古代魔法の薬師様、趣味で冒険者になる

Annie

文字の大きさ
1 / 7
第一章:穢れの森編

薬師の趣味

しおりを挟む
 ことん、ことん。

 静かな森の奥に佇む小さな薬屋に、陶器のすり鉢が軽やかな音を立てていた。店内に満ちるのは、陽の光を浴びた薬草の青々しい香りと、乾燥させた根や花の、少しだけ土の匂いが混じった甘い香り。

 その心地よい音と香りの中心に、私――リリエルはいた。

「よし、と。これでよし」

 すり鉢の中身が、月光のように淡く輝く滑らかな軟膏に変わったのを確認し、私は満足げに頷いた。

 銀色の髪を揺らし、尖った耳をぴくりと動かす。エルフの長い寿命の大半を、私はこの森と、この薬屋で過ごしてきた。

 先代である祖母から店を受け継いで、もう何十年経っただろうか。

 毎日が穏やかで、平和だ。森の木々が芽吹き、花が咲き、実を結び、そして葉を落とす。その営みと共に薬を作り、訪れる人々の痛みや苦しみを和らげる。それは、とても尊く、満たされた日々。

 ――でも。

「こんにちは、リリエルちゃん。腰の薬、もらえるかい?」

 カラン、とドアベルが鳴り、顔なじみのバルト爺さんがひょっこりと顔を覗かせた。私は思考を中断し、にこりと微笑みかける。

「バルト爺さん! いらっしゃい。ちょうど今、新しいのができたところ。今回は少しだけ清涼感を強めてみたんだ。だから、塗り心地がいいはず」

「おお、そりゃあ助かる。あんたの薬は本当に良く効く。街の医者も舌を巻いておったわい」

「ふふ、お代はいつも通りでいいよ。それより、畑のキャベツは元気に育ってる?」

「おうよ! 今度、一番出来のいいやつを持ってきてやるからな!」

 満面の笑みで薬を受け取ると、バルト爺さんは元気よく店を出ていった。あの足取りなら、もうしばらく腰の心配はいらないだろう。

 常連客の元気な顔を見るのは、何よりの喜びだ。やりがいもある。感謝もされる。

 でも、心のどこかで、小さな私がささやくのだ。

『ねえ、リリエル。世界はもっと広いんだよ?』

 薬草図鑑に載っているけれど、この森には生えていない花。旅人の話に聞く、海の向こうの賑やかな港町。空を覆うほどの巨大な竜の骨が眠るという大砂漠。私の知らない世界は、果てしなく広がっている。

「……何かこう、胸が躍るような面白いこと、どこかに転がってないかなあ」

 窓の外、風にそよぐ木々の葉を眺めながら、私はぽつりと呟いた。穏やかな日々に感謝しながらも、尽きることのない好奇心が、私の心をちりちりと焦がしていた。



 ◇



 その日の仕事を終え、薬屋のドアに『準備中』の札をかけると、私は店の奥の私室へと向かった。いつも着ている生成りのエプロンとワンピースを脱ぎ、動きやすい革のチュニックと丈夫な布のズボンに着替える。

 腰には、いくつかの小袋をぶら下げたベルトを巻いた。中身は最低限の薬と、ほんの少しの護身用の道具だ。

「さて、と」

 最後に、森の緑を写したような深い色のマントを羽織る。準備は万端。私は裏口からそっと外へ出ると、森を抜け、石畳の道が続く街へと足を向けた。

 街の名前はグリーンフェル。大森林と人間の暮らす平原のちょうど境界に位置する、活気のある街だ。私が向かうのは、その一角にある、ひときわ騒がしい建物。

 ――冒険者ギルド。

 屈強な戦士たちが酒を飲み交わし、軽装の斥候たちが情報を交換し、ローブをまとった魔術師たちが静かに依頼書を眺めている。

「あら、先生。こんにちは。今日は何のご趣味で?」

 カウンターの向こうから、受付嬢のハンナさんが快活な笑顔で声をかけてきた。彼女は私の数少ない「共犯者」だ。

「ちょっとね。運動不足の解消だよ。何か面白そうな依頼は入ってる?」

「相変わらずですねえ。ええと、Aランクの『ワイバーンの討伐』、Bランクの『盗賊団の拠点強襲』……」

「ううん、そういうのはパス。もっとこう、平和なやつがいいかな」

命がけなんて真っ平ごめんだ。私はハンナさんの説明を遮り、壁にずらりと貼られた依頼書たちへと歩み寄った。高ランクの物騒な依頼には目もくれず、私の目はCランクやDランクの欄へと吸い寄せられる。

『迷子猫の捜索』……可愛いけど、範囲が広すぎるかな。
『下水道のネズミ駆除』……うーん、衛生的にちょっと……。
『カラムの崖に咲く『月光草』の採取』……ありゃ?

 私の指が、一枚の依頼書の上で止まった。カラムの崖。街から半日ほどの距離にある、見晴らしのいい崖だ。そこから見る月は、息をのむほど美しい。

「ハンナさん、これにする」

「『月光草の採取』ですね。承知しました。でも先生、あそこは夜になると少し魔物が出ますけど、大丈夫ですか?」

「平気平気。それに、月光草は月の光を浴びてないと意味がないじゃん。ちょうどいいよ。ついでに、最高の月見ができるなんて、一石二鳥だし」

 ハンナさんは少し呆れたように笑いながらも、手際よく手続きを進めてくれた。

「くれぐれも、ご無理はなさらないでくださいね。先生は薬師なんですから」

「分かってるよ。これは、ただの趣味なんだから」

 依頼書をしっかりと受け取り、私はギルドを後にした。



 ◇



 ギルドを出ると、空はすでにオレンジ色に染まり始めていた。家路につく人々の喧騒と、どこかの食堂から漂ってくる美味しそうな匂い。平和な街の、平和な夕暮れ。

 ふと、私の心に、先ほどギルドで見た冒険者たちの真剣な眼差しがよみがえった。

 彼らはすごい。自分の命を懸けて、誰かの依頼に応え、街の平和を守っている。私財をなげうち、厳しい訓練を重ね、仲間と絆を深め、強大な敵に立ち向かっていく。
 私には、とても真似できない生き方だ。尊敬している。

 でも、私の冒険は、それとは違う。

 お金や名声が欲しいわけじゃない。誰かから英雄と呼ばれたいわけでもない。

 ただ、知らないものを見て、触れて、知りたいだけ。
 世界の綺麗なものを、この目で見たいだけ。
 図鑑でしか見たことのない薬草が、どんな香りを放つのか、この鼻で確かめたいだけ。

 これは、私のための、私だけの、ささやかで、面白おかしい趣味の時間。誰に迷惑をかけるでもない、大切な宝物。

「さて、明日の準備をしなくちゃ」

 夕焼け空を見上げ、私は小さく微笑んだ。

 カラムの崖の上で待っている美しい月と、ささやかな冒険に胸を躍らせながら、森の奥にある私の小さな薬屋へと続く道を、ゆっくりと歩き始めた。







※ほぼ初投稿。よろしくお願いいたします。これからも執筆頑張ってまいりますので、ぜひフォロー、評価等いただけるとありがたいです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学園長からのお話です

ラララキヲ
ファンタジー
 学園長の声が学園に響く。 『昨日、平民の女生徒の食べていたお菓子を高位貴族の令息5人が取り囲んで奪うという事がありました』  昨日ピンク髪の女生徒からクッキーを貰った自覚のある王太子とその側近4人は項垂れながらその声を聴いていた。  学園長の話はまだまだ続く…… ◇テンプレ乙女ゲームになりそうな登場人物(しかし出てこない) ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げています。

防御力を下げる魔法しか使えなかった俺は勇者パーティから追放されたけど俺の魔法に強制脱衣の追加効果が発現したので世界中で畏怖の対象になりました

かにくくり
ファンタジー
 魔法使いクサナギは国王の命により勇者パーティの一員として魔獣討伐の任務を続けていた。  しかし相手の防御力を下げる魔法しか使う事ができないクサナギは仲間達からお荷物扱いをされてパーティから追放されてしまう。  しかし勇者達は今までクサナギの魔法で魔物の防御力が下がっていたおかげで楽に戦えていたという事実に全く気付いていなかった。  勇者パーティが没落していく中、クサナギは追放された地で彼の本当の力を知る新たな仲間を加えて一大勢力を築いていく。  そして防御力を下げるだけだったクサナギの魔法はいつしか次のステップに進化していた。  相手の身に着けている物を強制的に剥ぎ取るという究極の魔法を習得したクサナギの前に立ち向かえる者は誰ひとりいなかった。 ※小説家になろうにも掲載しています。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

嘘つきと呼ばれた精霊使いの私

ゆるぽ
ファンタジー
私の村には精霊の愛し子がいた、私にも精霊使いとしての才能があったのに誰も信じてくれなかった。愛し子についている精霊王さえも。真実を述べたのに信じてもらえず嘘つきと呼ばれた少女が幸せになるまでの物語。

後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます

なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。 だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。 ……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。 これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

最強スライムはぺットであって従魔ではない。ご主人様に仇なす奴は万死に値する。

棚から現ナマ
ファンタジー
スーはペットとして飼われているレベル2のスライムだ。この世界のスライムはレベル2までしか存在しない。それなのにスーは偶然にもワイバーンを食べてレベルアップをしてしまう。スーはこの世界で唯一のレベル2を超えた存在となり、スライムではあり得ない能力を身に付けてしまう。体力や攻撃力は勿論、知能も高くなった。だから自我やプライドも出てきたのだが、自分がペットだということを嫌がるどころか誇りとしている。なんならご主人様LOVEが加速してしまった。そんなスーを飼っているティナは、ひょんなことから王立魔法学園に入学することになってしまう。『違いますっ。私は学園に入学するために来たんじゃありません。下働きとして働くために来たんです!』『はぁ? 俺が従魔だってぇ、馬鹿にするなっ! 俺はご主人様に愛されているペットなんだっ。そこいらの野良と一緒にするんじゃねぇ!』最高レベルのテイマーだと勘違いされてしまうティナと、自分の持てる全ての能力をもって、大好きなご主人様のために頑張る最強スライムスーの物語。他サイトにも投稿しています。

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

処理中です...