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第一章:穢れの森編
薬師の旅立ち
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グリーンフェルの街門をくぐり、カラムの崖へと続く道を歩き始めてから、およそ二時間が経った。すっかり日の落ちた空には、まんまるな月が優しい光を投げかけている。
「んんー、気持ちいい夜!」
私は大きく伸びをしながら、軽やかな足取りで獣道を進む。鼻歌まじりだ。昼間の喧騒が嘘のように静かな森は、私にとって自分の庭のようなもの。昼と夜とで、その表情をがらりと変えるこの森の散策は、何度やっても飽きることがない。
「あ、あれは『火傷トカゲ』の好物の『陽光キノコ』だ。ってことは、近くに巣があるかな? あのトカゲの尻尾の油、火傷の特効薬になるんだよねえ」
普通の冒険者なら警戒するところだろうけど、私の興味はもっぱら薬の材料に向いている。エルフの目は暗闇の中でもよく利くから、道端にひっそりと咲く小さな花も見逃さない。
「こっちは『夜啼き草』か。よしよし、元気に育ってる。君の根っこは、赤ちゃんの夜泣きに効くんだよ」
まるで旧知の友人に挨拶でもするように、一つ一つの植物に声をかけながら進んでいく。鳥のさえずりや獣の気配から、この先に何がいるのかも、大体は見当がつく。
危険な肉食獣の縄張りは、風の匂いで分かるから、上手く迂回すればいい。戦闘なんて面倒なこと、わざわざする必要はないのだ。これも、森で長く暮らしてきたエルフの知恵、というやつだろう。
そうやって寄り道を繰り返しながら、目的地のカラムの崖が近づいてきた、その時だった。
キンッ、という金属音。誰かの怒声。そして、地の底から響くような、低いうなり声。
「……ん? 先客かな」
どうやら、私以外にもこの静かな夜を楽しみに来た人たちがいるらしい。少しだけ眉をひそめながら、私は音のする方へと慎重に足を向けた。
崖の手前にある、月明かりに照らされた開けた場所。そこで繰り広げられていたのは、お世辞にも「お月見」とは言えない光景だった。
「キーラ、右翼を固めろ! レオン、魔法の詠唱を急げ!」
「数が多すぎる! ダリオス、囲まれるわ!」
「くそっ、魔力がもうっ……!」
三人の冒険者パーティが、十体ほどのゴブリンに囲まれ、苦戦を強いられていた。
ただのゴブリンじゃない。背中が岩のように硬質化し、手にした棍棒も石でできている。『ロックゴブリン』だ。一体一体はCランク相当でも、群れになればBランクの脅威にも匹敵する。
リーダー格らしい大盾の戦士が必死に攻撃を受け止め、女性の斥候が短剣で敵の体勢を崩し、若い魔術師が炎の矢を放つ。連携は取れているようだけど、じりじりと追い詰められているのは明らかだった。
彼らの額には脂汗が浮かび、その呼吸は荒い。まさに、命がけの攻防。
その光景を、私は木の陰から眺めながら、ぽつりと呟いた。
「何やってるんだろう、命がなくなれば全部台無しなのに」
◇
私の大切な月見スポットが、野蛮なゴブリンたちに荒らされている。それは、薬師としても、一人の趣味人としても、看過できない事態だった。
「下がれ、危ない! 近づくな!」
私が木の陰からひょっこり姿を現すと、リーダーの戦士が鋭く叫んだ。私を、迷い込んできた一般人だと思ったのだろう。でも、私はその制止を無視して、とてとてと戦闘の輪へと近づいていく。
一体のゴブリンが、私に気づいて棍棒を振り上げてきた。
「あっ、危ない!」
若い魔術師が悲鳴のような声を上げる。けれど、私は慌てない。
腰の小袋から、甘い香りのする淡いピンク色の粉を取り出すと、ゴブリンに向かってふわりと吹きかけた。
「……グ?」
棍棒を振り上げたまま、ゴブリンの動きがぴたりと止まる。そして、そのまま前のめりに倒れ、すうすうと寝息を立て始めた。『夢見草の花粉』。少量なら、心地よい眠りを誘うだけだ。
「さ、次は君たち」
私はそのまま、ゴブリンたちの群れの中心へと歩みを進める。そして、別の小袋から、刺激臭のする液体を染み込ませた布を取り出し、ハンカチを回すようにくるくると振り回した。
「グギャッ!?」「ギギィッ!?」
途端に、ゴブリンたちが一斉に鼻を押さえて後ずさる。大型の肉食獣が縄張りのマーキングに使う体液を、私が独自に調合したものだ。ゴブリン程度の魔物には、効果てきめん。
混乱し、統率を失ったゴブリンたちを見回し、私は最後に小さく息を吸った。エルフに古くから伝わる、自然の力を借りるための、ささやかなおまじない。
「風よ、この子たちを遠くのおうちへ、そっと運んであげて」
小声でささやくと、私の足元から、渦を巻くようにして突風が巻き起こった。それは刃のように鋭くはないけれど、抗いがたいほどに力強い風。
風は混乱するゴブリンたちを優しく、しかし有無を言わさず空中に巻き上げると、あっという間に森の奥へと吹き飛ばしてしまった。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くす三人の冒険者と、完全な静寂だけだった。
「い、今の……は……。一体……君は、何者なんだ?」
最初に我に返った戦士の男が、信じられないものを見る目で、かすれた声を絞り出した。
「え? ただの薬師ですけど」
私はきょとんと答え、にこりと笑いかける。
「それより皆さん、お怪我は? 血の匂いは他の魔物を呼び寄せますよ。これ、私の試作品の塗り薬なんですけど、試してみます?」
「薬師だと!? ふざけるな! あんな精霊魔法まがいの技、ただの薬師が使えるわけないだろう!」
今度は、プライドを傷つけられたような顔で、魔術師が食ってかかってきた。
「えー、でもこれ、護身用だし。専門外だよ。ああ、でも、やっと静かになった。これで心置きなく月光草を待てる。じゃ、お疲れ様ー」
目的は果たした。私は三人にひらひらと手を振って、その場を去ろうとした。その背中に、怒りに震える声が突き刺さる。
「待てッ!」
戦士の男だった。彼の顔は、悔しさと怒りで真っ赤に染まっている。
「俺たちは……俺たちは、命がけで戦っていたんだ! それを、なんだその態度は! 冒険者の仕事は、お前のような奴の道楽や、趣味じゃないんだぞ!」
その必死な言葉に、私はくるりと振り返った。そして、心底不思議そうに、こてん、と首をかしげる。
「ええ……? だって、私にとっての冒険は、趣味だけど……。なんで、そんなに怒ってるの?」
たしかに、彼らにとっての冒険は、命を懸けた戦いなのかもしれない。
それを否定するつもりはないけど、それを私に押し付けられてもちょっと困る。
私の純粋な疑問に、三人の冒険者は、まるで時が止まったかのように絶句したような顔をして立ち尽くしていた。
「んんー、気持ちいい夜!」
私は大きく伸びをしながら、軽やかな足取りで獣道を進む。鼻歌まじりだ。昼間の喧騒が嘘のように静かな森は、私にとって自分の庭のようなもの。昼と夜とで、その表情をがらりと変えるこの森の散策は、何度やっても飽きることがない。
「あ、あれは『火傷トカゲ』の好物の『陽光キノコ』だ。ってことは、近くに巣があるかな? あのトカゲの尻尾の油、火傷の特効薬になるんだよねえ」
普通の冒険者なら警戒するところだろうけど、私の興味はもっぱら薬の材料に向いている。エルフの目は暗闇の中でもよく利くから、道端にひっそりと咲く小さな花も見逃さない。
「こっちは『夜啼き草』か。よしよし、元気に育ってる。君の根っこは、赤ちゃんの夜泣きに効くんだよ」
まるで旧知の友人に挨拶でもするように、一つ一つの植物に声をかけながら進んでいく。鳥のさえずりや獣の気配から、この先に何がいるのかも、大体は見当がつく。
危険な肉食獣の縄張りは、風の匂いで分かるから、上手く迂回すればいい。戦闘なんて面倒なこと、わざわざする必要はないのだ。これも、森で長く暮らしてきたエルフの知恵、というやつだろう。
そうやって寄り道を繰り返しながら、目的地のカラムの崖が近づいてきた、その時だった。
キンッ、という金属音。誰かの怒声。そして、地の底から響くような、低いうなり声。
「……ん? 先客かな」
どうやら、私以外にもこの静かな夜を楽しみに来た人たちがいるらしい。少しだけ眉をひそめながら、私は音のする方へと慎重に足を向けた。
崖の手前にある、月明かりに照らされた開けた場所。そこで繰り広げられていたのは、お世辞にも「お月見」とは言えない光景だった。
「キーラ、右翼を固めろ! レオン、魔法の詠唱を急げ!」
「数が多すぎる! ダリオス、囲まれるわ!」
「くそっ、魔力がもうっ……!」
三人の冒険者パーティが、十体ほどのゴブリンに囲まれ、苦戦を強いられていた。
ただのゴブリンじゃない。背中が岩のように硬質化し、手にした棍棒も石でできている。『ロックゴブリン』だ。一体一体はCランク相当でも、群れになればBランクの脅威にも匹敵する。
リーダー格らしい大盾の戦士が必死に攻撃を受け止め、女性の斥候が短剣で敵の体勢を崩し、若い魔術師が炎の矢を放つ。連携は取れているようだけど、じりじりと追い詰められているのは明らかだった。
彼らの額には脂汗が浮かび、その呼吸は荒い。まさに、命がけの攻防。
その光景を、私は木の陰から眺めながら、ぽつりと呟いた。
「何やってるんだろう、命がなくなれば全部台無しなのに」
◇
私の大切な月見スポットが、野蛮なゴブリンたちに荒らされている。それは、薬師としても、一人の趣味人としても、看過できない事態だった。
「下がれ、危ない! 近づくな!」
私が木の陰からひょっこり姿を現すと、リーダーの戦士が鋭く叫んだ。私を、迷い込んできた一般人だと思ったのだろう。でも、私はその制止を無視して、とてとてと戦闘の輪へと近づいていく。
一体のゴブリンが、私に気づいて棍棒を振り上げてきた。
「あっ、危ない!」
若い魔術師が悲鳴のような声を上げる。けれど、私は慌てない。
腰の小袋から、甘い香りのする淡いピンク色の粉を取り出すと、ゴブリンに向かってふわりと吹きかけた。
「……グ?」
棍棒を振り上げたまま、ゴブリンの動きがぴたりと止まる。そして、そのまま前のめりに倒れ、すうすうと寝息を立て始めた。『夢見草の花粉』。少量なら、心地よい眠りを誘うだけだ。
「さ、次は君たち」
私はそのまま、ゴブリンたちの群れの中心へと歩みを進める。そして、別の小袋から、刺激臭のする液体を染み込ませた布を取り出し、ハンカチを回すようにくるくると振り回した。
「グギャッ!?」「ギギィッ!?」
途端に、ゴブリンたちが一斉に鼻を押さえて後ずさる。大型の肉食獣が縄張りのマーキングに使う体液を、私が独自に調合したものだ。ゴブリン程度の魔物には、効果てきめん。
混乱し、統率を失ったゴブリンたちを見回し、私は最後に小さく息を吸った。エルフに古くから伝わる、自然の力を借りるための、ささやかなおまじない。
「風よ、この子たちを遠くのおうちへ、そっと運んであげて」
小声でささやくと、私の足元から、渦を巻くようにして突風が巻き起こった。それは刃のように鋭くはないけれど、抗いがたいほどに力強い風。
風は混乱するゴブリンたちを優しく、しかし有無を言わさず空中に巻き上げると、あっという間に森の奥へと吹き飛ばしてしまった。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くす三人の冒険者と、完全な静寂だけだった。
「い、今の……は……。一体……君は、何者なんだ?」
最初に我に返った戦士の男が、信じられないものを見る目で、かすれた声を絞り出した。
「え? ただの薬師ですけど」
私はきょとんと答え、にこりと笑いかける。
「それより皆さん、お怪我は? 血の匂いは他の魔物を呼び寄せますよ。これ、私の試作品の塗り薬なんですけど、試してみます?」
「薬師だと!? ふざけるな! あんな精霊魔法まがいの技、ただの薬師が使えるわけないだろう!」
今度は、プライドを傷つけられたような顔で、魔術師が食ってかかってきた。
「えー、でもこれ、護身用だし。専門外だよ。ああ、でも、やっと静かになった。これで心置きなく月光草を待てる。じゃ、お疲れ様ー」
目的は果たした。私は三人にひらひらと手を振って、その場を去ろうとした。その背中に、怒りに震える声が突き刺さる。
「待てッ!」
戦士の男だった。彼の顔は、悔しさと怒りで真っ赤に染まっている。
「俺たちは……俺たちは、命がけで戦っていたんだ! それを、なんだその態度は! 冒険者の仕事は、お前のような奴の道楽や、趣味じゃないんだぞ!」
その必死な言葉に、私はくるりと振り返った。そして、心底不思議そうに、こてん、と首をかしげる。
「ええ……? だって、私にとっての冒険は、趣味だけど……。なんで、そんなに怒ってるの?」
たしかに、彼らにとっての冒険は、命を懸けた戦いなのかもしれない。
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