんな打算もあったが、高潔なレベッカに知られたら遠ざけられる恐れもあったから、悟られないように胸の奥にひた隠しにしていたけれど。
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