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第一章:穢れの森編
ギルマスの訪問
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森から戻った翌日、私の薬屋は、静かな熱気に包まれていた。
普段は客人と談笑するために使うカウンターテーブルの上も、今だけは私の仕事場だ。そこに、採取してきたばかりの三種類の薬草が、それぞれ特別な布や器に収められて、厳かに並べられている。
『静寂の苔』『月影の雫』、そして『聖樹の若芽』。
どれもが、自ら淡い魔力の光を放っている、極上の素材だ。私は深呼吸を一つすると、全神経を指先に集中させた。これから始まるのは、薬師としての私の魂を懸けた、最も繊細で、最も胸が躍る作業なのだから。
まずは『静寂の苔』を、水晶でできた乳鉢にそっと移す。金属製の道具では、苔が持つ魔力の調和が乱れてしまう。ガラスでもダメ。必ず、魔力親和性の高い水晶でなければならない。
「……うん、いい感じ」
乳鉢の中で、苔は自己主張するかのように、ふわりと緑光を強めた。まるで「準備はいいよ」と、私に語りかけているかのようだ。
私はそれに応えるように、ゆっくりと乳棒を動かし始める。潰すのではない。すり潰すのでもない。苔の一つ一つの粒子と対話し、その内なる力を解き放つように、優しく、円を描くように。
工房の中は、心地よい静寂と、薬草の濃密な香りで満たされていく。私はこの時間が、たまらなく好きだった。
私の知識と経験、そして直感の全てが、目の前の一つの目的に向かって収束していく。この感覚は、どんな「趣味の冒険」よりも、ずっと刺激的で、ずっと満たされる。
カラン、と。その神聖な時間を破るように、店のドアベルが鳴った。
私は少しだけ眉をひそめ、不本意ながら作業を中断すると、カウンターへと向かった。
一体、誰だろうか。今日は休業の札を下げているはずなのに。
そこに立っていたのは、予想外の人物だった。
「やあ、先生。少し、よろしいかな」
「えっと、よろしくないですが……?」
いつもの豪奢なギルドマスターの服に身を包んだ、バルガスその人だった。
◇
「ギルドマスターさん。どうかなさいましたか? 今日は休業日なのですが」
「ああ、それは重々承知の上で。なに、急ぎの患者というわけではない。ただ、どうにも書類仕事で肩が凝ってしまってな。まるで古い盾のようにガチガチだ。先生のところで、よく効く塗り薬でも手に入らないかと思いましてな」
バルガスは、人の良さそうな笑みを浮かべてそう言った。あまりにもありふれた、もっともらしい口実だ。
私は内心でため息をついた。この人は、まだ私を探っているらしい。
あくまで趣味だって言ってるのに。
隙あらばギルドに取り込もうとしてくる。
「分かりました。それでしたら、ドワーフの鍛冶屋さんにも卸している、特別製の軟膏があります。少しお待ちください」
私が店の奥の棚に薬を取りに行く、その短い時間。バルガスの視線が、鋭く店内を、そして工房の中まで探っているのを、私は肌で感じていた。
彼が探しているのは、きっと、強力な魔法の杖や、分厚い魔導書、あるいは血なまぐさい武器の類だろう。
でも、残念。私の仕事場にあるのは、天井まで届きそうな薬草棚、ずらりと並んだガラス瓶、ことことと音を立てる蒸留器、そして、使い込まれた乳鉢と乳棒だけ。武器らしい武器といえば、硬い薬草の根を切るための、小さなナイフくらいのものだ。
彼の視線が、期待外れの困惑に変わっていくのが、見て取れた。
「はい、お待たせしました。これが『金剛軟膏』です。普通の人間には少し強すぎるかもしれませんが、ギルドマスターさんのような屈強な方なら、ちょうどいいでしょう」
私が差し出した小さな壺を受け取りながら、バルガスは、まるで世間話でもするかのように口を開いた。
「ありがとうございます。いやはや、強い力というものは、時に体にも負担をかけるものですな。それが、書類の山であっても……あるいは、強大な魔法の力であっても」
また、回りくどい言い方だ。私はもう、まともに取り合う気にもなれなかった。頭の中は、先ほどの調合の続きでいっぱいだったからだ。
「ええ、本当におっしゃる通りです!」
私は、彼の言葉に、満面の笑みで頷いた。ただし、その意図は、彼の思惑とは百八十度違っていた。
「『強い力』の扱いこそ、薬師の腕の見せ所なんですよ! 例えば、先ほど私が扱っていた『聖樹の若芽』! あれに含まれる浄化の『強い力』は、あまりに強力すぎて、そのままではすぐに大気中に霧散してしまうんです。だから、他の薬草が持つ定着の力で、それを繋ぎ止めてあげなければならない。大事なのは、力の強さそのものではなくて、いかにそれを制御し、調和させるかなんですよ!」
「は、はあ……調和、ですか」
「そうです! そして、そのための最適な温度管理と、抽出時間が……!」
私は、つい夢中になって、薬草学の基礎について熱弁を振るい始めてしまった。バルガスが、呆気にとられた顔で私を見ている。
「その……先生。その制御というのは、やはり、厳しい訓練の賜物なのでしょうな?」
彼はなんとか会話の軌道を、自分の聞きたい方向へ戻そうと試みる。
「もちろんですよ! 祖母には、薬液を煮詰める温度が一度でも違ったら、夕食抜きだって、厳しく言われましたからね!」
「……」
バルガスは、ついに何も言わなくなった。彼の顔には、もう「混乱」を通り越して、「諦観」のような色さえ浮かんでいる。
彼は、何かとてつもない秘密を暴こうとして、私の店に来たのだろう。しかし、得られたのは、薬師の専門的な講義と、厳しかった祖母の思い出話だけ。
「……薬代は、これで」
力なく銀貨をカウンターに置くと、バルガスはふらふらとした足取りで、店を出ていった。
「お大事にー」
さあ、仕事の続きだ。あの美しい薬を、一秒でも早く完成させなければ。
外界で繰り広げられる私への評価や疑惑など、工房の薬草の香りの中では、あまりにも些細な出来事でしかなかった。
普段は客人と談笑するために使うカウンターテーブルの上も、今だけは私の仕事場だ。そこに、採取してきたばかりの三種類の薬草が、それぞれ特別な布や器に収められて、厳かに並べられている。
『静寂の苔』『月影の雫』、そして『聖樹の若芽』。
どれもが、自ら淡い魔力の光を放っている、極上の素材だ。私は深呼吸を一つすると、全神経を指先に集中させた。これから始まるのは、薬師としての私の魂を懸けた、最も繊細で、最も胸が躍る作業なのだから。
まずは『静寂の苔』を、水晶でできた乳鉢にそっと移す。金属製の道具では、苔が持つ魔力の調和が乱れてしまう。ガラスでもダメ。必ず、魔力親和性の高い水晶でなければならない。
「……うん、いい感じ」
乳鉢の中で、苔は自己主張するかのように、ふわりと緑光を強めた。まるで「準備はいいよ」と、私に語りかけているかのようだ。
私はそれに応えるように、ゆっくりと乳棒を動かし始める。潰すのではない。すり潰すのでもない。苔の一つ一つの粒子と対話し、その内なる力を解き放つように、優しく、円を描くように。
工房の中は、心地よい静寂と、薬草の濃密な香りで満たされていく。私はこの時間が、たまらなく好きだった。
私の知識と経験、そして直感の全てが、目の前の一つの目的に向かって収束していく。この感覚は、どんな「趣味の冒険」よりも、ずっと刺激的で、ずっと満たされる。
カラン、と。その神聖な時間を破るように、店のドアベルが鳴った。
私は少しだけ眉をひそめ、不本意ながら作業を中断すると、カウンターへと向かった。
一体、誰だろうか。今日は休業の札を下げているはずなのに。
そこに立っていたのは、予想外の人物だった。
「やあ、先生。少し、よろしいかな」
「えっと、よろしくないですが……?」
いつもの豪奢なギルドマスターの服に身を包んだ、バルガスその人だった。
◇
「ギルドマスターさん。どうかなさいましたか? 今日は休業日なのですが」
「ああ、それは重々承知の上で。なに、急ぎの患者というわけではない。ただ、どうにも書類仕事で肩が凝ってしまってな。まるで古い盾のようにガチガチだ。先生のところで、よく効く塗り薬でも手に入らないかと思いましてな」
バルガスは、人の良さそうな笑みを浮かべてそう言った。あまりにもありふれた、もっともらしい口実だ。
私は内心でため息をついた。この人は、まだ私を探っているらしい。
あくまで趣味だって言ってるのに。
隙あらばギルドに取り込もうとしてくる。
「分かりました。それでしたら、ドワーフの鍛冶屋さんにも卸している、特別製の軟膏があります。少しお待ちください」
私が店の奥の棚に薬を取りに行く、その短い時間。バルガスの視線が、鋭く店内を、そして工房の中まで探っているのを、私は肌で感じていた。
彼が探しているのは、きっと、強力な魔法の杖や、分厚い魔導書、あるいは血なまぐさい武器の類だろう。
でも、残念。私の仕事場にあるのは、天井まで届きそうな薬草棚、ずらりと並んだガラス瓶、ことことと音を立てる蒸留器、そして、使い込まれた乳鉢と乳棒だけ。武器らしい武器といえば、硬い薬草の根を切るための、小さなナイフくらいのものだ。
彼の視線が、期待外れの困惑に変わっていくのが、見て取れた。
「はい、お待たせしました。これが『金剛軟膏』です。普通の人間には少し強すぎるかもしれませんが、ギルドマスターさんのような屈強な方なら、ちょうどいいでしょう」
私が差し出した小さな壺を受け取りながら、バルガスは、まるで世間話でもするかのように口を開いた。
「ありがとうございます。いやはや、強い力というものは、時に体にも負担をかけるものですな。それが、書類の山であっても……あるいは、強大な魔法の力であっても」
また、回りくどい言い方だ。私はもう、まともに取り合う気にもなれなかった。頭の中は、先ほどの調合の続きでいっぱいだったからだ。
「ええ、本当におっしゃる通りです!」
私は、彼の言葉に、満面の笑みで頷いた。ただし、その意図は、彼の思惑とは百八十度違っていた。
「『強い力』の扱いこそ、薬師の腕の見せ所なんですよ! 例えば、先ほど私が扱っていた『聖樹の若芽』! あれに含まれる浄化の『強い力』は、あまりに強力すぎて、そのままではすぐに大気中に霧散してしまうんです。だから、他の薬草が持つ定着の力で、それを繋ぎ止めてあげなければならない。大事なのは、力の強さそのものではなくて、いかにそれを制御し、調和させるかなんですよ!」
「は、はあ……調和、ですか」
「そうです! そして、そのための最適な温度管理と、抽出時間が……!」
私は、つい夢中になって、薬草学の基礎について熱弁を振るい始めてしまった。バルガスが、呆気にとられた顔で私を見ている。
「その……先生。その制御というのは、やはり、厳しい訓練の賜物なのでしょうな?」
彼はなんとか会話の軌道を、自分の聞きたい方向へ戻そうと試みる。
「もちろんですよ! 祖母には、薬液を煮詰める温度が一度でも違ったら、夕食抜きだって、厳しく言われましたからね!」
「……」
バルガスは、ついに何も言わなくなった。彼の顔には、もう「混乱」を通り越して、「諦観」のような色さえ浮かんでいる。
彼は、何かとてつもない秘密を暴こうとして、私の店に来たのだろう。しかし、得られたのは、薬師の専門的な講義と、厳しかった祖母の思い出話だけ。
「……薬代は、これで」
力なく銀貨をカウンターに置くと、バルガスはふらふらとした足取りで、店を出ていった。
「お大事にー」
さあ、仕事の続きだ。あの美しい薬を、一秒でも早く完成させなければ。
外界で繰り広げられる私への評価や疑惑など、工房の薬草の香りの中では、あまりにも些細な出来事でしかなかった。
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