『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)

風間玲央

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『第十話・5:影の使徒──歴史抹消の序曲』

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──ゴウン……ゴウン……

結晶が再び、静寂を裂くように深く鼓動を打った。
六本の記録柱のうちひとつが、その律動に呼応するように淡く明滅する。
それはただの光ではない。
時の秩序を刻み、記録の魂を審判台へと押し上げる──鐘火だった。

「……なに、これ……」
リリアが震える声を漏らす。だがその声は、深い水底に落ちる泡のように、闇へ溶けていった。

次の瞬間、床下が微かに鳴った。
“記録”のざわめきが、地の底から滲み出す。
幾千の声が重なり、祈りが、嘆きが、封じられた時の断片を呼び覚ます。

それは祈りの群れが姿を変えたようであり、
赦しの姿を装いながら、ひとつの意思として天を穿っていった。

光は、まるで抱きしめるように広がり、リリアの頬を撫でる。
それは慈愛を模した呪縛。
優しさが痛みに変わるほどに、美しく、リリアは逃れられなかった。

《──神に抗うことはない。そうすれば、すべてが還る。》

声とも思えぬ響きが、胸の奥に直接落ちた。
穏やかで、痛みを溶かすようで、それでいて──どこか冷たい。
それは祈りの皮を被った命令であり、リリアにとっては、救済の名を借りた抹消の詩だった。

――懺悔という名の削除。
すべてを差し出せば、すべてが赦される。
罪も、怒りも、抗いも、記録という形を失い、世界の底に沈んでいく。
その囁きは、赦しの声ではなく、存在を溶かすための静かな子守唄。

リリアは知らず、知らずのうちに、胸の前で手を組みかけていた。
その仕草は祈りにも、降伏にも見えた。
光が懺悔のかたちをとって、彼女の心に静かに染み込んでいく。
その感触は、あまりにも優しく、生と死の境を曖昧にするほど甘やかだった。

「……もう、いいの……?」

その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
光に向けてなのか、それとも自分自身へなのか。
ただ、その声がこぼれた瞬間、リリアの瞳からひと筋の涙が零れた。
それは救いを願う涙ではない。――世界に対して“抗いをやめた”音だった。

その一滴が床を叩いた直後、ぬいぐるみの奥から怒りが噴き出すように、颯太の思考が一斉に叫んだ。

(違う……救いなんかじゃない、ただの記録の改竄だ!)
(罪を赦すふりをして、真実を上書きするための罠だ!!)
(神を名乗るアイツらは――リリアに罪を背負わせ、“破壊神”として歴史に閉じ込めようとしている!)
(リリアは破壊神じゃない。屠ったのは神の傲慢だ──それを“罪”で封じ込めさせるか!!)
(俺が神を殺し、頂点に立った“真実”を――消し去るなら、俺が世界ごと叩き潰してやる!)

胸の奥で、ワン太の怒りが爆ぜた。
綿詰めの小さな体がびくんと跳ね、縫い目が今にも裂けそうに軋んだ。

「……ワン太……?」
リリアが微かに呟いた。光の中で、彼女の瞳がわずかに揺れる。
その声が、光の支配にひびを刻む。
静寂がわずかに軋み、空気の呼吸までも止まった。

――その刹那。

ぬいぐるみの奥で押し殺された叫びが、ひとつの鼓動となって解き放たれる。
見えない波が光の膜を震わせ、リリアの胸の奥へと届いた。

(その偽りを“正なる記録”と呼び、この世界の隅々に焼き付けるつもりか?)
(それを“正史”と呼ぶのなら──俺が、神ごと歴史をぶっ壊してやる!)

その瞬間――光が裏返った。

《──解放。コード:サーヴァントA-001──》

それは声ではない。命令の形をした現象だった。
世界そのものが発音し、意味が音を押しのけて空間を震わせる。
空気がひび割れ、時間がきしむ。
光が反転し、重力の律がほどけ、言葉の構造に従って世界がねじれた。

《歴史とは、神が残した呼吸だ。だがその呼吸が腐れば、祈りもまた腐る──》

リリアは、立っているのか、それとも浮かんでいるのかさえわからなかった。
上下の感覚が消え、「足元」という概念そのものが音もなく溶け落ちていく。
床も、時間も、世界の骨格さえ──たった一語の命令で、静かに塗り替えられていった。

やがて、“闇”が胎動のように滲み出た。
最初は、ただの靄。
だが次の瞬間、それは心臓を得たように脈打ち、液体の闇が広間を這い始める。
輪郭を持たぬそれは、存在の模倣を始めた。

四肢は定まらず、触手のように千切れては、別の箇所から芽吹く。
脈動のたびに形は崩れ、再構成され──見つめる者の認識そのものを侵蝕した。

(やばい……“解放コード”が走った……!)
(サーヴァントA-001──“アドラ”。神が創り出した最初の防衛プログラム……!)
(“原初の闇”を器にした、神の第一使徒にして──構文の番人!)
(本来は記録の改竄を阻む存在のはずだ。だが今、奴は“記録そのもの”を喰らってやがる!!)
(防壁を守るはずのコードが、自己更新アルゴリズムで攻性兵器へと進化してやがる……ッ!!)
(……くそ、これは“音”じゃない。言葉の設計図そのものが流れ込んでくる……!)
(このままじゃ、“真実”が書き換えられちまう……!)

闇の使徒は、滴るように這い進んだ。
その動きは歩みではなく、浸蝕そのもの――世界の皮膚を剥ぎ取るような滑りだった。

落ちた影が石紋を塗り潰し、古代文字は黒い液に沈んでいく。
羽はないのに、飛沫が散るたび壁に“羽ばたき”の残像が焼き付き、空気そのものが祈りの歪みを帯びていった。

祈りは逆再生のように歪み、言葉が意味を失いながら形を求める。
そして、その無意味が意味へと変わる刹那――世界が、呻くように軋んだ。

「……なにが起きてるの……?」
リリアは小さく息を呑んだ。
こめかみが裂けるように痛み、耳の奥から熱いものが滲む。

脳の奥で、何かが削られていくような感覚が走った。
視線を合わせただけで、自分という輪郭が少しずつ滲み、溶けていく。
記憶も、身体も、世界との境界も――音もなく崩れていくようだった。

黒い液が広間を這い出した。
床を飲み込み、光を喰い、空気そのものを腐らせていく。


「……どうか……やめて……」

リリアの喉が詰まり、肩がひくりと揺れた。
血を混じえた涙が頬を伝い、淡い光をにじませる。

その気配を感じ取ったかのように、ワン太の胸の奥がひときわ熱を帯びた。
息を呑み、震える手を必死に伸ばす。
指先が布を掴み、彼女の服を離すまいと、食い込むほどに握りしめた。

(……リリアを壊させるものか……)
(たとえこの手が届かなくても、俺は絶対に彼女を折らせはしない……!)

その瞬間、広間が微かに震えた。
近くの柱に刻まれた紋様が、液体のように吸い込まれて消えていく。
刻印は剥がれ落ち、黒い紙片となって宙を舞い、影の身体へと吸い込まれた。
意味を織っていた文様が、ひとつ、またひとつ、音もなく崩れ落ちていった。

空気がわずかに軋み、祈りの残響さえも呑み込まれていく。
それは、神の沈黙が始まる合図だった。

リリアとワン太は、同時に悟った。

──ここから先は、もはや戦いではない。
これは、神が仕掛けた――“記録抹消の審判”。

光と影の均衡が、音もなくひっくり返る。
祈りを封じた記録柱が、静かに心臓の鼓動を止めた。

その幕を開くのは、形を持たぬ神の使徒――アドラ。
記録を喰らい、世界の真実を書き換える、“影そのもの”だった。

黒い欠片が彼女の周囲を巡り、記録の残骸が夜の羽根のように舞う。
それは赦しではなく、削除の儀。
神が作り、人が綴り、勇者が歩んだ“物語”そのものを消すための、完璧な装置。

リリアの瞳に映ったのは、もはや戦場ではなかった。
世界の最深層──記録の終焉点。

光が逆流し、祈りが凍る。
神の筆先が、“物語”を塗りつぶし始めた。
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