映えの代償

広川朔二

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映えの代償

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「#ご褒美ステイ #ラグジュアリー空間 #最高の休日」

画面の中の自分は、誰が見ても“勝ち組”に映っていた。都心のホテル、ふかふかのバスローブ、白いシーツの上で寝転ぶ笑顔。別の投稿には色とりどりの料理。投稿から数分で「いいね」が300を超える。

「やっぱ映えるね、このホテル」

榊原エミはスマートフォンをベッドの上に置き、満足げに画面を見つめた。
28歳、職業・インフルエンサー。旅行系ライフスタイルを中心に、SNSで18万人のフォロワーを抱える。テレビや雑誌に出た経験はないが、最近ではホテルの広報担当や旅行会社の目にも留まり始めている。フォロワーの多くはそんなエミの投稿に憧れのコメントを残している。

だが、現実のエミの財布はいつもギリギリだった。

ブランドバッグも、アクセサリーも、実家の押し入れに眠っていた中古品をうまく写しているだけ。食事はコンビニ。光熱費の支払いに冷や汗をかく月もある。投稿のネタを撮影するために定職にはつかずに安定した収入はない。まだまだ彼女のフォロワーの多さではそれがそのまま収入に直結するとは限らないのが、この世界の皮肉だった。

ホテル滞在の多くは割引を最大限利用したもの。企業から依頼を受けてもせいぜい「割引で泊まれる」程度のもので、そこに交通費や食費も加わってくる。だがエミには、もうひとつの“収入源”があった。

「さて、今日の戦利品は……っと」

バスルームに向かい、備え付けのアメニティをチェックする。高級ブランドの化粧水、小ぶりなヘアブラシ、刺繍入りのバスローブ。ラベルを見れば、一般販売されていない“ホテル専用品”だ。

「これ、出せそうだな」

手慣れた手つきでタグを確認し、目立たないようにスーツケースへ忍ばせる。盗む、という意識はエミにはなかった。これは「無償提供」と勝手に認識している。実際、過去に何度も同じように備品を持ち帰り、フリマアプリで“未使用品・ノベルティ扱い”として販売してきたがホテルから注意されることはなかった。

3,000円のバスローブ。1,200円の化粧水セット。塵も積もれば、というやつだ。

――バレたことなんて、一度もない。

ふと、スマホに通知が届く。今日のストーリーに企業アカウントからリアクションがついていた。

「宿泊案件、ぜひご相談させてください」

エミはニヤリと笑った。
満たされる承認欲求。寄せられるオファー。SNSに映る自分は、誰よりも“勝ち組”だ。

現実なんて、どうでもいい。
誰かに見られている自分が、本当の自分なのだから。





「地方のホテルって、意外と映えるよね~」

スマホを三脚にセットし、エミは客室のソファに腰を下ろした。今回は案件を兼ねた旅行。目的地は金沢。フォロワーの投票で「行ってほしい町ランキング一位」に選ばれたのを口実に、企画っぽくまとめた案件投稿だ。

駅前のそのホテルは、チェーン系列ながら、内装が凝っていた。障子風のスライド扉、間接照明、抹茶色のソファ。ほどよく“和”がミックスされた空間は、投稿映えにうってつけだった。

「#金沢ステイ #和モダン空間 #癒やしの時間」

ベッドの上であぐらをかいてポーズを決める。自然光が差し込む午後の光が、肌を柔らかく照らしていた。

撮影が終わると、エミは慣れた手つきで荷物の整理を始めた。
鏡の前に並ぶスキンケアセット、シックなデザインのバスローブ、未開封のスリッパ。これらは、見せ方を変えればちょっとした“商品”になる。

「……ふつうに高く売れそう」

ホテルのロゴが刺繍されたバスローブを手に取り、軽く畳んでキャリーケースへしまう。化粧水セットは、ラベルをスマホで撮影してから小さな巾着に包んだ。フリマアプリに出品する際の写真用だ。タグや包装の状態もばっちりチェックする。

もちろん、全部“未使用”として出すつもりだ。

「これで、片道交通費分はペイできるかな」

彼女の頭の中には、すでに価格設定が出来上がっていた。
バスローブは4,500円、化粧水はセットで2,000円。送料を差し引いても利益がでる。なにせ元手はただなのだから

その夜、ホテルの大浴場から戻ったエミは、何気なくベッドに腰かけ、テレビを眺めながらSNSをチェックした。
フォロワーはまた数百人増えている。コメント欄には「ホテルどこですか?」「エミさんの投稿で癒やされる~」と称賛の言葉が並ぶ。

“見せる”ことは得意だった。
“隠す”こともまた、得意だった。

翌日、チェックアウトカウンターで渡されたアンケート用紙には、丁寧に「大満足」と丸をつけた。
その足で金沢駅へ向かい、午後には帰路の新幹線に乗る。滞在中の投稿はすでに編集して予約投稿済み。帰宅したころには、画面の中のエミがちょうど「リラックス中~?」とくつろいでいるタイミングだ。

帰宅後、フリマアプリを開き、撮影した備品をさっそく出品した。

タイトル:「【非売品】ホテル仕様バスローブ(新品)/ノベルティ・ルームウェア」
価格:4,500円
説明文:「とあるホテルで使用されていたものですが、未使用品です。肌触りが良く、厚みも十分。高級感あるデザインで、リラックスタイムにぴったりです!」

発送方法、送料、匿名配送のチェック。出品完了。

数時間後には“いいね”がつき、翌日には購入通知が届いた。

「やっぱりすぐ売れるわ、この手のやつ」

落札者のニックネームは「a_takahashi」というシンプルな名前。購入後のメッセージもそっけない。「よろしくお願いします」とだけ。特に気になる様子もない。

エミは包装用の紙と小さな箱を用意し、商品を丁寧に包んだ。梱包の見た目にも気を配る。それが“信頼される出品者”のコツだと、これまでの経験で学んでいた。

“また、うまくやれた”

小さな満足感を噛みしめながら、エミは荷物をコンビニの発送窓口に預けた。

彼女の中では、すべてがいつも通りだった。

だがその箱の中には、エミが知らぬうちに“絶対にごまかせない証拠”が、しっかりと封入されていた。





そのメッセージは、いつも通りの午後に届いた。

《商品を受け取ったのですが、警告音が鳴りました。これはどういうことですか?》

フリマアプリ内の取引メッセージ。
エミはその一文を見た瞬間、眉をひそめた。

「警告音? 何それ」

確認のため、相手のユーザー名を開く。「a_takahashi」――先日、金沢のホテルで“調達”したバスローブを購入した相手だった。

もう一通、続けてメッセージが届く。

《商品にICタグが埋め込まれていたようで、旅行時に利用したホテルのセキュリティゲートを通る際にアラームが鳴りました。こちら、どう対応すればよろしいですか? 警察に相談すべき案件でしょうか》

背中に冷たいものが走った。

ICタグ――それは、万引き防止用に備品に埋め込まれる“追跡チップ”のことだ。
衣類に埋め込まれていれば、特定のゲートを通ったときにアラームが鳴る。量販店や空港、あるいは……一部のホテルのセキュリティでも使用されていることがある、と聞いたことがあった。

だが、まさか。
これまで一度も、そんなことはなかった。

「たまたま…じゃないの? 何かの誤作動とか……」

自分に言い聞かせながらも、エミは咄嗟にバスローブの出品履歴を削除した。他の備品の出品ページもすべて非公開にした。

“証拠”を消したつもりだった。

それから数時間後、スマホに別の通知が届いた。
DM、しかもSNSでの、見知らぬアカウントからだった。

@_room!reporter
《あなたがフリマで売っていた“ホテル用品”、違法販売だってご存知ですか? ICタグ付きだったっていう情報があります。取材に応じていただけませんか?》

“何これ……冗談でしょ……?”

エミは震える指で画面を閉じたが、心臓の鼓動は速くなっていた。

念のため、検索してみる。「ホテル 備品 ICタグ」「ホテル 備品 転売 通報」。
いくつかの記事がヒットする。最近では、一部の高級ホテルが“転売対策”として備品にタグを仕込んでいる、という内容だった。

「ウソでしょ……タイミング悪すぎ……」

だが、これは運の問題ではなかった。
彼女の行動はすでに“追われていた”。

その日の夜、彼女のSNSアカウントに、また一件のメンションが飛んできた。

@hotel_!watchdog
《インフルエンサーの榊原エミさん、ホテルの備品を“未使用品”としてフリマで売っていた疑惑が浮上中。複数の購入者の証言あり。現在、関係各所に問い合わせ中です》

そこには、過去の出品写真のスクリーンショット、ホテル名、投稿と一致する宿泊写真が並べられていた。

まるで、ピースが組み合わさるように。

エミの“完璧な世界”が、いとも簡単に剥がれ落ちていく音がした。





スマホが手放せなくなったのは、それが“武器”だったからだ。
けれど今、その画面はまるで“毒”のようだった。

フォロワー数は、ゆっくりと、しかし確実に減っていく。
「インフルエンサーとして信じていたのに」「まさかホテル泥棒だったなんて」「金沢のホテル、特定できた」――DMやメンションが止まらない。

エミは何度もアカウントを開き、閉じた。そのたびに、炎上は広がっていた。

最初に報じた“@hotel_!watchdog”のツイートは、一晩で数万のリポストを超えた。
ネットメディアが食いつき、まとめサイトが記事にし、動画投稿サイトでも「エミの転売行為まとめ」と題された動画がいくつも上がっていた。過去の投稿の背景と照合されたホテルが、いくつもリストアップされている。

「ここ、〇〇ホテルじゃね?」「このマグカップ、あのホテル限定のやつだろ」「公式に聞いたら備品じゃなくて販売してないってよ」

証拠の一つ一つが、確かに“彼女自身”が投稿していたものだった。
美しく映るために撮った構図が、皮肉にも“犯行現場の証拠写真”となっていた。

「削除すれば、きっと収まる」

そう思って、すべてのSNSを非公開にし、フリマアプリのアカウントを削除した。
だが、すでに遅すぎた。

匿名の告発者「a_takahashi」が、音声付きの“開封レビュー動画”を投稿していた。
そこには、バスローブを開封し、内側に埋め込まれたICタグを発見する様子が映されていた。
ホテルに確認したとする音声も流れ、ホテル側が「盗難の可能性あり、法的措置を検討中」と回答した旨が、音声とともに紹介されていた。

それが決定打だった。

やがて、エミの本名「榊原絵美」がネット上に晒された。
登録情報や過去の発信、投稿ミスで写り込んだ宅配伝票の断片――バラバラだった情報が結びつき、特定に至った。

「ネット怖……でもざまぁ」「自業自得でしょ。真面目に働いてる人がバカ見る社会、崩れていいよ」

コメント欄の声は、容赦がなかった。

案件の話が進んでいた企業からは、すべて打ち切りの連絡が届いた。

インフルエンサー活動もできず、生活を支えていたフリマ収入も絶たれ、残ったのは、膨れ上がる光熱費の請求書と、スマホに溜まり続ける誹謗中傷の通知だけだった。

「……こんなの、聞いてない……」

数日後、金沢のホテルから正式な通告が届いた。
内容証明郵便――開封する手が震えた。

《貴殿による当ホテル備品の無断持ち出しおよび転売行為について、損害賠償請求ならびに刑事告訴を検討しております。弁護士より追って連絡いたしますので、誠実な対応を求めます。》

目の前が、真っ暗になった。
損害賠償。刑事告訴。
それはつまり、ただの炎上では済まないということだ。

かつて自慢だったインスタグラムのプロフィールページを開く。
かつて18万人いたフォロワーは、いまや3万人を切っていた。
コメント欄には「詐欺師」「泥棒」「社会のゴミ」といった言葉が並び、もう“応援してます”という声はどこにもない。

――誰にも見られない自分なんて、存在しないのと同じ。

かつてのエミなら、そう思っていた。
だが、いま画面の中にいるのは、誰にも羨まれず、誰にも求められない、ただの「榊原絵美」という28歳の女だった。

現実は、もう消せない。

榊原絵美は、ゆっくりとスマートフォンを伏せた。
真っ暗な部屋の中、聞こえるのは、冷蔵庫の低いモーター音だけだった。

「……誰か、私を見てよ」

呟きは、誰にも届かなかった。
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