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18話
しおりを挟む正体を見破られ、逃げ場のない状況で、それでもしばらくは逃げ道を模索して、ないことを再度自覚してから、ようやく観念したようである。
しかし困ったな、ボスのイケてるはずの素顔が見たいがためのちょっとした出来心が、完全に藪蛇である。蛇どころか、鬼が出てきてしまった。国中どころか隣国まで知れ渡っているバルサカーの顔である。これでは夜会に出席出来なくなってしまった。生ける鬼神伝説本人があんな闇の本髄のような場所に行けば、闇に身を浸している人間ばかりである。パニックなること請負である。
そもそも国境で任務にあっているはずの辺境伯様がどうしてこのような場所でボスなんてしているのでしょうねっ?!
こっちも混乱して泣きたくなるよ!
「とんでもねぇことをしてくれたなぁ、ニール。これは俺のせいじゃぁねぇからなぁ。俺は確かにロックウェル・バルサカーだ。しかし今は王より密命を賜り潜伏、悪者どもの炙り出しの最中だ。………おっと、密命については突っ込んでくれるなよ?これでも国家機密内容だ。ちなみに俺がここにいる事も国家機密事案になっている。」
開き直ってしたり顔のボスが憎らしい。
確かの国防の要と言えるロックウェル・バルサカーが国境におらずにここで暗躍しているなんて情報が漏れたら、調子付いた他国が本腰入れて国境を攻めてくるかもしれない。
さらに闇の炙り出しだなんて、闇の蜜を啜って生きてきた人間には正に悪鬼そのものだろう。匂いに敏感な闇に巣食う者たちは忽ち尻尾を切って散り散りに逃げ出すに違いない。
いや、国の密命を帯びていると言っていたよね?ってことは、国家機密を知ってしまったニヴェンは早くもバッドエンドですか?!
そもそもロックウェルがこんなところで暗躍しているなんて想像つくはずない。況してや、物語にはバルサカーは終盤の終盤に出てくる人物である。ここで暗躍しているなんてこと一言も書いてなかった。触れてもいない、フラグも何も立っていなかったのに、何がどうなっているんだ!?
ニヴェンが盛大に混乱している最中、あー、さっぱりしたー、髭剃る腕良いんだなー、なんて呑気に鏡見ながら、ツルツルになった顎を満足げに確認している。
「あっあのー、バルサカー団長様?辺境伯様?この度は僕、私の身勝手な行為のために、取り返しもつかない失態を犯してしまい、申し訳もありま………っ」
混乱のあまりずり落ちかけたお猫様をもう一度被り直し、ボスもとい、バルサカー様に平伏謝罪をする。しかし堅苦しいのが苦手だったのは本性だったようで、謝罪の途中を遮られ、顔を上げさせられる。
思わないような強い真剣な眼差しに言葉が引っかかり出てこない。
「おいおい、そんなことは嫌いだって、最初に言ってるだろう?それ以上そんな茶番を続けるなら、体に直接躾を施すぞ?」
躾を施すと言ったときのロックウェルの顔は、髭がない分凄みが増しており、正に地獄の門番、鬼人のように危ない顔をしていた。
あまりの恐ろしさに、涙目になってしまうニヴェン。口は言葉も出ず、はくはくと意味もなく開閉を繰り返すばかり。いざとなれば何もできない、小心者の自分が恨めしい。
「ったく、何も取って食おうってんじゃないんだから、そんなに怯えんなよ。………虐めたくなるだろう?」
一瞬緩みかけた気が最後に呟かれた言葉を聞いてさっき以上に体が固まる。心臓まで鼓動を止めてしまいかねない恐怖に動けなくなってしまう。
「………くっ、ぶふっ、だぁはははっ!ひーっ腹いてぇ!」
突如として降って湧いた爆笑の嵐に、張り詰めていた気がプッツンする。真っ白になった頭で呆然とロックウェルを見ることしか出来ない。
「ひーひっひっひ、しっかし、いつも小生意気におちょくってくるお前が、ぶふっ、あんな怯えきった顔見たのは初めてだなぁ!ここで始めて会った時ですら、負けん気全開でこっちを睨み返してた坊主が!もうたまんねぇなっ!」
怯えてしまうのも無理はないだろう。生ける鬼人伝説と、所詮裏社会のボスとでは比べるのも烏滸がましいほどだ。怯えて縮こまっても、脇役のニヴェンにはしょうがないことだと思ってもらいたい。
ロックウェルの笑い声はボスの時の笑い声と何も変わらなくて、逆にその事実がニヴェンの緊張の糸を断ち切ってしまう。
緊張の糸と一緒に涙腺まで断ち切ってしまったように、ニヴェンの丸い目からは大粒の涙が溢れては滝のように流れ溢れていく。声は相変わらず出ないくせに、呼吸は混乱したかのようにしゃくりあげ、過呼吸気味になってしまう。
ニヴェンが滂沱の涙を流していることに遅れて気が付いたロックウェルは引きつれていた笑いがすぐに収まり、ニヴェンの顔を掬い上げるように手の平で包み込む。
やっぱり見慣れない顔に、ボスと言うよりはロックウェルとしての顔の方に、ますます混乱して涙が溢れ出す。
しかし、頬に触れてくる手の感触、少し荒れていて所々硬く胼胝だらけの温もりある手が、ボスのままだと落ち着かせてくれる。
ロックウェルはバカの一つ覚えのように溢れて止まらない涙を零す目元を拭い続ける。そんなに擦ったら後で真っ赤に腫れ上がってしまう。人の泣き止まし方なんて知らない手付きに次第に落ち着いてくる。
「あー、その悪かったな。ちょっとばかり悪ノリが過ぎたようだ。ニールがそこまで怯えるのがかわい、いやっ、珍しくてな。ついついやり過ぎてしまった。俺が悪かったから、もう泣き止め、な?」
もうほとんど止まりかけている涙でも、ロックウェルはまだ不安らしい。いつも生意気なチビがいきなり号泣すればそりゃ、戸惑うわな。悪いとはちっとも思わないけど。
まだしゃっくりのように引きつる呼吸は中々落ち着かない。鼻水もずるずる出てきていて、さっきからずっと鼻を啜りあげている。
ようやく気が付いたのかロックウェルが綺麗めなハンカチをおずおずと目の前に差し出してくれる。
そのハンカチを受け取り、まずは目元を拭う。水気がなくなってスッキリした。
そしてためらいもなく、鼻に持っていき思いっきり鼻を擤んでやる。ちーん、なんて可愛い音ではなく、ぶぶーっと盛大に音を立てる。目の前の巨軀から、んなぁっ!、なんて焦った声も聞こえた気がするが、気のせいである。
鼻の通りが良くなりすっきりする。すると自然と呼吸も落ち着き始め、平静になる。
スッキリした気分でちょっとだけ笑顔になる。あんな号泣の姿を見られて、ちょっと恥ずかしい気もある。多分はにかんだような顔になっているだろう。
きっと一張羅並みのハンカチだったのだろう、今度はロックウェルがショックで行動を停止している。その隙に怒られる前にハンカチをロックウェルに返す。きちゃないなんて思っちゃいけません。
きっとロックウェルだと正体を知る前のボスに対する態度なら、ニヴェンはこうすることが正解だと思うから。
++++++++++
《ロックウェル・バルサカー》
あいつ、ニールと出会ったのは偶然だと思っていた。
突然この狭く暗い裏社会に迷い込んできたかと思うと、どうやら自分から潜り込んできたらしい。そんな思い切りの良さはひょろっこい体からは想像がつかない男らしさだった。
俺が国の密命を拝命し機密事項の案件として、この裏社会で暗躍しているのは本当のことである。どうもこの王国に蔓延る闇が大きくなり過ぎたらしい。
他国との小競り合いも国境を守る事として大切だが、内に巣食う闇が侵食してくる病は軽く見ていると国家転覆の危機に陥ってしまう重要案件だ。それが王宮の者達だけでは回りきらなくなったらしい。
入り込んでみてわかった事だが、これは裏に大きな存在がいる気配がした。まぁそれも今ではだいたい見当も付いているんだが、確たる証拠が見つかっていない。するすると王宮の者の手から逃げ果せ、さらに勢力を拡大していっている。タチが悪く、確かに王宮の者だけでは回りきらなくなったというのも頷ける。
そこでこちらも見方を潜り込ませようという話になったと。あれよあれよとロックウェルに白羽の矢が立ち、ロックウェルの影武者が用意され、本人は王宮まで連れ戻され、裏社会での潜入捜査と相成ったという訳である。
自分には荷が重いと辞退したかったがすでに外堀を埋められた後。戦場しか知らない自分では闇の中での機微なんて把握できるはずがないと思っていたが、存外、裏社会でのやり方が肌にあったようで、あっという間にのし上がってしまった。
ロックウェル自身が少しでも過ごしやすいようにと自力で得た権力を行使し、確変を起こしたことも良かったのだろう。徐々に中枢に食い込んでいくことに成功していた。
その中でニールを見つけ囲う。最初は裏社会なんて似合わない雰囲気で表に返そう、それまで保護だと思っていただけだった。
すぐに手放すはずだったニールは意外にも強面なロックウェルに恐れもせず近づき、懐いて居座ってしまった。その様はまるで猫のようで苦笑してしまったのを今でも覚えている。
ニールの出自が気になり、独自に調べていたらすぐに判明した事案がいくつか。まずついこの間大々的に乱行パーティーをした豚子爵の人形だったこと。そこでもお気に入りだったようで、さわりを流すように見るだけでも胸糞悪くなるような情報ばかりだ。よくこれだけのことをされておいて壊れなかったものだ。普通であれば数日と持たずに壊れてしまうだろう。
パーティーで景品のような扱いになり、正体不明の青年に連れ去られ、そこでもきっと酷い目に遭わされているだろう。
その青年の目をも掻い潜り、逃げ出してここに流れ着いたという訳だ。
しかし豚子爵がわざと隠蔽でもしたかのようにそれ以前の情報が掴めない。豚子爵に捕まる前のニールの情報が。
ちょっと珍しいぐらいに整った顔をしているニールのことだ。誰かに飼われていたか、店に出されていたか、浮浪者ならすぐにその手のものに捕まり情報もそこから入手出来るはず。
それが全く情報をつかむことができないだなんて、不自然過ぎて気になってしょうがない。しかし本人に聞いても要領を得ない返答ばかりではぐらかされて終わり。どんな言えない情報を持っているんだと疑ってしまう。
それなのにニールはロックウェルに警戒心の欠片もない体たらくで、こんなに疑っているこっちがバカらしくなってしまうほどであった。
ニールは辛い過去を微塵も見せずに子供のように無邪気に振る舞っている。しかし時として大人顔負けの判断や行動、性格をしているもんだから、ニールが外見相応の年齢をしていないことは早い段階でわかった。この年齢もわからないと平気な顔して宣いやがった。
そんなニールが初めて素顔らしい表情を見せた。
それが豚子爵失脚の話である。その情報をニールにつたえる。
最初は平気そうな顔していたが、ロックウェルが伺うような表情をしていたのがわかったのか、苦笑気味に本音を零す。
「あの豚さんもついに捕まっちゃったんだねー。あいつ無能なクセしてやる事はしつこいから嫌いだったんだ。ぶよぶよで気持ち悪くて、薬もらわなきゃ相手出来なかったよ。そんな生活が辛すぎて、周りにいた子達、みんな狂っちゃったけどね。」
やめろ、そんな顔で笑うんじゃねぇ。
ニールは自分の体を慰めるように自分で体を擦る。
「あそこから抜け出せてよかったー。耐えた甲斐があった。僕、ここで拾ってもらわなかったらまた変態貴族に回される所だったんだ。」
気分を変えるようにことさら明るく振舞っているようにも見える。
「ねぇボス。わざわざ教えてくれるために話をしてくれたんだよね?むしろ、その豚さんの失脚の手伝いでもしてたんじゃないの?
…っと冗談デース!
でもそんないかつい顔して、ボスってば仲間思いの優しい人なんだから。僕はボスのそんな男気溢れる所に惚れているんだよ。今回でまた惚れ直しちゃった。」
またそんなおちゃらけたように言って深刻そうに見せない。でもニールも正直にいうのは照れくさかったのか、はにかむような笑顔が可愛らしい。何となく気まずくなってニールの真っ直ぐな視線から逃れるようにそっぽを向いてしまう。
「おい、あんまりふざけた事言ってっと、豚と一緒に放り出すぞ。お前ぐらいだぞ、俺にそんな戯言を吐いてくるやつは。お前の頭はどうなってるんだニール。」
「この通り、軽くてポンコツな頭ですよ。ボスが一番知っているくせに、意地悪なんだからー。」
またふざけたことを言い始めるニール。自分でポンコツなんて言っているがあいつが時々鋭い視点で指摘してくるからな。ニールのふらふらした態度が素だなんて、俺たちは思っていない。そんな軽い適当なやつをそばに置いたりしねぇ。
それでもあいつが何かを隠すように一定の距離を開けてくるから、自分から来るまで待つしかねぇ。今だって俺の腹に向かって突進してくるが体重の軽いニールの事だ、ほら、逆に弾き飛ばされそうになっている。
思った通りの反応に思わず笑ってしまう。条件反射のようにニールを支えるために出た手については深く考えないことにする。
誤魔化すように、ちょうどいい位置にあるニールの頭を回すように掻き乱す。
ちょっと強過ぎたのか目を回したようで素直に謝ってくる。こういった育ちの良さが垣間見えるのに、気安い感じのニールが好ましい。
豚子爵に捕まらなかったらもっと平和な場所で頭と育ちの良さで育っていき、こんなところでふざけあって触れ合うこともなかっただろうと思うと、少し感傷的になってしまった。
そのまま手つきにも現れてしまったのか、いつのまにか優しく撫でていた。ニールも気持ちが良いのか、猫のように小さな頭を手に擦り付けてくる。
ぼーっとしながら撫で続けてしまったのが悪かったのか、手元が狂い、ニールの耳を掠めてしまう。
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