7 / 7
第一章:穢れの森編
ギルマスの訪問
しおりを挟む
森から戻った翌日、私の薬屋は、静かな熱気に包まれていた。
普段は客人と談笑するために使うカウンターテーブルの上も、今だけは私の仕事場だ。そこに、採取してきたばかりの三種類の薬草が、それぞれ特別な布や器に収められて、厳かに並べられている。
『静寂の苔』『月影の雫』、そして『聖樹の若芽』。
どれもが、自ら淡い魔力の光を放っている、極上の素材だ。私は深呼吸を一つすると、全神経を指先に集中させた。これから始まるのは、薬師としての私の魂を懸けた、最も繊細で、最も胸が躍る作業なのだから。
まずは『静寂の苔』を、水晶でできた乳鉢にそっと移す。金属製の道具では、苔が持つ魔力の調和が乱れてしまう。ガラスでもダメ。必ず、魔力親和性の高い水晶でなければならない。
「……うん、いい感じ」
乳鉢の中で、苔は自己主張するかのように、ふわりと緑光を強めた。まるで「準備はいいよ」と、私に語りかけているかのようだ。
私はそれに応えるように、ゆっくりと乳棒を動かし始める。潰すのではない。すり潰すのでもない。苔の一つ一つの粒子と対話し、その内なる力を解き放つように、優しく、円を描くように。
工房の中は、心地よい静寂と、薬草の濃密な香りで満たされていく。私はこの時間が、たまらなく好きだった。
私の知識と経験、そして直感の全てが、目の前の一つの目的に向かって収束していく。この感覚は、どんな「趣味の冒険」よりも、ずっと刺激的で、ずっと満たされる。
カラン、と。その神聖な時間を破るように、店のドアベルが鳴った。
私は少しだけ眉をひそめ、不本意ながら作業を中断すると、カウンターへと向かった。
一体、誰だろうか。今日は休業の札を下げているはずなのに。
そこに立っていたのは、予想外の人物だった。
「やあ、先生。少し、よろしいかな」
「えっと、よろしくないですが……?」
いつもの豪奢なギルドマスターの服に身を包んだ、バルガスその人だった。
◇
「ギルドマスターさん。どうかなさいましたか? 今日は休業日なのですが」
「ああ、それは重々承知の上で。なに、急ぎの患者というわけではない。ただ、どうにも書類仕事で肩が凝ってしまってな。まるで古い盾のようにガチガチだ。先生のところで、よく効く塗り薬でも手に入らないかと思いましてな」
バルガスは、人の良さそうな笑みを浮かべてそう言った。あまりにもありふれた、もっともらしい口実だ。
私は内心でため息をついた。この人は、まだ私を探っているらしい。
あくまで趣味だって言ってるのに。
隙あらばギルドに取り込もうとしてくる。
「分かりました。それでしたら、ドワーフの鍛冶屋さんにも卸している、特別製の軟膏があります。少しお待ちください」
私が店の奥の棚に薬を取りに行く、その短い時間。バルガスの視線が、鋭く店内を、そして工房の中まで探っているのを、私は肌で感じていた。
彼が探しているのは、きっと、強力な魔法の杖や、分厚い魔導書、あるいは血なまぐさい武器の類だろう。
でも、残念。私の仕事場にあるのは、天井まで届きそうな薬草棚、ずらりと並んだガラス瓶、ことことと音を立てる蒸留器、そして、使い込まれた乳鉢と乳棒だけ。武器らしい武器といえば、硬い薬草の根を切るための、小さなナイフくらいのものだ。
彼の視線が、期待外れの困惑に変わっていくのが、見て取れた。
「はい、お待たせしました。これが『金剛軟膏』です。普通の人間には少し強すぎるかもしれませんが、ギルドマスターさんのような屈強な方なら、ちょうどいいでしょう」
私が差し出した小さな壺を受け取りながら、バルガスは、まるで世間話でもするかのように口を開いた。
「ありがとうございます。いやはや、強い力というものは、時に体にも負担をかけるものですな。それが、書類の山であっても……あるいは、強大な魔法の力であっても」
また、回りくどい言い方だ。私はもう、まともに取り合う気にもなれなかった。頭の中は、先ほどの調合の続きでいっぱいだったからだ。
「ええ、本当におっしゃる通りです!」
私は、彼の言葉に、満面の笑みで頷いた。ただし、その意図は、彼の思惑とは百八十度違っていた。
「『強い力』の扱いこそ、薬師の腕の見せ所なんですよ! 例えば、先ほど私が扱っていた『聖樹の若芽』! あれに含まれる浄化の『強い力』は、あまりに強力すぎて、そのままではすぐに大気中に霧散してしまうんです。だから、他の薬草が持つ定着の力で、それを繋ぎ止めてあげなければならない。大事なのは、力の強さそのものではなくて、いかにそれを制御し、調和させるかなんですよ!」
「は、はあ……調和、ですか」
「そうです! そして、そのための最適な温度管理と、抽出時間が……!」
私は、つい夢中になって、薬草学の基礎について熱弁を振るい始めてしまった。バルガスが、呆気にとられた顔で私を見ている。
「その……先生。その制御というのは、やはり、厳しい訓練の賜物なのでしょうな?」
彼はなんとか会話の軌道を、自分の聞きたい方向へ戻そうと試みる。
「もちろんですよ! 祖母には、薬液を煮詰める温度が一度でも違ったら、夕食抜きだって、厳しく言われましたからね!」
「……」
バルガスは、ついに何も言わなくなった。彼の顔には、もう「混乱」を通り越して、「諦観」のような色さえ浮かんでいる。
彼は、何かとてつもない秘密を暴こうとして、私の店に来たのだろう。しかし、得られたのは、薬師の専門的な講義と、厳しかった祖母の思い出話だけ。
「……薬代は、これで」
力なく銀貨をカウンターに置くと、バルガスはふらふらとした足取りで、店を出ていった。
「お大事にー」
さあ、仕事の続きだ。あの美しい薬を、一秒でも早く完成させなければ。
外界で繰り広げられる私への評価や疑惑など、工房の薬草の香りの中では、あまりにも些細な出来事でしかなかった。
普段は客人と談笑するために使うカウンターテーブルの上も、今だけは私の仕事場だ。そこに、採取してきたばかりの三種類の薬草が、それぞれ特別な布や器に収められて、厳かに並べられている。
『静寂の苔』『月影の雫』、そして『聖樹の若芽』。
どれもが、自ら淡い魔力の光を放っている、極上の素材だ。私は深呼吸を一つすると、全神経を指先に集中させた。これから始まるのは、薬師としての私の魂を懸けた、最も繊細で、最も胸が躍る作業なのだから。
まずは『静寂の苔』を、水晶でできた乳鉢にそっと移す。金属製の道具では、苔が持つ魔力の調和が乱れてしまう。ガラスでもダメ。必ず、魔力親和性の高い水晶でなければならない。
「……うん、いい感じ」
乳鉢の中で、苔は自己主張するかのように、ふわりと緑光を強めた。まるで「準備はいいよ」と、私に語りかけているかのようだ。
私はそれに応えるように、ゆっくりと乳棒を動かし始める。潰すのではない。すり潰すのでもない。苔の一つ一つの粒子と対話し、その内なる力を解き放つように、優しく、円を描くように。
工房の中は、心地よい静寂と、薬草の濃密な香りで満たされていく。私はこの時間が、たまらなく好きだった。
私の知識と経験、そして直感の全てが、目の前の一つの目的に向かって収束していく。この感覚は、どんな「趣味の冒険」よりも、ずっと刺激的で、ずっと満たされる。
カラン、と。その神聖な時間を破るように、店のドアベルが鳴った。
私は少しだけ眉をひそめ、不本意ながら作業を中断すると、カウンターへと向かった。
一体、誰だろうか。今日は休業の札を下げているはずなのに。
そこに立っていたのは、予想外の人物だった。
「やあ、先生。少し、よろしいかな」
「えっと、よろしくないですが……?」
いつもの豪奢なギルドマスターの服に身を包んだ、バルガスその人だった。
◇
「ギルドマスターさん。どうかなさいましたか? 今日は休業日なのですが」
「ああ、それは重々承知の上で。なに、急ぎの患者というわけではない。ただ、どうにも書類仕事で肩が凝ってしまってな。まるで古い盾のようにガチガチだ。先生のところで、よく効く塗り薬でも手に入らないかと思いましてな」
バルガスは、人の良さそうな笑みを浮かべてそう言った。あまりにもありふれた、もっともらしい口実だ。
私は内心でため息をついた。この人は、まだ私を探っているらしい。
あくまで趣味だって言ってるのに。
隙あらばギルドに取り込もうとしてくる。
「分かりました。それでしたら、ドワーフの鍛冶屋さんにも卸している、特別製の軟膏があります。少しお待ちください」
私が店の奥の棚に薬を取りに行く、その短い時間。バルガスの視線が、鋭く店内を、そして工房の中まで探っているのを、私は肌で感じていた。
彼が探しているのは、きっと、強力な魔法の杖や、分厚い魔導書、あるいは血なまぐさい武器の類だろう。
でも、残念。私の仕事場にあるのは、天井まで届きそうな薬草棚、ずらりと並んだガラス瓶、ことことと音を立てる蒸留器、そして、使い込まれた乳鉢と乳棒だけ。武器らしい武器といえば、硬い薬草の根を切るための、小さなナイフくらいのものだ。
彼の視線が、期待外れの困惑に変わっていくのが、見て取れた。
「はい、お待たせしました。これが『金剛軟膏』です。普通の人間には少し強すぎるかもしれませんが、ギルドマスターさんのような屈強な方なら、ちょうどいいでしょう」
私が差し出した小さな壺を受け取りながら、バルガスは、まるで世間話でもするかのように口を開いた。
「ありがとうございます。いやはや、強い力というものは、時に体にも負担をかけるものですな。それが、書類の山であっても……あるいは、強大な魔法の力であっても」
また、回りくどい言い方だ。私はもう、まともに取り合う気にもなれなかった。頭の中は、先ほどの調合の続きでいっぱいだったからだ。
「ええ、本当におっしゃる通りです!」
私は、彼の言葉に、満面の笑みで頷いた。ただし、その意図は、彼の思惑とは百八十度違っていた。
「『強い力』の扱いこそ、薬師の腕の見せ所なんですよ! 例えば、先ほど私が扱っていた『聖樹の若芽』! あれに含まれる浄化の『強い力』は、あまりに強力すぎて、そのままではすぐに大気中に霧散してしまうんです。だから、他の薬草が持つ定着の力で、それを繋ぎ止めてあげなければならない。大事なのは、力の強さそのものではなくて、いかにそれを制御し、調和させるかなんですよ!」
「は、はあ……調和、ですか」
「そうです! そして、そのための最適な温度管理と、抽出時間が……!」
私は、つい夢中になって、薬草学の基礎について熱弁を振るい始めてしまった。バルガスが、呆気にとられた顔で私を見ている。
「その……先生。その制御というのは、やはり、厳しい訓練の賜物なのでしょうな?」
彼はなんとか会話の軌道を、自分の聞きたい方向へ戻そうと試みる。
「もちろんですよ! 祖母には、薬液を煮詰める温度が一度でも違ったら、夕食抜きだって、厳しく言われましたからね!」
「……」
バルガスは、ついに何も言わなくなった。彼の顔には、もう「混乱」を通り越して、「諦観」のような色さえ浮かんでいる。
彼は、何かとてつもない秘密を暴こうとして、私の店に来たのだろう。しかし、得られたのは、薬師の専門的な講義と、厳しかった祖母の思い出話だけ。
「……薬代は、これで」
力なく銀貨をカウンターに置くと、バルガスはふらふらとした足取りで、店を出ていった。
「お大事にー」
さあ、仕事の続きだ。あの美しい薬を、一秒でも早く完成させなければ。
外界で繰り広げられる私への評価や疑惑など、工房の薬草の香りの中では、あまりにも些細な出来事でしかなかった。
10
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
学園長からのお話です
ラララキヲ
ファンタジー
学園長の声が学園に響く。
『昨日、平民の女生徒の食べていたお菓子を高位貴族の令息5人が取り囲んで奪うという事がありました』
昨日ピンク髪の女生徒からクッキーを貰った自覚のある王太子とその側近4人は項垂れながらその声を聴いていた。
学園長の話はまだまだ続く……
◇テンプレ乙女ゲームになりそうな登場人物(しかし出てこない)
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げています。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
防御力を下げる魔法しか使えなかった俺は勇者パーティから追放されたけど俺の魔法に強制脱衣の追加効果が発現したので世界中で畏怖の対象になりました
かにくくり
ファンタジー
魔法使いクサナギは国王の命により勇者パーティの一員として魔獣討伐の任務を続けていた。
しかし相手の防御力を下げる魔法しか使う事ができないクサナギは仲間達からお荷物扱いをされてパーティから追放されてしまう。
しかし勇者達は今までクサナギの魔法で魔物の防御力が下がっていたおかげで楽に戦えていたという事実に全く気付いていなかった。
勇者パーティが没落していく中、クサナギは追放された地で彼の本当の力を知る新たな仲間を加えて一大勢力を築いていく。
そして防御力を下げるだけだったクサナギの魔法はいつしか次のステップに進化していた。
相手の身に着けている物を強制的に剥ぎ取るという究極の魔法を習得したクサナギの前に立ち向かえる者は誰ひとりいなかった。
※小説家になろうにも掲載しています。
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます
なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。
だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。
……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。
これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
最強スライムはぺットであって従魔ではない。ご主人様に仇なす奴は万死に値する。
棚から現ナマ
ファンタジー
スーはペットとして飼われているレベル2のスライムだ。この世界のスライムはレベル2までしか存在しない。それなのにスーは偶然にもワイバーンを食べてレベルアップをしてしまう。スーはこの世界で唯一のレベル2を超えた存在となり、スライムではあり得ない能力を身に付けてしまう。体力や攻撃力は勿論、知能も高くなった。だから自我やプライドも出てきたのだが、自分がペットだということを嫌がるどころか誇りとしている。なんならご主人様LOVEが加速してしまった。そんなスーを飼っているティナは、ひょんなことから王立魔法学園に入学することになってしまう。『違いますっ。私は学園に入学するために来たんじゃありません。下働きとして働くために来たんです!』『はぁ? 俺が従魔だってぇ、馬鹿にするなっ! 俺はご主人様に愛されているペットなんだっ。そこいらの野良と一緒にするんじゃねぇ!』最高レベルのテイマーだと勘違いされてしまうティナと、自分の持てる全ての能力をもって、大好きなご主人様のために頑張る最強スライムスーの物語。他サイトにも投稿しています。
嘘つきと呼ばれた精霊使いの私
ゆるぽ
ファンタジー
私の村には精霊の愛し子がいた、私にも精霊使いとしての才能があったのに誰も信じてくれなかった。愛し子についている精霊王さえも。真実を述べたのに信じてもらえず嘘つきと呼ばれた少女が幸せになるまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる